第四章 星の瞳を持つ少女2

 少女のすすり泣く声を聞いたレイナは馬車へと歩み始める。僕はそんなレイナの肩を掴み動きを制止させた。


「だめだよレイナ。今は一人にさせてあげなくちゃ」


「なんで止めるのよ、子どもが泣いて居るのに、放っておけるわけないでしょ」


「別に放っておけと言って居る訳じゃない。せめて泣き疲れて眠るまで待って欲しいんだ。家族との別れってのは、まず自分自身で気持ちに整理を付けないと。他の誰かが介入して良いのは、その後だって話」


「…うっ、仕方無いわね。でも、声が聞こえなく成ったらすぐに向かうから」レイナは僕の言葉を聞いて、少し不満そうにしながらも納得はしてくれたようで、馬車に向かう足を止めてくれた。


 レイナが浮かべる不服そうな表情には、不満だけでなく他にも複雑な感情を抱えている様にも見える。まるで自身も、家族との別れを経験しているかのような。


 等と、考えを巡らせている間に馬車から聞こえていた、すすり泣く少女の声が聞こえなく成っていた。レイナは先程の言葉通り泣き声が聞こえ無く成った為、少女の元へ駆け寄ろうとしたが、すぐにその足を止める事に成る。


 レイナが馬車に向かうよりも先に、少女の方が馬車から這い出て来たのだ。


 少女は目元を赤く腫らしたまま、こちらに向かい歩き寄ってくる。その手には、先程馬車に向かった時には持って居なかったペンダントの様なものが握りしめられていた。そして僕の前まで歩いて来た少女は、ペンダントを渡すかのようにこちらへ突き出して来る。


「これは?」少女に尋ねるも、少女は返事をしない。ただ真っ直ぐこちらの目を見据えている。


 受け取れと言う事なのだろうか。こういう時どう反応するべきなのか解らず、レイナの方に視線を移すと、レイナは受け取って上げなさいとでも言いたげな目を向けて来る。


 僕が少女から、ペンダントを受け取らないと話も進まなそうなので、仕方なく受け取る事にした。


 少女から受け取ったペンダントには少女の瞳と同じ色の宝石が嵌め込まれている。よく見ると宝石には魔法陣のようなものが中に掛かれているので、これも魔宝石なのかもしれない。


 ペンダントに嵌め込まれている宝石を眺めていると、少女はまるでそっちじゃ無いと言いたげに、ペンダントを僕の手から取り、裏面を向けて見せて来る。ペンダントの裏面には宝石では無く、草花の飾りと共にとある文字が刻まれていた。


 文字はクレアと書かれている。何のことだろうかと考えを浮かべていると、少女は自分を見る様に指を差して訴え掛けて来る。


「もしかして、これが君の名前なのか?」その言葉に少女は頷いた。そしてまるで呼んで欲しいとでも言うかのように瞳をキラキラと輝かせて居る。


「クレア」一言そう口にしただけで、少女は嬉しそうに飛び跳ねて抱き着いて来た。 


「うぉ、急に抱き着いて来たら危ないだろ」足の傷が思っていたよりも深いところまで届いていたのか、少女に抱き着かれた際に思うように踏み止まれず、尻もちを付くように後ろへ倒れ込んでしまう。


 少女はにっこりと笑顔を浮かべて、御免なさいとでも言うかのように頭を下げる。その表情からは、悲しさを感じなかった。まるで、もう既に家族との別れに気持ちの整理が付いているかのようだ。


 凄いなこの子、僕はみんなとの別れに気持ちの整理を付けるまで、結構時間が掛かったんだけど、一日も経たずに立ち直るなんて。


 この少女、クレアにとって、家族とはその程度のものだったのだろうか。いや、勝手な決めつけは良くないよな。ともかく立ち直ったのなら、良かったじゃないか。


 かってに納得して頷いていると、クレアは興味深そうに僕の頭の上を眺めていた。いったい何を見てるのだろうと後ろに振り返るが、特に変わったものは見当たらない。


 別に何もないじゃ無いかと思い再びクレアの方へ振り返ると、もふもふと狼の耳を触られた。クレアは興味深そうに軽く摘まんだり、両手で掴んだりして、感触を楽しんでいるようだ。


