4. ロボットの心は温かさに並ぶのか

 ある日店に入ってきた男を見て、俺はふと既視感を覚えた。初めての客のはずだが、見覚えがあるような気がした。

 俺の背中で彼女が息を飲む音がした。それで俺はやっと気づいた。

 俺に似ているんだ。人だった頃の俺に。

 彼女が引き寄せられるように一歩踏み出し、俺に気付いて立ち止まる。

 彼女のそんな姿を見たのは初めてだった。一瞬でも俺を忘れた。他人に心を奪われた。

 俺は多分それなりに仕事をこなしながら、混乱していた。


 その男は1週間の出張でこの町に来たのだそうだ。翌日もまた訪れた男は俺の問いに答えて言った。ロボットさんがやっている喫茶店は珍しいし、ママさんが美人だからね。

 彼女は特に店の業務に携わることはなかったが、いつも俺の側にいるからそう思ったのだろう。答える声もそっくりなのか、彼女は彼の声を聞きたがった。美しい女性に興味を持った視線を向けられて、悪い気のする男がいるだろうか。男は昨日より大分長居して帰った。彼女に連絡先を渡して。

 しっかりした職業の、優しそうな男だった。俺より多分若く、少しだけ積極的だ。そして何より健康そうな人間だ。

 人は人と生きた方がいいのだ。

 俺は彼女の行動を見ないようにした。幸いその後うるさい女性客の集団が入り、俺は忙しさに任せて彼女を放っておいた。それが俺ができる精一杯だった。

 店が落ちついた頃、彼女は店にいなかった。彼女はうるさい客が苦手だから、奥の自宅に隠れただけなのかもしれない。いつもならそれでしかない。そんなことで心がざわついたことなど今までなかったのに。

 俺は静かになった店でぼんやりと外を見た。

 人が行き交う町。ロボットもちらほらいる。人だったロボット、もともとロボットとして作られたロボット。

 ロボットも心を持っているのだろうか。人工知能は俺の心と何が違うのだろう。

 ロボットになった人は多くの場合その中に元の肉を残す。俺のように何も残っていないのは聞いたことがない。きっとそれはよすがだ。自分が人で、機械とは別の心をそこから生み出していると確信するための塊だ。

 心を通わせるのは大変だ。膨大な労力と誤解、時間を消費する。しかし心が通い合うことで得られる安心と喜びは生きるためには必要なことだ。だから苦心する。心を砕く。だが生きている以上、そのことばかりにかまけている訳にもいかない。

 だから手を取る。見つめ合う。その感触は簡単に言葉を超える。温かさは相手に優しい思いを伝え、いとおしむ気持ちを表してくれる。

 俺はそれをなくしてしまった。だから尚言葉を尽くさなければならないのに、突然そうなれるはずもない。俺の言葉は途切れ、なす術もなく立ち尽くす。彼女の温かさだけを吸い取りながら。

 与えるだけの思いは尽きる。そんなことはわかっている。与えられ、与えなければ持続させていくことはできない。わかっているのに、俺はもがくこともろくにできないままこうしている。取り戻せない感触を超えるものを見出せない。温かい言葉が見つけられない。続けられない。心を伝えられない。

 彼女は俺でない人と生きた方がいいのだ。

 打ちのめされる。

 彼女は俺でない人と生きた方がいいのだ。そして優しく指を絡ませ、胸に抱かれて、髪をなでられたらいい。その美しい瞳を輝かせて見つめ合ったらいい。ただ触れ合い、温もりに幸せを感じて、微笑み合えばいい。

 彼女はそうしたらいい。

 そうしたら、俺は、ここにいる。ここで彼女を待つ。帰りを、ではなく。俺がここにいれば彼女はここから発てる。俺がここにいることで、それなりにやっていることを彼女が知ることで、彼女は安心できるだろう。何かあればふと足を向け、俺を見て昔を懐かしみ、また彼女の道へ戻っていく。もしかしたらあるかもしれないその時のために、俺はここにいる。それが俺が彼女にできるただひとつの愛の表現なのではないだろうか。

 愛している。ただその言葉だけでは、相手の心は満たされ続けはしないのだ。それならその言葉が陳腐になる前に飲み込んで、他の方法を探さなければ。俺の思いついた方法がこれだ。ここに居続ける。

 愛している。本当にそうならできるはずだ。本当に彼女を思うなら。

 愛している。そう叫びはできないはずだ。俺がそれを口にしたら、彼女は振り返る。俺を思い出し、俺の心を察して、金属に寄り添うためにこちらに戻ってくるだろう。今ならまだ。

 愛している。

 泣きたい。

 ロボットには涙がない。人の涙は心を軽くする成分を含んで流れるというが、ロボットが流す涙はただの余剰な水だ。ただ悲しんでいることを対外的に表すだけなら、これ以上人に悲しみを伝えてもどうしようもない。人は優しい。身を削いで側にいてくれる。そんな人にその上ロボットの悲しみを背負わせてどうするというのか。だからロボットは誰も涙を欲しがらないのだ。俺もいらない。

 けれど泣きたい。彼女にしがみついて、甘えて、抱きしめられながら、力尽きて眠ってしまうまで泣き続けたい。

 俺の心は電気の反応だ。これは電灯が光る仕組みと同じだ。電灯は光りながら悲しむのだろうか。

 彼女が他の人に興味を持ってくれたから、政府には俺が死んでも大丈夫なことを報告しよう。彼女の毒のカプセルを取り除いてくれたらいいのだが、あの感じではそこまではしてくれなさそうだから、せめて俺はもう彼女の感情をそこまで支配していないと、だから様子を見てほしいと頼もう。もちろん彼女を悲しませたくはないから、俺はこのままここにいるけれど。

 心が砂になった気がする。それはそれでいい。

 ふと時間を見て、俺は閉店時間を大分過ぎたことを知り、店を閉めた。

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