第三話 生まれた思い-1
「今夜は新入りの歓迎会だ。みんな、分かってるな?」
あちこちで親指が立った。ここは団結力が強く、いい部署だ。
「ジェロームは俺と先にここを出る。みんなは適当に上がって会場に向かってくれ」
「どこに行くんですか?」
「いいから」
行先を先に言ったら行かないと言うに決まっている。タクシーに乗せて場所を言うと後は黙った。
タクシーが止まり、下りると高級テーラーの前だった。
「ここ……」
さっさと入っていく河野の後を慌てて追った。
「いらっしゃいませ。お久しぶりでございます、蓮司さま」
「今日は彼を頼みたくてね。若々しい感じで頼むよ」
「かしこまりました」
初老の男性がじっとジェイを見る。
「彼には色は何でも映えますね! いや、背筋がいい。骨格もいい」
「そんなに褒めるのを初めて聞いたよ。俺にもそんな風に言ってくれたこと無い」
「蓮司さまはちょっと骨ばり過ぎてますからね。その背丈ならもう少し肉を付けられた方がいい」
「太れなんていうのは牧野さんくらいだよ」
『牧野』と呼ばれた男性は穏やかに笑った。
「ではこちらに彼をお預かりしましょう」
「1時間で頼む」
「相変わらず無茶な人だ」
笑うところを見れば、そう無茶ではないのだろう。
「俺は試着室を使わせてもらうよ。着替えなきゃならないから」
何が何だか分からない内に奥に連れて行かれて2人がかりで体中のサイズを測られた。もう一人が感嘆して言う。
「理想的な体型ですね! これは服も喜びますよ」
50分近く経って奥から出て来たジェイを見て河野の息が止まった。
「ちょっと大胆な色遣いにしてみましたよ。せっかくですからね。私も楽しませていただきました」
明るいグレーのスーツに薄い青のシャツ。タイはシャツより少し濃い青。スーツのパンツは細身だ。牧野の手には袋があった。
「そのスーツに合うシャツを2枚とタイを3本入れておきました。しばらくは困らないでしょう。近い内にお寄りください。蓮司さまの脱がれた物も一緒にお預かりしておきます」
「ありがとう。また来るよ、彼を連れて」
最後の一言は自然について出た。
「これ、どういうことですか?」
「前にも言っただろう? ちゃんとしたスーツを持っていないとこっちとしてもこれから先困るんだ。今のプロジェクトももう先が見えている。そうなれば顧客とのパーティーが待っている。心配するな、経費で落とすから。別に俺の懐が痛むわけじゃない」
そう聞いてやっと安心した。そうか、業務の一環か。
河野課長を見てみる。大人っぽい黒が基調のストライプスーツ。グレーにネイビーのストライプが入ったタイ。
(カッコいい……)
素直にそう思って、勝手に赤くなって照れた。
「どうした?」
「いえ! 何でもないです」
「おかしなヤツだな」
そのまま会場になっているホテルまでタクシーを飛ばした。
パーティーは盛会となった。いつもとまるで違うジェイの雰囲気にみんなの態度が少し変わった気がする。最初にワインを飲ませたのが良かったんだろうか。嫌がる彼に無理やり3口ほど飲ませておいた。
河野は気になっていた。精力的に仕事に向かい合うジェイに、普通ならもっと積極的に新入りに近づく同僚たちが距離を置いているように見えていた。
ジェイは池沢のチームに入れている。顧客の発注の打診を営業から受けた時に、注文内容だけではなく顧客そのものを分析しプロジェクトの方向性を決めていく部隊だ。分析を誤ると納品の段階でそこまでかけて来たコストを全て棄てることになる。
そばに来た池沢に尋ねた。がっしりと体格がいい。声が太く、頼りになるというイメージだ。
「彼はどうだ?」
「ジェロームですか? 殻が固くてね。人当たりはいいんですが本物じゃないってことくらいみんなに伝わってますよ。彼が心を開かなくちゃこっちも反応しづらくって。どうも一人でいる方が好きみたいですね」
今は最新の受注品に取り組んでいて、その顧客はひどく『デリケートな』、いわゆる気難しい客だ。力を合わせないと厳しい条件の発注に対応して行けない。チームワークを重んじる河野にとって、ジェイをみんなに受け入れさせるチャンスは今しか無い。
