第一章 旅の始まり1

 一番最初、ライドと呼ばれた一匹のキメラが覚えている最も古い記憶は雪だった。


 まるで鳥かごに押し込められた一羽の鳥の様に自由に羽ばたく事も出来ず唯々茫然と眺めた窓越しに見る降り積もる雪の景色。


 あぁ、今でも覚えている。何があろうと忘れるものか。あの場所、あの空間、あの時間を過ごした記憶は何時になっても色褪せない。


 *  *  *


 ゴロゴロと床に転がりながら眺めている本のページを捲る手を止める。ヒューヒューと外から聞こえる、うるさい風の音に導かれる様に窓を見上げると雪が降り始めていた。


 その光景を窓越しに眺めていると、何故だか無償に懐かしさを感じる。


 今すぐにでも外に出て、降り積もる雪の山にダイブしてしまいたくなる衝動に駆られたので、すぐ後ろで何かの計算をしている自身を造り出した白衣の人物に尋ねる。


「なぁ博士、まだ外に出たらダメなのか?今外で雪が降っているから、触りに行きたいんだけど」


 だけど僕のこの気持ちは博士には伝わっていない様で、博士は溜め息交じりの声で予想通りの返事を返してきた。


「何度言ったら解るんだ。お前の身体はまだ安定仕切って無い今、外に出たとしても長時間の活動が出来ないどころか、数秒と経たずに直ぐに倒れるだけだと何度も言っているだろう」


 僕は博士の答えに対して、むー、と睨み返し「博士の意地悪」と言い返すが、博士の方ほ気にする様子も無く再び机に向き直り作業を再会する。


 その後、何度か話しかけても面倒になったのか博士に無視される様になった。


 博士に造られてから約三年半、半年前にようやく培養液から出して貰ってから暫くは、博士が文字や言葉を直接教えてくれた。


 何か一つの事を覚える度に博士が褒めてくれるのが嬉しかったものだから、どんどん覚えて行った結果、この工房内にある本に書かれた文字だけでなく、その内容まであっという間に覚えてしまった頃には、博士は僕にわざわざ何かを教える事は無くなっていた。


 僕が文字の読み書きを出来る様になった事で、博士は僕の身体が外に出ても耐えられる程成長するまでの間、定期的な検査位しかやる事が無いからと研究の方に没頭してしまった。


 外に出れる様に成れば本格的な運動性能のテストや色々な実験を行うとの事なのだが、それも身体が安定しない事には出来ない為、それまで窮屈で退屈な日々を送っていると言う訳だ。


 退屈凌ぎに工房内の本を読んでいるがその殆どが博士の研究に関わる錬金術に関連する専門書しか無い為、読んでいても楽しいものでは無い。そもそも僕が錬金術を使えない事が分かってからは、わざわざ細かい部分まで読み返す気も無くなっていた。


 だが他にする事も、出来る事も無く取り敢えずパラパラとページを捲り、こうして唯茫然と眺めているのだ。そして最後のページを捲り終えるとパタンと本を閉じて、また最初からパラパラとページを捲り始める。それの繰り返し。


 暫くして、本のページを捲る手を止めて時間を確認する。時計の針が指定の時刻をそろそろ刻もうかという所で本から手を離し、何時もの用紙を手に取りある場所に向かう。


 そこは僕が造られて三年間お世話になった培養液でたっぷりと満たされたカプセルが大量にある部屋。


 カプセルの下には、人魚、鳥人、猫人と何を造ったのかを記録するプレートが張られている。


 その中の一つ、人魚のプレートが張られたカプセルの前まで向かい、中の様子を確かめる。中には、まだしっかりと形の定まっていない肉塊が漂っている。


 軽くコンコンと、カプセルを傷つけない様に気を付けながら、中に伝わる様に振動を加えると、中を漂う肉塊の一部が伸びて来てコンコンと叩き返してくる。


 その様子を眺めた後、記録用紙に今日の日付と観察の記録を書き残し、次のカプセルの前に向かい同じ事をする。


 カプセルに入って居るのは全て、僕と同じく博士の造り出した同胞達だ。まだ形の定まらないこの肉塊達の様子を観察して、反応があるかを確認するのが、今の僕がする唯一の暇潰し、じゃなくて仕事である。


