第一章 薔薇Ⅲ

夕方の少し寒いグラウンドからは部活動に励む生徒たちの声が聞こえる。

そんな中、僕は放課後の図書室で静かに図書委員の作業をしていた。


古谷も外で頑張ってんだろうな__


古谷はサッカー部のエースで夏にある大会に向け、たくさん練習をしているらしい。

サッカーのルールはよく分からないが、古谷がよく楽しそうに話してくれるのを聞いて僕も一度は彼の試合を見に行きたいと思った。


ふと、僕はサッカーの本を探しに席を立った。

少しでもルールを理解していた方がより楽しめるかもしれない、そう思った。


「えっと、、スポーツ関係はこの辺だったようなー、、っっわぁ!!」


サッカーの本を探していると、誰もいないと思っていた図書室には犀川がいた。

物音一つしなかったし、誰も入ってきた気配はなかった。


いつからいたんだよ!!__


「図書室では静かにしろよ。」

「ご、ごめん。誰もいないと思ってたから。」


犀川は落ち着いた様子で口元に人差し指を立てた。

彼がいなければ叫ぶこともなかったのに、と僕は思ったが、それは胸にしまった。


「陸永だっけ?何か探してんの?」

「んえ?」


犀川は特に気にした様子もなく、話かけてきた。

他人に興味を持たない彼が話しかけてきたことも驚いたが、なによりも、彼が自分の名前を知っていることに驚き声が漏れた。


「そんなに驚かなくてもさぁ。俺だって、しゃべるよ。」

「あ、ああ。いや、僕の名前知ってるんだと思って。」

「当たり前だろ。俺ら席、隣だし。」


それから少し沈黙が続き、気まずい空気が流れた。

普段、古谷としか話さない僕にとって話したこともない犀川と話すほどのコミュニケーション能力はない。


僕はこの空気に耐えられず何とか言葉をつないだ。

手汗が止まらなくなっていく気がした。


「えっと、サッカーのルールブックを探してるんだけど、どこかわかる?」


そういうと、犀川はすっと席を立った。


図書委員である僕が本の場所を聞くなんて少し変だとは思ったけど、仕方ない。

図書室のことは彼の方が僕より詳しいだろう。


なぜ、僕が図書委員で彼が図書委員ではないのか不思議なくらいだ。


しばらくして、犀川はなんの迷いもなく一冊の本を持ってきてくれた。


「”サッカーの基本!これだけ抑えれば、明日から君もサッカー選手!”これでいいかな?」

「う、うん。ありがとう。助かった。」


犀川は少し笑いながら、僕に本を渡してくれた。

タイトルに少し胡散臭さを感じたが彼の好意を無下にはできず、それを受け取った。


笑顔、初めて見たかも__


いつも無表情で何を考えているか分からない彼だが、それだけ本が好きなのだろう。

ひとたびその笑顔を見せればきっと女子にモテるだろう。男の僕でも正直ドキッとした。少しだけ。


「サッカー、好きなの?」


犀川はさらに話を続けようと僕を見つめる。

今まで隣の席だったが、ここまで会話をしたのは初めてだった。


「いや、特に好きではないけど、友達がサッカー部なんだ。それで、、」


それから日が暮れ少し肌寒くなる時間まで会話を続けた。

何が好きなのか、どうして図書委員になったのか、たわいないことやどうでもいいことをたくさんではないけれど話した。


なぜか、少し心地よかった。


僕の中にあった犀川凛という男のイメージが一気に崩れていく気がした。

いつの間にか気まずい空気はなくなって、僕の手汗もなくなっていた。


しかし、犀川は自分の話は一つもしなかった。

彼が質問をして僕が答える。それについて彼が返しをくれる。その繰り返し。


僕も何回か質問し返したが、彼は適当に流すか何かとはぐらかして、また僕に質問を続ける。


「犀川って、もっと他人に興味ないと思ってた。」


ふと、僕がそういうと犀川は話すのをやめて、こちらをじっと見つめた。

少し長い髪の隙間から見える真っ黒な瞳がとてもきれいだなと思った。


犀川はしばらく無言で僕を見つめた。

それに、耐えられなくなった僕は犀川から目をそらす。


ちょうどその時、下校のチャイムが鳴った。


「そろそろ帰んなきゃ。」


犀川は早々と席を立ち、読んでいた本を返す。

僕もそれに同意するように、そそくさと図書室を閉める準備を始めた。


余計なこと言うんじゃなかった__


せっかく少し仲良くなれたような気がしたのに、また溝ができてしまったような気がした。

もしかしたら、最初から溝は埋まっていなくて僕の勝手な思い込みかもしれない。


「さっきの質問。陸永は俺の隣の席だし、図書委員だから。じゃあまたな。」


彼はそう言って軽く手を振り、図書室から出て行った。


「またな、、か」


少しは仲良くなったと思ってもいいのかもしれないと思えた。

でも、僕は彼の”だから”の後が聞きたかった。


どこからか懐かしい匂いがした気がした。それが何かは思い出せなかった。




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