第12話 アメリカン・サムライ
巨大なサメの襲撃によって、海沿いの市街地では消防団を中心とした避難活動が始まっていた。人々は自分の住まいを捨てて、内陸の方へと逃げ出している。
「貴方たちも早く逃げて。ここは危険です」
旅館にやってきた消防団の青年がそう告げた。宿泊客たちはその言葉に従い、旅館を出て内陸の方へと歩いた。
一行が向かったのは、小学校の体育館であった。体育館は冷房設備がなく、ひどい蒸し暑さである。申し訳程度に扇風機が稼働しているが、焼け石に水であった。
ドナルドは、水泳部員に混じって避難所の体育館に入った。彼はしきりに腰の刀を触りながら、怯えた目で周囲をきょろきょろ見渡していた。
「どうした? 怖いの?」
「あー……赤木くん、ワタシは大丈夫デスから……」
「いや、全然大丈夫に見えないよ」
この金髪少年の脚は、がくがくと小鹿のように震えていた。どう見ても、正常な精神状態ではない。ドナルドも凪義や鯱と同じサメ狩りだが、あの二人とは明らかに雰囲気が違う。赤木はドナルドがサメ狩りの仲間とはとうてい思えないでいた。
「う……うう……」
その時、赤木とドナルドの近くにいた中年の女性が、突然うめき声を上げた。
「あの……大丈夫デスか?」
心優しいドナルドは、その中年女に近寄って声をかけた。だが、この女が問いかけに答えることはなかった。
女の頭がぐにゃりと曲がり、やがてサメ頭となった。女は
「うわっ!」
ドナルドと赤木が叫んだのは、ほぼ同時であった。
体育館を見渡すと、年も性別もばらばらな数人の避難民が、一斉に鮫人間と化していた。彼らはうめき声を発しながら人を襲い、食らった。たちまち体育館は騒然となり、悲鳴が響き渡った。
中年女が変化した鮫人間は、赤木とドナルドに迫っていた。二人は後ずさったが、すぐ壁際に追い詰められてしまった。
「ドナルド! サメ狩りの仲間なんでしょ!? 戦ってよ!」
「えー……ワタシ日本語分かりマセン」
「分かってんじゃん! 早く刀を抜いてよ!」
「うー……そう言うナラ……」
ドナルドが
鮫人間による強烈な平手が、金髪少年の頬を打ったのだ。
「あっ!」
赤木が叫びを発した。吹っ飛ばされたドナルドは
鮫人間が、赤木に向かってじりじりと距離を詰めてくる。万事休す。このままでは食われてしまう……赤木は死を覚悟した。
――かちり。
赤木の耳が捉えたこの音は、鯉口を切る音であった。
次の瞬間、赤木に迫っていた鮫人間の頭部は、綺麗に切り離されていた。
「ドナルド!」
「フカヒレどもめ、刀の錆にしてくれよう」
低い声で時代劇の真似事のような日本語を口にしたドナルドは、すぐ傍で老婦人に襲いかかっていた別の鮫人間に接近し、すれ違いざまに頭を切り飛ばした。まさしく稲妻のような速さの斬撃であった。
館内には、まだ何体もの鮫人間がいた。それらは目下最大の脅威が誰であるか気づいたのであろう。ドナルドの方に、大挙して押し寄せた。数をたのみに押し潰そうというのだ。
ドナルドは星条旗柄の羽織をひらりとはためかせながら、鮫人間の群れに真正面から向かっていった。
「
冷たく光る白刃が、先頭に立っていた三体の鮫を切り刻んだ。刻まれた鮫人間たちは、程なくして小さな灰山と化した。
鮫人間には恐怖心というものがないのか、後方にいた鮫人間たちは怯む様子を見せずに襲いかかってきた。大口を開けた鮫人間たちが、打刀を立て構えたドナルドに肉薄する。
彼らもやはり、白刃の餌食となった。一瞬で首を切り落とされ、体育館の床に膝を突いた。とはいえ、ドナルドもだんだんと疲れてきているのだろう。赤木はドナルドの息が荒くなっているのを見た。刀で首を斬るという動作は、存外体力を消耗するものなのかも知れない。
「危ない!」
赤木の叫びが、体育館にこだました。一体の鮫人間が体育館の舞台から降りてきて、ドナルドの背後から掴みかかったのである。
「
不意を打たれて背後から羽交い絞めにされたドナルドは、力任せに振りほどこうとした。だが鮫人間の力は強い。いくら剣術に優れていても、ドナルド自身、所詮はただの人間である。そう簡単に拘束を抜けられるはずもない。
そこに、入り口から一体の鮫人間が堂々と侵入してきた。鉄パイプで武装しているこの鮫人間は、羽交い絞めにされたドナルドの胸を思い切り打ち据えた。
「まずい!」
ドナルドを助けねば……恐怖で凍りついていた赤木の足が動き出した。怪人とどれだけ戦えるかは分からない。とはいえ水泳部員である赤木は、体力や筋力の面でそれなりに自信がある。
赤木は近くにあった消火器を振り上げて、侵入してきた鮫人間の横合いから仕掛けた。振り向いた鮫人間は鉄パイプで消火器を受け止め、そのままかち上げてしまった。よろめく赤木。そのがら空きの脚に、鮫人間は強烈なローキックを見舞った。
「がっ……」
蹴りを食らった赤木は、冷たい床に尻餅をついてしまった。人間と鮫人間の間には、歴然とした力の差がある。刀を帯びているとはいえ、ドナルドはこんな敵を相手に戦っているのか……
鮫人間の無機質な瞳が、じっと赤木を見下ろしている。その右手に持った鉄パイプが振り上げられた時、今度こそ赤木は全てを諦めた。振り下ろされる
「
鉄パイプを振るう右腕が、止まった。鮫人間の首筋に、刀が当てられている。その背後に、金髪の剣士は立っていた。
「
ドナルドは鋸を引くように、刀をすっと引いた。まるで豆腐を包丁で切るかのように、鮫人間の首は滑らかに切り落とされた。鮫人間はがっくりと膝から崩れ落ち、そのままうつ伏せに倒れた。
「だっ、大丈夫か!?」
赤木の声に、ドナルドは肩で息をしながら無言で頷いた。ドナルドを羽交い絞めにしていた鮫人間も、いつの間にやら首を落とされていた。金髪の剣士は刀を鞘に納めると、がっくり膝を折った。
金髪のサムライによって討たれた鮫人間は、いつの間にか全て灰となっていた。体育館には、あちらこちらに灰の山が築かれていた。
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