 博士の指示で決まった時間にこうして反応があるかを確認して、記録を取るだけの作業だが唯ページを捲り続けたり、茫然と窓の外を眺めているよりは楽しい。


「全員返事有りっと、いつも通り目立った変化も無し、今の所順調みたいだな。頼むから途中で異常とか出ないでくれよ」


 そう言いながら書き終えた記録用紙を所定の場所に置く。


「予定では一年後に、この中の一体が出られる様になるんだっけ、折角だし名前も考えないとな」


 ちなみに僕の名前は自分で考えて付けた、博士に任せたら酷い名前だったものだから、当時頭にふと浮かんだ「ライド」って名前を自分の名前にしたんだ。


 今カプセルに入っている子達は全員を博士の謎センスに任せて変な名前にするぐらいなら、今ここで名前を付けてしまってもいいかもしれない。そんな事を思い付き頭を捻りながら考える。


 そして、一つ思い付いた名前を次に出てくる予定のカプセルに張られたプレートに書き込む

「セリカ」とプレートに書き込むと、中に漂う肉塊も何処か喜んでいる様に漂っているように見えた。


 気のせいなのかもしれないが、喜ぶ様に見えるその様子が嬉しくなって、他のカプセルにも思い付いた名前を付けて行く。今あるカプセルに一通り名付けを終えて満足した後、先程本を捲って時間を過ごしていた部屋に戻った。


 本日の経過観察の記録を付ける作業を終えた事で再び暇になってしまい、相変わらず雪が振り続ける外の様子を格子窓越しに眺める。


 雪が降り積もり出来た白い絨毯、空を自由に飛び回る鳥達、そして遠くに見える森や他の山々が目に入る。あの先、更に奥にはきっと見た事も無い世界が広がっている。そんな事を思い描きながらも小さく溜め息をこぼす。結局外に出られないのではそれらを見る事も叶わない。


 暫く雪を振る外の様子を眺めていたせいか、背筋が冷える様な気がした。寒いなと思いながら格子窓から離れて暖炉の前に移動するが、今度は頬に冷たい風が触れる。


 隙間風でも吹いて来て居るのだろうかと思いその場をぐるりと見回すと、玄関の扉が少しだけ開いているのを発見する。きっと博士が外に薪を取りに出た際に閉め忘れていたのだろう。


 博士の方をチラリと横目で見ると、博士は作業に集中している様子でこちらにも、玄関の扉の方にも気付いていない様だ。


 今なら外に出られると思いこっそりとドアに手を掛ける。直ぐに戻れば博士にバレる事も無いだろう。そんな事を考えながらそっと玄関扉を潜りこっそりと外に出る。


 そこにはいつも窓越しで眺めるだけだった真っ白な景色が広がっていた。


 山の中腹と言う事もあるのか、凍えそうな程の寒さだったがそんな事も気にならない程、外に出れたという喜びの方が勝った。後先考えずに白い雪の絨毯に足跡を刻みながら走り出す。


「わーい、雪だー」憧れていた外の景色の中にいる。達成感と興奮が身体を支配して、博士に聞こえる事とか考えずに大きな声を上げながら走り回る。


 だが、一分も経たない内に息がまともに出来なくなってきて苦しくなり始める。


 そして身体に力が入らなくなり、成す術も無くその場で膝から崩れ落ちた。段々と意識が遠くなっていき、朦朧とし始めて来た頃に遠くの方から呆れたような溜め息と共に見知った人影が近付いて来る。


「だから倒れると言っただろ」人影はやや面倒そうに僕を抱きかかえて、白衣を雪に濡らしながら工房まで連れて戻った。


 なんだか随分昔にも同じ様な事があった様な気がする。何故だか解らないけど涙が零れてくる。あの日々に戻れたなら、過ぎた後悔が胸の内で知らない記憶と共に止め処無く溢れて、そして意識が途絶えた。


 あれから五年が経過した。博士はキメラ作製の手順を一部簡略化に成功したとかで喜び、調子に乗ったせいで工房内では慌ただしい生活を送っている。


 まだ外に出てみたいとは思っては居るものの、急に増えた仲間達の世話をする事で退屈はしない毎日を送れてはいる。


 まるで弟と妹の世話をしていた時みたいだなと思い、ふと動きが止まる。今おかしな事を考えたような、僕にとって兄妹は今目の前にいる同胞達が初めてのはずだ。それなのに一体どうして今他の人物の顔が頭に浮かんだんだろう。


