第12話 呪い

 目を覚ますと、凪義は桃色の肉壁に取り囲まれた空間の中に、ふよふよと浮いていた。波間にたゆたうような心地よさが、凪義を包んでいる。


「キミの仲間たちはずいぶんと張り切っているようだね……」


 凪義の後ろから、声が聞こえた。聞き覚えのある声だ。


「蓮……」


 振り向くと、蓮もこの不思議な空間の中で浮いていた。蓮の背後には、肉壁を四角にくり抜くように外の景色が映像として映っている。

 

「奴らではこの 悪魔鎖鋸鮫デビル・チェーンソー・シャークは倒せない」

悪魔鎖鋸鮫デビル・チェーンソー・シャーク……」

「生まれ変わったキミのことさ」


  ――自分は、サメになったのか。


 蓮の背後の映像は、自分が変身したサメが見ているものなのだろう。目の前の法面には、鯱と陽葵の姿がある。凪義は逃げるように目をそむけた。

 自分がサメになる……その感覚を察知した凪義は、手りゅう弾で自死を図った。サメになるぐらいなら、自ら命を絶つ……それが凪義の決めていたことであった。けれども自死は失敗した。やるせないことだった。


「小うるさい虫は駆除しておかなきゃ」


 蓮が映像に向き直ると、鯱と陽葵のいる場所に稲妻が走った。雷落とし……それはかつて凪義が戦った稲妻鮫サンダー・シャークの能力だ。


「あいつらを始末したら、次は街だ」

「街……」

「凪義、ボクと一緒にさぁ、何もかもめちゃくちゃに壊そうよ」


 その時、凪義は気づいた。サメの進むその先には、自分たちがかつて共に過ごした街があることに。


「蓮……本気か?」

「本気に決まってるよ」


 その言葉を聞いた凪義は連に詰め寄り、首根っこを掴んで引き寄せた。


「蓮……僕はずっと考えていた。蓮はほんとうに、自分の意志でこんなことをしているのか……」

「当たり前だろう。これがボクの意志でないなら何なのさ」

「やっぱりお前は蓮じゃない。蓮がそんなことを言うはずがないだろう。所詮お前は、蓮の姿かたちを借りているだけの化け物だ」


 かつて二人でつむいだ思い出が、凪義の脳裏に鮮やかに蘇った。川泳ぎしたこと、大きなカブトムシを捕まえたこと、見つけたサワガニに挟まれた蓮が、痛いと叫びながら笑ったこと……そうした思い出を自分でぶち壊すようなことを、蓮がするはずない。あの土地に親しみ愛した蓮が……


「どうしてお前のような化け物を蓮だと思ったのか、自分でも馬鹿馬鹿しい限りだ」


 今まで目先の敵を排除することにばかり考えが行って、蓮のことについては何も考察してこなかった。冷静になって考えれば、この蓮が本人であるはずがない。分かり切っていたのに、ずっとこいつを蓮だと思い込んできた。最初に会ったときだって「蓮は顔見知りであるはずの葦切家の人々を殺すような男ではない」と断じていたはずだったのに……

 多分、蓮の死に対して、実感を抱いていなかったのだ。自分のあずかり知らぬところで死んだ蓮が、死んだ人間だと思えなかった。彼の死という情報だけがもたらされたことで、親友の死を肌で理解することができなかった。そうした感覚の欠如が、大きな誤解を招いたのだ……


「キミだって、化け物じゃないか。ボクらは仲間同士なんだよ」

「お前など仲間ではない。僕の中から出ていけ、化け物」


 自分の体内から異物を排除する……凪義はそうしたイメージを脳裏に描き、強く念じた。

 このサメは、凪義自身である。おそらく時間が経てば、他のサメのように理性をなくし、ただの人食いモンスターに成り果てるだろう。だが今ならまだ自我が残っており、凪義の意志でサメにある程度は干渉できる。


「や、やめろ! 何をする!」


 蓮の体が、せり上がっていく。排除の力に抗っているのか、この人型の怪物は手足をばたつかせている。それでも、ヘビが獲物を丸呑みする様を逆再生しているかのように、その体が押し出されていく。


「出ていけ!」


 凪義はもがく蓮をかっと睨みつけた。その瞬間、蓮の必死の抵抗も虚しく、その体は桃色の肉壁に覆われた空間から弾き出されてしまった。


「後はこいつをどうするか……」


 凪義にはまだ、すべきことが残っていた。ことだ。

 未だ自我を失っていない理由は一切分からない。サメ化を防いできたことで、まだ内面ではサメ化に抗う力が残っているのかも知れない。

 

「ぐっ……くっ……」


 サメ化の作用が、凪義の内部にも及んできた。自分が自分でなくなっていく。捕食欲、破壊衝動、そうした野蛮で原始的な欲求に、だんだんと頭が書き換えられていく。凪義は自らの喉元を押さえて耐え忍んだ。けれども、自我を失うのは時間の問題だろう。


 今ここで、屈するわけにはいかない。仲間のためにも、生まれ故郷のためにも。

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