お召し

oxygendes

第1話

 わたくし伴侶つまとともにご主人様にお仕えするようになってもう三年が過ぎました。

 季節は冬から春に移りつつありますけれど、まだまだ風は冷とうございます。ご主人様が外出されるおりには必ずお供をしております。


 今日はご主人様のお召しによりご散策のお供を仕りました。ご主人様は亜麻色のワンピースドレスにニットのケープを羽織られ、キャペリン帽をおかぶりです。私はご主人様の右手、伴侶つまは左手を包み込んで、両側でご主人様をお守りする役目です。

『さあ、行こうか。粗相の無いようにな』

『はい、あなた』

 ご主人様はお屋敷の外にお出かけの際はステッキをお使いになります。私はご主人様がステッキの持ち手をつかまれるのをお助けいたします。


 ご散策に来られたのはお屋敷に隣接する公園です。水鳥が遊ぶ湖や四阿あずまや、庭園の間を緩やかに曲がった小路こみちが走り、あちこちには彫像が台座の上に聳えています。

 ご主人様は小路をゆっくりとお歩きです。小路は丁寧に突き固められていますが、多少の凸凹はございます。十分な注意が必要です。

 小路の両側は整えられた芝生で、路に沿って薔薇の植え込みがございます。冬になる前に短く刈り込まれ、数本の幹と古い葉だけの姿ですが、既にその先端にはごく小さな赤紫色の若葉が芽吹いています。こころなしか、吹き付ける風にも暖かいものが含まれているように感じられました。陽ざしが暖かくご主人様に注がれます。


『ずいぶん過ごしやすくなってきたね』

『ええ、あなた』

『この分だともうすぐ春がやってきそうだ』

『はい、空の色もずいぶん明るくなって』

『ご主人様のご外出にもいい天候になる』

『ええ。でも、そうなったら私たちのお役目は……』

 伴侶つまは途中で言葉を切り、私も問いただしませんでした。言いたいことはわかっていました。でもそれはお仕えする身が口にすべきものではありません。



 ご主人様は小路を折れ、四阿へ向かわれました。その先には湖が広がっています。

 ご主人様は四阿のベンチにお座りになりました。四阿は腰の高さから上は壁が無く、屋根と柱だけで四方が見渡せるようになっています。ご主人様は湖を眺め、くつろがれておられます。

 湖では多くの白鳥が水面を漂っておりました。家族なのでございましょうか、数羽ずつが群れを作り行動を共にしています。時折、水面を駆けては飛び上がり、すぐに着水するのは渡りの準備なのでしょう。


 ご主人様が立ち上がられました。ステッキを持たずに湖の方に歩いて行かれます。私と伴侶つまは何ごとかと心配しながらお供しました。ご主人様は十数歩歩いて立ち止まられ、芝生の上に膝をお付きになりました。その視線の先に一株のプリムローズがありました。春を告げる一番の花だったのでしょう。一輪だけがクリーム色の花を咲かしておりました。

 ご主人様は手を伸ばされ、私はご主人様とともに花を摘みました。花はご主人様のケープの一番上の、外したボタンホールにお運びいたします。ほのかな香りが私、そして伴侶つまにも届き、気持ちをふわりとさせました。


 その時、頭の上を何かがよぎりました。ご主人様は顔を上げ、空を見上げられます。そこにあったのは白鳥の渡りの群れでした。十羽ほどが斜めに群れを組んで北に向かって飛んで行きます。

 湖にいる仲間に気付いたのでしょうか。飛んでいる白鳥が、コォー、コォーと鳴きました。湖の白鳥は一斉に頭を上げ、渡りの群れを眺めます。羽を広げ羽ばたいている白鳥もいました。彼らが北に向かう日も近いことでしょう。


『この世に在るものは皆、時の流れの中で生きている。抗うことはできないんだよ』

『はい』

『そして過ぎた季節はまためぐって来る。その時はまた』

『あなたと一緒に』


 帰り道、ご主人様はステッキをお使いになりませんでした。私と伴侶つまは互いに言葉を交わすことなくしっかりとお供をいたしました。


 その夜、ご主人様は小間使いに命じられました。

「ねえソネット、だいぶ暖かくなってきたわ。皮手袋はもう片付けてちょうだい」

「かしこまりました、大奥様」

 小間使いは私と伴侶つまの埃をブラシでていねいにはらい、ミンクオイルを薄く塗りこみます。オイルが乾いてから私たちを薄紙に包み、マホガニーのチェストに収めました。

 チェストの抽斗ひきだしがゆっくりと閉められていきます。


『おやすみなさい、あなた』

『ああ、おやすみ』


 そして私たちは再びご主人様にお召しいただく秋が来るまで、しばしの眠りにつきました。


終わり


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