第二十四話 冷静

 悟が視線を左右に動かすと、宗岸雅文と安倍小次郎が攻撃を阻んでいた。周りを見渡すと、至る所に浅川組の男たちが息絶えている。

 悟は反射的に後ろへ下がる。二人が武蔵の前に立ち、武蔵もなんとか立ち上がる。三人は息を合わせて、合図が無くとも一斉に走り出す。


「ああもう! このワシをイラつかせおってからに! ただじゃ済まさん、お前ら皆殺しやぁ! まとめてあの世行きじゃあ! 『水流忍法 斬雨きりさめ』!」


 怒り狂った悟は雑に忍法を使う。悟を中心とした広範囲に鋭く尖り、斬れ味抜群の無数の雨が四人の頭上から降り注ぐ。

 雅文と小次郎は素早く躱し、武蔵も躱そうとしたとき、後ろで怯えて動けなくなっている小春が視界に入った。咄嗟に武蔵は方向を変え、片手に刀を二本、片腕で小春を抱き雨から逃げるが、右脚の脹脛ふくらはぎに一粒雨が刺さる。だが、武蔵のお陰で小春は無傷のまま助かった。

 武蔵は脚が痛むが、離れた場所で小春を下ろし、怪我が無いかと確認する。小春は自分の安全を知らせ、武蔵の心配をする。その時。


「後ろっ!」


 しゃがみこんでいる武蔵の背後から近寄ってくる悟に気づいた小春が危険を知らせる。しかし咄嗟の出来事に、脚の痛みが重なり、反応が遅れた。万事休すかと思われた時、小次郎が間に入る。すぐさま雅文も加勢する。三人ともなると、中々攻撃が通らないようで、悟の顔が次第に曇り始める。


「クソッ! なんやねん自分ら! 仲良しこよししとんちゃうぞ!」


 悟の怒りが更に上昇し、それに伴って攻撃の速さも増す。

 武蔵は脚に力が入らず、立つことが出来ない。小次郎と雅文が二人で戦う。二人は忍術にあまり慣れていないため、悟が使う水流忍法に翻弄されている。そのため、二人では悟を抑えることしか出来ない。自分が戦わなければ。立たなければ。武蔵は嫌な予感に焦りを感じていた。

 そしてその嫌な予感は叶うこととなる。


『水流忍法 波乗り刃なみのりやいば!』


 水流忍法水刃系統で上級者が使う技。その強力な一撃が悟から放たれる。

 そして水を纏った短刀は、真っ直ぐ小次郎の腹部を貫いた。すぐに短刀は鮮血に染まり、小次郎はその場に倒れる。


「小次郎ー!」

「小次郎さん!」


 武蔵と雅文は小次郎に叫ぶ。小春は口に手を当て、驚愕している。雅文は一人で悟に立ち向かう。

 そんな雅文に武蔵は叫ぶ。


「やめろ雅文! 逃げろ!」


 雅文はそんな声など無視して戦い続ける。自分を助けてくれた小次郎に酷いことをした悟のことが許せない。

 悟は口角を上げながら雅文の腹を蹴り、刀の柄で雅文の左頬を殴った。雅文は地面に転がり、気を失う。完全に悟の調子である。

 武蔵は沸々と怒りを立てる。喉が潰れることなど気にもしないほど叫びながら、脚の痛みを忘れて勢いよく悟に近づき、刀を振るう。激戦を繰り広げた後、武蔵と悟が刀を合わせた時だった。武蔵の刀が折れる。

 勢いよく振った力は下へ逃げ、武蔵は完全に無防備となる。そこへ下から悟の右脚が顔面に向かって飛んでくる。武蔵が飛ばされ、立ち上がろうとすると。


「武蔵殿……」

「小次郎……? 大丈夫か小次郎!」

「……感情的に、なってはならんぞ? ……刀がブレる。常に、冷静でいなければ──」

「無理に喋るな!」

「……武蔵殿。必ず、勝ってくれ……雅文と、小春ちゃんを、守って……くれ」


 小次郎はそっと瞼を閉じると、段々と脱力していった。武蔵は涙を堪えながら、立ち上がる。刀は一本折れているため、小次郎の傍に置いておく。一本の刀を構えると、決意に満ちた眼で悟を見る。


「悪いな小次郎。お前の言う通り冷静に立ち回るというのは難しい。だがな、俺は必ずこいつを仕留める。ここで俺がこいつを止める!」


 武蔵は刀を両手で強く握りしめると、再び刀を振る。

 弟子である二人を目の前で傷つけられ、冷静なまま戦うというのは断固として出来ない。それでも二人の弟子に情けないところは見せたくない。自分のことを何度も守ってくれ、自分が立てない時に戦ってくれた。

 二人とも別のところで出会ったのに、俺のいないところで二人も出逢っていた。流石は自分の弟子たちだ。こうして三人が集まったのに、そんな機会を滅茶苦茶にした浅川悟は許せない。ここで、俺が倒す。

 武蔵の強い意志が刀に宿る。武蔵が下から切り上げた刀は、悟の短刀を弾き飛ばし、悟は武器を失う。

 その瞬間悟は後ろに下がる。そして心の中で思う。

「こいつ、一体なんなんや。なんでまだそんな力が残っとるんや……。 ん? はは、よう見たら片脚引きずっとんがな。やっぱただの空元気かいな」

 悟は武蔵に話しかける。


「おーおー、そんな脚で大丈夫なんかぁ? お前はここまでその脚で一歩ずつ来て攻撃せにゃアカンかもせぇへんけど、こっちには忍術があるんや。こっからでもお前のことを簡単に殺せるんやで!」


