幕間

幕間 谷治深鯱

 オレんは代々、網底島で漁を営んできた。当然オレの親父も、漁で一家の家計を支えていた。漁師の仕事は朝がはえぇ。その代わり、昼間は大体家にいたもんだから、オレは他の奴らよりは親父と過ごす時間が長かったと思う。

 親父は「泣く子も黙る谷治深隠田おんでん」なんて他所では呼ばれてたらしいが、家では子煩悩な父親だった。オレがテストでいい点取ったり、徒競走で一位になったことを報告すると、親父は喉が見えるほどの大口を開けて笑い、オレの頭を撫でて褒めてくれた。木の皮を張ったように硬い掌で、わしわしと荒っぽく撫でられたもんだ。そのぶっとい腕が、何よりも憧れだった。

 親父が陸揚げする魚は、どれも新鮮でうめぇ。オレは親父のことが大好きだったし、漁師って仕事にも憧れていた。あの頼もしい背中を見て、惚れない男なんていやしねぇ……ずっと、そう思ってた。オレもいつか立派な漁師になって、親父と船の上で肩を並べたかった。


 でも、オレはついぞ親父と一緒の船には乗れなかった。


 その日、オレは十三歳の誕生日だった。オレは母さんと一緒に、港で親父を待っていた。

 船着き場に、一艘の漁船が接岸した。それは紛れもなく、親父の乗る漁船だった。だけど、様子がおかしい。船の上に、船員の姿がひとつもない。これじゃあ幽霊船だ。オレはまるで、夜中に怪談を聞かされた時のように震えてた。

 そこから一人、人が下りてきた。それは確かに、オレの親父だった。オレはいつものように、親父のところに駆け寄った。


 それは、親父じゃなかった。ホホジロザメの頭に人間の体を持った、怪人だった。


 怪人は、大きく右手を振り上げた。その手には……マキリ包丁が握られてる!


 後ずさったオレの顔面に、刃が振り下ろされた。白刃の切っ先が、オレの顔を斜めに切り裂いた。激痛とともに、ぬるっとした液体が顎に垂れてきた。顎を手で拭うと、掌はべったり血にまみれた。

 サメ怪人はオレを突き飛ばすと、次の標的を母さんに定めた。母さんに掴みかかったサメ怪人は、大口をあけてぱくりとかぶりついた。母さんの頭は、一瞬でなくなっちまった。

 しばらく、オレは顔の痛みさえ忘れて唖然としていた。口を真っ赤に染めたサメ怪人が、ゆっくりとこちらを向いた時、オレは走り出した。サメ怪人は包丁を振り上げて、オレを追いかけてきた。

 何なんだ、あの化け物は……何がなんだかわからなかった。わからねぇけど、母さんを殺した凶悪な怪物だということははっきりしている。

 オレは自宅を目指して走った。足音は相変わらず後ろから続いてきている。足には自信があるが、さすがにスタミナの方がもたなかった。オレは納屋に飛び込み、鍵をかけて息をひそめた。

 納屋に入ったのを、見られたんだろう。鍵をかけてすぐ、納屋全体に激震が走った。外側から、怪人が扉に体当たりしてきていた。


 あの怪人がマキリ包丁を振り上げる直前……オレは見ちまった。怪人の左腕には、親父のものと同じ防水腕時計が巻かれていたのを。


 ――嘘だ。父さんが怪物になっちまったなんて。


 言葉遣いこそ荒かったが、明るくて優しい父親だった。自分の家族には、一度たりとも手を上げなかった親父が――

 あの怪人は何度も何度も、体当たりを繰り返している。扉を突破されるのも時間の問題だ。何か、状況を打開できるものはねぇのか……

 目に入ったのは、プラスチック製のカゴに入っていた、カセットコンロ用のガスボンベだった。ごろごろとたくさん出てきた。

 オレは納屋の引き出しに入っていたきりを使って、それらに穴をあけていった。その間にも、外からの体当たりは続いている。

 全部のガスボンベに穴をあけたオレは、ドアと反対側にある窓を開けてそこに身を乗り出した。扉はすぐに破られる。そうすれば、怪人は中に入ってきてオレを殺すだろう。

 ばたん、という音とともに、怪人が納屋に突入してきた。オレは窓から外に出て、さっき納屋から持ち出した使い捨てライターを、ポケットから取り出した。

 オレは火をつけたライターを窓から放り込んで、地面にうつ伏せになった。


 ――すげぇ音だった。爆発の音って、こんなデカいんだな……オレは素直にそう思った。


 その後、小学校で居残り勉強をしていたおかげで難を逃れた弟は、東京本土にいる叔父夫婦に引き取られた。オレはといえば、ずっと港をふらふらうろついた。サメの怪物が親父だってことをどうしても信じられなくって、親父の帰りをずっと待ち続けてた。親父のことを知ってる大人たちが食べ物を恵んでくれて、オレは情けなく泣きべそかきながら食ってた。

 サメ怪人を爆殺してから二週間後、怪人はまたしても港に現れた。今度は船に乗っておらず、七人か八人ぐらいのサメ怪人が海を泳いで上陸してきた。岸に上がったヤツらは、港の人々を襲って殺戮を始めた。港はたちまち、気味悪い化け物の餌場になっちまった。

 逃げようとしたオレの後ろから、太刀やら弓やらで武装した少年数人が走ってきた。彼らは信じられないほどの身体能力を持っていて、サメ怪人をあっという間に倒してしまった。


 それが、オレとサメ狩り隊との出会いだった。彼らに頼み込んで網底島のサメ狩り隊本部についていったオレは、そこでサメ狩りに加わった。


 オレはサメ狩りに入ってすぐ、シャチの頭を模した木の仮面を作って、顔を隠すようになった。オレの顔には、今でもあの怪人につけられた傷が走っている。

 認めたくはなかったが……あの怪人は、確かにオレの親父だったんだ。親父につけられた顔の傷を見たくなかったし、見せたくもなかった。今でも、オレは鏡を見ることができない。

 八千丞のジジイに持たされていた小遣いを貯めたオレは、シャチ柄のTシャツを何枚も買ったり、腕にシャチの刺青を彫ってもらったりした。


「シャチってぇのはな、強いし、すごく頭がいいんだ。群れで大きな獲物も仕留めちまうんよ。でっけぇホホジロザメだって食っちまう」


 小学四年生の頃、自分の名前の由来について親に聞き、それを発表するという課題があった。自分の「鯱」という名前に対する親父の答えがこれだった。


 ――親父、オレはシャチになって見せるぜ。


 シャチのように、サメを狩る……そんな戦士に、オレはなってやる。

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