 この時の僕は時々、記憶があやふやになる事がある。それには勿論原因もあるのだが、今はそれを深く考えても仕方ないと振り払い、兄妹達の世話を続ける。


 十人近くいるまだ幼い同胞を風呂へ順番に入れて身体を洗う。中には身体を洗われるのを嫌う者もいたが、身体を洗わなければ毎日の検査が出来ないので無理やり風呂に入れている。その度

に毎度暴れられるので最後に自分が風呂に入る頃にはかなり疲れてしまっていた。


 狭い湯舟に肩まで浸かり目を瞑る。こうしていると僕が見た事も無い景色を見る事が出来るのだ。


 最初に気付いたのは疲れから自然と目を瞑った事が切っ掛けなのだが、どうやら僕の身体は、リラックスした状態で目を瞑る事で、僕の身体を構成している素材の持っていた記憶を一部垣間見る事が出来るらしい。


 だがこの時に見れる記憶の中には先程頭に浮かんだ綺麗な金の髪をした弟と妹の姿を目にした事は何故か無い。代わりにいつも風呂場で見るのは、澄み渡る青空の下で見た事も無い怪物達と一人の少女を楽し気に追いかける映像だけが浮かぶ。


 頭の中で再生された映像で少女が夜空に輝く青い星と同じ色の瞳をこちらに向けて微笑んで来るといつも映像が途中で途切れて、面白く無い映像に切り替わり始める。その面白く無い映像を見てしまう前に瞼を開けて、風呂を上がる。


 日が経つごとに見れる映像は徐々にぼやけてきて、恐らくそう遠く無い内に見れなくなってしまうのだろう。今はこの映像を見る事で外に出たい気持ちを抑えられているが、映像が完全に見れなくなる頃までには外に出れれば良いのになんて思いながら、検査を受けに博士の元まで向かう。


 血を抜いたり体重を測る等の毎日の検査を終えた後、広間に向かう。


 朝と寝る前に、この全員が入れる空間の部屋で同胞達に読み書きを教えて居る。最初は僕が直ぐに覚える事が出来たのだから、同胞達もすぐに覚えられるだろうと思っていたのだが、そんなことは無かった。そもそも文字を覚えようとしない者まで居るのだ。


 てっきり僕が文字や言葉をすぐに覚えられたのは、人間を素材に造られたからだと思っていたのだが、そう単純な話でも無かったらしい。


 いや、もしかしたら素材にした物が人格や学習能力に影響しているのかもしれない。


 僕自身、一部だが素材にしたものの記憶を引き継いでいる訳なのだし、同胞達も素材によって何らかの記憶や感情なんかを引き継いでいてもおかしく無いのだ。


 実際勉強を嫌っていたりよく暴れる同胞達は、気性の荒い魔物や犯罪者の死体を素材にして造られた者が多いのだし、逆に優秀な人物を素材に使えば、勉学に励むキメラとか造れるんじゃ無いだろうか。ならばと思い博士に次に造るキメラの素材に付いて提案して見る事にした。


「なるほど、確かにそれなら素材を選定するのも今後は検討してみるのも良いかもしれないな。だが、それでも……いや今、あれは関係ないか?」博士は何か含みを持たせて会話を終わらせた。


「なんだよ博士、何か問題でもあるのか?」


「ライドが気にする必要は無い、それよりも先程の検査結果が出たんだが。喜べようやく長年の望みが叶うぞ」


 博士がそんなことを突然言い出したので、一瞬何の事か良く解らず呆けてしまう。


「なんだ、外に出たかったんじゃ無かったのか」


「へ、外、出ても良いの?」


「あぁ、ここ最近の検査結果もかなり安定して来ているし、今日の検査結果の数値を見ても基準値を上回って居たからな。身体の方も既に安定している筈だ。今日はもう遅いから明日の朝に取り敢えず工房前で軽く運動性能のテストをするぞ」


