第八十三話 夜中の訪問者

西暦2045年8月30日22:30

日本国 本拠地 私室内


 私室内のソファーに体を預けると、それまで気づかなかった今日の疲れがずっしりとした重みのように現れてくる。

 今日はアレクセイや公女達と高度魔法世界第4層に乗り込んで、同盟と合流するという一大イベントをこなしただけじゃなく、複雑な関係である日中韓の偶発的な顔合わせという本気でしんどい罰ゲームも潜り抜けた。

 不幸にも巻き込まれたあのイスラムっぽい女性探索者には申し訳ないことをしたけれど、結局彼女の正体は有耶無耶のままだったな。

 俺が炎上現場を収めた時にはいつの間にかいなくなっていたし、朴の言う通り、本当に同盟の情報を探っていたスパイだったのかもしれない。


「ぐんまちゃん、今日はお疲れ様でした」


 高嶺嬢がテーブルに川場村名物のむヨーグルトを2つ置きながら労いの言葉をかけてくれる。

 それ、ちゃっかり自分の分も出してるけど、私室内にある俺の冷蔵庫に入ってたやつだよね?

 そのまま俺の隣に腰かけた高嶺嬢は、自然な動作でのむヨーグルトの蓋を剥がして飲み始めた。

 別に良いけどね……

 夜遅い時間だというのに、俺の私室に高嶺嬢がいるのには理由がある。

 万が一を考えた保険だ。


「まだ終わってないけどね。

 むしろここからが本番かな……?」

「ふふ、大丈夫ですよ。

 ぐんまちゃんならへっちゃらです!」


 私室内にいる間は、プライベートとして祖国への生放送は中断される。

 全国民に無差別で生放送される都合上、生放送中はどうしても不都合なことは言えないしできない。

 俺と高嶺嬢の一挙手一投足によって日経平均株価や政権支持率が上下するし、下手な行動は映像付きの証拠が残って後々の戦後に響いてくる。

 他国に対しての陰謀工作シーンなんて全国のお茶の間には流せないし、日課の魔石納品について少しでも出し渋りや負担を感じさせてしまったら、イケイケ状態の経済に冷や水を浴びせることになるだろう。

 日本の輸出入は現状、俺が一手に握っているのだ。

 俺と高嶺嬢の映像を見ている日本国民に、少しの不安も感じさせてはならない。


「……そろそろ来るとは思うんだけど」


 壁に掛けられた時計を見れば、今の時刻は22時30分を過ぎようとしていた。

 約束の時間は既に過ぎている。


「もう施設内にはいるみたいですよ?」

「えっ……?」

「だんだんこの部屋に近づいてきてますね。

 あと1分とかからずに来ると思います」 


 これまでの成長により本拠地施設全域を常に探知できるようになっている俺の『索敵』スキル。

 視界の端に表示されている索敵レーダーには、相変わらず何も表示されていない。

 今朝の暗殺未遂でもそうだったけれど、『索敵』は何らかの能力による隠蔽行為に弱すぎるな。

 スキルの成長でその部分を強化出来たら良かったんだが、今のところ探知範囲の大きさしか成長していないし、おそらく今後もそちらの方面で強化されることはないだろう。

 

「入って来ましたね」


 閉じたままのドアを見ながら、高嶺嬢がそう告げる。

 俺の目には何の変化も感じ取れないが、高嶺嬢の言葉とともにドレッドヘアーが特徴的な大男がその身を屈めながら姿を現した。

 シウム・イサイアス、やっぱり他国の拠点内に感知されることなく侵入できるのか……!

 高嶺嬢と白影の例外を除けば、一部の探知に特化した探索者以外はイチコロだな。


「夜分遅くにスミマセン、タカミネ=サン……ビジネスに来たぞ、トモメ・コウズケ」


 シウムは高嶺嬢へヤクザの舎弟みたいに深々と一礼した後、太々しい態度で俺の対面のソファーにドカリと座――


「ソファーを拭くのが面倒なので座らないでください」

「ハイッ!」


 ――ろうとしたけどやっぱりやめて、勢い良く立ち上がり直立不動の姿勢になった。

 これが生放送されなくて本当に良かったよ……


「…………トモメ・コウズケ、タカミネ=サンの貴重なお時間をいただくのも大変キョーシュクだから、手早く済ませよう。

 これは俺のメモ書きだ」


 シウムは折りたたまれた1枚の紙と灰皿とライターをテーブルに置く。

 俺はそれを手に取り、広げて一読し、丸めて灰皿に入れライターで火をつけた。

 これで証拠は何もない。

 朴と袁が中韓両国の国際問題を炎上させていた時、高嶺嬢が締め上げていたシウムを治療するふりして近場のトイレに連れ込んで何を話したのか、その証拠は今、俺の目の前で灰になった。


「これは日本からエリトリアへのODAだ。

 無償だから返還義務はない」


 俺の言葉と共に、高嶺嬢によってテーブルの上に液体が入った瓶が10本、ケースに入れたまま置かれた。

 道具屋で販売されている上位ポーション、1本飲めばHP500分の回復効果を得られる、高嶺嬢ですらHP100すら超えていない人類にとっては過剰効果すぎて持て余している回復薬だ。

 お値段は1本あたり20億円、10本だと200億円となり、おおよそE-203J大型旅客機1機分となる。

 日本にとってはした金でしかないが、GDPが300億円程度のエリトリアにとっては売却して半額の100億円になったとしても巨額だ。

 

「アリガトウゴザイマスッ! タカミネ=サン!!

 ……確かに受け取った。

 また用があれば言え。

 タカミネ=サンのお手を煩わせる必要はない、お前が言うだけで良い。

 なんだったら目線だけでも俺は察する。

 タカミネ=サンのお手は煩わせるな、頼む。

 じゃあな、トモメ・コウズケ……タカミネ=サン、シツレイイタシマスッッ!!!」


 シウムは俺へ切実に訴えかけた後、高嶺嬢に最初と同じく一礼してから逃げるように消えていった。

 後に残ったのは俺と高嶺嬢と微妙な煙臭さだけ。

 テーブルの上には何も残っていない。


「出ていきましたよ。

 施設内からもいなくなったみたいですね」

「帰宅部すらビックリの直帰っぷりだな」


 俺は高嶺嬢が出してくれていたのむヨーグルトに口をつけながら、脳内で情報を整理する。

 シウムに依頼したのは人類同盟主要国のGDP調査だ。

 ダンジョン戦争が始まって既に3ヵ月以上経過していて、各国のGDPへの影響も数値として現れてくる頃合いになる。

 シーラ暗殺の件もあるし、シウムは同盟主要国のかなり深い部分にまで関わっている。

 俺が各国の国力を探っているという情報が渡る可能性もあるけれど、そんなものはお互い様だし、証拠は燃やした以上、生放送で公開されても素知らぬ顔で言い逃れできるだろう。

 

「これでやっと今日の仕事が終わりましたねぇ……」


 もう高嶺嬢にいてもらう必要もないから自室に帰ってほしいけど、彼女に部屋から出ていく気配はない。

 それどころか力を抜いてダラーンと俺にもたれかかり、随分とリラックスしているご様子。

 まあ、俺もこのまま少し考えるつもりだったから良いけどね……

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