第8話 昔の友は今の敵……

 日が中天を過ぎた頃、凪義と鯱は旅館の外に出て、南に向かって歩いていた。火炎鮫ファイヤー・シャーク襲撃事件の後だからか、外は快晴にもかかわらずひっそり閑としている。人にほとんど会わないまま、二人は砂浜にたどり着いた。


「南岸から今までにないくらいの強いサメの匂いが漂ってくる。奴はそこに切り札を隠しているんだろう」

「なるほどな。爆弾の用意は十分だ。何が来ようが爆殺してやる」


 静かに落ち着いた様子の凪義と違って、鯱は普段以上にいきり立っていた。サメを憎む気持ちは、凪義も鯱も同じなのだろう。

 

「匂いが強くなってきた……」


 砂浜に立った凪義は、しきりに鼻を鳴らしてそう言った。恐らく、敵はそう遠くないところにいる。

 鯱が手りゅう弾をウエストポーチから取り出した、その時のことであった。ざばぁ、という大きな音が、二人の鼓膜を震わせた。海からだ。波の音にしては、いささか大きすぎる。


「……来たか」

「あ、ありゃ何だ!?」


 海水が盛り上がり、その下から何か巨大なものが姿を現した。まるでクジラのような……いや、クジラでもこんなに大きなものはいない。それは体高七、八メートル近くはありそうな、まさしく怪獣と言うべき巨躯のサメであった。全長となれば、おそらく数十メートルはあるだろう。


「なるほど、奴はこんな切り札を隠していたのか」

「マジかよ……ゴジラみてぇにデケェじゃねぇか!」


 その巨躯は真っ直ぐ、海岸の方へと進んできていた。あんな図体では浅瀬に近づくことさえままならない……が、相手はサメである。常識など通用しない相手だと思った方がよい。

 そのサメの鼻先に、人の姿が認められた。


「数多のにえを食らって育ったボクの大鮫魚メガロドン、驚いてもらえたかな?」


 低く落ち着いていながら、よく響く男の声であった。サメが近づいてくるにつれてだんだんと、鼻先に立つ人の姿がはっきりと分かるようになった。

 それは白い水干に灰色の袴を身に着け、烏帽子を被った、まるで千年前の日本からやってきたような装いの少年であった。銀色に染まった長い前髪が右目を隠しており、血のように赤い瞳が真っすぐ凪義たちを見下ろしている。


れん……」

「え、凪義お前あいつのこと知ってんのか?」

「ああ、僕の友にして、最大の敵だ」


 蓮と呼んだ少年を、凪義は敵意をもって睨みつけている。どうやら、この二人は旧知の仲であるようだ。とはいえ、凪義からは親愛の情など微塵も感じられない。


「つれないなぁ……ボクは凪義のことを敵だと思ったことなんて一度もないのに」

「ちっ……聞いていたか」


 呆れつつも嬉しそうに笑う蓮に対して、凪義は如何にも不快といった風に顔をしかめている。心の底から、蓮を憎み、嫌っている……そう言いたげな表情であった。


「このサメで何をするつもりだ、蓮」

「何って……簡単なことさ。交渉だよ」

「交渉?」

「そうさ。キミがボクの仲間になることを受け入れるのなら……このサメは下げてあげるよ。断れば……この大鮫魚メガロドンを使って島を滅ぼす」


 ぎり……と、凪義は歯を噛みしめた。両者の間には、ただ磯の匂いを運ぶ生ぬるい風だけが流れている。


「凪義だってわかってるんでしょ? 自分はもうサメなんだって」

「……どういうことだよテメェ! 凪義がサメってどういうこった!」

「おや、そこのシャチ仮面くんは知らなかったのかな?」


 三者の間に、しばし沈黙が流れる。蓮は嫌味たらしい笑みを浮かべ、相対する鯱は戸惑いの色を表している。凪義は動じることなく、静かに蓮を睨んでいた。

 

「じゃあ教えてあげるよ。そこの葦切凪義という男はもう人間じゃない、鮫人間シャーク・ヒューマンなんだよ! 」


 言い終わった蓮は、勝ち誇ったように高笑いをしていた。満面に喜色をたたえる蓮に対して、凪義はより一層その顔を険しくした。


「……どういうことだ、凪義。嘘だろ?」

「奴の話に惑わされるな。あの男は僕たちの敵だ」


 鯱を諭しながらも、凪義は一瞬、ばつが悪いといった風に足元に視線を落とした。まるで明かされたくない秘密を暴露されたかのように、凪義は誰とも視線を合わせなかった。

 

 実際、蓮の言い放ったことは、事実であった。

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