ひょいと見ると、さっきまでわいわい騒ぐ中心にいたはずのジェイの姿が見えない。見回してやっと端の方でワインの入ったグラスを舐めるようにちびちび飲んでいるジェイを見つけた。
「楽しいか?」
「はい、思ったより」
(なんて返事するんだ、こいつは)
「お前が主役なんだぞ、お前のための歓迎会だからな」
「はぁ……」
「なんだ、つまんないのか?」
「いえ、そうじゃなくて」
「ならなんだ」
「今、仕事中ですから」
「仕事?」
(何を言ってるんだろう)
呆れた顔をしている河野に、逆にジェイが『あれ?』という顔をした。
「明日課長にレポート提出しないと」
「レポート?」
言って、しまった! と思った。自分が言ったことだ。
『チームの連中を観察しろ。後で報告書にして出してくれ』
あれは歓迎会にNOと言ったジェイを引っ張り出すために言っただけだ。
「あの指示は撤回だ。ここからは楽しめ。せっかくなんだからみんなと仲良くなるんだ」
「必要なんですか?」
「何がだ」
「仲良くなるって仕事に必要な事ですか?」
「そうだ。たとえ必要じゃなくたって仲良くなるのはいいことだろう」
「そう思う人同士で仲良くやってればいいと思いますけど」
「ジェローム、それじゃ仕事は上手く行かない。その場限りの笑顔だとか言葉なんかで渡り歩けるもんじゃないんだぞ」
「ここ、転勤多いって聞きました。長い海外出張とか。仲良くなったってどうせすぐいなくなるんだ」
「ジェローム……」
「失うことが分かってる仲間意識とか友情とかより、もっとビジネスライクにいった方が気持ちが楽です」
いつの間にか河野とジェイの周りにチームが集まり始めていた。チーフの池沢が厳しい顔を見せた。
「ジェローム、それじゃ俺たちはやっていけない」
「池沢チーフ、今日は彼の歓迎会だし」
同じチームの堂本千枝だ。可愛い雰囲気の3つ年上の先輩。
「千枝も思ってるだろ、何考えてるか分からなくってやりにくいって」
「そうなんだ、やっぱりね。それで仲良くって言われても」
「何が『やっぱり』なんだ!」
これは結構気の早い宇野哲平。ムードメーカーで気のいい哲平が人を受け入れないことなど滅多にない。しかし、酒が入っているのとジェロームの分厚い壁が自分を排斥しているように感じていたことが重なり不満が噴出した。
「いっつも人を見下すような顔して! 母ちゃんはお前に笑うってことを教えなかったのか?」
次の瞬間、突き飛ばされた宇野は床に引っ繰り返っていた。
「俺、帰ります」
その腕を河野が掴んだ。
「謝れ、哲平とみんなに。みんなお前のために集まったんだ」
「は? ここでも苛めですか。構わないですよ、いるなと言われれば他の会社探します」
「そんなこと、誰も言ってないだろう! お前だって分かってるはずだ、一人は辛いって」
「別に。慣れてますから」
抱き起こされた哲平が掴みかかろうとするのを河野は止めた。
「哲平、お前も悪い」
「なんでですか!」
「ジェロームのことを知りもしないであれこれ言っただろう。それでどんなに相手が傷つくかも知らないで」
「傷つく? こいつがですか?」
「彼に家族はいない。みんな亡くなったんだ」
シン と静まり返った。ジェイは斜めに顔を向けている。河野はオフィスメンバー全員を見回して大きな声を出した。
「いい機会だ。ちゃんと彼を紹介しよう。入社した時にはおざなりの説明だったしな。彼の学歴だけ先行してこの歪が出来たんだと俺は思っている。彼はほとんど奨学金で大学を卒業した。卒業の前にたった一人の家族、お母さんを亡くした。入社した時の彼はいわば世界の中で独りぼっちみたいなものだったんだ。な、想像してみてくれ。この中にも一人暮らしは多いだろうが、掛けようと思えばみんな電話で話せる家族や友人くらいいるだろう? ジェロームにはその相手がいない。だから俺はここのみんなを仲間としてこいつに受け入れてほしいと思っているんだ」
ぽたんと落ちたのはジェイの涙だった。気づいて頬を拭う。
「俺は別に……仲間として受け入れるなんて……」