 耳を触られていると、何だか変な気分に成ってしまう。まるで、全てを投げ捨てて身を預けてしまいそうな……って、ダメだダメだ。このまま触られていたら飼いならされてしまいそうなので、耳を触り続けるクレアを無理やり引きはがす。


「悪いけど、それ以上触るのはよしてくれ」気持ち良さそうに耳を触って居るのを引きはがされて、そんなことを言われたクレアは、キョトンとしている。そして、なんでダメなのと言いたげな目をこちらに向けて来た。


「耳ぐらい触らせてあげたら良いじゃない」そこに横からレイナが声を掛けて来る。


「ダメだ。これ以上触られたら…………とにかくダメなんだ」


「何よ、別に減るものでも無いでしょうに。ライドって思ってたよりケチなのね」


 耳を両手で抑えてクレアに触られない様にする僕の姿を見て、レイナは呆れた様子でそう口にした後、倒れている馬車やその周囲に倒れる人間達の方に向かって行った。


 僕はそんなレイナの行動を横目に、未だに耳を触ろうとして近寄るクレアを引きはがして、立ち上がる。そしてクレアに対して不用意に人の耳を触らない様に注意したのだが、相変わらずクレアはキョトンとしたまま視線は僕の耳に注がれている。一応、僕の注意に対して頷いては居たが、本当に分かっているのだろうか。


 クレアは出会ってから一度も言葉を発しない。一応こちらの言葉に反応を示す素振りはある訳だし耳は聞こえているのだと思う。だけど、自分から進んで声を発することは無いのだ。声を出せないのか、それともあえて声を出さない様にしているのだろうか。


 自分一人で考えたところで答えが出るわけも無いので、思い切って本人に聞いて見る事にした。


「クレア、僕の名前はライドって言うんだ。分かるか、ラ・イ・ドだ。クレアに呼んで貰いたいんだけど良いかな」その言葉にクレアは首を横にして答える。


「クレアは僕の言っている事が分かるんだよな」クレアは返事の代わりに頷く。


「だったら、なんで呼んでくれないんだ?クレアは喋れないのか。それとも喋らないのか」


 僕の言葉にクレアは俯いて黙り込んでしまった。まるで、喋らない事に関しては聞いて欲しく無いようだ。


「ごめんよ。僕が悪かった。これ以上無理に聞くつもりは無いよ。だからそんなに落ち込まないでくれよ」喋らないじゃ無くて、喋れないのならどのみち伝える手段も無いんだものな。なんだか少し、小骨が喉に引っ掛かった程度には、気になるのだけど。これ以上時間を掛けたところで、教えてくれる訳でも無さそうだしから、聞き出すのは諦めた。


 まだ俯き続けるクレアの頭を謝りながら撫でていると、馬車の方に向かったレイナがこちらに声を掛けて来る。


「ライド、悪いんだけどこっちに来て運び出すのを手伝ってくれないかしら」レイナの呼びかけに従いクレアと共に馬車へと向かう。


 レイナは馬車の中から死体を引っ張り出そうとしていた。成る程、それは手伝いも必要な訳だな。なんたって、馬車は横に転倒しているのだ。扉が天を向いて開く箱の中で、人一人を持ち上げて外へ運び出すのは、中々に大変な作業だろう。


「たしかこの近くに向かっていた教会が在るんだろ。そこから人を呼んで来た方が早くないか」一応レイナを手伝って、中に居る死体を運び出すのを手伝ってはいるが、転倒している馬車の中から一人を運び出すだけでもそこそこ時間が掛かった。


