第3話 人魚の遺体は海の底
セミの声がうるさい。よく響いている。ジリジリと肌を焼く日差しが痛い。
白いワンピースの裾がぬるい風でふわりと揺れる。影が2つ。
隣を見上げると、汗一つかいていない彼がいる。涼しい顔をしたままゆっくりとした足取りで進んでいる。彼と、変な約束をしたのが2日程前だ。
簡単な自己紹介と連絡先の交換をなぜか流れるように済ませた。
「俺は緑」
「私は、音無 揺音」
「よろしくね。揺音チャン」
その後多少の雑談を交わして帰ったのだった。夕暮れよりも早い時間に彼は笑って、また。とそれだけ告げてたのだった。
そして、今日。
ディスプレイに通知が見える。3文字だけの簡単な言葉。
「会える?」
5分程悩んで、こちらも簡単に返事を済ませた。
「会える」
今朝のことを思い出していると
「暑そう」
不意に、彼の声が聞こえた。
ツゥっと彼の日焼けを知らない白く美しい指が首をなぞった。
おそらく、汗が滑るのをなんとなしに指で拭ったのだろう。
私は、ひやりとした指に驚いた。
「ッ…!?」
「んぁ、ごめん。こういうのセクハラなんだっけ」
「……別に、いい」
「そ?じゃぁ、いこいこ」
指の冷たさ、まるで無機物のようで、それでいて、微かに感じるぬくもりに違和感を覚えた。
まるで、人ではないような静かな冷たさと、微かな熱。……いや、私の体温が彼よりずっと高かったのだろう。首を横に振って馬鹿な考えを一緒に振り払った。
「どこに行くの?」
「……人魚の遺体を見に」
太陽を背に彼はきっと、笑っていた。
逆光で上手く見えなかった。目を細めながら私の喉を滑った言葉はたった一言。
「……はぁ?」
───…あれから、しばらく歩いた。目的の場所はそう遠くはないようだ。
夏休みで人も多かったが、それでもショッピングモールやプールに比べれば少ないだろう。
目的の場所に付く前にコンビニへと一度寄った。暑かったのでサイダーを。
彼は水を買った。
サイダーの蓋を開けるとプシュッと炭酸の音がした。耳に心地よいシュワシュワが響いて、口をつけて、ゴクゴクと飲む。冷たい炭酸と涼やかな甘さが体温を少し下げていってくれたようだ。
「ッハァ…美味しい」
「美味しそうに飲むなぁ…」
「暑かったんだもん」
「ハハ、しばらくは猛暑が続くだろうな」
なんて、他愛のない雑談が続いた。
ちなみに、じゃんけんで負けたほうが奢るという謎のルールが発生した。
私が勝ったので奢ってもらったけど、人から奢ってもらうだけで2倍美味しい気がする。
ゆっくりと、進んで行った。
波の音が聞こえる。目的の場所は海のようだが…実際に海に行くわけではないようだ。
長い、長い階段が見えた。見上げるように目的の場所に視線をやる。
陽炎が揺らめき、階段がゆるゆると振るえているように思えた。あぁ、コレを登るのか。
「気合い入れな?学生だし体力はあるだろう?」
「アンタも年あんまり変わらないでしょ……」
揶揄うような、面白がるような声と緑の瞳と目が合った。愉快そうに笑うヤツだ。
ココでグダグダしているだけでは、ただただ暑い。目的地があるなら、グダグダしているなんて無駄だ。これから登るであろう階段の多さに意味なく、目的地を睨んだあとに一歩足を進めた。
──────────────────────────────────────
「ッ……ハァ」
汗が頬を伝って顎に滑りポタっと落ちた。階段の石の色が汗の水滴で少し色が変わった。雲ひとつ無い晴天が恨めしい。長い、本当に長い階段だ。
風がゆるく吹いていることだけが唯一の救いだが、その風も生ぬるい。
髪を攫って行く風も、汗のせいで髪が肌にまとわりついて逆にもう、いらないかもしれない。
軽い足取りで、彼は先へ進んでいく。本当に軽やかな足取りだ。
暑さなんて微塵も感じていないようだ。恨めしく彼を見ながら必死に足を前に出した。
「ハハ、頑張るじゃん」
「っる…さいっ!」
声を雑に荒らげながら、階段を登りきった。高台。
周りは崖で、その奥には海が見える。美しい青が広がっている。
ふわりと、少しだけ潮の香りがする風が頬を撫でていった。
落ちないように柵で、囲われているが閉鎖感をあまり感じないのはやはり広々と見える海と空のお陰でだろうか。柵まで近づき手をおいて、少しだけ身を乗り出すように海をみた。
別に、初めて見たわけじゃないけど、すごく綺麗に思える。
心臓が嬉しそうに歓喜の悲鳴を上げている。この音を、私は知らないのに懐かしく思えた。
「…親子だな」
「え、何?」
風の音が彼の言葉を攫っていった。ふわふわとした弱い風に吹き飛ばされるほどの小さな声だった。
「いや…?楽しそうだ」
「まぁまぁ…それで、人魚の遺体って何よ」
「…あー…そういえば、そんなこと言ったっけ」
「…適当言ったの?」
「半分は多分そう」
なんだコイツ。ジトっとした視線で彼を見上げた。
緑の瞳はそんなこと気にしていないように笑ったままだった。貼り付けたような笑顔だが多分嘘じゃないことだけは彼の音が告げていた。
それでもまだ、小さな歪を上げている。ココに来て、彼の音が少し低くなった。
何かがあったのだろうか、何があるのだろうか。
柵の下を覗くように体重をかける。
とくん、と、跳ねる音。
「え?」
心臓の音が跳ねた。勿論私じゃない。
振り返ると緑色が揺れていた。動揺しているのか、不思議なような表情が見ている。
…思えば、彼は柵に近づこうとしていない。私の後ろで見ているだけだ。
「…落ちるなよ?」
「……落ちないよ」
少しの沈黙が続いたが、彼が言葉をこぼした。やっと、その言葉を見つけたようにゆっくりとした発音で。勿論、落ちるつもりなんてサラサラさないので、素直に頷いた。
彼は、満足そうに笑って、やっと歩み、隣まで来た。
「昼間は綺麗だなココ」
「それだと、昼間以外は綺麗じゃないみたい」
「夜は怖いからな」
「なにそれ…」
「……ハハ、ガキっぽいか」
「……次は、どこに行くの?」
「……明日、会えたら、明日は公園で少し話すか」
夏の暑さ、蝉の声が耳の奥で響き続けた。
明日、また多分この蝉の音を聞くのだろう。
紡音 YOU @YOU10N
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