第三章 喰らう者との遭遇1

 余程お腹が空いていたのかレイナが食べ始めてから、あっという間に鍋が空になった。


 結局スオウの眷属が持って来た食料は全て無くなってしまい、今晩の食料をまた取って来て貰わないといけないなとか考えている頃になって、ようやくレイナが料理を口に運ぶ手が止まる。


「…………その、ごちそうさまでした。美味しかったです」少し恥ずかしそうにそう言うと、レイナは俯いて黙り込んでしまった。


「ほぉう、我らに敵意を向けて攻撃までして来た癖に、腹が減ったからと厚かましく食事を分けて貰った相手に対する感謝の言葉がその程度とは、この世界の神職は随分と礼儀知らずな様じゃな。まずは頭を下げて非礼を詫びたりするのが、先じゃと思うのじゃがなぁ」 


 スオウはレイナに向かい、悪巧みを考える様に口元を釣り上げた様な顔で挑発的にそう言った。


 その様子は、まるで脅迫現場でも見ているかの様で、当のスオウは状況を楽しんでいるかの様に更に、恥ずかしそうに顔を赤らめるレイナを見ながらにやにやと笑みを浮かべている。


 流石に、調子に乗って金品とか要求しだしたら止めようとか思っていると、スオウの口から予想の斜め上を行く発言が飛び出る。


「のう、お主、レイナと言ったか。こうして近くで見てみると中々の美人ではないか、これならライドが絆されていたのも頷ける程じゃのう。うむ、レイナよ、数々の非礼を詫びる気持ちが少しでもあるなら、我とライドの暮らす社を建てた際に我らの巫女に成ると誓えば許すぞ」


「「…………」」


 スオウが突然言い出した事に驚いて、思わず唖然とする。横目でレイナの方を見ると、やはりレイナも僕と同じ様にスオウの言葉に戸惑っているのか、口を半開きにして声も出せなくなっている様だった。


「いや待て、なんでそうなるんだよ」少しの間、固まっていた思考を呼び戻し、スオウに向かいそう叫ぶ。だが僕の言葉に対して、スオウは何を言っているんだとでも言いたげな顔を向けて来る。


「……?なんじゃ、お主はこの娘に惚れていたから、止め刺すのを止めたのでは無いのか。我はてっきりそう思って居ったのじゃが。まぁこの際、違っていたとしても問題はあるまい。我は美しいものを好むからのう。その点で言えばレイナは十分な合格点を叩きだしておる。ならば、お主と我の巫女にして、手元に置いても問題は無いじゃろ」


 問題しか無いだろ。一体どう言う思考をしたらそう判断するんだよ。大体、止め刺すのを止めたのは、事情を聞きたいからと既に説明していたと思うのだが。いやいや、それよりもだ。


「スオウがレイナを自分の巫女にしたいのは分かったけど、なんで当然の様に僕もそれに加わっているんだよ」スオウは元の世界では自分の社を持っていたと聞いていたから、巫女にしたい云々は、まだ分かるとしても。それに僕が加わっている事は理解出来無い。


「何を不思議がって居るのじゃ。お主と我の関係は対等、最早夫婦と言っても良いくらいじゃろ。むしろ夫婦になるべきじゃ。いずれは式も挙げねばな。そうなれば、社も建てるのじゃから、雑事を任せる者は必要に成るじゃろ。なに、心配せずとも、一人や二人位なら遊びの範疇として見てやるから問題ないぞ」


「本当に、何を言っているんだよ」わからない。スオウが何を考えて居るのかがまるで理解できない。そもそも、スオウの中で僕の立場がコロコロと変わり過ぎだろ。最初は友達って言ってたのがどうして夫婦になっているんだか。


 それに、レイナに信仰の対象を自分に変えろとか言っても、そう簡単に変えられるものでも無いだろうに。等と、スオウの突拍子も無い発言に頭を抱えていると、ようやく先程まで石の様に固まって俯いていたレイナが口を開いた。


「その話、勿論お受けさせて頂きますわ、スオウ様」


 ほら、やっぱり断って……、あれ、受けちゃうの。


 発言に驚いてレイナの方に目を向けると、レイナは身体をふらふらと揺らし、顔は赤く染め、目もまるで視点が定まって居ないような状態だった。その様子はまるで、酔っぱらっているかの様だった。


 ふと、レイナが身体を揺らしている際に、先程料理を用意していた時には見なかった空の瓶が転がって居るのを発見する。瓶に張られているラベルに書かれている文字は読めなかったが、瓶口から漂う匂いは強い酒気を帯びていた。


