第百四話 蘇るトラウマ

国際標準時 西暦2045年9月7日9時6分

高度魔法世界第4層

北部戦線 最前線

人類同盟 大韓民国 李允儿イ・ユナ



「――クッ!?

 このままだと1番艦まで失いかねないですね!?」


 疲労と痛みでどうにかなってしまいそうな身体を気力だけで動かしながら、全力で抗戦していた敵ガンニョムから距離を取る。

 視界には敵ガンニョム2体と探索者達が互いの死力を尽くして交戦している光景が映る。

 一昨日から続く戦闘にどちらも消耗が隠しきれておらず、絶妙なバランスで戦闘の均衡が保たれていた。

 早く戦線復帰しないと……

 焦る気持ちからか、肘から先が失われた自分の右腕を押さえる手に力がこもり、激痛がガツンと脳髄を叩く。

 しかし血を流し過ぎて鈍くなっていた頭には、返ってそれが良い気付けになった。

 傷口こそエルミナの回復スキルですぐに塞いでもらったけれど、四肢欠損に複数個所の骨折、打撲、重度の火傷は思考を鈍くさせるには十分過ぎた。

 私は手早く取り出した下位ポーションを一気に飲み込んだ。

 口内を強烈なシップ臭さが蹂躙し、そのままの勢いで鼻腔を駆け抜ける。

 ざらざらした金属のような喉越しと共にポーションが体内へ流れ落ち、ポーションが付着した食道や胃が急速に熱を持つ。

 

「ぐぅぅ」


 思わず胃の辺りを押さえるが、身体を内側から焼く熱は止まることなく全身を瞬く間に侵食した。

 全身の骨が赤熱した鉄のようで、血管には溶岩が流れ、消化器官の内側では炎が絶えず燃え盛る。

 

ブチュッ


「ぁがっ」


 欠損していた右腕の先端から、新しい骨が筋繊維を纏わりつかせながら塞がっていた傷口を突き破って生えてきた。

 

ゴリゴリゴリ


 折れていた骨が石臼のような音を出しながらゆっくりと接合していく。

 その過程で骨の間に挟まった筋繊維や神経、血管はそのまま磨り潰され、死んだほうがマシな激痛を私に味あわせた後で新しい細胞として再生する。


「ああぁ、ぁぁぁ、ぁぁぁぁ」


 ようやく激痛が収まった後、気づけば流れ出ていた涙や鼻水、涎を拭った。

 体感だと数時間は苦しんでいたように感じたけれど、実際は1,2分間の出来事だ。

 再生した右腕を軽く動かして感覚を取り戻す。

 腕の喪失と再生に、思考と精神は全く追いつけていないが、そんなことはこの戦いを乗り切った後でやれば良い。

 私は腰に差した剣を再び構えて、敵ガンニョムへと再び駆け出した。




「受け取れ、勝利の号砲だ」


 自慢のピンクなマッシュヘアーを硝煙と砂ぼこりで煤けさせた朴が、決め台詞を口にしながら敵ガンニョムのカメラアイに手刀を叩きつけた。

 2日前から続く勝利の号砲は、もはや砲という形態すら保てていないけれど、敵ガンニョムへ確かな損傷を与えてみせた。


「―― ァアアアアアアアアアアッッ!?

 腕がっ、俺の腕があああああっっっ!!!」


 しかし、その代償は軽いものではなかったのか、朴は普段の気取った口調をかなぐり捨てて叫び声をあげながら後退する。

 彼は手刀として放った自身の片腕を痛々しく庇いながら、苦痛を隠す余裕すらない様子だ。


「朴、大丈夫!?

 すぐに回復するから……!」


 すぐに回復スキル持ちのエルミナが彼に駆け寄るけれど、朴は半狂乱で苦痛の叫びをあげ続けている。


『アッアッアッ!!』


 性格はともかく戦力面では要であった朴が抜けた為に、折角カメラアイを潰した敵ガンニョムが立ち直る時間を与えてしまった。

 しかも朴は抜けたままだから、私達と敵ガンニョムとの戦力均衡は崩れてしまっている。


「不味い……

 このままでは持たんぞ。

 早く朴を復帰させねば!」


 部隊の参謀役であるビョルンが、対戦車ミサイルを撃ち込みながら焦燥の表情を浮かべた。

 朴はようやくエルミナに自身の傷口を見せて手当てを受けている。

 その表情は心底弱り切った情けないものだ。

 既に心は折れてしまっている。

 彼はしばらく戦えない。


「手に破片が刺さっただけじゃん!!?

 このくらいならポーションでもすぐ直るよ!!」


 破損したカメラアイの破片が刺さっただけであの醜態を晒していたの……?

 

「クソがッッ!!!」


 同胞の情けなさへの苛立ちをそのままガンニョムの腕関節に叩きつける。

 叩きつけた剣は、ちょうど装甲版の隙間に入ったようで、深々と関節に食い込んだ。

 

「嫌だ!!!

