第9話 決戦の幕開け

 結局、陽葵ひなたと鯱がすったもんだした挙句、凪義は彼の拘束を解いた。彼の協力を得た方がよい、という打算に基づく判断であった。


「で、その後術師はどうした?」

「僕が見たのは確か……二俣尾ふたまたお軍畑いくさばたの間ぐらいだったと思います」


 凪義の問いかけに応えた陽葵は、居間の本棚から地図を取り出し、青梅市西部のある地点を指さした。


「近くに多摩川があったから……多分この辺かな……」

「こっからそんなに離れてねぇな……どうする、敵の大将がいるってんなら、叩かねぇ道理はねぇよな」

「エー、行くデスか!? ど、どうしよう心の準備が」

「逃げるんじゃねぇぞテメェよ」

「ヤー! おヨメに行けなくなる!」

「テメェ男だろうが!」


 縮こまって部屋の隅に行こうとするドナルドを逃がすまいと、鯱は左腕でヘッドロックをかけて引き寄せた。じたばたするドナルドを、ごん太の腕がしっかりロックしている。

 

「凪義はどう思うよ。こいつがスパイなら罠かもしんねぇぜ」

「……行こう。罠だろうと何だろうと、奴がいるというのなら首をもらいに行くまで」

「ははっ、お前のそういうとこ、嫌いじゃねぇぜ」


 鯱は凪義に向かって、右の拳を突き出した。シャチの仮面に隠された顔は、きっと愉快げに笑っているだろう。凪義は突き出された拳に自分の拳を合わせるようなことはせず、つんとすまして腕を組んだ。


「どのみち、他に手がかりはない。罠だというのなら、罠ごと砕いてやるまでだ」


 凪義は首を動かさず、目だけで鯱を見つめ返した。その流し目は流麗ながら、虎のような猛りを秘めている。

 凪義たちは素早く出立の準備を整えた。車の運転をできる者がいないため、徒歩での探索になる。早くここを出るに越したことはない。

 外に出ると、涼しい風が凪義の袖を吹いた。雲が日差しを遮っているためか、外気はひんやりとしていて、昨日のような暑さはなかった。


「イヤだ……ワタシ死にたくないデス……」

「テメェさっきからうるせぇよ」


 道中、ドナルドは小声でぶつぶつ弱音を漏らしていた。たまに我慢のできなくなった鯱が、彼を咎め立てている。


「師匠と敵の戦いについて、もう少し詳しく教えてほしいのだが」

「ああ、それでしたら……」


 凪義は八千丞が討たれた状況を知りたがっていた。最後に凪義が蓮と戦ったのは一年前だ。あの戦いではぎりぎりで勝利をつかみとったものの、今度はわからない。敵は新たな切り札を用意している可能性がある。


「術師は鮫人間を壁のように使って、師匠の消耗を誘いました。それで動きが鈍った隙をついて、ビーム銃みたいなので鮫人間ごと師匠を撃ち抜きました。卑怯者のやり方ですよ、あれは……」


 言いながら、陽葵は視線を下に落とした。師匠を助けられなかった己の非力を恥じ入り、悔やんでいるのだろうか。


「それで、他に奇妙なサメは見なかったか」

「それは見ませんでした。鮫人間がたくさんいただけで……その鮫人間もほとんど師匠に斬り殺されてましたが」

「なるほど……ん?」


 ふと、凪義の嗅覚がサメ臭を感じ取った。鼻の症状はまだ改善されていないが、それでもかすかに感じ取れる。


「……こっちだ。敵がいる」


 嗅覚の導くまま、凪義は走り出す。それを聞いたドナルドがまたしても臆病を発症したが、鯱に無理矢理首をつかまれて連れていかれた。

 凪義が向かった先には、大きな川があった。多摩川だ。東京本土育ちの凪義にはそれなりに馴染みのある河川であり、少年時代には蓮とともにキャンプに来たこともある。とはいえ、今の凪義はそんな感傷に浸る心境ではなかった。

 凪義の視界の片隅――砂利の河原に、誰か立っている。いや、自分の脚で立っているのではない。白い十字架に手足を縛られて、はりつけにされている。


「おいアレ八千丞のジジイじゃねぇのか?」


 最初に指摘したのは、鯱だった。確かに、磔になっている人物は白髪頭をしている。さらに近づくと、その顔はよりはっきり見えた。

 磔刑になっているのは、頬白八千丞その人であった。体にはいくつもの穴があいていて、そこから赤い筋が垂れて白い道着を汚している。体にあいた穴は、陽葵の言っていたビーム攻撃によるものだろう。

 十字架の傍らに、もう一人いる。それは、八千丞を仕留めた張本人であった。その人物を視界の中心にとらえるや否や、凪義のまなじりが吊り上がった。


「蓮……」

「実に一年ぶりかな?」


 そこにいたのは、凪義にとってかつての友であり、最大の敵でもある、黒縁蓮だった。相変わらずの古風な装いで、顔には嫌味な薄笑いを浮かべている。


「凪義が来てくれて嬉しいよ。そこの雑魚を逃がしてやった甲斐もあったってもんさ」

「お、俺が雑魚だって!?」

「師匠に加勢もせず木の影で震えてた男が雑魚じゃないなら何なのさ」


 図星をつかれた陽葵は、悔しげに歯を噛みしめている。


「こっちのチャンスだ! やっちまおうぜ!」


 行動を起こしたのは、鯱であった。すかさず手りゅう弾のピンを抜いて放り投げた。それは蓮の足元辺りに着弾し、爆発を起こした。


「ざまぁねぇ! これでオレたちの勝ちってもんよ!」


 蓮が煙に包まれたのを見て、鯱は声をあげて大はしゃぎした。

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