第五話 ジェイと蓮-2
「さ、次はどうする? あとやってないのは……」
たいがい乗ったし、残っているのはキッズ向けばかりだ。
もう夕方だ。これから帰れば途中食事してのんびりしても9時前にはアパートに送れるだろう。
時計を見るのを悲しそうに見るジェイに気がついた。だからと言っていつまでもここにいる訳には行かない。ふっとプールがあったことを思い出したが時間が時間だ。泊まりでもしなきゃとても無理だ。
「かち……蓮、もう全部回ったんですよね」
「そんな顔するな、また連れてきてやる。最後にジェットコースター乗っとくか? 構わないんだぞ」
首を振るジェイが堪らなく切なくなった。
「今度来たらプールで泳ぐか」
「俺……あの、泳げないです」
「え?」
「泳いだこと、なくて……」
消え入りそうな声。
「俺、何も知らない……」
抱きしめたかった。知らないなら教えてやる、寂しいならそばにいてやる。けれど蓮はそれを口にしなかった。
「また来よう。入ってりゃすぐ泳げるようになるさ。じゃ、帰るか」
素直に頷いたジェイの肩に手を載せた。軽くトントンと叩く。
「入社してずっとよくやった。疲れが出てくる頃だ、ゴールデンウィークはゆっくり休め」
きっと独りきりであのアパートで過ごすのだろう。そうは思ってもこれ以上そばにいるのはどう考えても不自然だ。
その時、ジェイが立ち止まった。
「どうした?」
「あれ、入ってない」
指差したのはおばけ屋敷。
「あれは子どもかカップルが入るもんだ」
大の大人の男2人で入るようなところじゃない。
「でも入ってみたい。みんなおばけ屋敷の話、よくしてたんです。面白いって」
周りはもう薄暗くなり始めている。きっと入るところは目立たないだろう。蓮には分からないがグズグズしてると閉館になるかもしれない。
「しょうがないなぁ。じゃ、あれが最後だ。大したことないからきっと拍子抜けするぞ」
入ってすぐにジェイの様子がおかしいのに気がついた。
一歩入れば、やっと足元が見えるような暗がり。どこからともなく風が吹いてきて囁くような啜り泣きが聞こえてくる。ジェイの手が蓮のジャケットを掴んだ。
「暗いから歩きにくいか?」
返事が無い。突然金切り声が響いた。
「風と叫び声だけじゃ怖くもなんとも無いな。子ども騙しだ」
そこに赤ん坊の泣き声……
「か、かち……」
また違う声がして何かがそばを走り抜けていった。
「か…」
言い終わらない内に畳み掛けるように「ぎゃあああっ!」と男の悲鳴。
「か! かちょ!」
(こいつ、怖いのか? え? これが?)