 その時小春が異変に気づき、武蔵に呼びかける。


「武蔵さん! 右脚からの出血量が超過しています! 炎症を起こしているようですし、このままじゃ……脚が二度と──」

「問題ない。気にしているようでどうする。こいつらに比べれば軽傷だ。弟子と約束したんだ。必ず勝つと」


 武蔵は小春の心配を聞かず、進み続ける。悟は容赦なく、忍法の構えをする。


「アホなやっちゃなぁ。死んで後悔するとええ!」


『三嶋流・獣剣術 サイの「つの」』


 悟は自分の目を疑う。

 目の前には脚を負傷して、歩くことすら儘ならないはずの武蔵が物凄い速さで近づいてくるのと、その武蔵と共にこちらに向かってくる一頭の犀が見える。

「……なんでや。なんで来れてんねん! 足怪我しとるんちゃうん! てかあの犀何!? そういやさっきもとか言っとったよな! 『獣剣術』かなんか知らんけど、自分動物だせるん? 凄ない? それめっちゃ。てか怖っ!」

 悟は心の中で冷静になれないでいた。段々と武蔵は近づいてくる。咄嗟に悟は忍術を使う。


『水流忍法 水流操作すいりゅうそうさ!』


 水を上手く操り、なんとか手元に刀を戻す。そして間一髪で忍術を使う。


『水流忍法 波乗り刃なみのりやいば!』


 ギリギリのところで武蔵の攻撃を相殺する。そして武蔵は足を地面に着ける。

「大した攻撃やないやん。なーんや、ビビって損したわ。ははーん。こいつ、移動に優れた技を選んだらいっちゃん弱い技になってもうたって訳やな? やっぱりワシの勝ちやなぁ!」

 と思っていたのも束の間、武蔵は両腕を力いっぱいに振り、何度も何度も攻撃してくる。悟はただその攻撃を防ぎ続ける。

「なんや、なんなんや! 自分脚怪我してんのになんでそんなに攻めれるんや。どうにかしてコイツの攻撃を……」

 そこで悟はふと、昔清水裕和から聞いた話を思い出した。



「水流忍法はあらゆる攻めに特化している。だが、唯一防御技があるらしい。しかし、その技はものすごく繊細で難しく、我々のような忍者ではない素人にはほぼ不可能だと言われているらしい」

「ほぇ〜。せやけど、防御技やったら他にもあるやろ。そんなん『水固め』でええやん」

「甘いな。いつか知る時が来るだろう。そんなものじゃ無駄だという時が」



 悟はハッと気がつく。今こそが清水が言っていただと。

 一か八か試してみる。やり方なんて知らない。そもそもどんな技なのかも使うことがないと思っていたため、詳しく知らない。あの時の自分を恨んだ。

 悟は両手を開き、前方に向かって延ばした。が、何も出ない。

「おい! こうゆうのは大体して前出したらそれっぽいのが出るって相場が決まっとるやろ!」

 傍から見たら訳の分からない仕草をしている悟に武蔵は容赦なく斬り付ける。

 悟が死を覚悟した時、武蔵の刀が身体に触れると、後方に飛ばされはしたものの、傷自体は軽傷だった。

「はは、こいつもそろそろ燃料切れか。名残惜しいけど、ここでや」


『三嶋流・獣剣術 ゾウの「きば」!』


 途端、悟の目の前に巨大な象が現れると、悟に向かって象牙を下から突き上げる。

「なんやねん! さっきから新しいもんばっかり! ってまさか……まさかあの状況から負けるやなんて」

 空中を舞う悟に対して今度は象牙を振り下ろした。悟は叫ぶ。


「ありえへんやろー!」


 悟はそのまま地面に叩きつけられその場に泡を吹きながら意識を失った。


 武蔵は痛む右脚を引きずりながら、小次郎と雅文の元へ向かう。目を覚ました雅文が武蔵に気づき、すぐさま肩を貸す。

 二人は倒れている小次郎に歩み寄る。そこに小春も合流する。三人が悲しんでいると小次郎が声を出す。


「武蔵殿……。其方はいつまでも強くあり続けてくれ。雅文……。君は武蔵殿の背中を追えば、必ず強くなれるだろう。そして小春ちゃん。二人のことをよろしく頼んだ……」

「おい! なに死にそうなこと言ってんだ! まだ生きろ! 頑張れよ!」

「武蔵殿……。我は充分目的を果たせた。其方と出逢えて本当によかっ……た。三嶋流を広げるんだろ? 我はいつでも応援している……から、な」


 小次郎は武蔵の腕の中でそっと瞼を閉じた。

 その時、雅文は決意した。小次郎のためにもこの町を守り抜き、自分も三嶋流を受け継ごうと。しかし、それは武蔵によって拒否される。


「何故ですか! 僕だって武蔵さんの弟子ですし、武蔵さんから学んだことだってたくさん──」

「お前には、受け継ぐべき剣術があるだろ? 自分の家をまず考えるんだ」


 雅文は武蔵の正論を聞き、何も言い返すことが出来なかった。

 悲しいことは起きてしまった。しかし、三人と奥山城の兵士たちにより、奥山町の平和は保たれたのだった。


 その頃、拓けた平野にて大量の清水組の男たちと、その大軍に抗う三人の忍者が戦闘をしていた。

 ガタイが良く、元気で声が大きい雷流らいりゅう忍者の「壱沢作黒いちさわさくろ」。面倒見が良く、家事全般をこなせる花流はりゅう忍者の「琥円杏莉こつぶらあんり」。暇さえあれば忍者道具を手入れし、常に強くなるために努力している風流ふうりゅう忍者の「天多白士郎あまたはくしろう」。

 三人は無事に生き延び、清水組を止めることが出来るのだろうか。

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