「ようやく酒が回って来たようじゃな」そう言ったスオウの近くでは、次々と酒瓶を運んでいる眷属達の姿があった。それも堂々と目の前を横断している。もはや隠す気とか無いらしい。


 レイナの様子を見るに、先程レイナが食べていた料理に酒でも盛っていたのだろう。


「もしかして、さっき言っていた事はレイナが酔っているのか確認する為だったのか?」


「ん?いや、さっき言った事は全部我の本心じゃぞ。レイナには是非とも我の巫女になって欲しいと思っておる。じゃが、まぁ流石に今すぐにと言う訳には行かんじゃろうがな」


 嘘でも良いから、酔っているかの確認と言って欲しかったなと思い溜め息を突く。面倒事とかには巻き込まないで欲しいものだよ。


「それで、なんでわざわざレイナを酔わせたんだ」


「こやつが本部に報告してしまう前に、我らに掛けられた疑いは晴らしてく必要があるからのう。こやつ、頭が硬そうじゃからどうせ言葉で言っても聞かんじゃろうから、手っ取り早くすまそうと思ってな」


 そうはそう言うとレイナの方に歩み寄り、レイナが首に下げている十字の形をした銀の首飾りを手に取る。「丁度良いものが有るではないか」そう言って、スオウはレイナ視界に映る様に取り上げた首飾りを垂らし、振り子の様に揺らし始めた。


「良いかレイナよ、我らはお主の味方じゃ。お主は我らに失踪事件の調査を依頼して居ったのじゃよ。そして、お主が我らと遭遇したのは、調査結果の報告をする為じゃ。あの洞窟には何も無かった。勿論角の生えた男とやらも村人の言っていた蛇も居なかったのじゃ」


 そう言い終わったスオウは首飾りを元の様にレイナの首に掛け直した後、パチンと指を鳴らす。すると、レイナ指を鳴らす音と同時に目を閉じて横になり眠り出した。


「何をしたんだ?」


「少し我らに付いての認識を書き換えただけじゃよ。まぁ、条件やら制約があるからそれ程便利なものでは無いがの」


「認識を書き換える?」


「ようは、レイナが敵対しなくなると言う事じゃ。敵対しないのじゃから我らの事を教会の連中に報告する事も無いじゃろうし、教会に追われる心配をせずとも大手を振って外を出歩けるようになる訳じゃよ。まぁ、書き換えた認識が戻るまでの間だけじゃろうがな」


 スオウは、まるで大した事はしていないとでも言うかの様にそう口にする。スオウは人の認識を書き換えられる、その事実は何だかとても恐ろしいものの様に感じた……。いや、これ以上考えるのはよそう。ただ、今後スオウを敵に回さない様には気を付けないといけないな。


 レイナが眠りについてから数分後、ふわーと気の抜けた声と共にレイナが目を覚まして、横になって居た身体を起こす。


「あれ、私、どうしてこんな所で寝ていたのでしょうか」レイナは半開きの目を擦りながら、こちらに気付いて居ない様子で独り言を言うかの様にそう口にする。


「まったく、お主が我らの調査結果を聞きたいと言った癖に、途中で満腹に成った途端、眠りに付きおって、疲れて居ったとは言え、弛んでいるのではないか」眠り目を擦るレイナに向かい、スオウは叱るかの様にそう口にする。


「え、えーと、そう、レイナだって長距離の移動で疲れていたんだから、少しくらいは休ませてやっても良いじゃないか。なんなら、もう少しぐらい休んで居ても良いと思うぞ」


 事前にスオウから「レイナの起きた後、我の話に合わせてくれ」とか事前に言われていたので、ややこしい事になっても面倒だし合わせておく。


「あれ?私は……?確かに疲れてはいたけど。うーん、何か違うような。……あれ?」


 レイナは混乱して状況を理解出来て居ないかの様に何度も首を傾げる。


「思ったよりも精神がタフじゃな。もう一つくらい何か必要なのじゃろうか」スオウがぽつりとそう呟くと、レイナは頭を抱えだして悩み始めた。


 うぅ、と呻き声をあげ始めたので心配になり、レイナに声を掛けようと、スオウがそれを制止して待つ様に言って来る。そしてその数分後「そうだったわね」なんて言いながら、レイナが頭を抱えるのを止めた。


