恍惚

有理

恍惚

「恍惚」



落としたんじゃない。手を離しただけよ。



西條美代(さいじょう みよ)

古城桜子(こじょうさくらこ)

間藤佳奈美(まとうかなみ)

中宮透(なかみやとおる)



美代「桜子」

桜子「お揃いよ、美代ちゃん。」

美代「なんてことを、したの」


…………………………………………


美代「ごきげんよう。」

佳奈美「ごきげんよう、美代さん…!」

美代「佳奈美さんその桜の髪飾り綺麗ね。」

佳奈美「ありがとうございます!これ桜子さんみたいでしょう?」

美代「え、桜子?」


桜の花の髪留めを見つめる美代。


佳奈美「ええ!一目見たときに桜子さんが思い浮かんだんです…」

美代「…そう。」

佳奈美「美代さんと桜子さんはとっても親しい仲でしょう?ご同郷でずっと一緒にいらしたとか。」

美代「…。」

佳奈美「美代さんもとてもお綺麗だけれど桜子さんは儚げで素敵だわ…そう思うといつもつい買ってしまうのよ。」

美代「佳奈美さん」

佳奈美「はい?」

美代「あなた、」

桜子「美代ちゃん」


話を遮る桜子。


佳奈美「あ…桜子さん…」

美代「桜子…」

桜子「あら。ごきげんよう。」

佳奈美「ご、ごきげんよう!」

桜子「美代ちゃんとなんのお話をされてたの?」

佳奈美「あ、その、この髪飾りが…」

桜子「髪飾りが何?」

美代「桜子。」

佳奈美「え?」

桜子「桜でしょう?それ。」

佳奈美「はい!とっても素敵で…私には勿体ないくらいです」

桜子「そうね。桜だもの。」

佳奈美「…あ」

美代「桜子。今日は随分と遅い登校ね。」

桜子「体調がすぐれなくて。」

美代「…そう。じゃあ部室で休んでなさい。」

桜子「そうね。そうしようかしら。」

美代「佳奈美さん、ごめんなさい。桜子を送ってから教室に向かうわね。」

佳奈美「…あ、はい。先生方にもお伝えしますね。」

美代「ありがとう。助かるわ。」


先に歩き出す桜子。佳奈美の耳元で囁く美代。


美代「桜。似合ってるわよ。」

佳奈美「美代さん…」

美代「それじゃあ。」


…………………………………………


桜子「美代ちゃん。だあれ?あの子」

美代「2年の間藤佳奈美さん。」

桜子「そういうことが聞きたいんじゃないわ。」


部室のソファーに並んで座る2人。


桜子「だあれ?」

美代「2年の間藤佳奈美さん。それ以上知らないわ」

桜子「だあれ?あれ。」

美代「…。選択教室で隣の席の子よ。」

桜子「どなたがお決めになられたの?その席。」

美代「中宮先生だと思うけど。」

桜子「中宮。」


爪を噛む桜子。


美代「桜子、なんでもないただの女学生じゃない。特別なことは何もないわ。」

桜子「当たり前じゃない。ただの女学生以上であっていいわけないでしょ。」

美代「桜子…。」

桜子「…。ねえ。美代ちゃん明日のお茶会、何のお花にする?」


立ち上がり美代に背を向ける桜子。


桜子「ゼラニウム?フリージア?ライラック?」

美代「季節が違うじゃない。」

桜子「それとも、ダリア?」


振り返る桜子。


美代「…。」

桜子「美代ちゃん。」

美代「バラよ。」

桜子「ふふ。バラはメインでたくさんスターチスも使いましょうか。」

美代「そうね。」


美代の隣に座り、膝に頭を乗せる。


桜子「美代ちゃん。今日はこのままでいて。」

美代「ええ。桜子。」


桜子の頭に手を添える。


…………………………………………


佳奈美「ごきげんよう、美代さん」

美代「…ごきげんよう。」

佳奈美「昨日は、桜子さん大丈夫でした?あれから美代さんもお戻りになられなかったから…」

美代「ええ。大丈夫よ。」

佳奈美「…」

美代「…。」

佳奈美「…あの、美代さん、私…」


美代の前に立ち足を止める佳奈美。


佳奈美「ごめんなさい!私、何か粗相をしてしまったのよね…。桜子さんと美代さんに…。ごめんなさい!」

美代「あ、いえ、別に…」

佳奈美「遠い方々とお話ができたから、嬉しくて…ごめんなさい。」

美代「そういうわけじゃ」

佳奈美「え!本当?!」

美代「いえ、あの、」

佳奈美「よかったわ!私、二度とお話ししてくれないんじゃないかと思って眠れなかったくらいなの。もしよかったら…またお話ししてくださる?」

美代「…佳奈美さん、」

桜子「いいじゃない。」


美代の後ろから現れる桜子。


桜子「私たちの部室にお招きになったら?ゆっくりお話しできるでしょう?」

美代「桜子、なにを」

佳奈美「いいんですか?!私とっても嬉しいです…!夢かしら…わぁ…」

桜子「夢なんかじゃないわ!現実よ!」


佳奈美の手をとる桜子。


美代「桜子…」

桜子「ね、美代ちゃん?」

美代「え、ええ…」

佳奈美「なんて言ったらいいか…ありがとう…」

桜子「私今日はとってもいい気分なの。部室でお茶でも煎れてゆっくりお話ししましょう。授業なんて放っておいて、私たちだけの時間を楽しみましょう。」


満面の笑みの桜子。涙を浮かべる佳奈美。


中宮「それは困るよ、古城くん。」


美代「中宮…先生。」

佳奈美「先生…。聞いていらしたんですか?」

中宮「授業なんて放っておいてってところだけ聞こえたよ。それは教師として困る。」

桜子「…。」

中宮「古城くん。体調がいいなら、たまには授業に顔を出してくれないか?」


爪を噛む桜子。


美代「先生。今日は私と一緒にちゃんと出ますから。」

中宮「西條くんもいつも大変だね。」

美代「別に、大変なことなんて」

中宮「西の西條、東の古城?だったっけ。そんな名家同士の幼馴染みなんて仲良くせざるを得ないんだろう?」

美代「先生、」

中宮「友達も選べないなんて、大変なことだよ。」


鞄を地面に叩きつける美代。


美代「中宮先生。お言葉がすぎます。」

佳奈美「美代さん…」

美代「どういうつもりで仰ったのか理解できませんが、ご自身のお立場は考えておられますか?」

中宮「…。」

美代「残念ながら私は聞いたことは忘れません。ご自分でもよく覚えていらして下さいね。西條家と古城家を愚弄したこと。」

中宮「それは、失礼しました。」

美代「失礼なことではないわ。立派なご意見よ。的外れも甚だしい。桜子行くわよ。さぞかしご立派な先生の素晴らしい授業を聞かなくてはね。」

桜子「ええ。」

中宮「…。」

美代「では後ほど。ごきげんよう。」

中宮「…ごきげん、よう。」


…………………………………………


夕暮れの美術準備室。


佳奈美「先生?」

中宮「ん?」

佳奈美「朝のお言葉。驚きました。」

中宮「朝?」

佳奈美「桜子さんと美代さんに。」

中宮「あぁ…。まずいかもしれないね。」

佳奈美「なんであんなこと、」

中宮「君があんまりにも楽しそうだったから、意地悪したくなったんだ。」


佳奈美の首筋に顔を埋める中宮。


佳奈美「ん、先生…先生、さっきしたばかりです…」

中宮「まだ日は落ちてないよ。」

佳奈美「先生…」

中宮「間藤くん。」


美術室に立つ桜子。


桜子「…汚い。」


…………………………………………


古城家。桜子の部屋。


美代「桜子?」

桜子「久しぶりね、うちに来るの。」

美代「そうね。学校で会えるから、なかなか来なくなってたわね。」

桜子「いらっしゃい、美代ちゃん。」


ティーカップを並べる桜子。


美代「急に呼び出して、どうしたの?」

桜子「別に。久しぶりにうちでお茶でもと思って」

美代「そう…」


紅茶を淹れる美代。


桜子「私、美代ちゃんがお茶淹れてる手が好きなの。」

美代「そう?何も特別なことはしてないけど」

桜子「ふふ、でも好きなの。」

美代「このくらいのことならいつでもしてあげるわ。」


美代「最近、当主様とは上手くやれてる?」

桜子「…。」

美代「この前学校を休んでいたのはその肩のあざのせい?」

桜子「…だいぶ薄くなったと思ってたんだけど。見える?」

美代「ううん。この前の部室で膝枕した時に見えた。」

桜子「…」


左肩から首筋にかけて棒状のアザがいくつも見える。


桜子「上手くやっていたのよ。最近は。」

美代「うん。」

桜子「生け花のね、百合の花粉を取り忘れたの。」

美代「花粉を?」

桜子「そう。お洋服についてしまうでしょう?家ではあれをとるのよ。触っても汚れないように。」

美代「…そう。相変わらず厳しい方ね。」

桜子「いいえ。古城ですもの。当たり前よ。」


桜子「間違いは許されない。」

美代「桜子…」

桜子「お父様は正しいのよ。」


美代の淹れた紅茶を飲む桜子。


桜子「ふふ、美味しい。」

美代「古城家の紅茶だもの。」

桜子「いいえ、美代ちゃんが淹れてくれたからよ」

美代「そうかしら。」

桜子「特別なの。私にとって美代ちゃんは。」


桜子「なによりも。特別なのよ。」


使用人「失礼します。お茶菓子のご用意ができました。」

桜子「今日のために取り寄せたの!いただきましょう。」

美代「ええ。いただくわ。」


…………………………………………


佳奈美「ごきげんよう。美代さん!」

美代「ええ、ごきげんよう。」

佳奈美「桜子さんは?おやすみなの?」

美代「さあ、分からないわ。一緒に登校しているわけではないから。」


美代の横に並んで歩く佳奈美。


佳奈美「この間は驚いたわ。美代さん、あんな怖い顔をされるのね。」

美代「この間?」

佳奈美「中宮先生と揉めたじゃない。」

美代「ああ。」

佳奈美「びっくりしたのよ。とっても怖かった。」

美代「私は仕方なくで桜子といるわけじゃないのよ。怒って当然だと思うけど。」

佳奈美「そうよね。あの言い方は桜子さんに失礼だったわ。」

美代「失礼?」

佳奈美「だって、まるで桜子さんという人を否定してるように聞こえたわ。中宮先生があのような事を言うだなんて、それにも驚いたもの。」

美代「桜子を否定したから腹が立ったわけじゃないわ。家の名前を翳して馬鹿にしたからよ。」

佳奈美「…そう。」


佳奈美「桜子さん。お綺麗よね。儚くて、でも強くて。」

美代「儚い?」

佳奈美「ええ。」

美代「桜子に伝えたら?喜ぶんじゃない?」

佳奈美「…。」


美代「桜子は今まで私以外に友達ができたことがないのよ。」

佳奈美「…。」

美代「あなたと桜子が仲良くなってくれると、私も嬉しいわ。」

佳奈美「…ええ。」


美代「…、佳奈美さん?どうかした?」

佳奈美「いいえ。なんでもないわ。」

美代「そう?だったらいいのだけど。」


佳奈美「羨ましい、と思って。」

美代「桜子が?」

佳奈美「いいえ、美代さんが。桜子さんは美代さんしか見てないもの。」

美代「そういうわけじゃないと思うけど。」

佳奈美「特別なのよ。桜子さんにとって、美代さんは。」

美代「そうかしら。」

佳奈美「羨ましいわ。」


佳奈美「…羨ましい。」


…………………………………………


部室で爪を噛む桜子。


桜子「悪い花粉達はとらなきゃね。美代ちゃんが汚れちゃう前に。」


佳奈美「桜子さん。」


部室で独り言を言う桜子に声をかける佳奈美。


桜子「あら。何かご用?」

佳奈美「美代さんが、桜子さんはここにいらっしゃるって言ってたから…」

桜子「…そう。」