 だと言うのに、後四人も中に居るのだ。せめて後二人程の人手があればもう少し効率も上がるだろうに。


「残念だけど、あそこの子達にこんな事を手伝わせる訳には行かないわよ。ただでさえ怖がりなのに、これだけの死体を見せたら気絶されかねないもの」レイナはそう言うと、口よりも手を動かして頂戴と言って、運び込む作業を続ける。


 時間にしたら大体二時間位だろうか、辺りが少しずつ明るく成って日が登り始めた頃に成ってようやく馬車の中に居た死体を外に運び終えた。中身が無くなって軽く成った馬車を起こして、曲がっている車輪の代わりを用意して何とか動かせる程度に応急処置をする。


「やっぱり、ライドって特異能力者だったのね」


「言って無かったっけ。それよりも、能力で創った車輪はそんなに長い間実体化させられないからな。一応長く持つ様に魔力は大目に注いだけど、もっても半日程度だと思うぞ」


「それだけあれば十分よ。さぁ、次は教会まで持って行く為に全部運び込まなきゃね」


「本当に全部持って行くのか?村の時みたいに火葬じゃダメなのか」


「ライド、ここは森の中なのよ。ダメに決まって居るじゃない。火事に成ったらどうするのよ。ほら、文句言ってないで手を動かして」


 時間を掛けて引っ張りだした死体を含めて、恐らく護衛をしていた者達や、盗賊の死体を馬車に詰め込む。と言っても大きな馬車とは言え、流石に全部は入らなかった。だからと言って放って置くわけにも行かない。放置して行けば森に住む動物や魔物が食べかねないしな。


 だから、馬の死体を運ぶのも兼ねて大き目のソリも創らされた。今日だけで一体どれ程の魔力を消費したのだろう。そろそろ身体が怠くなって来たし、消費出来る分の半分近くは使ったのかも。


 ソリと馬車をロープで繋ぎ、一通りの作業を終えたのち、後の事をレイナに託して馬車の上で横に成る。隣にはこちらが死体を運んでいる間に眠ってしまったクレアを横に寝かしている。移動中馬車から落ちてしまわないようにする為、片腕をクレアの枕にした。これなら、クレアが落ちそうに成る度にすぐにでも気付けるだろう。


「それにしても、馬車を引っ張る当てが有るとか言っていたけど。一体何を連れて来るつもりなんだろう」馬の代わりを用意してくると言って、森の奥へ向かったレイナの背中を眺めてそんな独り言を口にする。


 レイナが森の奥へ向かってから、数分程経った頃だろうか、クレアにつられてこちらもうたた寝し始めた時に、目覚ましの如く森の方から眩い光が放たれた。


「な、なんだ」突然の光に驚き、上体を起こして光が放たれた方向を注意深く観察する。


 先程光が放たれた事以外は特に森自体に変化は見られない。一体何の光だったんだ?頭に浮かんだ疑問により、まだ盗賊に生き残りが居たのだろうかと、周囲を警戒したが、特に誰から襲われると言う事も無く、光の正体が目の前に現れる。


 それは白い光に包まれている二足歩行のトカゲに似た生物だった。森の中ではまったく機能しないであろう、前足の代わりに生えている大きなコウモリのような翼を窮屈そうに畳んでいるそれの横では、レイナが並んでいた。


「もしかして馬の代わりって、それなのか」思いもよらない生物を連れて来たレイナに対して、そう尋ねると、レイナは自慢げに頷く。


「そうよ、紹介するわね。この子はワイバーンのスカイちゃんよ。あぁ、安心して、スカイちゃんは私の眷属だから、人を襲ったりはしないわ」レイナはスカイと呼ぶワイバーンの頭を優しく撫でながらそんな事を口にする。


 だが、スカイの方は頭を撫でている主人の方では無くこちらをじっと見つめて、何故か鼻息を荒くしていた。いや、こんな曖昧な表現では当時の僕が感じた気持ちを伝えられないから、はっきり言おう。あの目は獲物を見る目だった。まるで極上の獲物を前にしていつ襲うかを品定めしているかの様に感じ取って、背筋がゾクリと震える。