 ポーションは嫌だぁぁぁぁ!!!

 あんなの俺には耐えられないぃぃぃぃぃ!!!」


 後方ではポーションの使用を朴が全力で拒んでいる。

 ポーションによる治療は麻酔なしだと想像を絶する痛みがある。

 敵と交戦している目と鼻の先で悠長に麻酔なんて使えないし、その後の戦闘復帰も考えると感覚が鈍る麻酔の使用は避けたい。

 私はついさっきその痛みに耐えたのだけど、あの男はそれが絶対に嫌らしい。


「甘えんなッッッ!!!」


 同胞への怒りをそのままガンニョムに突き刺さった剣に拳として叩き込む。

 叩き込まれた剣は、その刀身のほとんどをめり込ませた。


ギギッギギッギギッ


『アッアッアッ……?』


 めり込んだ剣は駆動部へ無視できない損傷を与えたのか、腕関節が嫌な音を立てて動きが如実に悪くなった。

 

『アアアアァァァァァ』


 自身の片腕が機能喪失したことに敵ガンニョムが激発する。

 その怒りを受け止めるには、朴を欠いた探索者達の戦力はあまりにも不足していた。


『アッアッアッ!!』


 速さが格段に増した敵ガンニョムによる腕の一振り、それが直撃した探索者が全身の骨を粉砕されて大地に墜落する。


『アッー!』


 敵ガンニョムの巨大な剣が掠っただけで、探索者の片腕が一瞬で消し飛ぶ。


『アァァアッアァァアッ』


 敵ガンニョムが勢いよく連続で足踏みをするだけで、地上にいた探索者達の身体が宙に浮き致命的な隙を晒す。

 まるで今までの戦闘が全てガンニョム達の戯れだったのかと思ってしまうほど、戦況は一変してしまった。


ゴゴゴゴゴゴゴゴゥ……


 大型機動要塞は2日に渡る砲爆撃で黒煙を吐き出しながらも、その歩みを止める様子は見られず、同盟の無人兵器群へ向けて砲撃を続けている。

 同盟の決戦兵器である特典ガンニョムは戦闘初日に撤退して以降、その姿を戦場に再度現すことはなく、強化装甲は2体の敵ガンニョムを相手取って決死の迎撃を続けている。

 この戦場で、私達を援護できる戦力はどこにも見当たらない。


「私達は、こんなところで倒れる訳には……」


『アッアッアッアァァァァァ!!!』


 2体の敵ガンニョムによる連携は巧みであり付け入る隙はなく、ここにきてその動きはより苛烈なものになった。

 ステータスの向上により超人的な身体能力を得た探索者でも、その動きに追随できるのは極一部の上澄みだけ。

 

「こんな所でっ!!?」


 絶望感に気を取られ、ガンニョムの剣戟が危うく身体を掠める。

 それだけで私の身体は風圧によって弾き飛ばされ、地上数十mの高さから荒れ果てた大地に叩き落ちた。


「グッグゥゥゥ!!!?」


 少し前に再生した骨が再度折れ、肺が潰れ、身体中の穴という穴から血が噴き出す。

 

「こ、んなぁ、とこ、ろでぇ」


 端末を見なくとも自身のHP、MP、SPがどれも底を突きかけているのは分かる。

 だけど、こんな所で倒れるわけにはいかない。

 途切れがちでノイズの混じった薄呆けた理性と精神が、無理やり骨の折れた腕を動かして、ポーションの入ったケースを探る。

 でも、そこまでだった。

 指が動かない。

 ポーションが持てない。

 身体を動かす力はない。

 助けを呼ぼうとする声帯は血に塗れて潰れた。

 赤く染まった視界が暗くなる。

 時間がない。

 でも駄目だ。

 嫌だ。

 もう駄目だ。

 こんな所で。

 ここまでだ。

 私、終わるの……?




「――ヘイヘーイ」




 赤く染まった視界の中で、片方のカメラアイを潰されたガンニョムの頭部が宙を舞っていた。

 同時に、かつての思い出トラウマが勝手に脳裏で再生される。




 国際裁判、スウェーデンの探索者を証拠もなく吊し上げた、嫌な思い出。


『高嶺嬢、ここは一発お願いします』

『へいへーい』


 刻まれた生存本能トラウマ

 致命の一声トラウマ

 顕現した悪夢トラウマ

 人類最強、朱の鬼みんなのトラウマ




「イヤァァァッッッ!!!!?」


 私の思考は一気にクリアになり、気づけば潰れたはずの声帯が叫び声をあげていた。

 生存本能が身体を勝手に動かし、痛みや疲労も忘れて身体がクルリと宙に浮き、動かない手の代わりに、口でポーションの容器を噛み砕いて中身を破片ごと啜っていた。


 私は、生きたい!!!

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