四冊目 池袋ウエストゲートパーク その七
♪
作戦はこう。まず花火の類は全て無視で構わない。ロウソクのある場所でしか打てない上、相手にも向けられないともなると、脅しの道具どころかそれ以下でしかないとのこと。聞いたときは理解できなかったけれど、後ですぐに理解できた。恐れるべきはツインテとミイラで、ミイラはあんなんだけど身体能力は抜群、ツインテは判断能力も身体能力も高いから要注意。まずはこの二人を抑えに掛かる。私はミイラを希望した。ツインテはおかっぱが相手。白タートルはお留守番で旗を死守。もちろんその時々の状況に合わせて動くこと。それと――
「ロケット花火ね。それを」
白タートルから語られたピンチに陥った場合の作戦をもう一度頭の中で繰り返した。
「こないね~。いつも三人で突撃してくるのに」
間延びした声でおかっぱ頭が言った。確かに坂上の向こうの家は花火が一発上がっただけで以降ずっと静かなままだ。その場に二三分待ってみる。
「行こっかー」
「うん」
来ないらしいと判断。二人でそろりそろりと歩を進め、石柱の影から顔を出してみようと足を踏み出した。すると。
「ひゃあっ」
パンと足元で何か弾ける音がした。何かを踏んだ。意識すると何か硬い物がいくつも靴の下にあるのが分かった。避けても避けてもその度パンパン鳴った。先ほど間近で聞いた音だ。
「ちょ。わ。ひゃあっ」
「落ち着いてーあいちゃん。ほら。脚で適当にのけちゃって」
「そんなこと言われても。見えなくって」
「もー。これずるっこじゃないのー? 人に向けてやっちゃいけないってー」
慌てて足踏みする私に代わっておかっぱが足でかんしゃく玉を払い除けてくれる。私はそもそも足元がよく見えないから慌てふためくだけ。うっすらとだが穴から見た感じ、土で覆って見えにくくしているみたいだった。やることがせこい。
「ハッハァ! 人に向けて打ったわけではない! あんたらがわたしたちの落としたかんしゃく玉を勝手に踏んづけただけだ! 行け! 第二射!」
「あいあいさぁ」
玄関の開く音が正面から、続けて右方向から声がした。ミイラとぽんちょだ。ミイラは玄関から現れたけど、声的にぽんちょはやや遠い。ぽんちょの声に遅れて、ここまで聞いたことのない炸裂音が連続で響く。
「きゃああああ!」
ロケット花火やかんしゃく玉なんかよりももっとずっと凄い音だった。やっぱりヤバい奴らだって思った。こんな子たちと遊んでて本当にいいのだろうか、とも。
「びっくりしたー」
「なに? なに? なに?」
「爆竹だねー」
思わずしゃがんでしまった。蹲った姿勢のまま右を見れば、庭先の一番はしっこにぽんちょが同じくしゃがんでいた。自分でやった癖に耳を塞いでいる。
ロウソクを石の上に立てており、その横に大量の箱とたくさんの棒があった。ロケット花火は分かる。あの箱が爆竹なのか。庭の中程で煙がもうもうと上がっている。火薬臭い。
しかし。そうだ。恐れることはないんだ。無視でいいんだった。音が大きいだけだとあの子も言っていたじゃないか。これはたぶん火を扱っているせいもあると思うが、どうやらぽんちょは花火から離れられないようだし、必然一人は無視してよくなる。
大きい音のせいで却って冷静になってしまった。緊張が解けたように。しかし時既に遅し。私の横でおかっぱはずっこけて尻もちを付いていた。そこに。
「舞今だ!」
「ん」
石柱の影に隠れていたツインテが飛び出した。動きが早い。横を向いてカボチャの位置調整をしている間にもうおかっぱは完全に組み伏せられていた。折り曲げた脚をおかっぱの太腿の上に抑えるように乗せ、両手を左手で抑え、右手は胸に乗せている。おかっぱは藻掻いているがびくともしない。ツインテの体が大きいのもあるだろうが、おかっぱが弱い。おかっぱが情けない声で言う。
「あいちゃんごめーん」
「よーし一人討ち取ったり! 俺も続くってああどこ行くっ!」
ミイラがざりっと脚を踏み出す音が聞こえると同時に私はもう走り出していた。ぶわんぶわんカボチャが揺れるが構わない。位置は事前に確認してある。前方から悲鳴が響いた。でかいカボチャが迫ってくればそりゃ驚くだろう。敵チームの中でも一際びびりだったようだし、はじめのときもミイラの後ろに隠れていた。
「こら! 起きろー!」
