二冊目 小説 君の名は。 その二
「どこって」
「ねえ」
姉妹が顔を見合わせた。
「ああいうタイムリープ物でヒロインが一切出て来ないのは……」
「自分の運命変えるために過去に戻るのはわかるけど……」
「ああいうタイムリープ物でヒロインが一切出て来ないのは……」
「片手落ちというかなんていうか……」
「ああいうタイムリープ物でヒロインが一切出て来ないのは……」
「トンカツサンドだと思って買ったらハムカツサンドだったみたいな……」
「それはよくわからないけれど……」
「えー!? なんでー!?」
姉が梯子を外して妹が唇を尖らせる。
ごめん。私もよくわかんなかった。サンドイッチみたいな軽食って重たいトンカツよりも軽いハムカツの方が合うと思うんだけど。それともラーメン屋に入ったと思ったら実はつけ麺屋だったみたいなことを言ってるのかな? 思ってたのと違った、みたいな。けどそこそこ美味しいからそんな文句も付けられないっていう。
うむ。しかしなるほど耳が痛い。ヒロイン不在ね。
タイムリープ物とボーイミーツガールって相性良いからね。けどべつにないわけじゃないと思うのよ。タイムリープだからって無理してラブストーリーにしなくてもよくない? ほら、それこそ、私が最近読んだ方丈貴恵(ほうじょうきえ)の時空旅行者の砂時計だってこれといって甘い恋愛など描かれていなかったし、ヒロインだって――
……んあ? あれ? いたか? タイムリープした、そもそもの原因が嫁の運命変えるためだった。
「だからさ」
直前の流れなど何でも無かったかのように、ミキが笑顔に直ってぐりんとこちらを見た。その笑顔に考えていたことが見透かされたようで、少しギクッとなる。
「次、ラブストーリーいきなよ。亜以」
「ラブストーリー? 私が?」
「それはいいわ。リベンジね」
「リベンジって。そんな人の作品を失敗みたいに」
「リベンジ&リメイクね。女子高生バトルロワイヤルが書き終わったら次はそれね。そういえば、どうなっているの? もう四日は経つけれど」
「書いてるよ。後、四分の一くらいかな」
そうだ。そっちだってまだ書き途中なのに、もう次の作品まで考えにゃならんのか。おまけにリメイクって。書き直すってことでしょ? やる気出ないよ。
「やれば出来るじゃない」
「そっちはいいよ。ていうかさ。わざわざリメイクする必要ある? タイムリープでラブストーリー盛り込んでって。今の時期だとそれじゃあまるで――」
「君の名は!」
「言っちゃった」
ずびしぃっ! と擬音が聞こえてきそうなくらい思いっきり妹に指差された。手に持ったセロリでそうされてるものだから、眉間に触れそうなギリギリにセロリがあって若干不快。
セロリを払い除けて言う。
「被ってんじゃん」
「大事よ。流行りに乗っかる精神」
「そうだよ。流行には乗っかっていこう」
「分かるけど……」
君の名は。
近年公開され、大ヒットを飛ばした新海誠監督のアニメ映画。国内外問わず評価は高く、国内での映画興行収入は五本の指に入るほど。
タイムリープ物の傑作であり、ボーイミーツガール物の傑作。デートムービーなんかには最適だろうアニメ映画である。尚、新海誠監督自身が書いた小説も存在する。
思い出す。カップルに囲まれて一人映画を見に行った私。初めこそ、隣前後に座るカップルたちに肩身の狭い思いをしたものの、映画が始まってしまえば夢中になっており、見終わるや否や、その足でそのまま書店に立ち寄り小説版まで買って一日で読んでしまった。映画と合わせて読むといい感じに映画の内容を思い返せたり、補完できたりする小説である。ほうっとため息をつくような、余韻に浸れることうけあいの。
ぶっちゃけ、タイムリープものを書いた理由の八割が君の名は。の影響だったり。そこにミステリ要素をちょい足ししたのが、私の『時空の旅路の果てに』だ。
すでに乗っかっているのである。ラブ盛り込まなかっただけで。
「うーん……」
「割と簡単だと思うわよ?」
悩む私にミキミキが言う。
「簡単?」
「主人公の苦難を、ヒロインの苦難に置き換えるの。それを防ぐ為にタイムリープするという風に修正するだけで」
