二冊目 小説 君の名は。 その一

「亜以の書いた小説ってどうして色恋沙汰いっこも出てこないの?」


 ぴくっ。

 いつもの昼食。いつもの座席。

 我々乙女三人教室前方右端机三個連結也候ふ。弁当忘れた私は、ヤマザキさん印のナイススティック片手に口半開きで固まってしまった。

 向かって左側に座る無神経が服を着て歩いているような女、ミキ。その女から発せられた、ツッコんではならない一言に思考が停止している私に代わって、同じく無神経が服を着て歩いているような女、ミキミキが答えた。

「ヴァージンなのよ。察しなさい、ミキ」

「ヴァージン?」

「物を知らないのね、ミキ。ヴァージン即ち処女の意。まだまだ亜以はおぼこちゃんなのよ」

「おぼこちゃん?」

「物を知らないのね、ミキ。おぼこちゃん即ち処女の意。まだまだ亜以は破瓜の痛みを経験していないのよ」

「破瓜?」

「物を知らないのね、ミキ。破瓜即ち――」

「うるっさいなあっ! さっきから! 人のこと処女処女処女!」

 机に両手を突き立ち上がった。クラス内の空気が一瞬ピタっと固まったかと思うと、そこかしこで私の啖呵をネタにした会話が繰り広げられていく。ああ……。

 男子A「こういうの気まずいよなあ」男子B「だなあ」気まずいって思ってるんだったら話題にしないで欲しい。女子A「双子ー。亜以ちゃんイジメんなよー」今更だ。あとあんまり大声上げないで。もうこのへんで終わりにして。男子C「逆にさ。このクラスで経験者って誰だと思う?」男子D「えー。まずあいつらは確定だろ」女子B「んだとてめえら」女子C「誰と誰が非処女だって?」

 よかった。とりあえずクラスメイトの矛先が私から他へ向かったことに安堵する。

 すると――。

「しょ、しょ、しょじょじ♪ しょじょじの庭は~♪」

 姉の方が箸をマイクに見立てて歌い始める。最近見慣れた光景だ。何かある度に、いちいち歌わないで欲しいけど、この子、満足するまで基本止めない。

 そしてそれ、しょじょじなくて、証城寺(しょうじょうじ)でしょうに。今の会話とまるで関係がない。

「あーっ! それならわたしも知ってる!」

 妹まで乗っかりだす始末。

「つ、つ、月夜だ♪ 皆出てこいこいこい♪」

「つ、つ、月夜だ♪ 皆出てこいこいこい♪」

 うるさい姉妹だなぁ……。

「はあ……」

 なんだかこれだけのやり取りなのに、どっと疲れてしまった。すとんと腰を下ろす。姉妹はまだ続きを歌っている。

 ていうか、機関銃の方はああもうろ覚えなのに、証城寺の狸囃子はフルで歌えるんだね珍しい……その歌、そっから先あったんだ。

「あんたらだって処女でしょ」

 歌い終わった姉妹にとりあえず言ってやった。心なし声を上げ。巻き込み精神だ。私だけなんて許さないからという意を込めて。しかし、姉妹の反応は私が期待していたのとは違った。

「ふっ」

「って、言ってるよ? お姉ちゃん? どうする?」

「言わせておきなさい」

 へ? 嘘でしょ? だって今までこの姉妹と付き合っていて男の話なんて一度も出たことないのに……それに、いつも二人一緒にくっついてるから、男が寄り付く隙すら見せない姉妹って認識だし。そしてその認識は男子も一緒のはずだよね? あ。中学時代? そうなの? けっこう遊んでたってこと? えー? イメージと違ってなんだかショック……目の前で二人してくすくす笑い合っているのを見てると、どうにもからかわれているだけのような気もしてきたけれど。一体どっちなんだろう?