 今までに感じた事も無い種類の恐怖を肌で感じ取り、思わずスカイから目を逸らす。だが、レイナはそんな僕の気持ちも知らずに自身の眷属自慢を始めた。


「スカイちゃんはねぇ、私とお兄様が小さい頃から一緒に育てたのよ。こう見えて結構力持ちでね。今回は森の中を移動するから、見せられないけど、空を飛ぶ時なんて鳥型の魔物なんかよりも早く飛べるんだから。それにこの目を見て、こんなに綺麗で可愛いのよ。それから、しっかりしている様に見えるけど実は……」


 口を挟まなければ、いつまででも続きそうなレイナの眷属自慢にやや呆れて、つい溜め息が出る。そう、唯の溜め息だ。他に何の意図も無かった。だが、まるでその溜め息が合図だったかのように、目の前に居たワイバーンもといスカイが飛び掛かって来た。


「ぐぇっ」えずいてしまいそうに成る程の重さが、突然腹部に加わる。眼前にはスカイの口先が映り、何故かひたすらにその舌で顔を舐められる。それも入念に。自分でも何をされて居るのか解らず、そして何故このような事態に成ったのか理解も出来ないまま、起こしていた上体すら押し倒される。


 幸いスカイはクレアに関しては眼中に無いらしく、隣で未だにぐっすり眠るクレアは無事で居た。その事に安堵しつつも、増々加わっているスカイの体重で、僕の顔は苦悶の表情へと変わっていく。


 このままでは、そのうち内臓を潰されかねない。早くこのワイバーンを退かさ無ければ。そう言った考えが浮かびはするものの、実行に移す事は出来なかった。なんたって体勢が悪いのだ。こちらが身動きしようにも、お腹に乗せられたスカイの足がそれを邪魔する。


 今の状態で手を伸ばした所で、スカイの顔にしか届かないから、直接身体を退かす事も叶わないのだ。頭を殴りでもすれば退きそうな気もするが、レイナの眷属にそんな事をすれば後で面倒な事に成りそうだし。畜生、いったいどうすれば良いって言うんだ。


 この状況をどう潜り抜けたものかと真剣に考え始めた所で、スカイが顔を舐めるのを止めた。もしかして、解放してくれるのか?そんな淡い期待を抱いて、首を持ち上げたままこちらを見るスカイの目を見つめる。あれ、そう言えばこの色の瞳は……。


 こちらを見つめるスカイの緋色の瞳を眺めて、ある考えが頭の片隅に浮かんだ時、それは起こった。


 一瞬にして、視界が暗闇に呑まれたのだ。少しの間状況が理解出来なかった。当然だ、周囲を見渡しても、何もかもが暗闇に覆われているのだから。僕は幾らかは夜目が利くとは言え、これ程の暗さでは、どこに何が有るのか、何が起こっているのかさえ見えない。


 一体なにが起きたんだ。それよりも、隣で寝ていたクレアは無事なのか?折角助けたばかりの相手が目の前で殺されるなんてのは、簡便してもらいたいのだが。


 とにかく、今はこの暗闇をどうにかしなければ。それにしても何だか臭うな。さっきスカイに舐められていたからか?あれ、そうだよ。さっきまでスカイに舐められて居たんじゃないか。え、それじゃあもしかして此処って……。嫌な予感は見事に的中した様で、暗闇の外から声が聞こえて来る。


「こら、スカイ。そんなもの口にしたらダメでしょ。ほら、早く、ペッて吐き出しなさい」


 あぁ、そうかやっぱりそうだったのか。段々と開けて行く視界、上半身の全てを唾液まみれにされて、ゆっくりと排出される身体。目の前には、一時的に視界を奪った本人が、どこか残念そうな表情でこちらを見ていた。