 博士の言葉を聞き終わり研究室を出て扉を閉めた所で、ガッツポーズをする。


 この時をどれだけ待ちわびた事か、ようやく外に出る事が出来る。念願が叶うという嬉しさや喜びが込み上げてきた。


「あれ、でもなんでここまで外に出る事に拘っていたんだっけ、まあいいや、ようやく外に出る事が出来るんだ今は深く考えずに明日に備えて寝るとするか」


 その日はそのまますぐに眠った。凄く気持ちよく寝れたのを今でも覚えている。


 翌朝、博士に呼び出されて玄関の前まで向かう。博士が先に外に出て、開け放った扉の前で外に出るように促して来る。


 同胞達はまだ身体が安定していない為、玄関近くで羨ましそうに脱走対策の錯越しにこちらを見てくる。


 そんな中、扉の向こうに見える雪の絨毯へ一歩足を踏み出す。初めて工房を出たあの日と違い、背が伸びた事で気のせいかもしれないが前とは少し違う景色を見ている様な感じがした。一歩また一歩と雪の上を歩き進め周囲を見渡す。


「身体の調子はどうだ。異常は無いか?」


「…………」


 博士の言葉が頭に入って来ず、茫然と外の景色を眺め続ける。


 ほんの一瞬、脳裏に青い瞳の少女がこちらに微笑み掛けて来た様に見え、いつのまにか頬に一筋の涙が流れた。


「どうした。何か問題でもあったのか?体調が悪いなら今日は早めに切り上げるが」


「何でも無いよ博士。さあ、始めよう」


 もう戻れない過去の記憶から目を反らし、博士の元に駆け寄る。その日は運動性のテストだとか言われて、山を何度も登り降りさせられ、僕も身体を動かせる事に調子に乗ったせいで、次の日まともに動けない程の筋肉痛に襲われたのだった。


 それから、外に出られる様になって約二年経った頃、博士が研究を初めてから最大の危機が訪れた。


 それは、食料問題だ。と言うのも今までは工房内の自家栽培出来る食料プラントのお陰で何とか食いつないでいけていたが、博士が調子に乗って増やしたキメラの数がその食料プラントだけでまかなえ無くなってしまったのだ。


 まだ培養液のカプセルに入っている同胞もそこそこいる。このままでは、その同胞達が全員外に出た時、十分な食料を与える事が出来なくなってしまう。


 博士も反省して食料プラントの増設をしてくれているが、安定して収穫出来る様になるのはまだ暫く先になってしまうのだとか。


 近くに森があるので、狩りをして動物を捕まえるにしても狩りの経験が有る者は当然いない、それに狩りに使えそうな道具事態工房にはあまり無いものだから、狩りの提案は却下となった。


 他に方法も思い付かずどうしたものかと考えていると、博士からある提案を受ける。


 *  *  *


「本当にライド一人で行くの、せめてもう一人くらい付いて行っても良いんじゃないの」


「そうだよ、ライド兄ちゃんだけ人間の住む村に行くなんてずるいよ」


 玄関先で準備を終えた僕に同胞達が見送りに来てくれた。


 二つ年下のセリカは不安そうな面持ちで、最近ようやく文字を覚えたピートの方は羨ましそうにそんなことを言ってくる。


「ピート、博士も言っていただろ。今回はあくまで下見にいくだけだからな。ピートも良い子にしていたら、そのうち博士が一緒に行っても良いって言ってくれるよ。だから今回はお兄ちゃんに任せてお留守番してな」


 ピートにそう言いながら頭を撫でると、不服そうな顔をして不貞腐れてしまった。


「セリカ、帰るまでの間に皆が勝手に外に出ない様に見張っててくれよ。そんな心配そうな顔しなくてもすぐに戻るって」


 今にも泣き出しそうな顔をしているセリカの頭を撫でて、博士に向き直る。


「それじゃあ博士行って来るよ」


「ああ、金の数え方は教えた通りだが、さっきも言った様にその耳と尻尾はバレない様に気を付けるんだぞ」


「わかってるって、夕飯までには戻って来るよ」


 そう言い残し工房を後にした。


 一人で木々を掻き分けて麓にあるという村に向かう。頭には狼の耳を隠す為に帽子を被り、尻尾が隠れる様にローブを羽織る。


 この辺りは寒いから厚着していると思わせればバレることも無いだろう。傍から見れば人間の少年にしか見えない恰好だ。


 狼の耳を無理やり帽子に押し込めているからか常にごわごわと音が聞こえるがそれも少し辛抱すれば良いだけだろう。


「しかし博士はなんで、村人の前では人間の振りをしろなんて言ったんだろう。わざわざこんな服まで用意して」


 いつも着ている真っ白な服と違い、所々にわざと切れ目をいれたボロボロに見せかけている服。博士からは村人に会った際に、この服を着て孤児院から来た事を伝える様に言われていた。