「いいと思うけど。いろんな感性の人間を認め合うのがこのチームの気風だったはずでしょ? なんでジェロームだけ認めてやらないんだよ。時間かかるヤツだっているじゃん」
「花……」
普段あまりこういうことには口を挟まない
「俺、華なんて名前のせいでえらくひねくれて育ったけど、ここにいてとても楽ですよ。なんでジェロームにだけこういう空気になんの? よく分からないんだけど」
「それは彼が自分から俺たちを拒んでるからだ。お前の場合とは違うんだよ。お前は受け入れられると分かって溶け込んでくれただろう? コイツにはそれが無い」
池沢の言葉は重かった。
哲平から出た言葉はさっきまでとは一変していた。
「ジェローム、悪かった。俺がこんな空気にしたと思ってる。お前のこと、良く思ってなくてあれこれ言ったのも俺だし。居心地悪くさせてたよな。許してくんないかな」
差し出された哲平の手をどうしていいか分からず、ジェロームは河野の顔を見た。
「お前が決めろ。本当に居たくないならこのまま帰れ。止めないから」
河野の言葉に、ジェイは周りのみんなの顔を見た。
「お前が俺たちを受け入れてくれなきゃどうしようもないんだよ。俺はお前みたいに頭のキレる新人、初めてだ。だからすごく仕事しやすくって助かってる。でも俺たちはそれ以上にお前の信頼が欲しいんだ」
「……俺には……そういうの、難しいけど……」
「ごちゃごちゃ言うの終わりにしない? 白けちゃうし。ジェローム、難しいの分かってるわよ。でもあんた河野課長が引っ張って来たじゃない? 課長が連れてきたんだから私は大丈夫だって思ってる。みんな違うの? 最初っからこの子が上手く溶け込めるタイプじゃないのは見て分ってたじゃない。あれこれ今分かったんだしもう充分だと思う。あんた、私の名前言える?」
ジェイは首を横に振った。
「ね? こういうヤツ。誰の名前覚えなくても私のはすぐ覚えるはずなのよ。それがこれだもの。人間に興味持つのが下手だってことよ。ちなみにね、私の名前は三途川ありさ。いい? 『さんずのかわ』じゃないの、『みとがわ』。間違えないでね」
迷いに迷ってジェイは差し出しっ放しの哲平の手を握った。
「俺、こんなだけど、……いいですか?」
「いいよ! ごめん、悪かったと思う。帰んないでくれて嬉しいよ!」
怒るのも早ければ鎮まるのも早い。哲平の手をジェロームが握ったことでようやく空気が和み始めた。
真ん中に引っ張って行かれるジェイが河野を振り返った。頷くのを見て安心したような顔で注がれる酒を飲み始めた。
開発チームには池沢チームだけじゃない、他に野瀬チーム、田中チームがある。総勢19名。どうなることかと固唾を飲んでいたみんながジェロームを囲み始めた。
恐る恐る会話に混ざるジェイを眺めていた肩を叩かれた。
「課長、せめて俺くらいには裏の事情っていうのを教えといてくださいよ。そうすれば緩衝材になれるんだから」
「悪かったな、池沢。実は俺も今日知ったんだよ、あいつの事情っていうのを。もっと早く調べるべきだった。家族が健在な俺にはよく分からない、最後の家族が死んでしまって残されるっていう感覚が。きっと恐ろしい思いをしたんだろうな」
あの夜の言葉が蘇る。
『かあさん……俺を置いてかないで……』
「卒業前って言うと二十歳くらい?」
「ああ。それから2年近くを一人で過ごしてきたことになる」
「恋人とか」
「いないそうだ」
「じゃあ、本当に独りだったってことですか!」
池沢の声に苦渋が滲み出ていた。
「俺は17で母親を亡くした…… その時、立ち直るのにすごく苦労しましたよ。でも父も姉もいて、荒れはしたけどおかしなことにならずに済んで。家族がいれば人間なんとでもなれるもんだなんて今じゃ思ってます。でも誰もいないなんて……」
「だから家族とまではいかなくても仲間にはなってほしいんだ」
「友だちは?」
「いないって言ってたよ。自分には誰もいないって」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます