通学路を通る人たち

おさけがい

2021年、秋、朝方。

 私が何よりも好きなバンドの曲に、街中に行き交う人々を歌った曲がある。信号待ちをしているとき、車から見えたものを歌詞にしたものだった。ありふれた風景、ありふれた出来事なのに、よくここまで素晴らしい曲にできるだろうと感心した。それに影響されて、この小説を書く。題名も、話の名前もぜんぶそれのアレンジだから、分かる人には分かるはずだと思う。

 起床のアラームは、いつも上で書いたバンドの曲だ。朝練などは無いが、五時台に起きる。それは精神的な不調(書くと長くなるので割愛)のため漢方を飲んでいるからだ。医者が言うに食前三十分の空腹時に服用するのが一番いいらしい。だから起床を三十分も前倒しするハメになったが、薬はかなり効いているのでまぁ許せる。

 家を出るのは7時台になる。数年前に購入したロードバイクで駅に向かう。

 当たり前だがヘルメットを着用し、常に車道の左側を走っている。もちろん夜は自転車・ヘルメットの前後にあるライトを点灯させ、安全に気配りを怠らない。

 駅に行くには二通りのルートがある。近いが交通量が多いのと、少し遠回りで交通量が少ないものだ。時間がないときは前者、ある時は後者を使っている。帰りは常に後者だ。

 振動でチャリンチャリンとハンドルに付けた鈴が鳴る。建物の隙間から射す日差しがまぶしい。朝の冷たい空気が身体に当たる。町を包む霧も空に点々とある雲も、全てが美しくて気持ちが良い。

 坂の途中は怪しい料理店がある。青い建物で駐車場の入り口にはロープが張ってあって入れない。横にある畑はおこわを育てていたが、全部枯れてしまったんだっけ。そこを過ぎると林の中にお墓が見える。どうしてそんな場所に作られたのか心底疑問。ここらへんに知り合いはいないから永遠の謎だろう。

 登り切ったところにある交差点の、下り坂の先に駅はある。

 正直通るたびに頭にくる。苦労して坂を上ったのに、なんで稼いだ位置エネルギーを速度に変換した先に目的地があるのか。線路を引いた人間に小一時間問い詰めたい。

 駅は市街地に囲まれているくせして、無人駅かと思うくらいに荒れている。改札口は少ないし、駅内に自販機もなく、ホームのアスファルトはボコボコ。それに待合室には常に酒とつまみが捨てられている。常日頃ゴミを道端に捨てるなとか言ってくるくせに、人気のない場所では平気でそれをする。汚い大人たちだ。買ったものくらい持ち帰って捨ててくれよ。

 イスの下にはオケラの死骸が見える。以前にはクモとかメジロとかカエルも死んでいた。ここは墓場かなにか?

 調べたらここは圏内屈指の秘境駅で有名らしい。首をぶんぶん縦に振って納得したい。

 カバンからイヤホンを取り出し、スマホで音楽を聴いて電車を待つ。

 例のバンドのアルバムは好みのものを半分くらい買ってあって、オリジナル約二十作のうち十作でベストも4枚全部持ってるから相当の額をつぎ込んだと思う。百曲超をパソコン経由で入れたときはどれだけ感動したことか。

  全盛期が九十年代でボーカルの歳が父親と同じくらいのバンドだけど、本当にいい。聞けば父親も生まれる前に流行っていた曲をよく聴いていたらしい。親子とは似るとはよく言ったもので。

 乗る車両はいつも同じ。だから乗り合わせる客もさほど変わらない。

 入れ違いであるおじさんが電車から降りた。彼は鉄道会社にとって迷惑極まりない行為というか犯罪を犯している疑いがある。そう、無賃乗車だ。毎日改札を堂々とスルーする。だけど確たる証拠は無いのでどうにも動けないでいる。電車には詳しくないからよく分からない。

 公共交通機関の電車には、実に色々な人がいる。私のような学生や、サラリーマン、おじいさんから赤ちゃんまでいる。社会階層のるつぼみたいなもので。

 綺麗な人もいれば醜い人もいる。健常者から障害者まで全てが可視範囲に収まるのは社会を知らない若造にとってある意味貴重なのかもしれない。

 特に印象的なのは、いつも降りる駅で入れ違いで電車に乗るお兄さんだ。彼は4月の時点で私の目を引く外見をしていた。センター分けだ。

 好きなあのバンドのボーカル、若い頃(2002年ごろで?)はセンター分けをしていた。もうそれがめちゃくちゃにかっこいい顔で、惚れてしまいそうだ。

 そんなのだから、始めて見たときは親に「○○(地名)の○○(ボーカル名)だ!」とか言い散らかしていた。なお最近は違う髪型をしている。誠に勝手ながらもどして欲しい。似合ってたし。

 電車を降りてエスカレーター列に並ぶんだけど、一番後ろはいつも同じ人たちで、私らに譲るように最後尾に構えている。なぜだかよく分からない。

「おはよう。」

 改札を出ると部活の先輩が声をかけてくれる。そして他の部員と合流し学校へ向かうのがいつもの流れだ。

 駅前は一見栄えているようにみえるが、目を凝らしてみると胸が締め付けられるくらいに寂れている。商店街はただの廃墟と化し、既得権益を貪る時代遅れの百貨店、大人しか行けない居酒屋などしか残っていない。高校生が行けるような場所はコンビニしかない。ゲームセンターもカラオケもハンバーガー店も本屋もレストランもない。この町にだけは住みたくないと思わせる駅前。

 寄り道とかそんなことはせず、ただ真っ直ぐ学校へと歩いていく。

 駐車場に差し掛かったことろで一台の車とすれちがう。運転席と助手席には若い男女が座っている。カップルだろうか、彼氏が彼女を駅に送っている。毎朝見るけど、すれ違うたびに羨ましさを感じる。素敵な出会いがあるといいな。

 綺麗な人、素敵な人がいれば、真逆の場合もある。

 この町は、後者のほうが圧倒的に多い。

 べろんべろんに酔った男や道の真ん中を走る自転車、爆音でわけのわからない音楽を鳴らして走る車に狭い道のくせにかなりのスピードを出す車。千葉県で飲酒運転の車が児童の列に突っ込んだのを忘れたのか。

 他には金髪に髪を染めたお母さんとかタバコを吸いながらジロジロ見てくるおじいさんとか。同級生に聞いてもとにかく「○○(市名)はヤバい」と言われる。

 散々文句を垂れてきたが、学校はとても楽しい。都会方面へ通学したかったけど、精神的不調によりそれは叶わずここに入学した。

 頭いい奴もいる。楽しく愉快な奴もいる。馬鹿みたいに笑って騒ぐうるさい奴もいる。いじられるけど愛されている奴もいる。そして、私がいる。

 まだ一年目の秋だ。まだまだ何があるか分からない。一度完全に折れた心がどうなるかは知らない。だからこそ、若々しい今を楽しむべきで、怖いものを知らずあるがままであるべきじゃないのかな。

 学校に行って、馬鹿みたいに学んで、笑って、はしゃいで、部活して食べて遊んで寝て。たまにこうやって書きなぐったり物語を妄想したりする。アクセス数を見て喜ぶ。コンテストに応募してみる。

 そりゃ自己嫌悪に陥るとか過去に苛まれるとか、一年前からの心の暗闇がしゃしゃり出てくることもあるけど、死ぬほどじゃない。生きていることが楽しい。

 勉強が手につかなくても、自分の気持ちなんか誰も理解できないと嘆いても、無駄だと思われることをしていても、やることなすこと全てにきっと意味があって、それらが未来の私を作るんだ。最近やっとこれを信じられるようになってきて。

 道の奥に校門が見えた。

 テニス部の活気ある声が、出待ちしている先生の声が、私を待つものが見えた。

「おはよう!」

「おはよう~!」

 扉を開けると、いつもいる面々が返してくれる。

 今日という一日が迎えてくれる。

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

通学路を通る人たち おさけがい @osakegai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