 スオウは「あれを使わずとも済んだようじゃな」なんて呟いて続くレイナの言葉を待つ。


「えーと、確か貴方達の調査では、村人達が言っていた洞窟には蛇も角の生えた男も居なかったのですよね」


「ああそうじゃ、そやつらが居たような痕跡も無かったぞ。我が言って居るのじゃから、疑う必要もないじゃろ」


「そう……よね?わかったは、信じる」


 中々に無理のあるスオウの言い分をレイナが信じてしまった事で、スオウが食べて来た生贄の人間達は、その辺に生息する野生の魔物や獰猛な動物によって食べられた事にされてしまった。


 その後もスオウは口八丁でレイナを丸め込み、気付けば今までの失踪事件は全て、蛇は一切関わっておらず、村人と角の生えた男だけが全て悪い事にされていく。


 まるで真に迫るかのようなスオウの口八丁は、認識を書き換えられて居ない僕でさえ一瞬信じてしまいそうに成る程で、認識を書き換えられてしまって居るレイナの方は、頷きながら話を聞いている態度を見るに、スオウの話を完全に信じ込んで居るかのようだった。


「成る程、大体の状況は理解出来たわ。貴方達には私の勘違いで迷惑を掛けてしまった訳だし、報酬の方は後で上乗せしておくわね」


 スオウ曰く、相手の認識を書き換えたとしても、書き換える前に起きた出来事自体は事実として記憶に残るのだとか。そして、その記憶は認識を書き換えた際に相手が都合の良いように勝手に解釈するらしい。


 これが認識を書き換える事の便利なところでもあり、欠点でもあるのだとか。正直僕には理解の範疇を越えて居るので詳しい事は分からないけど、洞窟を出た直後にレイナに襲われたのは、視界が悪さから僕とスオウが角の生えた男の仲間だと思われて襲われた事に成っているらしい。レイナはあの出来事をそう解釈したのだとか。


「報酬とは金のことか?それなら要らんぞ、金銀財宝は腐るほど持って居るからな。何かくれると言うならこの槍をくれぬか?魚を捕る時に便利そうじゃし」


 そう口にするスオウは、昨日レイナから取り上げていた槍を掴んで見せつける様に持つ。


 金銀財宝腐るほど有るのか……あの中は一体どうなっているんだろうかとか、思いながらスオウの喉元を眺めていると、レイナが慌てた様子でスオウが見せびらかせていた槍を奪い取る。


「すみませんが、これはお渡しする訳には行きません。この槍は私にとっては大切な物なので。勘違いして襲ってしまった貴方達に非礼を詫びる気持ちは在りますが、これだけは簡単に手放す訳には行かないのです。お金が要らないと仰るのでしたら何か別の物を用意いたしますので、この槍の事は諦めて貰えませんか」


 レイナは槍を大事そうに抱えて、きっぱりとした口調でスオウに言う。


 その反応を楽しむかの様にスオウは、にやりと口元を釣り上げた。あー、これは悪い事を考えていそうだなとか思いながら、レイナに気付かれない様にこっそりと槍に手を伸ばすスオウの手を掴む。


「なぜ止めるのじゃライドよ。これからが面白いところなのに」


「なぜって、大切な物だって言われただろ。だったらあんまりちょっかい掛けてやるなよ。スオウだって自分の大切な物を取られたり、壊されたりしたら嫌だろ。それに、逆上して敵対するような事に成れば、さっきスオウが丸め込んだ苦労も水の泡になるだろ」


「……確かにそうじゃの」スオウはやや不満そうにしながらもそう言って、伸ばした手を戻す。


「誰を丸め込んだのですか?」その様子を他人事の様に眺めて居たレイナはそう口にする。


「コホン、お主は気にせんでもよい。それより、そんなに大事な物ならなぜ置いて逃げたのじゃ?」


「それは……」スオウの質問を聞いたレイナの顔が暗くなる。そして続く言葉を躊躇う様に彼女は言った。


「分からないのです。あの時は何故か自分の身を守る事だけしか考えられなくて……」


 レイナの言葉には、嘘や偽りのようなもや、誤魔化した様子は見受けられない。本人自身も訳が分からないとでも言いたげな様子だった。


「認識を書き換えたら、自分の行動が分からなくなる事とか有るのか」レイナに聞こえない様に、小声でスオウに尋ねるが、スオウの方もレイナの様子に驚いている様だ。


「いや、そんな筈は無いと思うのじゃが。さっきも言ったが書き換えた認識に付いては本人が勝手に解釈する筈なのじゃ。じゃがこの様子は……まるで複数の事を書き換えた事で……いや、それとはまた別の……」スオウは考え込むかの様に顎に手を置いブツブツと呟き初めてしまった。


 思いつめた様に表情を暗くして行くレイナ、考え込み始めたスオウ、二人が自分の世界に入ってしまった事により、辺りが静まり返る。数分は考え込む二人が答えを出すのを待ったのだが、一向に答えを出さない二人の様子に耐えきれず言葉を挟む。