んあ。確かに。まあ元々のストーリーは出来ているからね。ヒロインと主人公のエピソードを追加して。七面倒だけど、個々のイベントに出てくるキャラクターを変えればいけなくもない。
ただねえ、私が悩んでるのはそこじゃなくて――。
「人が人を好きになる感情が理解らない……」
「サイコパスみたいなことを言うのね」
「というよりね? 感覚を言葉で説明出来る気がしないっていうか……愛とか恋とかの恋愛感情を……まして性別違うともなると」
自慢でもなんでもないけど私、好きな男の子って出来たことないんだよね。同年代の男子ってみんな阿呆にしか見えなくない? 画面の向こう側のキャラクターや俳優は格好良いと思ったりもするんだけどね。そんな私の理想は瀧くん。件の君の名は。の主人公である。
「理屈っぽいもんねー、亜以の小説。いちいちうざーとか思いながら読んでたー」
妹がけらけら笑いながら言った。悪気はないんだろう。自覚してますはい。
「そんなもの、想像で補いなさいよ」
姉からも呆れるように言われる。
「主人公女の子にすればいいじゃん」
簡単に言ってくれるよ。キャラ追加してラブストーリーにするのだって大変なのに、主人公の性別まで変えるなら流石に新作書くよ。
でもね、ミキ。主人公を女の子――それこそ、分かってないと思うんだ。
「タイムリープ物の主役は絶対男の子じゃない? ヒロインのピンチを何度もタイムリープして救い出す主人公とか絶対格好いいじゃん」
その辺にいる男子には出来ない芸当。私、憧れちゃうね。タイムリープなんて誰も出来ないだろってんじゃなくてさ。危険をかえりみず、命を掛けて何度もやって来られた日には、私でなくとも惚れちゃうよ。
「あ。たしかに! わたし馬鹿言ったかも!」
「ね? いや、分かるんだよ? タイムリープものにだって女主人公がいるってことは。北村薫先生のスキップにしたって、高畑京一郎先生のタイム・リープあしたはきのうにしたって、それと忘れちゃいけない筒井康隆先生の時をかける少女にしたってさ。……でも、時を超えてまで藻掻く男の子ってなんだかとっても――」
「ぐらっと来ちゃう!」
「でしょう!?」
思わずこちらがぐっと身を乗り出したところでミキから待ったを掛けられた。
「え。なに」
出鼻くじかれた気分。
「個人的にタイムリープものの括りにスキップを入れるの抵抗ありまくり」
「タイムリープじゃなくてタイムスリップだってこと? あ、でもそれだって解説で否定されてた、かな? いやでもそんな定義論今どうでも――」
「わたし的には実験小説と同じ括りなんだよね。もしも、こんなことが起きたらどうしようって考えを進めていった先にある小説っていうかね。わたし的にスキップって、バトルロワイヤルや少女帝国、1984とおんなじ括り」
あれをその小説群の中に括ってるのあなたくらいだと思うよ。
まあ、自分で言っといてなんだけど、正確にはどっちも違うのかもしんない。
「……まあ、いいや。話を戻すとさ。じゃあ、助けられる方の女の子の視点にしたってねって話よ。つまんなくはないかもしれないけどさ。これじゃないって感じしない?」
私の言葉に黙って聞いていたミキミキが口を挟んだ。
「それでいいじゃない。例えばね? 幼馴染だとか自分に近しい人が死にそう。だからそれを回避する為にタイムリープして助けます。これだけでだいぶラブストーリーっぽくなるじゃない」
……なるほど。近い人が死にそう。助ける理由には充分だ。そこに恋愛感情など持ち出さなくとも、がっつり描かなくとも。それっぽくは見える。
自分に待ち受ける悲劇の運命を変えるために動くより、他人のために動ける主人公の方がたしかに格好よくはあるかもしれない。瀧くんみたいに。瀧くんみたいに。そう、まるで瀧くんみたいに。
「それに」
「それに?」
「主人公が、ヒロインをどう想っているのか――愛だの恋だの好意だの――には一切言及せずに、ただただヒロインのピンチだから、苦難が待っているから、という理由だけでいちいち理屈付けて命掛けで何度もタイムリープを実行して助ける主人公ってのも、新手のツンデレみたいで楽しめるわ。男の子の恋愛感情が理解らないっていうならそれもまたいいと思う」