 なぜ博士がそんな事を言うのかこの時の僕には良く分からなかった。それでもこの服を渡した時の博士の表情を見るに冗談を言っている訳では無いことくらいは十分に理解出来る。きっと何か博士なりの考えあっての事なのだろう。


 そうこう頭の中で考えながら獣道を通り、草木を掻き分けながら進んでいると、建物らしき物が集合している場所に到着した。


「ここが人間の住んでいる場所か」


 木と石で建てられた建築物がだいたい等間隔に並んで降り、鉄鋼技術が使われた形跡も無く、どの建物を見ても博士の造った工房には遠く及ばない程度の技術で造られたものばかりが目に入る。


 人間が暮らす場所と聞いていた為、工房の様な建物が沢山あるものと勝手に想像していたから、少しだけがっかりした。


 博士に聞いた話だと最新技術は全部、都市部に集まっているのだとか。だからこそ僻地にあるこの村ではこんなものかなんて勝手に納得して、村の中を歩いていると村人らしき人物に声を掛けられた。


「おい、お前今森の方から来なかったか」村人は品定めするような目をして尋ねて、そう来る。


「えっと、はい。森の方から来ました。じゃなくて森の奥にある孤児院から来ました」


 わざとらしくボロボロの服を見せつける様にそう言うと村人の顔がにっこりと笑顔になる。


「そうか、話は聞いているよ。食料を買いにこれからも村に来るんだってね。まだ幼いのに偉いねぇ。内のバカ息子にも見習わせたいくらいさ」


 村人は笑顔でそう言うと、村のある場所を指差した。


「次に来るときからは山道の方を通ると良いよ。森を直接抜けて来られたら紛らわしいし、危ないからね」


 村の山側に位置する出入口を指差したまま村人は笑顔でそこまで言い終わると、急に声色を変えてゴミを見るような目をして「次に森の方から出てくるのを見たら殺すから」と言い残し去っていった。


 初めて恐怖というものをこの時感じた。明確な敵意、明らかな殺意、初めて出会った博士以外の人間から向けられたそれは、この村の村人を敵視させるには十分過ぎる程だった。


 僅かに身震いした後、目的の食料を売っている店を探そうと歩き出した時、ピギャーという何かの鳴き声が聞こえて来た。その声は助けを求める様に何度も、何度も、何度も繰り返し辺りに響き続ける。正体が気になり、恐る恐る声のする方向に向かう。


 するとそこには、目をそむけたくなるような後継が広がっていた。


 亜人や魔物、更には人間までもが鎖に繋がれて値札を首から下げている。そのどれもが僕が着ている以上にボロボロの服に見えなくもない布らしき物を着ており、瘦せ細った身体には幾つもの痛々しい傷跡が見られる。


 そのどれもが籠の様な牢に押し込まれて、村の人間と思われる者達は皆一斉に金を握り閉めてあれを買うだのと値札に書かれている番号を叫んでいる。


 そして、牢に押し込められていたものの一人が買われた。買われた本人は涙目になりながら必死に抵抗するが商人らしき人物に無理やり引っ張り出され、買った村人の前に突き出される。そして、殴られた。


 村人達は買ったものを労働力にするのではなく複数人で囲み殴っている。何度も何度も何度も、血走った目で必要以上に殴り続けている。


 その行いに混ざる村人達の笑顔は誰もが笑顔で、笑顔で、笑顔で…………。


 村人に気付かれない様に木陰で吐いた、身体がぶるぶると震える。村人の浮かべるあの笑顔を見ていると、気持ち悪くて、きもちわるくて、キモチワルクテ…………。


 脳裏にあの映像が映し出される。もう見れなくなった筈のあの映像の続きを、面白くも無い記憶の光景。


 気が付くと手には尖った石を持っていた。僕はそれをこちらに一切気付いていない村人の後ろで振り上げている。


「あれ、今何をしようとしていたんだ」ふと我に返り、自分が今しようとしていた事を思い留まり、手に持つ石を投げ捨てる。


 そして、途切れる悲鳴、新たな悲鳴を聞き流し、目的の食料を買いに村の中を歩きだす。店を探す中で、牢にあれらを押し込めたであろう商人と目が合った。


 真っ白の装束を身に纏い、その首元には金の首飾りと思われるものをさげている。僕はそいつに構う事なく目を逸らし、再び店を探して歩き出しす。目を逸らす際に商人の顔がにやりと笑みを浮かべた様に見えた。


 店で目当ての食料を必要分以上に買い、入った時に言われた山道の方へ足を運ぶ。


 そこから工房までひたすら何も考え無い様にして歩き続けた。


 工房に辿り着き玄関で荷物を置くと、緊張の糸が解けたかのように全身の力が抜けてそのまま床に倒れ込み、意識を手放す。


 頭の中で面白くも無い映像が勝手に再生される。拒否しようにも瞼を開けて見ないようにも出来ない。


「なぜだ、なぜ裏切った。なぜ彼女を殺したんだ」


 冷たくなった彼女を抱きしめ、ひとり吠える。


「必要な犠牲なのです。心配せずとも君や、お仲間もすぐに後を追わせますよ」


 優しくも冷徹な声と共に、無数の槍が飛び出して自身の身体を貫かれる。全身から流れた血は彼女が褒めてくれた白銀の毛並みを赤黒く染め、狂おしい程の苛立ちが湧いて来る。


「貴様ら、一人も生きて返れると思うなよ」


 温度を感じなくなった彼女を置いて、暴れる。そして眼前に浮かぶ無数の矢を目にした。


 そこで手放した意識が戻る。嫌な記憶。大切な者の命を奪われただけでなく、仇も取れずに死に行くなんて。


「目覚めたか」隣でカップを片手に持つ、博士の姿が目に入る。見渡すとこの部屋が博士の研究室である事気付く。どうやら玄関で倒れていた僕を助けてくれたらしい。


「すみません。お手を煩わしちゃったみたいですね」


「いちいち気にするな。それで、何があったんだ」博士は手に持っていたカップをこちらに渡して、村での出来事を話す様に促してくる。


 渡されたカップに入っている紅茶を一口飲むと少し気持ちが落ち着いた。そして、ゆっくりと博士に村で見た事を話す。


「そうか、あの村の連中は相変わらずのようだな。まあ正体がバレていないなら問題ない。人間の振りをして、貧乏孤児院から買い出しに来ただけと思わせていれば奴らは何もして来ないさ」


 博士はまるで、あの村では普通の事だとでも言うかの様にそう言った。


「博士、人間は皆ああなのか。あんな弱いものを痛めつける事を楽しんでいるような。もしかして博士もあんな事をしたいと思うのか」


 博士はあの村人達と同じであって欲しく無いとの願いからそんな事を口にしていた。


 そんな僕の言葉に呆れた様子で博士は一つの溜め息をつく。


「馬鹿を言うな、私をあんな連中と一緒にするんじゃない。あいつらは自分が弱い事から目を逸らして成長や夢を諦めた連中だぞ。それに対して私は唯一つの目標に向かい今尚成長を続けているのだ。つまり、私はあいつらよりも優れて居るのだ」


 博士は声を荒げれそんな事を言って来た。


「そ、そうなんだ」博士が何を言って居るのか良く分からないけど、博士は村人と違うと言った事だけは、分かって嬉しかった。


「それから、ライドよ。一応言っておくが、あの村の人間が特殊なのであって全ての人間をあれ基準で考えない方が良いぞ。あれより酷い人間も、あれより綺麗な人間も居る。人間もそれ以外の種族だろうと個人の考え方というのは千差万別なのだからな」


 付け加えるようにそう言われた博士の言葉には何か含みがあるように感じたが、この時の僕には、そんなものなのかというくらいにしか感じられなかった。のだが続く博士の言葉で良い事を言われた筈なのに台無しに聞こえてしまう。


「そもそも私にとっては研究が全てだ。研究に関係の無い事を一々やっている暇など私には無い。そしてお前たちは研究対象だ。安心しろ研究に関係無い内はお前達をわざわざ傷つける事なんてないさ」


「博士、それって研究に関係あれば傷つけるって事なのか」


「別にそうなっても流石に殺さない程度にするさ、貴重な研究対象をわざわざ減らす真似はしないとも」


 思わず溜め息をつく。そう博士はこういう人だった。自分の興味がある事にだけは何処までも真っ直ぐでいて、まったくぶれないし、自分にも相手にも嘘を付かない。


 要らなければすぐに手放し、必要に成れば補充する。そして貴重な物は擦り切れるまで使い続ける。そんな人だった。


「博士のそういう研究熱心なところ、僕は好きだよ」


 村での出来事や、記憶の中の出来事で人間がどうのと考えていた自分が馬鹿見たいに思えてしまう。博士を見ているといちいちそんな事を気にしても仕方ないのだと思えて来た。


 受け取ったカップに注がれた紅茶を飲み干して机の上に置くと、時計の針は既に深夜を刺そうとしている。


「詰まんない話に付き合ってくれてありがとう博士、お陰で少し気が楽になったよ」


 博士にそれだけ言って研究室を後にする。明かりの付いていない廊下は夜目が効かなければ転んでしまいそうな程に暗く、その暗さが心を落ち着かせる。


 先程の会話を頭の中で繰り返しながら寝所に向かおうと廊下を歩いていると、部屋の扉の前で三角座りをして寝こけていしまっているセリカの姿を発見する。


「おーい。セリカ、こんな所で寝てたら風を引くぞ」


 近付いて身体を揺らして起こすと、セリカはゆっくりと瞼を開けて寝ぼけた顔でこちらを見てくる。


「ライド?」寝ぼけたまま発する声は、まだ夢現といった様子で食べてしまいたいくらいかわいらしい。


「……?…………!」セリカは寝ぼけた目でこちらを見つめていると、ようやく目覚めたのか突然目を見開き抱き着いて来る。


「ライド、もう大丈夫なの。何処も怪我とかしていない。死んだりしないよね」


 セリカはこちらの身体を揺さぶり、ペタペタと触って無事を確認する。


「大丈夫だよ、もう何とも無いから」


 セリカは僕のその言葉を聞いた後、僕の顔を覗き込んで、涙を溜めた目でこちらを見てくる。

その様子が、どれだけ彼女に心配掛けさせたのかが解ってしまう。


「心配したんだから。帰って来たと思ったら倒れているし、すぐに目を覚まさないものだから、このまま目を覚まさなかったらどうすれば良いのか分からなくて怖かったんだよ」


「大丈夫、もう平気だから。悪かったな心配掛けさせて」そう言うと、セリカは安心したからか泣き出してしまった。その日は一晩中セリカの頭を撫でてなだめ続けて廊下で朝を迎える。


 なだめている間、窓越しから優しい光が差し込んだ。夜空に浮かぶ青い星の光。名前の無いその星の光を浴びている内に僕の心にある思いが湧いた。そしてその思いを失わない為にある誓いを胸の内に立てる。


 *  *  *


 それから暫くしたある日の朝、あの夜以来日課にしているトレーニングを終わらせて、村に向かう準備を始める。


「ピート、あまりライドに迷惑を掛けたらダメだからね」


「分かってるって、セリカ姉ちゃんの方こそ前見たいに上の空で家事をしていたらダメだぞ」


「あ、あの時はその……」ピートの指摘にセリカは顔を赤くしてこちらを見てくる。


「大丈夫だよ。今日入荷するみたいだから、ちゃんと買って帰るよ」セリカにそう言うと笑顔で見送ってくれた。


 初めて僕が村に行ってから暫くの間、定期的に村に買い出しに行く様になった。今のところ、村人には孤児院から買い出しに来ている孤児だと思われている様で、特に怪しまれている様子は無い。


 何人か荷物持ちや気分転換で仲間達を連れて来ているが、僕が一緒にいる姿を見せれば村人は皆にこやかに挨拶をして来る。それがまた不気味で気持ち悪く思えて来てしまう。


 初めて来た日にあんなものを見なければ、こんな気持ちにも成っていなかったんだろうが、逆にあんなものを見たからこそ常に正体がバレない様に警戒出来ているのだと考えると複雑な気分になるものだ。


