第10話:止まり木を求めて
すみません、長くなりました
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下着とかどうしよう。
一時間かけて、洗面所周りの水を拭き、本を棚に戻したのはいいが、彼女達の散らばった衣類はどうしようもない。俺は部屋の隅で、それらを前に呆然と立ち尽くすしかできなかった。
片付けようにも、見ることさえ憚られる。こんなところを第三者に見られたら、多分警察とか呼ばれる。違うんです、俺は何もしてないんです、などという言い訳―――いや、本当のことだけど―――なんてきっと聞いてくれない。十中八九、任意同行を迫られるか、現行犯逮捕をされるだろう。冤罪である。
…………本を片付けるときは、どうにか焦点を合わせないようにして頑張ってみたけれど、下着は三月にやってもらおうそうしよう。そもそも、どれが誰のものかすらわからないし……ブラジャーだけはわかるかも―――いやいや、わからない、わからない。
「………西ヶ原さん」
そんなことを考えていると、寝室から三月が出てきた。よもやこんな時に下着のサイズのことを考えていたなんてバレたら、死ぬまで軽蔑の目を送られることは必至。
俺は努めて真剣な表情を浮かべて、三月に向き直った。
「け、怪我は大丈夫か?」
「二人とも、少し痣ができてるくらいです……なんかありましたか?」
「い、いや、なんでもない……ちなみに、三月は怪我とかしてない、よな?」
「私は大丈夫ですけど………」
「ならよし。じゃあ、四花を頼む」
俺が掃除している間、泣きつかれたのかいつの間にか眠ってしまっていた。今はソファの上で毛布に身を包んですぅすぅと寝息を立てている。
大の大人だとなかなか狭いソファだが、四花くらいの大きさなら、割とちょうどよさそうだった。
「西ヶ原さんは?」
三月は不安そうに尋ねてきた。
「ちょっと、暴れん坊共にお灸をすえてくる」
●●●
寝室に入ってすぐ、目に入ったのは一葉の後頭部だった。
手を前にして直角90度、しっかりと腰を曲げていた。
「ごめんなさい」
顔は見えないが、声音からして、なんとなく表情が強張っていることがわかった。なるほど、こうして真っ先に謝ってくるのは一葉らしいといえるだろう。
対して双海といえば、ベッドに腰かけて明後日の方向を向いている。時折こちらをちらちらとみているものの、俺と目が合うと―――というより、一葉が視界に入ると、「ふんっ」と顔をそらしていた。
「まずは二人とも、そこに座れ」
俺は一葉の横を抜けて、その後ろ、小さなラグが敷かれた床にどかりと腰を下ろし胡坐を組む。
一葉が振り返ってきたので、ちょいちょい、と床に座るようにジェスチャーを送ると、申し訳なさそうにしながらも正座をした。双海はといえば眉をひそめたものの、うしろめたさはあるようで、素直に俺の言葉に従っていた。
二人がそろったのを確認した俺は、覚悟を決めるように「ふー」と息を吐く。
「まず大前提として、俺はこの部屋の持ち主。そして、お前らは、借りた部屋をめちゃくちゃにした加害者。だから、俺にはお前らの問題に口を挟む権利がある。そこまではいいか?」
「「………」」
双海は不服そうに、一葉は無言で頷いた。それを確認して、俺は続ける。
「俺はお前たちのことなんて、何も知らん。何が好きで、何が嫌いか、何を考えているかなんて、さっぱりだ。だから、質問させてくれ」
俺は一拍おいて、
「お前ら、何がしたかったの?」
「………ごめんなさい」
一葉は視線を落として、謝った。腕に包帯が巻かれ、頬にはガーゼ張られている。スカートからはみ出る足には、大きな絆創膏が張られていた。
とても痛々しい姿に、俺は同情したくなる気持ちをぐっと抑えこむ。
「謝ってほしいんじゃねえよ。何がしたかったのか聞いてるんだよ」
「…………双海を、叱ろうとしました」
「どうして」
「言うことを聞いてくれなかったからです。大学に進学しないと我儘もいいました」
「って、お前のねーちゃんは言ってるけど、お前はどうなん?」
俺は双海に視線を向けて、返事を促す。
双海はしばらくそっぽを向いて黙り込んでいたが、俺たちが何も言わないでいると、観念したように「はあ」とため息を吐いた。
「私は悪くねーし」
「双海っ!」
「事実じゃん」
「私は、貴女達のことを想ってっ!」
「自己満足のオナニーなら一人でやれよ! 私たちを巻き込むな!」
二人はにらみ合い、まだ口論したりないかのように、声は段々と大きくなっていく。
「やめろ」
「………」
これ以上はまた殴り合いになりかねない。俺は睨みをきかせて黙らせると、一葉『は』おとなしくなった。
「………保護者面しないでくれる? あんたなんて遠い親戚ってだけの、ただのおっさんじゃん。確かに部屋をめちゃくちゃにしたことは、悪いと思ってる。でも、それとこれとは話は別だと思うんだけど?」
