第七話 恋人-3

「それだけでいいのか?」

「いい。また来るし」

 母の写真も持った。着替えを持ち、ガスの栓もきちんと締めた。歯ブラシやタオルは要らないと蓮に言われた。

「新品を買おう。タオルなんかは俺のを一緒に使えばいい。思い出の物ならいくら持っていっても構わないから」

そう言うと顔を覗きこんだ。

「自分の枕じゃないと眠れないって言うんなら持って行け」

笑っているその顔にぷぅっと膨れる。

「俺をガキ扱いしてる」

「分かったか」

「俺はガキじゃない」

「そういうところがガキなんだよ」

 尚も言い返そうとするジェイを引き寄せた。

「ここ……じゃ、いやだ……」

母と暮らした部屋。そこで乱れたくない。

「分かった。悪かった、俺が無神経だったな」

すっと離れた蓮を思わず体が追う。

「早く帰ろう。言っとくがベッドは一つしかない。いいな?」

 意味が分かって赤くなる。ジェイの反応の一つ一つが愛しくてたまらない。自分こそ気が急いているのを蓮は意識していた。



「ね! ジェローム、大丈夫!?」

ハッとした。いつの間にか体が震えている。息荒く、熱が体を駆け巡っていく。

「具合悪いんでしょ、今日は帰りなさい」

千枝だった。戻りの遅いジェイを心配して見に来たのだ。

「待ってて、何か冷たいもの持ってきてあげる」

「い、いいんです」

「絶対熱あるわよ。待ってなさい」

 トイレに走っていく千枝の背中を見送った。

 知らぬうちに昨日のベッドでのことを記憶でなぞっていた。若く敏感な体は、簡単に記憶の中の快感に捉まり抜け出せずにいた。鼓動は早く、肩で息をする。

 千枝が携帯を片手に戻って来た。

「はい、そうなんです。帰してもいいですよね? ええ。はい、分かりました。じゃ来るまでそばにいます」

携帯を切ると、濡らしてきたハンカチでジェイの顔を拭った。

「ひどい汗! そう言えばオフィスでも暑いって言ってたわよね。我慢することないのに。辛い時は言わなきゃだめよ」

 まさか夕べの余韻でこうなったとも言えず、返事も出来なかった。足早にエレベーターから向かってくる蓮が見える。

(どうしよう、怒られる)

そうは思っても体をコントロール出来ない。

「悪いな、千枝。後は任せてくれ。ちょうど打ち合わせも終わったしコイツを家に送ってくるよ」

「すみません、課長。よろしくお願いします。ジェローム、良かったわね。明日も無理しないで。どうせ連休に入るんだし、顧客もみんな休みに入ってるから」


 千枝がエレベーターに向かったのを確認して蓮はジェイの肩に手を置いた。

「立てるか? どうした、本当に具合悪くなったか? 夕べ……無理させ過ぎたか?」

体の震えが止まっていなかった。

「だ だいじょうぶ、ごめん、れん」

「ちっとも大丈夫になんか見えないぞ。さ、車に行こう。今日は電車にしないで良かったよ」

 朝、動きの重いジェイを気遣って車で来たのだ。早めに会社の近くまで来て、そばにあるカフェの手前でジェイを下ろした。そのまま自分は会社に向かい、ジェイはコーヒーを飲んで出社した。

 朝は周りを気にしたが、今は堂々と出て行ける。

「お前、我慢してたのか? 朝言えば良かったんだ、具合悪いって」

「ちがうんだ、蓮……」

「なにが」

「俺……ごめん、俺、夕べのこと思い出しちゃって……」


蓮の足が止まった。まだ震えている若い恋人を覗き見る。


「ばか、会社でそんなもん思い出すな」

自分まで顔が赤くなりそうだ。

「そうか、お前思い出しただけでイきそうになったんだな?」

「れ! やめて、そんなこと言うな!」

「だってそうだろ? そういう時は我慢せずにトイレに駆け込めよ」

「ばか 蓮のばかっ」

大きい声も出せず、駐車場へと抱き抱えられながら歩いた。すっかり腰が抜けていて力が入らない。

「そら、入れるか?」

ドアを開けてもらって中に押し込められた。

「家に連れて行くけどな、俺はすぐに会社に戻るからな。途中でなんか食うもの買ってやる。だから俺が帰るまでそれで我慢しとけ」

「分かった……」

消え入りそうな声に蓮はまた笑った。

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