立ち止まる。ちょうどよく目の位置に合ったカボチャの穴から見てみれば、ポンチョは草陰に頭を隠して蹲っていた。頭隠してなんとやら。お尻丸出し。どうやらスカートは履いていたらしい。尻どころか、もこもこしたパンツが見えているため用をなしてないが。無視して傍らにむき出しのまま置かれてあるロケット花火を三本手に取り、ロウソクに近付けた。
どうやってやるんだろう、これ。あ、これが導火線か。ちょっと怖いけど、そこのパンツ丸出し女にも出来たんだから私にだってきっと出来るはず。
「ちょっとそれわたしんのっ!」
真後ろで怒ったような声が聞こえた。追い掛けてきた。服を引っ張られるが無視して導火線に火を近づける。しゅーと音がして火が付いたことを確認すると、服を引っ剥がして背中を振り向いた。びりっという音がしたが気にしないことにする。後でお母さんに怒られることになるのはそのとき頭になかった。
「や、やあっ。やだっ」
自分で用意した花火だろうにミイラはびびって尻もちをついた。いい気味だ。べつに人に向けるわけじゃない。私は三本のロケット花火をそのまま空中へと放り投げる。ひゅーとあらぬ方向――石塀の外へと吹っ飛んで行く花火。パンパンパンと連続して響く音。
言われた通りのことは果たした。敵のリーダーは腰が抜けている。私は再びダッシュして玄関へと向かう。もうツインテとおかっぱの姿はない。途中、ミイラの横を通り過ぎる際、足首を掴まれたが、思い切り振り抜いてやった。「きゃあっ」とかわいらしい声がしたが知ったこっちゃない。やなやつにはこっちだってやなことをするんだ。お前が悪い。
「きゃん!」
が、即自分も似たような悲鳴をあげてしまった。あいてててて。玄関と勢いそのままでぶつかってしまったらしい。縁枠を揺らし、けたたましい音を鳴らすガラスの玄関扉。カボチャの中で頭が揺れてごっつんこ。ふらふらな私。因果応報の意味を知らない私。やったことはすぐに自分に返ってくると、これからの長い人生で思い知ることになるのだが、このとき私はまだ幼い。
ぐっぐっと扉を動かそうと試みる。なるほど。このオンボロ屋敷、立て付けが悪いんだかなんだかでこれ以上扉が開かないらしい。困った。
カボチャがでか過ぎるせいで玄関通れない。
さてどうしよう。
「アホじゃん」
にやりと笑った口元が、玄関の先、石畳の一段上に見えた。もうおかっぱを牢屋に入れてきたらしい。
やば。じりじりと後ずさり。今更気づいたがパラパラと雨が降っている。これからもっと強くなりそうな予感のする雨。庭に視線をやればロウソクが消えていた。やっと復活したらしいぽんちょが、頭上を見上げたまま一瞬固まり、のそのそと花火を集め始める。濡れないように屋内に避難させるんだろう。もう遅い気がした。
「殺す」
一瞬周囲が光った後、雷鳴が響いた。雨と泥で薄汚れたミイラがのっそりと立ち上がろうとしていた。もうミイラというより、ゾンビみたい。
山上の穏やかな生活じゃあ絶対に耳に入れないような言葉に私は震え上がった。やっぱりヤバい奴だ。特にこいつ。こいつはおかしい。子供と言えども同じ子供じゃない。理解不能な存在。関わっちゃいけない奴ってのはいるんだ。
花火を集め終えればぽんちょも私を仕留めに掛かる。万事休すか。一緒にジャック・オー・ランタンを作ってくれたお母さんの顔が浮かんでふと泣きそうになった。その時。
「そこの窓開いてるから! わたし舞やるから! あんたなんだっけ? まあいいや、カボチャ! そっから入って! 早く!」
「うん!」
彼女が言い終える前に縁側に上がった。これがさっき言ってた勝手に開けて入った窓か。ここから侵入したと言っていたのを言われて思い出した。ルール上どこも鍵は掛かってないことも。
『ロケット花火ね。それを空に向かって三本打ち上げて。それがピンチの信号ね』
具体的に何をやるのかはそのとき理解ってなかったが、花火が上がったら普通に助けに来るつもりだったらしい。素直に助かった。
窓を思い切り開いて土足で家に上がる。さっきの話していた居間だ。旗はどこにあるんだろう。一階建てだからそんなに広くはないはずだ。どたどたと床が抜けそうな家を走り回る。
客間。ない。キッチン。ない。洗面所。ない。お風呂。ない。もう一個あった部屋。ない。も一度居間。やっぱりない。
あれえ?