しかし双海といえば、矛を収めるどころか俺に向けてくる。
「そんなこと言っていいのか? 俺はどちらかというと、お前の味方だぞ?」
「はあ?」
素っ頓狂な声をあげる双海。どうやら自分が叱られると思っていたらしく、そのおかげで二人の関係性がはっきりとわかった。双海は常に、叱られる側だったのだろう。もしかしたら、二人のご両親が存命だった時からそうなのかもしれない。
「確かに手を出したことと、部屋を壊したことに関しては、双海も同罪だ。だけど、喧嘩の原因に関しては、俺はやっぱり双海の肩を持ちたい」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
一葉は身を乗り出して反論してくる。
「部屋を傷つけたことは謝りますが、そこは譲れません。双海が我儘を言わなければ、何の問題も起こらなかったことですっ」
「まあ聞け。これはあくまで俺個人の見解であって、もしかしたら、他の奴からすれば一葉が正しいと思うかもしれない。だから、俺の言うことが絶対正しいとかじゃない」
「そ、それでも、納得いきません!」
「それなら、いくつか質問するから、俺を納得させてみろよ」
「わかりました、いくらでも答えますっ!」
一葉はムキになったように、鼻を鳴らした。どうしても自分が正しいと思っているのだろう。――――あるいは、正しくなければ、気が済まないのか。
「質問1。お前が大学を辞めて働こうとするのは、双海と三月の進学のためであってるか?」
「その通りです」
「んじゃ、質問2。お前にとって、双海と三月は大切な妹。これもあってるよな?」
「はい。二人とも、大事な妹です。私が守るべき、妹です」
一葉は確かな信念をもった瞳を、俺へとぶつけてくる。
覚悟のこもった、ブレない瞳。俺は今まで、なあなあで生きてきたし、多分、一葉のように強い眼を持つことは、今後も二度とないだろう。
こんな狂信的な眼は持ちたいとも、思わないが。
「大事な妹、ね。守るべき、妹、か」
俺は一葉に確認するように、その言葉を反芻する。そして、
「なら、どうして双海を殴った?」
「っ………」
「眼をそらしたな、一葉……双海、ちなみに先に手を出したのはどっちだ?」
「………カズ姉だよ。相談しろよっていったら、あなたは私の言うとおりにしなさい、ってさ」
「だ、そうだが、本当か?」
「そ、それは、双海が言うことを聞かないから仕方なく……」
そう言いながら目を泳がせる一葉に、先ほどまでの強い意志は感じない。たった一言、それも昨日知り合ったばかりの俺に言われて簡単に崩れるほどの論理性で、彼女はその意思を突き通していた。
まるで硬くてすぐ砕けてしまうようなダイヤモンドのように、一葉は今、足元からガラガラと崩れている。彼女のことをたいして知りもしない俺から見ても、それは、はっきりとわかった。
「まだいくぞ? 質問4。大学を辞めて金を捻出するつもりなら、俺の部屋をめちゃくちゃにしてなお、どうして喧嘩をやめなかった? 弁償しなくちゃいけなくなるってわからなかったか?」
「っ………」
「質問5。家族だっていうなら、なんでそんな大切なことを隠していた? 俺に履歴書の書き方を聞いてきたあとに喧嘩になったんだから、双海達には今日初めて伝えた―――というか、バレたんだろ?」
「それは、だから…………」
「質問6。これで最後だ。これに答えられたら、俺は納得してやる―――双海が大切だっていうなら、どうして双海の話も聞かずに、先に手を出した?」
「………かたない―――」
「? 今なんか言ったか?」
「仕方ないでしょっ!!!!!!!」
一葉は『どんっ!』と手を思い切り床にたたきつけて立ち上がると、俺たちを見降ろした。その瞳は潤んでいるものの、しかしその奥底にあったのは、明確な怒りだった。
まるで、駄々をこねる子供が浮かべるような、そんな怒り。
「ずっと一人だった! お父さんとお母さんが死んじゃって、どうしていいかわからないのに、やらなきゃいけないことはいっぱいあるのに、四花も三月も、双海だって泣いてばかりで何もしてくれなかった! 私だって泣きたいよ! でも、そうさせてくれなかったのは貴女たちじゃない! お葬式だって親戚への連絡だってお金のことだって、全部私にまかせっきり! 長女だから、お姉ちゃんだから、仕方ないと思って頑張ったよ! 大学だって行きたかったのに行けなくなっちゃったし、友達とももう全然会えてない! 勉強したいことだってあった! 行きたいところだってあった! 私だって誰かに甘えたかったのに、私には誰もいなかった! 私が助けてほしい時に、助けてくれる人なんていなかった! ――――私は大人になるしかなかったの……っ」