「眷属の躾くらいしっかりしといてくれよ、レイナ」身体に付いた唾液を掃いつつ、飼い主に対して、責める様な口調でそう言い放つ。当然だ、危うく食べられるところだったのだもの。何が人を襲わないだよ。危険生物じゃないか。


「おかしいわね。普段はこんな事しないんだけど。ライドってそんなに美味しそうな匂いでもしているのかしら。ほら、スオウさんにも気に入られている訳だし」


「そんな事は、無い、と、思いたい」なんでだろう、否定しようと思ったら、ちょっと自信無くなって来た。思えば工房にいた頃も、僕に良く懐いてくれた家族は、動物ベースの子達だったし、森へ狩りに出かけた時も、何故か動物型の魔物だけはすぐに見付けて居たんだよな。


「ま、まぁ、ともかく歯を立てられなくて良かったよ。竜種の顎で噛まれたら一溜りも無かっただろうし」


 ワイバーンは、竜種の中では亜種に当たる存在で、正統な竜種と言う訳ではないが、それでも非常に強力な力を持っている事には変わらない。僕の身体は幾らか人間よりも頑丈では有るものの、スカイがレイナの眷属では無く野生のワイバーンだったなら、今頃上半分と下半分は永遠にお別れしていた事だろうな。まったく恐ろしいものだ。


 スカイはレイナから、僕を食べた事に対して注意をしていた。


「ダメでしょスカイ。あんなの食べたらお腹壊しちゃうかもしれないでしょ。帰ったらもっと美味しいもの食べさせてあげるから、これからは美味しそうなモノでも変なのを口にしたらダメよ」レイナは真剣な面持ちで、スカイに注意している。


 あれ、レイナは間違った事は言ってないよな。なのになんでちょっと貶されている様に感じてしまうんだろう。と言うか食べられかけた本人が目の前に居るんだからもう少し言い方というものをだな。


 こちらが抗議の声を上げようとしたところで、レイナがスカイに対して注意を終えたのか、こちらに振り返り声を掛けて来た。


「そろそろ出発するわよ。ほら、ライド。これをあげるからその涎を拭いて」そう言ってレイナは一枚の布切れを渡して来る。


 色々言いたい事はあったが取り敢えず、布切れを受け取って、ふと隣を見る。隣ではいつの間にか目が覚めて居たクレアが鼻をつまんで居た。


 つまり臭うってことか、くっ、スカイの奴め。悪びれた様子も無く馬車を引っ張りやがって、クレアに嫌われたらどうしてくれるんだよ。まったくもう、全然拭い切れないじゃないか。


 レイナから渡された布切れを使って、スカイの唾液を拭き取るものの、到底一枚の小さな布切れで拭き取れるものでも無く、相変わらず唾液まみれのまま教会まで馬車の上でゆられる事に成った。


 く、屈辱だ。こんな屈辱的な扱いは生まれて初めてだ。鼻をつまむレイナとクレアの姿を見て、一人天を見上げてそんな事を思う。こんな扱いはもう二度とごめんだな。


 馬車にゆられ続けて三時間程が経過した。流石はワイバーンと言うべきか、通常よりも明らかに重たいで有ろうこの馬車を悠々と引っ張り続けている。恐らく歩幅からしても馬よりは早く進んでいたのであろう。馬車の上から教会と思える建物が見えて来た。


「あれがレイナの言っていた教会か?」


「えぇ、そうよ。あそこが、私達の向かっていた第五小教会よ」レイナはそう言うとスカイに指示して、教会に向かう道からそれた方向に向かい出した。


「あれ、教会に向かうんじゃなかったのか?段々教会に向かう道から、それて行っている様に見えるんだが」


「教会の正面にこの馬車を停める訳には行かないでしょ。それに今の時期は巡礼を行っている人が多いから、その人達に誤って馬車の中を見せてしまったら騒ぎに成ってしまうじゃない」


 そうだった。スカイに唾液塗れにされたせいで忘れかけてたけど、今は大量の死体を運んでいる最中だったな。唾液の臭いで上手く鼻が機能して無いから、今は、分かり難いけど、これだけ大量の死体を運んで居れば臭いも凄い事に成っているだろうし。


 あれ、それってつまり、レイナとクレアが鼻をつまんで居るのは、僕の方じゃ無くてそっちが原因なのでは。なんて淡い期待を持ってしまったが、今考えると両方共臭いがキツイのは変わらないのだから、死体が無くても鼻をつままれて居たんだろうなと思う。


 教会が馬車の上から見えてから暫くの間進み、ようやく建物の裏手に到着した。


 近くには墓地も在り、その隣には火葬場と思われる建物も見受けられる。レイナは、僕とクレアを馬車から降りる様に指示した後「すぐに戻るからそこで大人しくしておいて」と言い残し、馬車ごと火葬場に向かう。


 一方残された僕とクレアは、レイナの言いつけ通りに、その場に座り込み待つ事にした。


「…………」いざ二人きりに成ると、何を話したら良いのか思い付かず、言葉に詰まってしまう。当然クレアも喋らないので、唯々時間だけが過ぎて行った。


 出来ればクレアとは良好な関係を築きたい。正直、自分がどうしてそのような考えをしているのか自分自信でも良く分からない。僕は、別に万人に好かれたいとか、出会う人間に嫌われたくないとか、そう言う事はあまり考えない方だ。むしろ家族以外の相手とは、取引関係程度の関係性を築けたならそれで良いとさえ思っていた。


 だけど、ここ最近、旅に出たからなのか、その考え方が変わって来て居る様に感じる。別に誰からも好かれたいと思わないのは、変わら無いのだけど。


 自分を助けてくれた相手や、自分が助けた相手には嫌われたく無いと思う様に変わって来た様に思う。もしかして、スオウと出会った時に知らず知らずの内に暗示でもかけられてでも居たのだろうか。まぁ、今と成ってはどっちでも良いか。


 ともかく、臭いの件で少し敬遠されている様に感じるし、何か話のタネでも見つけて、心を開いて貰えないだろうかと思い周囲を見渡す。


 此処から見えるものは、木々や墓石、それからさっきレイナが向かった火葬場に、井戸くらいか。特に面白そうな話に繋げられそうなものが見付からないな。


 まぁ、大して期待はしてなかったけど、どうしたものかな。クレアとの交流方法を再び思案しながら、改めてクレアの方に視線を移す。


 栗色の綺麗な髪、血が付いて汚れては居るけど、ちゃんとした手入れをして居たみたいだな。それに着ている服も、しわだらけに成っては居るが、元々はそれなりに上等な布で作られたものの様に見えるし、馬車の豪華さや、クレアの家族が身に着けて居た品々から考えて、恐らくというか、やっぱりというか。貴族、なんだろうな。


 貴族と言えば博士から、散々貴族の作法とか、家系に付いてとかよく聞かされたなぁ、等と思い出にふけって居ると、クレアがこちらの視線が気になったのか、青い瞳でこちらを見つめて居た。


「ど、どうしたんだ?きゅ、急にこっちを見て、何か用でもあるのか」真っ直ぐと見つめて来るクレアに驚いて、そんな事をつい口にしてしまう。


 当然クレアは答えない。代わりに首を傾げながら変なものを見るような目で見て来た。やめてくれ、そんな目で見ないで、何だか悲しく思えて来るから。


「あぁ、呆然としていたから気になったのか。ちょっと昔の事を思い出していただけだから、僕の事は気にしなくて良いよ」心の声を押し殺しながら、一刻も早くクレアの視線を外して欲しい思いから、そう答える。


 クレアは再び首を傾げた後、こちらから視線を外して、近くに有った木の枝で地面に絵を描き始めた。


 その姿を見て、胸を撫で下ろす。あの深みのある青い瞳で真っ直ぐ見られると何故だか心が落ち着かないな。魔眼でも無いのに、まるで魂が吸い込まれてしまうんじゃないかと思ってしまう程綺麗なんだもの。


