1.招待状をいただきました

 二十一世紀の人類史の動きは、ゆるやかだった。


 西暦二〇七四年になっても、日本は森羅万象しんらばんしょうを美少女に擬人化して人権団体と終わりない闘争を繰り広げていたし、アメリカはトマトソースを大量に使うからピザは野菜と言いはってフライドポテトをえた健康志向だった。中国は事故を起こした高速鉄道車両をその場にめたし、ロシアの大統領はプーチンだった。


 秋晴れの午後、とある大病院の理事長室で、上品な和服を着た老婦人が微笑ほほえんでいた。


 丁寧ていねいに染めた黒髪をげ、淡い藤色ふじいろ訪問着ほうもんぎが良く似合っている。今年で六十六歳になる、この大病院の理事長、鏑木かぶらぎ小百合さゆりだ。


 小百合さゆりの座る執務机しつむづくえの正面に、こちらも折目正しい白シャツとワインレッドのネクタイに、医師の白衣を着た、背の高い男が立っていた。


 白髪混しらがまじりで少しせているが、五十五歳でまだまだ第一線の医局長、一条いちじょう桃弘ももひろだ。いかめしくりの深い顔に、なにやら冷や汗を浮かべていた。


「アメリカから、レトロ・ジャパンアニメ・フェスティバルというもよおものの、招待状をいただきました」


 小百合さゆりの、年配ながら充分に美しく、知的な顔立ちに、ややそぐわない単語が羅列られつされた。


 一条いちじょうは、頭脳をフル回転させ、細心の注意を払いながら、返事をしぼり出した。


「はあ」


「達者な日本語の文面で、差出人は超機動ちょうきどう……合神がっしん? サーガンディオン・ファンクラブ、八尺やさか芙美花ふみかを名乗っています」


 一条いちじょうの冷や汗が、量を増した。


 理事長室に入った時から、いや、小百合さゆりの呼び出しを受けた瞬間から、悪い予感があった。それが耳から入って、脳神経に結像けつぞうした。


「どちらのどなたかは存じませんが、この名前を出されては、挑発ちょうはつを受けて立たないわけには参りません」


 小百合さゆり微笑ほほえみの背後に、めらっと一欠片ひとかけら、炎がゆらめいた。ように、一条いちじょうには見えた。


「招待状には他に、イベントの安全管理手続き上、アメリカ在住の身元保証人を申請しんせいするか、いない場合はイベントスタッフへの委託いたく申請しんせいすること、と書かれています」


「はあ……」


一条先生いちじょうせんせいは、確かお子さまが、アメリカ留学をされていたと記憶しているのですが。いかがでしょう」


「ええ、まあ……娘が、ロサンゼルスの大学に、留学していますが……」


「ロサンゼルスなら、封切りの会場がすぐ近くですね。仕事もお忙しいでしょうが、たまには顔を見に行かれるのも、娘としては嬉しいものと思いますよ」


 一条いちじょうの頭脳が、さらにフル回転した。そして結論をみちびき出した。


「理事長、提案があります」


 柔道の受け身などでは、接地せっちの瞬間面積を広げることで、衝撃を拡散する。


 身体工学にもとづく理論だった。



********************



 おおむねビジネスクラス以上の航空券である場合、各航空会社が運営するラウンジが使用できる。荷物のあずれと出国手続きを終え、搭乗開始までの待ち時間、個室シャワーを借りたり、ソファでくつろいだり、無料の軽食やドリンクを楽しめる上流階級的ハイソサエティな空間だ。


 とある日曜日、おだやかな夕暮ゆうぐれのが差し込む成田国際空港の航空会社ラウンジで、小百合さゆり一条いちじょう三鷹みたか五乃ごだいが顔を合わせた。


「ちょ、ちょちょ、ちょっと一条先生いちじょうせんせい! 私、医学シンポジウムって聞いてたんですけど……っ!」


「俺たちをハメましたね、一条先生いちじょうせんせい……っ!」


 三鷹みたか茉子まこは二十六歳、研修医を終えたばかりの新人医師だ。小柄こがらでショートボブ、物怖ものおじしない率直そっちょくさが子供っぽく、ネイビーのスカートスーツが就活生しゅうかつせいのようだった。


 五乃ごだい蓮支れんしは二十四歳、医療機器メーカーから病院に出向しゅっこうしている専門技師だ。少し長めに整えた髪、ジム通いで引き締めた身体にダークグレーのストライプスーツという格好だった。


 二人そろって呆然ぼうぜんを通り越し、これ以上ないくらいにうろたえていた。


「状況が状況だけに、おまえたちも大方、さっしがついているだろう。すまん。口先だけだが、あやまっておく」


 ライトグレーのスリーピースで、ソファにふんぞり返った一条いちじょうが、しゃあしゃあと言う。となり小百合さゆりも、ライムグリーンのフォーマルワンピースで、すずしい顔だ。


 この四人の顔ぶれとなれば、心当たりは一つしかない。五乃ごだいが、皮肉っぽく天井をあおいだ。


 この年の夏、小百合さゆりの夫である医学博士、鏑木かぶらぎ日葵はるきくなった。 


 鏑木かぶらぎ博士はかせが医療機器メーカーと共同開発していた終末医療用しゅうまついりょうよう個人こじん意識野いしきや遡行そこう再構成機さいこうせいき、パーソナルタイムマシンの博士自身による実験で、一悶着ひともんちゃくがあった。


 小百合さゆり一条いちじょう三鷹みたか五乃ごだいは、その当事者だった。


 くなった鏑木かぶらぎ博士はかせの、遡行そこうして再構成された意識の中に、八尺やさか芙美花ふみかという女性がいた。同じ名前を、小百合さゆりから提示された招待状に見つけて、五乃ごだいはまた天井をあおいだ。


「移動日を抜かして平日、出張扱いで高級ホテルのロサンゼルス四泊五日、イベント当日以外は自由行動だ。悪くないだろう」


 一条いちじょうの、したり顔の言いわけに、五乃ごだいが口をひん曲げる。


「そりゃあ、まあ……額面通がくめんどおりなら、ですけど。本場ハリウッドのお膝元ひざもとで日本人がゴーストバスターズなんて、勘弁かんべんしてくださいよ」


「なんだ、それは?」


「レトロ・ムービーです。イベントなんでしょう? シャレになってませんよ、もう」


 八尺やさか芙美花ふみかという女性は二〇二五年、難病の治験ちけん渡米とべいした先の、研究施設でくなっている。後から調査した記録でも、間違いはなかった。


 五乃ごだい嘆息たんそくに、いつの間にか山盛りのサンドイッチやらローストビーフやら、ホワイトソースのチキンソテー、デザートのケーキに赤と白のワインのミニボトルまで持ってきた三鷹みたかが、口をとがらせた。


五乃ごだいさん、五乃ごだいさん。アニメのイベントですよ。レトロ・ジャパンアニメ・フェスティバルです。レトロ、しか合ってませんよ」


 レトロの看板にふさわしく、製本され、招待状に同封されてきたパンフレットを、三鷹みたかがパラパラとめくった。

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