千葉と伊豆大島で勢力拡大しているというシカ科のあだ名を冠する主人公がパッと頭に浮かんだ。あれはまた違うのかな。好きだけど、彼も大概だよねえ。
「ま、」
「ま?」
「ま?」
それまでの流れを打ち切るつもりで言う。
「書かないけどね。リメイクなんて。面倒臭い」
目の前から盛大なため息が聞こえた。見れば姉妹二人は肩を落として野菜スティックを啄んでいる。色違いの二匹並んだ兎みたい。妹の物は姉の物ってやつかな。姉妹共有。
「無駄じゃん。なんだったの? 今までの話」
「亜以の書いたラブストーリーがどんなものになるのか。読みたかったわ。いつか読ませてね。そのときはタイムリープでもリメイクでなくてもいいわ」
嬉しいことを言ってくれる。その言葉を聞けただけでも今日の議論は私にとっては多少実入りのあるものだったかもしれない。まあ、こんな昼休みの益体もない話に議論も実入りも元は無いのだけれど。
ラブストーリーなんて今のところ書く予定はないが、いつの日か書いてみてもいいかな。そう思わなく、なくもない。
「ん」
ふと思いついた。時計を見てみれば、そろそろ昼休みも終わり時。長く話し込み過ぎてしまったようだ。締めとなる言葉が必要だろう。
「同じことを変化を付けてもう一度しろ、なんてごめんかな、私は。タイムリープじゃないけどさ……これまでやってきたことを無かったことにするなんて……出来ないよ。
過去も未来もない。リープもループもない。私たちは、常に今を生きているんだから」
肩を竦める。我ながら良い言葉を思いついてしまった。いつか小説で使おうかな。今を現代(いま)と代えてルビ振ってみてもいいね。
頬杖を付いて晴れた窓の外を眺め、ちょっとアンニュイな感じで格好付けてみる。ふふ。ふふふふ。ふふ。
「え。突然何言い出したの? この人? なんでちょっとほくそ笑んでるの?」
「気色悪いわ。絶対後で思い返して後悔するやつよ気色悪いわ」
「動画撮っておけばよかったね」
「大丈夫よ、マイリルシスター。台詞は一言一句覚えたわ」
「流石わたしのお姉ちゃん。ちなみお姉ちゃんに出来ることはわたしにだって出来るよ」
「せーのっ」
「せーのっ」
「同じことを変化を付けてもう一度しろ、なんてごめんかな、私は。タイムリープじゃないけどさ……これまでやってきたことを無かったことにするなんて……出来ないよ。
過去も未来もない。リープもループもない。私たちは、常に今を生きているんだから」
「同じことを変化を付けてもう一度しろ、なんてごめんかな、私は。タイムリープじゃないけどさ……これまでやってきたことを無かったことにするなんて……出来ないよ。
過去も未来もない。リープもループもない。私たちは、常に今を生きているんだから」
「……」
あまりの羞恥に顔が真っ赤に染まっていく。
前言撤回。
ほんの五分――いいや一分でいい。過去に戻って今の発言を取り消したいと願う自分がそこにいた。
熱くなった顔を冷ますために、傍らに置いてあったペットボトルのお茶をぐっと飲み干す。当然、君の名は。みたいに時は戻らない。
昼休み終了五分前の予鈴が校内に響き渡る。
この様子だと、私の恥ずかしい台詞は、ことあるごとに姉妹の口によって強制ループを繰り返すことになるだろう。恥ずかしい。本当に勘弁して欲しい。
何故、どうして時間は戻ってくれないのか。
「……自分の悲劇を変えたいんじゃダメなのかな。やっぱり、相手がいないと……」
つぶやく。すかさず姉妹が、
「……自分の悲劇を変えたいんじゃダメなのかな。やっぱり、相手がいないと……」
「……自分の悲劇を変えたいんじゃダメなのかな。やっぱり、相手がいないと……」
私の表情、動作全てを真似してつぶやいた。
「もおおお!!」
あまりの恥ずかしさに机に両手を突き立ち上がった。
クラス内の空気が一瞬ピタっと固まったかと思うと、以降、また先ほどまでと同じように、そこかしこで私の啖呵をネタにした会話が繰り広げられていく。
ああ、そんな……。
リープはなくともループはあった。
しかし、これまでやってきたことを無かったことにはできないらしい。残念なことに。
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