幕間
幕間 谷治深鯱
オレん
親父は「泣く子も黙る谷治深
親父が陸揚げする魚は、どれも新鮮でうめぇ。オレは親父のことが大好きだったし、漁師って仕事にも憧れていた。あの頼もしい背中を見て、惚れない男なんていやしねぇ……ずっと、そう思ってた。オレもいつか立派な漁師になって、親父と船の上で肩を並べたかった。
でも、オレはついぞ親父と一緒の船には乗れなかった。
その日、オレは十三歳の誕生日だった。オレは母さんと一緒に、港で親父を待っていた。
船着き場に、一艘の漁船が接岸した。それは紛れもなく、親父の乗る漁船だった。だけど、様子がおかしい。船の上に、船員の姿がひとつもない。これじゃあ幽霊船だ。オレはまるで、夜中に怪談を聞かされた時のように震えてた。
そこから一人、人が下りてきた。それは確かに、オレの親父だった。オレはいつものように、親父のところに駆け寄った。
それは、親父じゃなかった。ホホジロザメの頭に人間の体を持った、怪人だった。
怪人は、大きく右手を振り上げた。その手には……マキリ包丁が握られてる!
後ずさったオレの顔面に、刃が振り下ろされた。白刃の切っ先が、オレの顔を斜めに切り裂いた。激痛とともに、ぬるっとした液体が顎に垂れてきた。顎を手で拭うと、掌はべったり血にまみれた。
サメ怪人はオレを突き飛ばすと、次の標的を母さんに定めた。母さんに掴みかかったサメ怪人は、大口をあけてぱくりとかぶりついた。母さんの頭は、一瞬でなくなっちまった。
しばらく、オレは顔の痛みさえ忘れて唖然としていた。口を真っ赤に染めたサメ怪人が、ゆっくりとこちらを向いた時、オレは走り出した。サメ怪人は包丁を振り上げて、オレを追いかけてきた。
何なんだ、あの化け物は……何がなんだかわからなかった。わからねぇけど、母さんを殺した凶悪な怪物だということははっきりしている。
オレは自宅を目指して走った。足音は相変わらず後ろから続いてきている。足には自信があるが、さすがにスタミナの方がもたなかった。オレは納屋に飛び込み、鍵をかけて息をひそめた。
納屋に入ったのを、見られたんだろう。鍵をかけてすぐ、納屋全体に激震が走った。外側から、怪人が扉に体当たりしてきていた。
あの怪人がマキリ包丁を振り上げる直前……オレは見ちまった。怪人の左腕には、親父のものと同じ防水腕時計が巻かれていたのを。
――嘘だ。父さんが怪物になっちまったなんて。
言葉遣いこそ荒かったが、明るくて優しい父親だった。自分の家族には、一度たりとも手を上げなかった親父が――
あの怪人は何度も何度も、体当たりを繰り返している。扉を突破されるのも時間の問題だ。何か、状況を打開できるものはねぇのか……
目に入ったのは、プラスチック製のカゴに入っていた、カセットコンロ用のガスボンベだった。ごろごろとたくさん出てきた。
オレは納屋の引き出しに入っていた
全部のガスボンベに穴をあけたオレは、ドアと反対側にある窓を開けてそこに身を乗り出した。扉はすぐに破られる。そうすれば、怪人は中に入ってきてオレを殺すだろう。
ばたん、という音とともに、怪人が納屋に突入してきた。オレは窓から外に出て、さっき納屋から持ち出した使い捨てライターを、ポケットから取り出した。
オレは火をつけたライターを窓から放り込んで、地面にうつ伏せになった。
――すげぇ音だった。爆発の音って、こんなデカいんだな……オレは素直にそう思った。
その後、小学校で居残り勉強をしていたおかげで難を逃れた弟は、東京本土にいる叔父夫婦に引き取られた。オレはといえば、ずっと港をふらふらうろついた。サメの怪物が親父だってことをどうしても信じられなくって、親父の帰りをずっと待ち続けてた。親父のことを知ってる大人たちが食べ物を恵んでくれて、オレは情けなく泣きべそかきながら食ってた。
サメ怪人を爆殺してから二週間後、怪人はまたしても港に現れた。今度は船に乗っておらず、七人か八人ぐらいのサメ怪人が海を泳いで上陸してきた。岸に上がったヤツらは、港の人々を襲って殺戮を始めた。港はたちまち、気味悪い化け物の餌場になっちまった。
逃げようとしたオレの後ろから、太刀やら弓やらで武装した少年数人が走ってきた。彼らは信じられないほどの身体能力を持っていて、サメ怪人をあっという間に倒してしまった。
それが、オレとサメ狩り隊との出会いだった。彼らに頼み込んで網底島のサメ狩り隊本部についていったオレは、そこでサメ狩りに加わった。
オレはサメ狩りに入ってすぐ、シャチの頭を模した木の仮面を作って、顔を隠すようになった。オレの顔には、今でもあの怪人につけられた傷が走っている。
認めたくはなかったが……あの怪人は、確かにオレの親父だったんだ。親父につけられた顔の傷を見たくなかったし、見せたくもなかった。今でも、オレは鏡を見ることができない。
八千丞のジジイに持たされていた小遣いを貯めたオレは、シャチ柄のTシャツを何枚も買ったり、腕にシャチの刺青を彫ってもらったりした。
「シャチってぇのはな、強いし、すごく頭がいいんだ。群れで大きな獲物も仕留めちまうんよ。でっけぇホホジロザメだって食っちまう」
小学四年生の頃、自分の名前の由来について親に聞き、それを発表するという課題があった。自分の「鯱」という名前に対する親父の答えがこれだった。
――親父、オレはシャチになって見せるぜ。
シャチのように、サメを狩る……そんな戦士に、オレはなってやる。
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