視界に窓から庭が映った。まだ玄関先で白タートルとツインテが両手を突き合わせ取っ組み合っていた。早く。急がないと。早く。
「……あの子は?」
押入れもある度開けていた。ある部屋は全て探したはず。旗もなければおかっぱがいるであろう牢屋もない。旗はちゃんとした部屋じゃないとダメで、牢屋は押入れでもいいと言っていた。物置は見た限り無い。お勝手口みたいなのも無かった。
あと家にあるお部屋でまだ探してない場所ってどこだろう。自分の家を思い出す。うちは変な家だからあんまり参考にならないかな?
はてなと首を傾げてやっとその声が聞こえた。廊下の向こう。
「あいちゃーん、出してー。ここー、こわーい」
「そだ。おべんじょだって……げ」
襖を開き、居間から廊下へ脚を一歩踏み出した。その先。廊下の奥、たぶんトイレの手前。そこに汚ない泥だらけのミイラが座っていた。何故かあぐらをかいて。さっきから来ないと思ってたけど、なにやってんだろ、この子。座って待ってたのかな。
トイレはどうやら横開きの開き戸になっていたようで壁面と扉の色が渋茶で完全一致していたため目に入らなかったらしい。んー。でも、窓から外の光は差してたはずだから全く見えないってことはないんだけどな。なんであの時気付かなかったんだろ、私。ま、いいや。このへん正直よく覚えてないんだ。
「ふふふ。やっと来たか」
「なにしてるの」
「お前をまっちょー!?」
本で出てきた言葉。先手必勝。お母さんがスマホを見ながら言っていた。
先に仕掛けた者が勝つ。戦いを有利に進められる。相手は油断している。出鼻を挫かれるの意。出鼻ってなに? え、なんだろう? ごめん忘れて。余計な記憶まで出てきた。
「ふんぬう!」
「ぐぬぬ。もおおおおお! 最後まで言わせなさいよおおおおお!」
「ふんぬぬぬぬぬ!」
応えている余裕はない。さっき庭でやってた両手を突き合わせての取っ組み合いを真似してみたけどこれが大失敗だった。一回り大きいミイラとの力比べ。背中からそのまま倒れそうになる。膝を簡単に付いてしまう。覆いかぶさってくるミイラ。本当に怖かった。
「ハハハハハ! 弱い弱い! かかって来るなら如何とも? いかともいかんとも? あれえっとせりふなんだっけ……とにかく! 来い!」
「きゅううう~~~」
てかね。カボチャ邪魔。さっきから何言ってんだろうこの子。わけわかんない。頭おかしいんじゃないの。
頭重くて、ごつん、と床に頭からいってしまう。喉からは掠れるような吐息が漏れる。
そうしてガタガタガタガタ鳴るトイレの扉。
「あいちゃーん。あいちゃーん。あいちゃーん。出してー。出してー。出してー。こわーいー」
「う、るさいなっ」
こっちのが怖いんだぞ!
「安心しなさい。もうゲーム終わるから。ほら」
「え?」
ミイラが顎の先で何かを示した。
玄関の方向。見たくともカボチャが邪魔で見えない。けれど幾つかのギシギシと鳴る足音と一緒に、真上がぬっと暗くなった。誰かが立っている。カボチャの隙間からしょんぼりと項垂れた表情の白タートルが見えた。見えてしまった。隣には勝ち誇っているだろうツインテの顎が見える。NYと書いた帽子のつばが泥まみれになっていた。
白タートルが負けて捕まった。おかっぱも捕まってる。つまりチームで残るは私だけ。この先の牢屋に白タートルを入れてゲームはお終い。
そして、私のジャック・オー・ランタンは奪われる。
「ふん!!」
「あ」
「へ」
火事場の馬鹿力? じゃない。脚を伸ばしてトイレの開き戸につま先を引っ掛けただけだ。お母さんの言う言葉は正しかった。先に走って仕掛けたからこそ出来たこと。トイレに近い位置で取っ組み合って組み伏せられていたため、さっきから足の先がドアに当たっていたのだ。だから扉のガタガタが大きくなっておかっぱが怖がった。
ミイラとツインテが間の抜けた声を発した後、トイレの中からも間の抜けた声がした。
「もー暗いし扉ガタガタ言うし怖かったよー。舞ちゃんも酷いよー。こんなところに閉じ込めてさー。痛いよー。あー。ありがとーねーあいちゃーん。てか大丈夫ー? てかそこにいたんだねー。てかー。あー、これー旗取ったからわたしたちの勝ちでいいんだよねー? ねー? ねー? ねー? ねー? ねー? ねー?」
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