いつのまにかジャケットではなく、腕にしがみついていた。いきなり通路のガラスの向こうに明かりがついてゾンビ仕様の男がバン! バン! とガラスを叩いてくる。
「か、か、か……」
両側の明かりが点滅し始め、その中でかなりのゾンビがジェイを見て騒ぐ。おばけ屋敷では、怖がる子どもや女性を標的に定めて脅かすものだ。どうやらジェイはその標的に認定されたらしい。
「か」
「ジェイ、俺は誰だ?」
点滅する明かりの中で涙目のジェイが震えている。
「ちゃんと言えば助けてやる。俺は?」
どうやら怖さのあまり、ジェイの頭の中は混乱し切っているらしい。
「か、かちょ、あいつら、出てくる」
ジェイのすぐそばのガラス越しにゾンビが集まり始めていた。
「ジェイ、俺を見ろ、助けてやる。俺は誰だ?」
「か…?」
どこかにドアがあるのだろう、ゾンビが通路に出てきた。ゆっくりした足取りで近づいてくる。客を転ばせるわけには行かないから追いかけ回すようなことはしない。必ず一定の間隔を空けている。
けれど怯えきったジェイにはそんなことは分からない。
「や、かちょ、にげないと」
両肩を掴んだ。
「これじゃお前を助けられない。俺の名前を呼べ!」
やっと目が合った。縋りつくような、頼りなげな目。片方の目からはすでに一筋、涙が流れている。
「れん、れん、たすけて、れん」
震える唇が囁くように呟いた。
「来い!」
ジェイの手を掴んで走り出した。途中でつまづきそうになるジェイを抱えるように走った。壁に窪みがあるのを見つけてそこに押し込み包み込む。
しがみつくジェイを抱きしめた。後ろをゾンビたちが歩いていく。その足音で背中に回ったジェイの手に力が入った。
とっくに蓮の意識は引き返しようのないところまで追い詰められていた。腕の中のジェイに心が熱くなっていく。欲求に呑まれそうになるのを必死に堪える。
抱きしめられてしがみついて。ジェイはただ蓮に縋った。
ふと気づいた。夢の中で抱きしめられた腕と同じ。自分より背の高い蓮の息が耳にかかる。
ぁ
うろたえる。意識し始めるとあっという間だった。抑えられない、体が熱くなるのを。
――どうしよう!
気づかれてしまう、こんなにくっついていては……でもどうしていいか分からない……
「ジェイ……お前……」
河野は下を向くジェイを見降ろした。分からないわけがない、確かにジェイの体は自分と密着しているせいで反応し始めている。
身を縮こませるジェイの顎を押し上げた。
「ご、ごめんなさい、俺、おかし」
口を塞がれて、自分に何が起きているのか分からなくなった。ただ、頭の芯が痺れたように息を継ぐのも忘れていた。
そっと唇が離れた。
「息、しろ。死んじまうぞ」
耳元で囁く声は確かに蓮の声だ。震えるように喘ぎ、息を吸う。
「れん、おれ」
どうしたらいいんだ、体が訴えてくる、この人に満たされたいと。
「いいのか? 俺、本気にするぞ」
何を言われているのか分からない。
――本気? 本気って?
また唇を奪われた。さっきのようなただの口づけじゃない、激しくて熱い口づけに翻弄された。
髪の間に指が入り、頭をしっかりと押さえられ、腰に回った手がガッチリと自分を引き寄せている。
―― あ、だめ、あ
蓮は唇を離した。肩を抱き寄せて囁いた。
「ジェイ 、今日はここに泊まる。いいな?」
首を振る自分を遠くに感じた。
奇跡的にロッジが空いていた。無言のジェイを後ろに、テキパキと宿泊の手続きをしていく。ジェイの頭の中はまだ真っ白だった。
「ジェイ? 大丈夫か?」
見開いた目を蓮に向ける。
「そうか、分かんないんだろ、どうしていいか」
その言葉は頭に浸透した。ただ首を振るだけのジェイの体に手を回した。
「こっちだ。部屋は端っこだ」
カチャッ
その響きでジェイは急に現実に返った。このドアを開けたら……
ノブに手をかけて蓮が振り向いた。
「ドアを開けたら引き返せない。帰るなら今だ。俺は引き返さないぞ。お前は帰ってもいいんだ」
これが最後の賭けだった。潔く諦める。その代わり、後は上司として支えていこう。少し頭の冷えたジェイが残るとは思えなかった。
口を開かないジェイが首を横に振った。
――そうか。……そうだよな。
「いいんだ、気にするな。元の関係に戻ろう。仕事は仕事だ、俺ももうそういう気持ちは捨てる。だからしんぱ」
「ちがう。れん、ちがう」
下を向いたジェイが両の拳を握りしめている。
「おれ、変です、知ってます。女性には興味湧かないし。でもそんなに気にしてなかった、蓮のマンションに泊まるまで。あの時……泊まって……自分が変だってこと、気づいた……おれ……」
見上げるジェイの顔に決意したような目があった。
「おれ、蓮が好きです」
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