「そう言えばレイナは、角の生えた男の行方に付いて他に知らないのか?村人から情報は聞き出したって言ってただろ。だったらそっちの詳しい話も聞きたいんだけど」


 僕の言葉を聞いたレイナとスオウは二人ともハッとした様子でこちらに向き直る。


「え、えっとそうね。残念だけど洞窟以外の行方に付いては村人の方も知らない様なのです。いつも突然現れて、何処から来ているのか誰も知らなかったので。洞窟になら手掛かりが有るんじゃないかと思って居たのですが、そういった物は見付からなかったのですよね」


「あぁそうじゃな。我も閉じ込められたじゃなくて、調査の際に眷属を使って隅々まで調べたがそう言った手掛かりに成るようなものは見付からんかったぞ」


「村人達が角の生えた男を庇う為に嘘を付いているって事は無いのか?」


「それはありえません。なんたって、教会特性の自白剤を使ったのですから、嘘を付ける理性なんて残りませんよ」


「なら、その角の生えた男について他に分かり易い特徴とか村人から聞いて居ないのか?服装とか、髪の色とかさ」さらっと、怖い事を言うレイナの言葉を聞き流して、角の生えた男の特徴が他にどんなものがあるのか尋ねる。


 角の生えた男こそが、スオウをあの洞窟に封印して閉じ込めた可能性がもっとも高い今、スオウの為にも少しでも多くの情報が欲しい。特徴が他に分かればスオウ自身でも眷属を使えば、その男を見付けられるかもしれないからな。


 だが、僕の質問にレイナは何かを言い淀むような様子を見せる。別におかしな質問はしていない筈だよなよか思いながら、次の言葉を待つ。


「レイナよ。よもや肝心な特徴を他に聞いては居らんなんて間抜けな事をしている訳ではあるまいよな」レイナの返答が待ちきれなかったのかスオウがそんな事を口にする。


 流石に村人を拷問までして、聞き忘れるとかそんな事はしないだろうと思っていた。レイナの表情を見るまでは。


「…………」レイナはこちらに目を合わせずに、そんな方法があったのかみたいな表情をしている。え、嘘だよね。真っ先に聞く事じゃないの。


「だ、だって角が生えているんですよ。角が。それだけで立派な特徴じゃないですか。それ以外に聞く事なんてないですよね」


「いや、他にも聞くことは沢山あるじゃろ」自分でも言っている事に無理があるのを理解していたのか、恥ずかしそうに赤面しながら言うレイナに、バッサリとスオウが答える。


 その後、レイナは暫くの間スオウにからかわれ続けていた。


「さてと、それじゃあそろそろ出発しようか」焚火の火を消した後、一旦三人で近くの村に向かう事になる。


 目的としては、レイナが聞き忘れていた事を村人から聞き出す事と、その村人達を教会に連れて行く為なんだとか。村人達は直接失踪した旅人達を殺害した訳では無いが、生贄と言う儀式を行った事実は教会にとっては罪に問う事らしい。


 正直、僕を騙して生贄に捧げたドワーフの夫婦が住んでいる、あの村にもう一度足を踏み入れるのは嫌なのだけど、レイナは僕とスオウが協力者と言う認識に書き変わっているので、下手に断ると認識の矛盾に気付いてしまうからダメだってスオウに言われてしまった。


「レイナが教会の人間に会って話をしたら、認識の矛盾に気付いたりするんじゃないのか」レイナに気付かれないようにこっそりスオウに尋ねる。


「その点は心配要らないぞ。教会までは此処から急いでも数日は掛かる距離にある。村人を連れて行くと成ればさらに時間も掛かる事じゃろうから、書き換えた認識が定着するはずじゃ。人間の記憶なんてものは曖昧なものなのじゃから、認識が定着した後は認識の矛盾を感じたとしても、そんなこともあっただろうか程度にしか感じなくなるじゃろうからな」


 でもそれは認識を書き換えられた本人だけの話であって、教会に居る他の人間には怪しまれてしまうんじゃないのだろうか。まぁ、バレたならその時に考えれば良いか。


「二人とも、何をこそこそと話ているの」


「た、大した話じゃないよ。もう直ぐ村に付きそうだなって話をしてただけだよ」突然レイナに話しかけられた事でちょっと驚いて、声が上ずってしまった。流石に怪しまれただろうかとも思ったのだが。


「そうなの、二人とも案外呑気なのね。そうだ、村人を教会に届けたら貴方達に依頼の報酬を渡そうと思うのだけど。お金じゃないなら何が良いのかしら。あ、この槍はダメだからね」


