第13話 不退転の決意
「え、何聞こえないわよ」
「大きいサメが来るデスよ! 早く逃げてくだサイ!」
ドナルドは農家の家を訪ね、その玄関先で老婦人に避難を促していた。しかし耳が遠いようで、言っていることを全く聞いてもらえない。
周辺住民を避難させるよう言われたドナルドだが、それは少しも成果を上げなかった。今までサメの襲撃と無縁であったこの土地で「巨大なサメが出た」などと言って信じられるはずもない。
結局ドナルドは追い払われ、老婦人の家を後にした。自分の言うことに誰一人耳を貸してくれなかったという事実が、彼をどれほど落ち込ませたかは想像に難くない。星条旗の羽織に覆われた背が力なく丸まっている様が、この少年の落胆ぶりを表している。
「あ、あれは……」
西側の坂の下に、動くものが見えた。それはノコギリ状の吻を左右に振りながら地を這う、あの巨大ノコギリザメであった。
「あっ!」
あの巨獣は、そのまま真っすぐこちらに向かってきている。このままではドナルドの背後の家屋ごと、先ほどの老婦人が押しつぶされてしまう……
ドナルドの頭の中はたちまち恐怖一色になり、じりじりと後ろに後退した。が、そんなドナルドを天が諫めたのか、背後の石垣にかかとがぶつかった。あわや転倒しそうになったドナルドは何とか踏ん張ったが、そのときにはもう、外皮の質感がはっきりと見えるぐらいに敵が近づいてきていた。
「……もう、逃げられないデスか」
ここで逃げたら、背後の老婦人は犠牲になる。いや、それだけじゃない。もっと多くの人が、被害に遭うだろう。
それに……あのサメがこのまま進んでいけば、そこには理沙の住む市がある。
「逃げたら……ダメ……」
逃げてはいけない理由が、これほどまでにはっきりしている。それが、「本番に弱い」と言われ続けた気弱な剣士に勇気を与えた。
「
ドナルドは愛刀を抜き放ち、疾風迅雷のごとき速さで顎下に潜り込んだ。喉元に向かって白刃一閃、冷たく光る刃が振るわれた。
だがその硬い外皮は傷一つつけられることなく、刃を弾いてしまった。ノコギリザメはお返しと言わんばかりに、吻を横薙ぎに振るった。
「くっ……」
ドナルドもすぐさま反応した。
ノコギリザメの攻撃は、これだけに留まらなかった。大口を開けたサメは、その中から何本もの緑色のツルを伸ばした。そのツルに、ドナルドの四肢は絡めとられてしまったのだ。
「
ツルが引っ張られ、ドナルドの体は徐々にサメの口へと
「理沙……ゴメンナサイ……約束……守れない……」
また将棋を指そう……そんな約束を、相思相愛の女の子と交わした。それはどうやら、果たせぬ約束になりそうだ。
――戦場で女のことを考えるやつは、死ぬ。
そんな話を以前聞いたことがある。今の自分は、まさにその通りだ。ドナルドは普段のようにわめき叫んだりせず、フッとシニカルな笑いを漏らした。
いよいよサメの口が目前に迫ってきた、その時――
爆発の音が、ドナルドの鼓膜を振動させた。口の辺りで、大爆発が起こったのだ。その衝撃でツルが断ち切れ、ドナルドは拘束を脱することができた。
「鯱サン!?」
「逃げねぇで偉いぞドナルド。テメェもちゃんと漢気見せられるじゃねぇか!」
駆けつけたのは、鯱であった。
鯱はサメの雷攻撃を、間一髪でかわしていた。そしてこっそり敵に気づかれぬよう、ドナルドと合流しに向かっていたのである。
「今ならっ!」
サメが怯んだ隙を、ドナルドは見逃さなかった。跳躍したドナルドが狙ったのは、サメの左目だ。
刀の切っ先が、左目を貫いた。サメは左目から血を噴き散らしながら猛烈に暴れ狂った。跳ね飛ばされてしまったドナルドは何とか着地できたが、刀は左目に刺さったままだ。
「かっ、刀が!」
ドナルドは目に刺さった刀を取り戻すべく、駆け出そうとした。が、その足は止まった。目の前を尖った石が横切ったからだ。足を止めていなければ、今頃彼は石に貫かれていた。
「させない……」
ドナルドが左を向くと、そこにはあの術師――蓮がいた。その顔は苦悶に歪んでいて、口の端からは血が垂れている。立つのもやっとといった様子だ。
「来やがったな! 敵の大将!」
鯱はポーチから手りゅう弾を取り出そうとした。が、蓮はそれをけん制するように、掌をかざしてきた。掌からはまたしても尖った石が発射され、鯱の顔面目掛けて飛んでくる。
「ぐあっ! くそっテメェ!」
鯱は石を避けきれず、顔面に石を受けてしまった。木製のシャチ面が叩き割られ、その素顔が晒される。
この世のものとは思えぬ、整った顔だった。整った顔ながらもその目は吊り上がり、
「今だ!
蓮の叫びに呼応するかのように、サメが再び動き出した。口から再びたくさんのツルを出してきたのだ。
鯱は手負いであり、ドナルドは得物を失っている……サメ狩りの命運は、ここに尽きたも同然であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます