第八話 かけがえのない者-1
途中、コンビニでいろいろ買って後は真っ直ぐマンションに向かった。
「こんなことで休んでいいのかな」
確かに『こんなこと』だ。しかし、まだ顔が赤い。心なしか、呼吸も早いように見える。
「その状態で会社に戻ってもみんなが心配するだけだ。まぁ、今は仕事も大したことないないから休養しとけ。毎年新入社員はこの時期になるとへばるんだ。お前が休んだって誰も何も思わないさ」
ジェイはホッとした。まさか、蓮とのセックスが原因で具合悪いとは言えない。それも、体が火照るからなんて。
「キスしたいとこだけどまた変な妄想しちゃ困るからな。このまま行くよ。ちゃんと食えよ」
真っ赤なジェイににやっと笑うと蓮は出て行った。
不思議だった。一人になった気がしない。周りを見れば蓮の物がほとんどで、部屋には蓮の匂いがする。安心したせいかどっと疲れが出てきた。蓮の言った通り、入社した気疲れが出てきたのかもしれない。
ジェイは(ほんのちょっと)と思いながら、ベッドに横になった。ベッドには蓮の匂いが色濃く残っている。蓮の枕を抱きしめているうちにすっかり眠ってしまった……
ふと目が覚めると窓の外は少し薄暗くなっていた。帰ってきたのは2時近かったと思う。汗をかいていた。ちょっと部屋は冷やっとして、汗の後がザワッとする。起き上がるとまた体が熱いような気がして、どうかしてる と思いながらバスルームに向かった。セックスの後ってこんなにいつまでもだるいものなのかと思う。
シャワーを浴びてもすっきりしない。
(喉渇いた)
冷蔵庫を覗くとさっき買ったいろんな飲み物が入っている。スポーツドリンクを手に取って、ドアを閉めようとした時にそれが目に入った。ビール。蓮の言っていたことを思い出す。
『その内それが美味くなるんだ。スキっとするようになる』
さっきからなぜか気分が悪い。もやっとする違和感を感じている。スポーツドリンクをしまって、ビール缶を取り出した。
(苦かったけど)
手の中の缶はひどく冷たくて心地良かった。思い切って開けてみた。ビール特有の匂いが、冷えているせいで抑えられている。何となく美味しそうな気がした。このもやもやする胸をスッキリさせてくれるかもしれない。少し考えて、ごくごくごくっと3分の1ほど一気に飲んだ。ちょっとずつ含むよりもその方がいいような気がして。
(苦っ!!)
やっぱり苦いのは変わらない。
(ホントにスッキリするの?)
残りをどうしようか考えて、結局流すことにした。冷蔵庫に入れておくわけにも行かない。
さっきより喉から胸にかけてもやもやが増えている。ちょっと座ってみた。
(目が回る……)
いくら酒に弱いとはいえ、たったあれだけのビールでもう酔ったとは思えない。酒を飲むあの感じは好きだった。ふわふわとして気分が楽になる。けれど、さっきのビールはあまり心地良さをくれない。
徐々に気分の悪さが増してきた。ベッドに横になってみる。その頃には悪寒がし始めていた。慌てて立った。トイレに飛び込んで吐き出した。ビールのせいもあったが、その前から気分は悪かった。ビールはその止めを刺したと言っていい。
寒い。震えが起きる。けれど気持ちが悪くてまだ吐きそうだ。
(れ……ん……)
そのままジェイはトイレのそばの壁にもたれこんだ。
「いや、今日はちょっと……」
「珍しく連休は全部休むんだろう? いいじゃないか、一杯つき合え」
大滝部長は押しが強い。だからこそ今の地位にいるのだが。近々常務になるらしいと噂も飛んでいて、それが確定なのを蓮は知っている。
(参ったな、よりによってこの人に掴まるなんて)
もう7時半だ。
「今夜はちょっと用があって」
「分かった、じゃ30分くらいでいい。明日から休暇でカナダなんだよ。次のプロジェクトの話をちょっと聞きたいだけだ」
正直、連休の前にするような話じゃない。しかし仕事絡みとなれば無下に断るわけには行かない。少なくとも大滝部長は自分を買ってくれているし、いい上司だ。この上司の元でずっとやってきた。
「じゃ、少しだけ。申し訳ないです」
「分かってる、そんなに時間を取らない様にするよ」
そこから2時間だった。大滝の話の主軸はプロジェクトではなく、新人が入ってからの部署の動向や新年度の事業計画などだった。
『これからの経営戦略に対する意見をざっくばらんに言ってみてくれ』
そんなこと、この時間からざっくばらんに言えるわけがない。普段ならいくらでも大滝と話し込む蓮だが、今日は何とか上手くあしらって席を立とうと必死だった。車で帰るからと酒だけは断った。
(ジェイが待ってる。心配しているかもしれない)
途中でトイレと断って席を立った時に電話をかけてみたが繋がらない。仕方なくメールを出した。
『ごめん、大滝部長につき合わされてる。もう少しかかるからちゃんと飯食っててくれ』
メールには返事が来なかった。相変わらずの大滝部長の豪快な笑いを聞き、相槌を打ちはしても話はさっぱり耳に入ってこなかった。やっと時計を気にした部長にタクシーを呼んだ。そのタクシーが見えなくなるまで見送った。
時計を見る。もう10時に近い。止まってくれないタクシーに手を上げながら何度も電話した。一度車を取りに会社に戻らなくてはならない。連休に入るから車が必要だ。
(寝ちゃったのか? 少し具合悪そうだったし)
なら一刻も早く帰ってやりたい。やっと捕まえたタクシーに行き先を告げ、もう一度電話をかけた。
下から見上げた自分の部屋には明かりが点いていなかった。どうしたんだろう、本当に具合悪くてあれきり寝てしまったのか。ジリジリとエレベーターを待ち、いいや! と6階まで駆け上がった。ドアを開け、声をかける。
「ジェイ、帰ったぞ。ジェイ」
電気をつけ、ジェイの姿がどこにも無いことに慌てた。いや、鍵はまだ渡していない。ロックされていたんだから中にいるはずだ。ベッドには確かに使った跡がある。
「ジェイ?」
後はトイレだけ。
そして、そこにジェイはいた。もたれていた壁からはとっくにずり下がり、床の上に伏せるように倒れていた。
「ジェイッ! おい、ジェイッ!」
抱え上げると火がついたように体が熱い。
「かあ……ぐあい……」
「ジェイッ、俺だ! 分かるか!」
胸に抱く体が燃え上がるようだ。うっすらと目が開く。
「……れん?」
「ああ、悪かったな、すっかり遅くなって。どうしたんだ、あのままここにいたのか?」
なるべく何でもないことかのように言いながら体に腕を回して何とか立たせた。
「ベッドに連れてってやる。俺にもたれてりゃいいから」
たいした距離じゃない。そうは思ってもジェイはしっかりした体をしている。運びながら(鍛え直さないと)と心底思った。恋人を守れないような自分ではいたくない。
そっとベッドに下ろしてバタバタと用意した。氷枕を出す。着替えを置いた。水に解熱剤。体温計。まずは着替えだ。
「ジェイ、聞こえるか? 着替えよう、このままじゃだめだ」
聞こえたのか聞こえないのか、それでも手がゆっくり上がってきた。
「よし、ちゃんと面倒見てやるからな。お前は何もしなくていいから」
一緒に暮らすことにして良かった。もし一人でこんなことになっていたら…… 手早く脱がせて体を拭きながらそう思った。きっとこういうことが何度もあっただろうに。自分のパジャマを着せながら思わず抱きしめた。
「これからは俺が一緒だ」
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