深夜に2人でカップラを

@muuko

第1話

 カップラ食べたい。


 ぽろりとこぼれ落ちたような妻の言葉に黙ってひとつ頷いて、僕はもう一度キッチンへ向かう。




 妻と2人、リビングで過ごすのは半年ぶりだ。高速を半日かけて飛ばして夕方には我が家に着いたが、それからこなさなければならない上の息子のご飯・お風呂とそれに付随する家事に、はるかに体力を奪われた気がする。出したご飯は食べないどころかなぜか怒って泣き出すし、お風呂場にはそもそも行こうとしない。手を引いて連れて行こうとするとやっぱり泣いて怒る。僕はただおろおろするだけなのだが、妻は下の子に授乳しながら息子に声をかけ続けてくれた。

 2歳というのは、自分の意思やこだわりが強くなってくる年齢らしい。寝かしつけまで僕がするつもりでいたが、どうやっても父親である僕と寝室に行くのを頑なに拒否される。最初は息子の癇癪も微笑ましく、気が済むまでと付き合っていたが、泣き止む気配の無さに次第に苛立ちが強くなってくる。半年会わない間の息子の変わりように戸惑い、感情的になってはいけないと強く自分を律して何度も何度も説得を試みても暖簾に腕押し状態でついに心が折れてしまい、妻にバトンタッチせざるを得なかった。


 泣いて泣いて、それでもまだ少しぐずぐずとする子供たちがようやっと寝室に入ったとスマホを手にとれば、時刻は夜の10時を回っていた。妻が寝かしつている間にと洗い物を済ませたところで、手練れの忍者のように物音ひとつ立てずに寝室から出てきた妻と目が合い、互いに親指を立てた。

 ごめんと口だけ動かして妻に小さく頭を下げると、

「長時間のドライブで疲れたんだよ。だから眠くて機嫌が悪かっただけ」

 だから大丈夫だと言って微笑んでくれる。


 大人だけになったリビングはとても静かで、でも僕がたった1人で過ごしていた半年間よりも確かな温かさがあった。肌の触れ合いとかそういう直接的なものではなくて、じんわりと沁みてくる陽だまりのような温もりだと僕は思う。その心地よさにいつのまにかうとうととしていた時、妻が呟いたのが先ほどの「カップラ食べたい」だ。


 カップラとは、カップ麺の略である。妻は昔からカップ麺のことをカップラと言う。地域性なのかと聞いたことがあるがそうではなく、学生の頃友達とそうして呼んでいたのがいつのまにか当たり前になったらしい。今ではその呼び方も、僕の耳に相当馴染んでいる。


 戸棚から何種類か出して見せると、妻が選んだのは赤いきつねだった。やっぱりな、と思う。子供の頃からずっと食べてきた赤いきつねは、我が家にとってなくてはならないものなのだ。土曜日のお昼ごはんに。部活終わりに仲間と。おやつ代わりに。受験勉強の合間の夜食に。妻の里帰り中も僕は何度もお世話になった。そんなふうに数えきれないほど食べてきた赤いきつねを、今日は2人で。

 ビニール包装を静かに破いてぺりぺりと蓋を剥がす。粉末を入れて、お揚げにたっぷりとかかるようにお湯を注いで蓋をして、その上に割り箸をのせる。今日はもう洗い物はしたくない。お盆にのせてテーブルまで運ぶ。



「見て」

 妻の向かいに座るとすぐに、スマホをこちらに差し出してきた。そこにはたくさんの写真が表示されていた。スマホを受け取り、半年前の日付の写真をタップする。何枚か僕に送られてきたものもある、殆どが息子の写真だ。

 ご飯を食べたり、水遊びをしたり。妻とのツーショットだったり、自撮り風だったり。


「楽しかったんだね」

 妻はこくこくこくと頷いた。


 嬉々として思い出を語りだす妻の眼差しは母親らしい優しさと少女のような輝きがあった。僕は目を細めて妻の話に相槌を打つ。1番のお気に入りだというビニールハウスの中で顔中土まみれになっている息子の写真を見て笑いあっていたら5分なんてあっという間にすぎていた。


「あっ、もう5分たってたよ。さぁ食べよ食べ……」

 よ、と言い終わらないうちに妻が空を見つめてピタリと動かなくなる。耳を澄ませているのだと少し遅れて気づき、僕もそれに倣う。

「————泣いてる」

 呟くが早いか、妻は割り箸をテーブルに置いて素早い動きで寝室へと消えた。


 こういう時、一緒に寝室に入ってはいけない。妻の気が散るし、寝ぼけた子供はおかあさんでないと泣きつづけるしで寝かしつけに倍時間がかかる。1人目が産まれた時に、自分も育児に参加すると意気込んで何をするにも首を突っ込み、散々妻の怒りをかったのを覚えている。どうしたって『おかあさん』でないとダメなことがあって、うちの子はそれが寝かしつけなのだ。

 あけかけた蓋を再びとじて割り箸をのせ、自分のスマホの写真フォルダを開いた。

 里帰り前は一緒に遊び、せがまれて抱っこすればそれは喜んでくれた子が、半年間離れた今はすっかり他人のようで。仕方がないことだし一時的なものだとわかってはいるものの、それがなんとも歯がゆい。この写真のように、また屈託なく笑いかけてくれるのはいつになるだろうか。

 そんなことを考えているうちに、襖が閉じる小さな音がした。先ほどより緩慢な動きで戻ってきた妻の目にはさすがに疲労の色が滲んでいる。


「待っててくれたの?」

「そりゃあそうだよ」


 そろっていただきますをして、あらためて蓋をとる。麺は汁を吸い伸びているし、手のひらに伝わる温度は少しばかり温い。

 それでも、最初の一口で広がるのはお馴染みの優しい美味しさで。待ってましたとばかりに舌が喜んでいる感じがする。僕も妻も無言で箸を動かした。甘いお揚げが、真っ白いうどんが、出汁のきいた汁が。小腹と疲れた心を温めてくれる。


 半分ほど食べ進めて、ありがとう、と妻が言う。

「コロナ禍の中さ、里帰り出産を受け入れてくれる病院があって、受け入れてくれる実家があって。快く送り出してくれたあなたがいてさ。だから私はこうして無事に出産することができたし、蓮に私の育った場所を見せることができた」


 だから、ありがとうと妻は微笑む。


「コロナ禍の中、今まで以上に気をつかう妊婦生活を頑張ってくれて。つわりでしんどくても、お腹が大きくなってしんどい時も、1人で蓮の面倒見てくれて。面会も立ち会いもなしに1人で出産を頑張ってくれて、無事に帰ってきてくれて、ありがとう」


 僕も笑う。




 いつだってどんな時だって、その時にしか味わえない味がある。

 あと何年かしたら、子供たちと一緒に赤いきつねを食べたい。僕達がそうしてきたように、土曜日のお昼ごはんにしたり、おやつがわりにするだろう。

 もう何年かしたら、受験勉強のお供になるだろう。その頃はもう親とではなく、部活終わりに仲間と食べるものになっているかもしれない。

 もっともっと年を重ねたら、家を出た子供たちに送る仕送りの食料のひとつになるだろう。



 そしてこの家に2人だけになったら、きっと思い出すだろう。


 里帰りが終わって久しぶりに家族が揃った夜、育児に疲れて2人で食べた赤いきつねを。

 麺は伸びて、少しだけ温い、この味を。

 心に沁みる、この味を。

 妻と2人で。

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