 どうやら、レイナにはまったく怪しまれて居ないようだ。雇っただけの相手に対して随分無警戒じゃないだろうか、今だって先頭を歩いて居る訳だし。もう少しぐらい警戒心を持っても良いと思うのだけど。


 そんな事を考えながら歩いて居ると、村に辿り着いた。


 昨日此処で頭を殴られたんだよなと思うと、治った筈の後頭部からひりひりとした痛みを感じる。もしかして、トラウマにでもなって居るのだろうか。まったく迷惑な話だ、だってこんなにも静かなのに村人の顔をはっきりと思い出してしまうんだから。ん?静か?


 村の中は人気がまったく無いと感じさせる程、不気味なくらい静かだった。だがそれはレイナが拷問する際に拘束して居たと聞いていたし、別におかしな事では無い筈なんだけど、何故か妙な胸騒ぎがする。


 まるで急いで此処から離れろとでも言うかのように心臓の鼓動が早くなり、何時もよりも敏感に五感が研ぎ澄まされて行く。得体もしれない恐怖が背筋を凍らせる。


 だが二人はそれに構うことなく、いや、この恐怖に気付く事無く前に進んでいる。


 もしかして、考え過ぎだったりするのだろうか。一旦落ち着こう、そう、深呼吸でもして心を落ち着かせれば、この得体もしれない恐怖の感覚も無くなる筈。


 僕は村の入口付近で立ち止まり、大きく息を吸った。はっきり言って止めておけば良かったと思う。大きく吸う空気に交じり大量の血の匂いが全身に行き渡ってしまう。


「ゲホ、ゲホ」とキツイ血の匂いにむせ返る。この匂いを知っている。


「ライドよ、どうしたのじゃ?」スオウがどこか心配そうな目でこちらを気遣う。


「なぁ、レイナ、村人を拷問したって言っていたけど。もしかして殺したりしたのか?」


「確かに情報を聞くのに、少し乱暴な手段は取りましたけど、流石に死に至る程まではしていませんよ」


「そう、なんだ。だったらこの血の匂いはなんなんだ」僕の一言を聞いた二人が突然周囲を警戒しだした。


「やっぱりそうなんだ」この臭いを知っている。僕が一番状況を理解している。だってこれはあの時と同じ酷い臭いなのだから。


 臭いの元を辿るとある場所に目が止まる。村の中心にある大きな建物。


 僕が泊まろうとして、身分を証明するものが無いからと追い出された憎き宿屋だ。酷い臭いはそこから漂って来る。


 宿屋に一歩、また一歩と近付いて行くに連れてグチャグチャと言う奇妙な音が中から聞こえて来る。漂う血の臭いも一層濃いものになり、更にどこか憶えのある恐怖が背筋を襲う。スオウとレイナは既に戦闘の準備を済ませて居る中、ギーっとゆっくり宿屋の扉が開かれる。


 中からねちょねちょという音が響かせ、強烈な血と肉の死臭を振り撒きながらそいつは出て来た。幾つもの生物を無理やりと繋ぎ合わせた様な見た事のある醜悪な身体、ニタリと笑う見た事のある五つもある目、巨大で鋭利に尖っている爪、辛うじて二本の足で立つ巨大な身体。どこかで見た事のあるそれが、目の前に現れた。


 そいつは、あの頃出会った時よりも大きく成長していて、見下ろすかたちでこちらを見ている。キメラよりも悍ましい何かを感じさせるその化け物には、身体の大きさ以外にも別の変化が見受けられる。


 継ぎ接ぎの部分は以前よりも細かく縫われ、身体を構成する生物の種類が増えて居る、その中には人間のものと思われる部分も存在して、全体のフォルムもより人に近いものと成っていた。


 口と思われる部分には新鮮な肉と血が付着しており、奴の身体の隙間から覗ける扉の奥の光景から、奴が何を食べていたのかが窺える。


「なんで、こいつが……」生きているんだと言う言葉は続か無い。だって死体が消えていたのだ、生き延びていたとしても不思議な事では無い。


 姿や形が些か違うが、その化け物があの時遭遇したものと同一のものである事は直観的に理解出来た。理解出来てしまった。


 だから奴の言葉にすらなっていない筈の、複数の生物が上げる悲鳴にも似た奇声の意味を理解出来てしまう。


『また、見つけた。僕の玩具。今度はちゃんと遊ぶ。ぐちゃぐちゃにして、ボロボロにして遊ぶ。それから美味しく遊ぶ』

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