四冊目 池袋ウエストゲートパーク その八
♪
勝負を終えてから思ったことだが、敵を捕らえておくための牢屋と旗のある場所を同一にするという作戦は悪くはないんだろう。良くもないだけで。
誰か一人が捕まった瞬間に旗のある場所が割れて、おまけに牢屋から助けられた瞬間に相手チームの負けが確定するという、アイディアとしては良いが、実行するにはいまいちな作戦だっただけで。
「はい、これ。あなたのおかげで勝てたから。わたし、これマズくて嫌いだからあげるね」
「え。いらない」
「いいから。食え」
「……うん」
雨は上がっていた。にわか雨だったらしい。降ったり止んだり忙しないことだ。また降りそうだった。
勝負後、玄関先で細長い飴を白タートルから貰った。というより、ポケットから出したのを無理やり握らされた。小さな透明のビニールに入った黒い二本の棒は先端が円になっていた。三つに割れて中身はボロ。そりゃああんだけ暴れてばね。金太郎飴っぽかった。先っぽにぶっさいくな金太郎が描かれていた。
「なんで黒いの? これ」
「おばあちゃんにもらったの。黒糖だって。なんか苦くてむり」
「私も苦いのむり」
「いいから。食え」
「うー!」
こいつもこいつでやなやつだ。
でも、言い返す勇気はなかった。
縁側ではツインテとぽんちょとおかっぱが花火を手に遊んでいた。パンパンパンパンひゅーパンひゅーパンひゅーパンさっきからめちゃくちゃにうるさい。幾つかは濡れて駄目になったらしいが、無事だったものもあるみたいだ。爆竹は全部駄目になったらしいが。あんな物は駄目になって正解だ。
「ね。それ、被らせてくれない?」
ミイラが後ろから私の頭を指差して言ってきた。私は白タートルからミイラへと振り向いた後、ふるふると首を振った。
「やだ」
「いいじゃない。貸すだけだから。取ったりしないから」
「いじわるしたからやだ」
「いじわるなんてしてないでしょー! ねー! 貸してー!」
「やーだー!」
「いいでしょー!」
「やああああああああああああああああああああああああああ!!」
私は意固地になっていた。具体的に何を意地悪されたって言われても思いつかないが、兎に角、第一印象からそれに続く全てがこのミイラは最悪だった。だからやだった。
子供特有の奇声を上げて、ゲームでもないのに、また取っ組み合いを始めた私たち二人を何事かと見やる周囲の四人。ぽんちょがおろおろと「やめなよぉ」とか言ってるが全無視。
「このっ」
「ああっ!」
組み合う手を外し、ミイラが私のカボチャに手を掛けた。すっぽりと頭を抜けるカボチャはそのまま勢い上へと放り投げられて、弧を描き、玄関の傍らにあった、先が矢印みたいに尖った柵へと突き刺さった。
ざくっと。
お母さんの作ってくれた左目の脇から。
ミイラが何も言わずに私から離れて後ずさり、私もミイラから離れ、ゆっくりと、とぼとぼと、柵へと近づいて行く。
カボチャに手を掛ける際、右手を柊のギザギザした葉っぱが擦って痛かった。でも、気にもならない。
「……!」
カボチャは両目の間を大きくくり抜かれていた。目と目が繋がっていた。
勢いのせいでそのまま後頭部の方までいっていたみたいで、私がカボチャを持ち直してようく見ようとした瞬間に、手の中で真っ二つに割れて地面に崩れ落ちた。
中身をくり抜いているんだ。脆くもなる。
「ご、ごめんなさ」
「帰るっ!!」
きっと、ロケット花火やかんしゃく玉なんかよりもよっぽど大きな声だったろう。爆竹には流石に負けるかもしれないけど。
でも、きっと、私は、あのとき人生で一番の大声を発したと思う。
空気が固まったのを感じた。ぴしりと。誰もが誰も言葉を発しない中、私は自分の顔を見られまいと両腕で覆って道へと飛び出し、石柱の脇に停めていた補助輪付きの自転車に手を掛けると、自転車に乗らず押してそのまま走り去った。
雨が降り出した。
強く、強く。ざんざん振りの雨が振る。
「あいちゃーん! あいちゃーん!」
誰かが追い掛けて来る気配を感じた。声で分かる。おかっぱだ。自転車を押す私のすぐ後ろにおかっぱが駆け寄って来ているのが分かった。
顔に掛けていたそれを取ったことで視界はよくなるどころか、より見えなくなった。雨と涙のせいもある。けど、このぐちゃぐちゃな顔を誰にも見られたくなかったし、なにより私自身なにも目に入れたくなかった。が、
「あいちゃん」
肩を掴まれて、思わず振り返ってしまった。
滲んで歪み、ぼんやりした視界にはたぶんだけど、おかっぱが立っていた。私は強引に掴まれた手を離し自転車に跨った。そしてそのまま元来た道を勢いよく引き返して行った。
ショパンの別れの曲が響き始めた。寂し気な、別れを思わせるピアノの響き。後年、公民館で地域の小学生たちが持ち回りでやっているらしいと知る地域放送。まだ変声期を迎えていない男の子の声が曲に乗せて響く。
「五時になりました。早くお家に帰りましょう。交通事故に注意しましょう。五時になりました。早くお家に帰りましょう。交通事故に注意しましょう――」
もう、誰も追い掛けて来る気配は無かった。
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