「わたしたちのうち」

「どちらかが経験あり」

「さて」

「どちらでしょう?」

 ……どうでもよくなってきた。やっぱり私をからかって遊びたいだけなんじゃないの。

 流し目送ってくる美人姉妹二人から瞳を逸してわたしは再び自分のパンへと向きなおった。姉妹二人がつまらなそうにため息を同時につき、自分たちの食事へと戻る。

 ミキは今日もコンビニで買ったと思われるカツ丼だった。やっぱり食べ終わっている。この姉妹は目を離した一瞬の隙に早食い出来る特技でも持っているのだろうか。

「……」

 同じメニューずっと選んじゃう人っているよねー。今週ずっと見てる気するんだけど。コンビニのカツ丼なんてめちゃくちゃ美味いってわけでもないのにさ。傍らに野菜スティックがあるのは姉からの忠告かな。きゅうりをぼりぼりとやっている。いつも棒状のもん口に加えてるな、この娘っ子は。

 視線を右に向ける。

 ミキミキはいつものお手製弁当だ。どうせなら妹の分も作ってやればいいのに。中身は白米とお刺、身……。弁当に刺し身……この前のそぼろといい……、ひょっとしなくとも妹の方が作ってもらうのを嫌がっているのかもしれなかった。

「安心して。漬(づ)けよ」

 私の視線を感じ取ったのか、マグロを一切れぺろんと持ち上げてみせた。汁が滴る。

 だとしてもだよ。四月半ばのこの気温に常温でってどうなん? 漬け丼にすれば多少は持つかもしんないけどさ。

 メシマズ、

 という言葉が頭に浮かんで消えた。

 メシマズというより要領悪いのかな?

「欲しいの?」

「欲しいような顔してた? 私」

「あーげーなーい」

 ミキミキはお行儀悪く持ち上げた刺し身を私の前で回遊させた。マグロの方も刺し身になってまで回遊するとは思っていなかったろうな。いらんわいらん。

「ラブの一つも書けないなんて作家として終わってるわ」

「ぐう」

 ぐうの音しか出てこんかった。

「ミキミキ、私の小説読んだの?」

 少し流れを変えるつもりで言った。すぐに戻って来そうだけど。

「読んだよ。昨日。たしか『時空の旅路の果てに』ってタイトルだったよね。これで亜以の書いたのは全部読んだことになるね。書いたのは最近だっけ?」

 ミキは人参にたっぷりのマヨネーズを付けて言った。

「いんや。割と前かな。……で、どうだった?」

 時空の旅路の果てに。

 タイムリープ物だ。最近流行している特殊設定ミステリ、と、とある映画に影響されて書いた小説である。

 姉の方にはもう既に三作全部読んでもらっていた。わざわざ印刷した原稿も渡してある。それを妹にも見せたのだろう。私も見せないでと言った覚えは無いし、姉に見せるということは即ちこの姉妹の場合、妹にも何れ伝わるということだ。むしろ例え友人とはいえ、素人の小説を三作も読んでくれたのだから感謝するべきであろう。

 とは言っても。

 不安は大きい。

「お姉ちゃんはなんて言ったの?」

 ミキはいきなりの感想は避け何故か姉に振った。感情のまま喋るこの子にしては珍しいことだ。不安は大きくなる。

「まあ、そうね……面白かったわ。タイムリープだもの。外さなければ、つまらなくなりようがないもの。けど……」

 その感想は聞いていた。面白かったと。どこそこが良かったと。悪いのはあそこの描写がどうでこうで、というもの合わせて聞いていた。

 聞いたとき、私は素直に嬉しいと思ったものだ。批判も合わせて嬉しかった。細かく言ってくれることが。それだけ真剣に読んでくれた証拠だと思ったから。

 しかし、目の前のミキミキはどうにも歯切れが悪い。この前の態度と違っている。一体どうしたのだろう。話していなかったことでもあるのだろうか。あるなら隠さず全てを言ってほしい。

「違和感」

「やっぱあるよねー」

 姉の言葉に妹が同意する。上を見上げて「ぢゅー」と紙パックミルクティーを飲んでいる。

「違和感って? どこ? あるなら言ってよ」

「どこって」

「ねえ」

 姉妹が顔を見合わせた。

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