第七話 恋人-1

 明け方ジェイは目が覚めた。左を見ると蓮が眠っている。ころん とそっちに体を向けた。

 こんな風にちゃんと蓮を見ていなかった。黒い髪はストレートで、長めの前髪を左手でかき上げるのが癖だ。

(切ればいいのに)

そう思ったことが何回かあった。けれどこうやって見ていると頬にかかっている黒髪がとても綺麗で、なんでそんなことを思ったのかも分からない。蓮の髪は、ジェイがなりたかった髪だった。こんな風に黒くて、巻き毛なんかじゃなくて。飽きもせず蓮を眺める。

(牧野さんの言った通りだ。もうちょっと頬っぺたがふっくらしててもいいんじゃないかな)

 少し顔が尖っているせいで、必要以上にいかつく見える時がある。それをカバーしているのは目だ。切れ長でどちらかと言うと野生的。仕事中は鋭い目をオフィスに向ける時がある。けれど笑うとあっという間に大人の顔が子どもっぽくなる。

(ジェットコースター怖がってたし)

思い出すとおかしい。自分のお化け屋敷のことは棚に上げている。

(三途川さんに教えてやりたい!)

でもそんなことをしたら怒られるだろう。


 背が高い。自分は177だ。それほど低い方だとは思わないが、蓮は日本人にしてはデカい方だ。

(188くらいかなぁ)

少なくとも10センチは自分より高いだろう。188という曖昧な数にしたのは何となく現実味があるからだ。

(肩が広い!)

いつもスーツがビシッと決まっているのは、広い肩が撫で肩じゃないからだろう。ちょっと肩を撫でてみる。

(ハンガーみたいだ)

いつもTシャツを干す時に使う針金のハンガーを思い出して一人くすくす笑った。

(何のスポーツやってたんだろう)

胸が硬かった。筋肉質なのは確かだ。こういう締まり方をしているのはよほど体を鍛えたからだろう。そっと腕をつついてみた。自分の腕をつっついてみる。

(俺の方がぷにぷにしてる……)

慌てて腹を触った。

(良かった! 腹が出てたらどうしようと思った!!)

 バスケをやっていた時やバイトと生活、母の世話をしていた頃はもっと引き締まっていた。ぐっすりと寝たことがあまり無かった。味わって食べたことも殆どない。本当は引き締まっていたというより痩せていたのだがそうとは思っていない。

(太っていくのはイヤだ、蓮に嫌われるかもしれない。トレーニングしないと)

 ジェイは母のことを思い浮かべた時にあまり辛くなかったことに思い至らなかった。いつも苦しくて苦しくて、涙を抑えるために歯を噛みしめていた。それがさっきはすっと母の顔が頭を通り過ぎて行った。

 

 少しずつ大胆に触り始める。今度は胸をつっついた。

(やっぱり硬い。お腹はどうだろう?)

そこも硬い。その下は……慌てて手をUターンさせた。触るなんて出来ない。

 またしばらくじっと見つめた。

(きれい かな?)

綺麗と言うのともちょっと違うと思う。すっきりしている。そうだ、その言葉の方が似合う。その端正な顔立ちが好きだと思った。この顔でキスしてくれた。

(唇、触ってみたい)

少し躊躇って指を近づけていった。後少し。蓮の目がパッと開いて指を噛まれた。

「痛い!」

痛かったのほんの少しの間だった。指を人質にしたまま、蓮はニヤッと笑ってジェイの指を咥えて舐めた。人差し指の先を蓮の舌が行ったり来たり舐め回す…… その感触にジェイはうっとりと目を閉じた。

「こら、人の体でなに遊んでたんだよ」

左腕がジェイの体に載った。そのまま腕や脇腹を撫でてくる。

「なんでこんなに硬いのかなって」

目を閉じたまま答えた。こうやってずっと撫でていてほしい。

「走るのが好きなんだよ。学生の頃は陸上やってた」

(そうなんだ……一緒に走ってみたい)

「おい、寝るんじゃない。今日は泳ぐぞ」

その言葉に目がパチッと開いた。

「泳ぐの?」

「ああ。教えてやる。男が泳げないなんてみっともない」

(自信ないよ、蓮……俺なんか……)

その言葉が聞こえたように蓮の手がジェイの髪に潜り込んだ。

「お前のこと、誰にも渡したくないと思ってる。こんなにお前が俺にとって大事なものになるとは思ってなかったよ。お前こそいいのか? 俺はお前より7つも年上だ。もっと可愛い彼女が出来るかもしれないんだぞ」

「俺、蓮がいい」

顎の下に潜り込んだ。

「俺…蓮がいい……」


 抱きしめるジェイが欲しくて仕方ない自分がいる……

(まだ早いんだ。傷つけたくない)

そう思うからただじっと腕に力を込めた。

「明日、明後日と仕事だ。分かってるな?」

胸の中で小さく頷く。

「でもその後は連休だ。お前予定あるのか?」

声は無く、頭が横に揺れる。

「そうか。俺は予定が出来たんだ」

びくり ジェイの体が小さく慄く。

「お前と一緒にいるって予定がさ」

見上げた蓮の顔が笑っていた。

「いじ……わるだ……」

笑い返しもせず肩が震えて泣き出すジェイに慌てた。

「ばか、冗談だよ。悪かった、今度からもうそんな言い方しないから」


(母親しかいなかった。誰もそばにいてやらなかったんだ)

そう思うとジェイの泣くのが切なくてたまらない。


「休み、俺の都合がつかない時はちゃんと言うからな。お前も何かあったら言え。朝も昼も一緒には食えない。けど夜は出来るだけお前に合わせる。ただ会社のつき合いや取引先との食事もあったりする。毎日は無理だ。分かるな?」

それにも小さく頷いた。

「お前もみんなとのつき合いは大切にしろ。居心地悪くなれば辞めることにもなり兼ねない。一緒にいたいだろ?」

何度も頷いた。その頭を何回も撫でる。自分で言いながら、一緒にいてやれる時間が少ないことに改めて可哀想なことをしたと思う。

(諦める人生を過ごさせたくない)


「ジェイ。お前、俺と一緒に暮らさないか?」

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