決戦編 災厄のデーモン・シャーク

第1話 老武士と術師

 葉栗鼠島での激闘から一年後、九月のこと――


 頬白ほほじろ八千丞やちすけは、うっそうと茂る森の中でと向かい合っていた。鉛色の雲に覆われた空の下に、湿っぽい風がぶわりと吹いている。


「凪義に入れ知恵したのはキミだね」


 水干姿の少年――蓮は笑いながら言った。が、目は笑っていない。心底不愉快だといった風に、蓮は足元の石を蹴った。


「とうとう追い詰めたぞ。術師」


 八千丞は、慣れた手つきで肩に負った太刀を抜いた。刀身一メートルを超える大太刀である。抜き身の大太刀を構える八千丞は、さながら老武士のような出で立ちであった。


 葉栗鼠島での「大鮫魚事件」から一年。姿を消した黒縁蓮くろへりれんの消息を追い求めていた八千丞は、諜報員たちの力でその尻尾を掴んだ。彼は葉栗鼠島でも網底島でもなく東京本土の、それも内陸部にあたる青梅市西部に潜伏していることが判明した。

 これで、サメとの戦いを終わらせることができる……八千丞は自らサメ狩りを率いて東京本土に渡り、青梅に拠点を作った。その甲斐あって、八千丞は今まさにこの森林で蓮と対峙している。


「ボクもまだ傷は癒えてないんでね……戦ったら負けそうだ。お前たち! やれ!」


 その一言を号令として、左右から続々と鮫人間が集まってきた。皆それぞれ、鉄パイプや金属バットなどで武装している。正確な数は分からないが、数十人という単位の鮫人間が、八千丞と蓮との間に壁を作っている。


「この俺を老いぼれと侮ったか」


 一旦退却して、隊士たちを集めるという選択肢もあった。だが、八千丞は敢えてそうしなかった。せっかく術師の喉元に迫ったのだ。絶対に、この場で術師を殺す。そうした意志が、八千丞の頭から退却の二文字を消した。

 八千丞は大きな得物でよくぞと思える身のこなしで、鮫人間を次々と斬り伏せた。数に任せた物量作戦などものともしないとばかりに、この老武士は八面六臂の大立ち回りを演じている。

 斬られた鮫人間は、すぐに灰と化した。その灰を踏みつけながら、老武士は白刃をきらめかせて新たな敵を屠っていった。数的優位にあるはずの鮫人間たちは、ただの一撃さえ浴びせることのできないまま、ほぼ一方的に倒されていく。


 八千丞の妻は、彼が東京本土で起こした会社の社員だった。八千丞と結ばれた彼女は、一男一女の母となった。

 その妻はある日、夫と子どもたちの目の前で、突然この世を去った。川に現れたサメの餌食になるという形で――

 八千丞は、妻を食い殺したサメを死に物狂いで探し求めた。そうしてとうとう、彼は同じ場所で再びそのサメと出会った。剣道三段の八千丞は、真剣を抜いてサメと向かい合った。絶対に、負けるわけにはいかない戦いだ。

 このサメは口から高温のガスを吐くという、末恐ろしい能力を持っていた。八千丞が面食らったのも無理はない。それでも死闘の末、八千丞は刀でサメの口を裂き、妻の敵を討ち取った。

 それ以来、「奇妙なサメの研究と討伐」が、八千丞にとって生涯の事業となった。私費を投じて奇妙なサメたちの研究を始め、成長した息子に会社を継がせた後はサメに対する自警団「サメ狩り隊」を組織した。八千丞はサメ被害で身寄りをなくした子どもを引き取っては戦闘訓練を施し、強力な戦士へと仕立て上げると、網底島やその周辺の離島に築いた拠点に配置した。

 武器を集め、孤児を戦士にするなど、傍から見ればテロリストと変わらない。だが、中央から遠く離れた離島という環境が、それを可能にした。網底島の名士である八千丞を嗅ぎ回って告発する者など現れなかったし、年々激しくなるサメの襲撃に、離島の駐在だけで立ち向かえるはずもない。人々は八千丞とサメ狩りの武力に頼るより他はなかった。

 

 老武士は鬼神もかくやの大立ち回りで、鮫人間を次々斬り伏せてゆく。その切っ先は、今にも蓮の喉元に届かんとしていた。

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