第8話 凶報

 岩石撞木鮫ストーン・ハンマーヘッドを倒したとき、すでに空は真っ暗闇であった。

 凪義とドナルド、そして鯱。青梅支部にいるのは、この三人だけだった。彼らを待っていたはずの八千丞は不在で、他の隊士もいない。


「やられたか」


 隊士たちは全員、真帆と双頭ザメの手にかかって死んだのだろう。遺体が見つからないのは、すでに餌にされてしまったからだと思われる。


「マジかよ……八千丞のジジイもおっんだんじゃあねぇだろうな?」

「あの人が……嘘デス……あんな強い人が……」


 八千丞の姿がないのも不穏であった。あの老武士の強さは、彼に稽古をつけられた三人の骨身にしみている。そんな八千丞があっさり死んだなど、想像できるはずもなかった。


 青梅支部のベッドでひと眠りした凪義が体を起こしたのは、翌朝七時のことだった。


「……くしゅん」


 起きるや否や、さっそく鼻づまりと目のかゆみに悩まされた。居間に入った凪義は、鼻のむずむずに耐えきれずにくしゃみを一つした。


「ぷっ……ははははは!」


 くしゃみを聞いて笑い出したのは、先に居間にいた鯱であった。普段のイメージとのギャップが、笑いのツボに入ったのだろう。その横では、ドナルドが必死に笑いをこらえている。


「なんだよそのくしゃみ! ははははは!」

「笑うな!」


 抱腹絶倒する鯱を、凪義は一喝した。その剣幕には、荒っぽい漁師町に育った鯱でも押し黙らざるをえなかった。

 窓の外を眺めていたドナルドは、支部の庭にやたらと背の高い草本を見つけた。クワに似た葉に、上方向に伸びた緑色の地味な花。それは彼の祖国アメリカで目にしたことのある植物であった。


「あー……もしかしてオオブタクサの花粉じゃないデスか?」


 軽くて小さい花粉を風に乗せて大量に飛ばすオオブタクサは、花粉症の原因植物として有名である。見ると、オオブタクサは敷地内のあちこちで花をつけていた。

 それを聞いた凪義は、昔に受けたアレルギー検査の結果を思い出した。確か、スギ以外ではブタクサもそこそこ高めの数値が出ていたはずだ。


「……許さない」


 凪義の憤激は、こののっぽな外来雑草に向けられた。凪義はすぐさま草刈り用の丸鋸をつかみ、外に飛び出した。朝の日差しに照らされた回転刃が、復讐の唸りを上げたのであった。


 凪義が血眼になって庭の雑草刈りをしていると、敷地内にひとつの人影が入ってきた。それは濃紺の詰襟を着て、眼鏡をかけた少年であった。背には矢筒、手には和弓を携えている。年のころは凪義たちとそう変わらないように見えた。


「ああ、よかった。まだ仲間がいたんだ」

「……誰だ」

「ああ、そんな怖い顔しないでください。サメ狩りですよ、そちらと同じく。青梅支部の尾長おなが陽葵ひなたといいます」


 少年は、左腕に巻かれたサメの絵入りの腕章を見せてきた。これはサメ狩りの隊士であることを表している。


「新手のスパイかも知れない。ドナルド、縄が奥にある。急いで持ってきてくれ」

「えっ、ちょっ……」


 少年は身の危険を感じて、逃げ出そうとした。が、凪義に取り押さえられ、そのまま縄を持ってやってきたドナルドによって後ろ手に縛られてしまった。凪義はその状態のまま少年を居間に通し、木の椅子に座らせた。


「ど、どういうことなんですか!? いきなりこんなことを!?」

「天竺真帆という鮫人間のスパイが、青梅支部に紛れ込んでいた」

「えっ……そんな……あの子がスパイ……? スパイは今どうしてるんですか」

「我々三人で返り討ちにした。奴の連れていた醜いサメも一緒に、だ」

「オレたちは勝てたけどよぉ、すでにこの支部の連中はスパイのせいで全滅しちまったみてぇだ。八千丞のジジイもいねぇし、どうなってんだよ」

「ああ、その……俺は頬白師匠のことについて伝えに来たんですよ」


 少年の言葉を聞いた凪義の眉が、ぴくりと持ち上がった。この少年の持っているであろう情報に、興味を示したのだ。


「俺はサメの捜索に出た本隊とはぐれて迷ってました。スマホの充電もなくて、連絡の取りようがなかったんです。本隊は俺を置いて帰ったあと、そのスパイに殺されたんでしょう。俺は……その……森の中で見てしまったんです。頬白師匠が物凄い数の鮫人間相手に戦ってるのを……」

「で、どうしたんだジジイはよ」

「鮫人間はほとんど斬り捨てました。でも……敵の術師が奥にいて……奮闘も虚しく……」


 いわく、どうやら八千丞も命を落としてしまったらしい。それも、術師すなわち蓮との直接対決の末に……

 凪義は、腕を組みながら黙して聞いていた。まるで、つむぐ言葉が見当たらないといった風に。


「ええ……あのマスターホホジロが……嘘デス……」

「おいマジかよ……信じらんねぇ……」

「と、とりあえず早く縄を解いてください! だいたい、疑わしいってんならそっちだって同じですよ! 青梅支部が俺以外全滅したってんなら、そちら三人がスパイ側の仲間だっておかしくないでしょうに!」

「なんだとテメェ! この期に及んでオレたちをスパイ扱いか! 凪義ィ、こいつに一発ヤキ入れていいか?」


 いきり立つ鯱をよそに、凪義はなおも押し黙っている。スパイ……ある意味、凪義にとって図星な言葉であった。凪義もあの真帆と同じ鮫人間なのだから。

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