 軽く深呼吸をして、ざわめいた心を沈める。気持ちが楽に成った事で、先程言うべきだったのは「気にしないで」じゃ無くて、何かしらの話題に繋げるべきだったなぁ。と思い直して、自分の会話能力の低さに肩を落とす。


 突然の事だと、話をすぐに切り上げようとする癖は直さないといけないな。ぼんやりと今後の課題を頭に浮かべて居ると、人の視線を感じてそちらを振り向く。


 振り向いた先には、レイナと同じ様な黒い装束を纏う人間の女性が、建物の角に隠れてこちらの様子を警戒しながら観察している様子が見えた。


 ここから見た限り、僕よりは幼い年齢の様に見える。かと言って少女と呼ぶ程の年齢とも思えないな。


 この教会に務めている人間だろうかと様子を見ていたら、その女性と目が合った。女性は恐ろしいものを見たとでも言うかのように全身を震わせ、怯えたように建物の影へと走り去る。


 いったい何だったんだ?わざわざ後を追う気も無かったので、女性の逃げる背中を見送って、再びクレアの方に視線を戻す。


 クレアは熱中しているかの様に集中して、絵を描き続けていた。一体何をそんなに真剣に描いているのだろうと思い、上から覗き込む。


 地面には動物?らしきものが沢山描かれていた。狼?みたいな生物、狐?のような生物に、牛、蜘蛛、馬、巨人、蝙蝠、猪、等のまとまりが無い沢山の生物をクレアは描き続けている。


 最初は思い付いたものを描いているだけなのだろうかと思っていたのだが、竜や羊、鳥と描かれる生物が増える度に、クレアの描く絵に対して、既視感の様なものを感じ始めた。


 あれ、此処に描かれている生物って、確か昔に夢で見た事有るような気が……。


 クレアが地面に描き続けるその絵を眺めて居ると、いつの間にかレイナが戻って来ていた様で声を掛けられた。


「二人ともお待たせ。さぁ、教会に案内してあげるから、ついて来て」声のした方向へ振り向くと、両手を血液などで汚したレイナが立っており、隣には涎を垂らすスカイが、相変わらず窮屈そうに翼を畳んで大人しく立っていた。


「ま、まだいたのか」スカイの方に視線を移して、思わずそんな事を口にしてしまう。


「まだいたのかなんて、酷い事言うわね。この子は私の家族同然の子なのよ。出来ればそんなに身構えずに接して欲しいのだけど。その様子じゃ無理そうね」


 スカイに対して身構えている僕を見て、レイナは残念そうな表情を浮かべながら、スカイの頭を撫でて「こんなに可愛いのに、なんで皆そうやって怯えるのかしら」と呟いていた。


 食べられ掛けたりしなければここまで警戒する事も無かったのだがな。それに今尚涎を垂らしながらこちらを見られて居れば、警戒せずには居られないというものだ。まぁ、そんな文句を言いたい気持ちは有るのだけど、今はそれよりも優先して尋ねなければいけない事が有る。


「今すぐに風呂か水浴びの出来る場所に案内してくれないか。そう言った場所が無いなら井戸の水を使わせてくれるだけでも良いのだけど。ともかくこの身体に付いている唾液を早い所洗い流したいのだけど」


 未だに臭いのせいで鼻は利かないし、まったく乾く気配も見せずに、ドロドロ、ベタベタとした感触が肌の上を這いながらゆっくりと落ちて行っているのが、正直耐えがたいくらいに気持ちが悪い。近くに湖でも有れば今すぐにでも飛び込んでしまいたいくらいだ。


「そのままライドを教会にあげる訳にも行かないものね。良いは、案内してあげるから付いて来て」


 僕とクレアはそのままレイナに連れられて、教会の離れにある小さな小屋へと案内される。

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