第10話 悪魔誕生

 煙が晴れると……そこに蓮はいなかった。


「あ、あそこ!」


 陽葵が指さしたその先、大きな広葉樹の上に、蓮は立っていた。瞬時にあの場所まで逃げたのだとすれば、人間離れした能力をもっていると言わざるをえない。


「師匠のかたきめ!」


 陽葵は矢をつがえ、よく引き絞ってひょうと放った。一直線に飛ぶ矢を、蓮はひょいっと跳んで回避し、そのまま地面に着地した。まるでサメ狩りたちをあざ笑うかのような、軽い所作であった。


「蓮、どうせまたつまらない仲間を連れているんだろう」

「ご名答。さすがは凪義だよ」


 蓮が指をぱちん、と鳴らすと、川の方からざばあっ、と音がした。川の淵からずるり、と、何かが顔をもたげている。それは、赤黒い皮膚をしたサメであった。そいつが顔だけを水面から出している。

 そのサメは、水面から勢いよく飛び跳ねた。大口をあけたそれは、凪義が立っている場所めがけて降下してくる。大きさは三メートルほどだろうか。やけに細長い体型をしている。

 もちろん、黙って食われる凪義ではない。チェーンソーを構えて、落ちてくるサメを下から切り上げた。回転刃がサメの鼻先から食い込み、血肉をしぶきのように散らしながら、サメの体を引き裂いてゆく。

 やがて、サメは体を二枚に下ろされ、鮮血を散らしながら砂利の上にぼとりと落ちた。


「口ほどにもない」


 凪義は、頬についた返り血を袖で拭った。


「ははははは!」


 それを見ていた蓮が、突然甲高い笑い声をあげた。仲間が討たれたというのに、彼はこれまでにないほど愉快そうにしている。


悪魔鮫デーモン・シャークを倒したね? 凪義」

「……何がおかしい」

「周りを見てみなよ」


 凪義が足元に視線を巡らせると、すぐに異変に気がついた。サメの肉片が液状にならずに、赤黒い霧へと気化している。こんな現象は見たことがない。

 赤黒い霧は渦を巻きながら固まり、何本もの腕のような形をとった。それらは凪義の体にまとわりつき、その華奢な体を覆っていった。


「……気味が悪い!」


 凪義はチェーンソーをぶんぶん振るって、霧を振り払おうとした。しかし相手は霧であるから、手ごたえなどない。そうしているうちに、霧はどんどん凪義の周りに集まって体を包み隠していく。


「おい! 何だかヤベェんじゃねぇのか!?」

「凪義サン!? 大丈夫デスか!?」


 異変に気づいた鯱が、凪義に駆け寄った。ドナルドもその後に続く。だが、霧に近づいた二人は、まるで何かに弾かれるように吹き飛ばされた。まるで霧が意志をもって、他者を寄せつけんとしているかのようだ。

 霧にまとわりつかれた凪義は、自らの身体に奇妙な感覚を覚えた。それは決して、彼にとって好ましいものではない。むしろ望まざる変化であった。自身に何が起こっているかを察した凪義は、懐から球状の物体を取り出した。


「離れろ!」


 霧の中から、凪義は声を振り絞って叫んだ。凪義が手に取ったもの……それは、手りゅう弾であった。


「おい凪義まさかテメェ……」


 凪義がピンを抜くのを見た鯱は、戦友が何をしようとしているのかすぐ理解した。


 ――凪義は、自ら命を絶とうとしている。


 凪義は後ずさり、仲間たちと距離をとった。もう誰も、彼の自死を止めようがない。


「凪義ィ! 今すぐ投げ捨てろ!」

「凪義サン! やめてくだサイ!」


 そんな仲間たちの声も虚しく、手りゅう弾は凪義の手の中で爆ぜた。巻き起こされた爆風が、彼らの悲痛な叫びをそのまま押し返した。

 爆煙に覆われたはずの凪義の体は、突如赤く発光した。何が起こっているのか、鯱もドナルドも陽葵も、誰も理解できなかった。唯一、離れた場所からその光景を眺める蓮だけが、腕を組みながら訳知り顔をしている。

 やがて、赤黒い霧が凪義の体をすっぽりと覆ってしまった。それはどんどん膨れ上がっていき、大きな球体を成した。その球体も急速に形を変えていく。


 霧が吹き飛ばされた。中から現れたのは……ありえないほどに巨大なノコギリザメだった。


「ははははは! 悪魔鎖鋸鮫デビル・チェーンソー・シャークの誕生だ!」


 蓮の発した歓喜の声が、河原に響き渡った。


 



 




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