「よう坊主、この前言っていた本入荷しているぜ」


 食料品を買いに立ち寄った雑貨屋で店主が話しかけて来た。その手には以前セリカに頼まれていたお伽噺の絵本を持っている。


 セリカから、まだ文字や言葉を覚えている最中の幼い仲間達に勉強の感心を持ってもらうには良いんじゃ無いかと提案されてから、村で一番帝都からの入荷が早いこの雑貨屋に頼んで取り寄せて貰っているのだ。


 まあ、セリカの反応を見るに自分が読みたいだけの様にも思えるが、幼い子らを率先して世話してくれているので、多少の我儘は大目に見ている。


 絵本の購入を終えて店の外を出ようと扉に手を掛けると、店主が慌てた様子で呼び止めて来る。


「あ、坊主。少し待ってくれ。坊主に聞いておきたい事があるんだけが」


 店主は急いで引き出しに入れていた紙を取り出して、読み上げる。


「坊主はヘンリー・R・クラウンって名前に聞き覚えは無いか?」


 正直聞き覚えどころか良く知っている人物だったが、面倒事にしたく無いので顔には出さずに知らない振りをする。


「いや、初めて聞くぞ。クラウンって有名なお貴族様だろ。なんで店主がそんな人物を探しているんだ」


 この世界では家名を名前に加えて名乗る人間は貴族か異世界人くらいしか名乗らない。その上探しているというクラウンの名を持つ貴族はこの国では知らぬ者がいない程の有名な名家だ。


「それが何でもそのヘンリーとかいう奴は、この国を裏切った重罪人らしくてな。見つけて報告するだけでもたっぷりと懸賞金が出るのさ」


「でも、逃亡しているならそもそも人のいるような場所にはいかないんじゃないのか。それにそんな危ない人の事なんて僕が知っている訳ないじゃないだろ」


「そりゃそうだよな。ダメ元で聞いてみたがやっぱりわかんねえか。まあ見つけたら教えてくれや、速攻で帝国兵に報告するからよ。そしたら報酬は山分けで良いぜ」


 工房に戻ったら博士に今の話を報告しないといけないなと思いながら、話を終えて店を出る。


 店の外では、荷物持ちをしていた筈のピートが何故か村の子どもと仲良く遊んでいた。


 傍から見たら幼い人間の子どもが遊んでいる微笑ましい光景なのだがこちらとしては気が気じゃない。


 ピートの肩と脇腹には鱗がある。その鱗が剥がれれば全身の皮膚が変色して魔物の姿になる特徴を持って居るのだ。結構簡単に剥がれてしまう鱗なので、もし何かの拍子に剥がれる事が有ればと思うと……。一瞬嫌な想像をしてしまった。


「ピート、買い物も済ませたし、そろそろ帰ろうか」不安を振り払いピートに声を掛ける。その声を聞いたピートは遊んでいた子ども達と別れてこちらに駆け寄って来た。


「ライド兄ちゃん。俺、この村で友達が出来たんだよ。スゲーだろ」


「ああ、凄い凄い。でも約束を忘れるなよ。破ったら注射よりも怖い目に合うぞ」


「わ、分かってるよ。村人の前では人間の振りをしなきゃいけないんだろ」


 大の注射嫌いであるピートの顔は、注射よりも怖いの一言で一瞬にして青ざめる。


 こう言っておけば大抵の事には従ってくれるから、自分から正体をバレる様なしないだろう。実際は直接村人が普段何をしているかを見せるのが手っ取り早い気もするが、それはもう少し精神的に安定してからにしたい。


 こんな可愛い家族に一生忘れ無さそうなトラウマとか与えたく無いしな。


「ライド兄ちゃん、手繋いでくれ」ピートが震える手を伸ばしてきた。少し脅すつもりで言っただけなのだが、注射という単語にまさかここまで怖がる反応するとは。こっちの方が一生消えないトラウマになるんじゃ無いのだろうか。


 そんな事を思いながら伸ばして来た手を握り返すとピートは安心したかの様に胸を撫で下ろし、そのまま工房まで手を繋いで歩いて帰った。

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