一葉は膿を吐き出すように、最後は息までもすべて吐ききると、大きく息を吸いこんで、肩で息をし始める。
つう、と一葉の頬を流れる涙はぽたぽたとラグの上に落ち、灰色の染みを作っていった。
俺は唖然とする双海を横目に、ゆっくりと腰を上げると、一葉の正面に立って、
「わかる」
「っ……! 貴方になにが……っ」
「わかるよ。お前を見てると、嫌でも昔の俺を思い出す……千佳と俺が、両親に置いて行かれた時、俺は今のお前みたいだった」
俺が中高一貫校で、中学2年にあがったばかりの頃、クソ両親が海外出張に行ってしまった。
残された千佳と俺は寮にぶち込まれたが、何せ急な話だったから、千佳は最初、捨てられたと言って、落ち込んでいたものだった。
俺はそんな千佳を慰めるために、色々やった。友達付き合いもそっちのけに部屋にこっそり遊びに行ったり、勉強を教えてやったり……まあそれは俺が教えられる立場に立っていたような気もするが。――――そうやって千佳を寂しがらせないようにしていると、幸いにも、あいつは段々と立ち直っていったのだ。
対して俺はといえば、全校生徒から変態のレッテルを張られていた。
千佳は女子寮にいたものだから、そこに忍び込めばどうなるか、言わなくてもわかるだろう。退学とまではいかないが、2週間の停学を食らったのである。
学校に復帰しても俺の居場所などあるわけもなく、結局、高校卒業まで白い目を向けられる生活を余儀なくされた。
「たまに千佳が先生のヅラをめくったり、先輩の股間を蹴ったりしたもんで、なぜか俺も共犯だと思われて一緒に怒られたりもしてたんだが、今思うと、あれは独りになった俺を気遣ってのことだったのかもな」
兄弟そろって馬鹿な奴ら、というレッテルを張られるために、千佳はきっと、あえて変人になったのかもしれないと、双海と一葉を見ていると、そんな気がしてならない。
そう思いいたると、俺は年上としての威厳など忘れて、くすりと思い出し笑いを浮かべてしまった。
「………馬鹿みたい」
一葉は顔をうつ向かせ、震える声でけなしてくる。
「そうだよ、馬鹿だった。自分のことなんてそっちのけで、必死だったんだよ、俺も、そして多分、千佳も。――――自分で頑張ってるつもりでも、つい空回りしちまう。それが正しくて、誰かのためだとおもっていると、ついでに回りも見失う。大切なものが何なのかもわからなくなって、最後に残るのは独り善がりの我儘だった。俺たち兄妹は、少なくとも、そうだった」
一葉も俺も、男女という差はあれど境遇は似ている。両親を失い、守るべき妹がいる。たとえ自分が辛くても、苦しくても、すべてを投げ捨てて逃げるなんて、俺も一葉も、できなかったのだ。
その結果、守るべき相手が誰なのか、見失うことになったのだ。
「頑張ったな」
「っ!」
俺は一葉の頭に手を置いて、ゆっくりと撫でさする。
彼女の震えが、掌を通して俺に伝播してくる。小刻みに揺れる彼女の体は、こうしてみるととても小さい。双海や三月より身長が少し大きい―――多分150センチ半ばくらいだろう。違いとしてはそれくらいで、体が華奢なところは変わらない。
この体一つで、両親が亡くなってからこれまで、妹たちを守ってきた。そのことに、俺は一人の人間として、尊敬の念さえ覚える。
「立派に頑張ったと思う。うまく言えねえけど、まあ、そんな感じ」
こういう時、うまく言葉が出てこない自分自身に腹が立ちそうになる。けれども、その気持ちは伝わったのか、一葉は鼻を啜りだしていた。
「ぅ……ぐす……」
「カズ姉……」
一葉は目に見えるほど肩を震わせ、嗚咽を漏らす。双海はそんな彼女に寄り添って、肩を抱いた。
「うわあああああああ!!!」
栓が外れたように泣き出すと、一葉は姉という仮面をかなぐり捨てて、双海の胸へと飛び込んだ。彼女は今まで抱えてきたものを吐き捨てるかのように、恥も外聞もなく泣きわめく。それはまるで、肩の重荷を双海に分散するかのように。――――彼女にとっての止まり木を、求めるかのように。
「ごめん、ごめんね、カズ姉……私、そんな負担になってるなんて、知らなくて……っ。何かしてあげたいって思っても、カズ姉は何でも一人でできちゃうから、任せっきりで、甘えて……ごめん、本当にごめん……っ!」
双海は俺から奪い取るように一葉を抱き寄せると、頭に手を添えた。その目尻には涙が浮かんでいる。
二人の世界に、俺という異物はもはや邪魔でしかないだろう。俺は踵を返すと、静かに部屋から出て行った。
―――――――――――――――
シリアスは気分的にも表現的にも展開的にも苦手です。ならこんな話にするなって話ですが。
次回、後日談。
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