ソファーに座る桜子。


桜子「何かご用?」

佳奈美「私、桜子さんに憧れてこの学園に入ったんです。」

桜子「そう。」

佳奈美「7年前の、父の参加した総会に私も着いていったんです。その時お会いしたのが初めてでした。」


ソファー側に膝をつく佳奈美。


佳奈美「あんな華やかな場なのに、桜子さんは真っ暗なドレスを着ておられました。首から足首まで真っ暗な。」

桜子「…。」

佳奈美「そしてつまらなさそうに楽団の演奏を見下ろしていました。そのお姿が今でも目に焼き付いています。」

桜子「…それで?」

佳奈美「その次の年の総会も父にお願いして連れて行ってもらいました。その年も真っ暗なドレスを着ていらっしゃいました。今度は丈の短いレースのドレスでした。そしてあなたはまたつまらなそうにワルツを踊るダンサーを見下ろしていました。」

桜子「だったら何かしら?何のご用?昔話をしにこられたの?」


佳奈美「桜子さんは、美代さんのことがお好きなんでしょう?」

桜子「…何?」

佳奈美「だって、一昨年の総会で真っ青のドレスを着た美代さんが現れた瞬間、あなたの真っ暗な目は満天の星空になった。それまでどんなに素敵な演奏やダンスにも見向きもされなかったのに。特別なんでしょう?美代さんはあなたにとって。」

桜子「だったら、何?」


桜子の手をとる佳奈美。


佳奈美「お手伝いさせてください。」

桜子「は?」

佳奈美「美代さんはお気づきになられない。あなたの思いに。でも私はあの日あの瞬間から、その星空の瞳が続くように願うのをやめられない。あんなに冷め切ったあなたの目が煌めいたあの瞬間をどうしても忘れられないんです。どうか、私を使ってください。あなたと美代さんのために。どうか私の思いを受け取って下さい。」

桜子「…ふふ」


桜子「ふふふ、あはははは、おかしな子ね。あなた。」

佳奈美「桜子さん…」

桜子「あなたがそれでいいなら利用するわ。」

佳奈美「…はい。」

桜子「友達以上ね。私達。美代ちゃんにはないしょよ。」

佳奈美「あ、ああ、」

桜子「ね。秘密の関係。」


佳奈美の口を自分の口で塞ぐ桜子。


佳奈美「さ、さくら、こさん」

桜子「その髪飾り、お似合いよ。佳奈美。」


佳奈美「はい。桜子さん。」



…………………………………………


中宮「失礼します。」

美代「先生。」

中宮「西條さん。」

美代「家に何か御用かしら」

中宮「今日は美代さんのお父様に教師としてではなく個人的に呼ばれまして。」

美代「…そう。」


リビングを離れようとする美代。


中宮「先日は、失礼しました。」

美代「…。」

中宮「不躾なことを。」

美代「思ってもいないことを。謝っていただかなくて結構。」

中宮「僕は、西條のお家のために美代さんが無理をされているんだとばかり思っていたものですから。つい、口を挟んでしまった。」

美代「…。」

中宮「あなたは本当に慈悲深い人だ。あの古城くんには悪い噂ばかりが付き纏う。それでもあなたは変わらず一緒にいる。」

美代「たかが教師如きが、桜子の何を知ってるの?」

中宮「何も知りませんよ。噂如きしか。」

美代「だったら語らないことね。」


中宮「桜子くんの悪い噂は、あなたの周りでよく聞く。」


美代「…」

中宮「聡明なあなたは気付いてるはずだ。彼女のトリガーはあなただ。」

美代「…お父様がなぜあなたを呼んだのか知らないけれど。不愉快なことを仰るなら出て行ってくださらない?」

中宮「あなたへの独占欲が、彼女を」

美代「ちがうわ。」


美代「桜子は…寂しいだけよ。」

中宮「寂しい…」

美代「桜子はお母様もいない。古城の家は孤独であり続けなければならない。寂しいのよ。あの子の周りには誰もいないの。昔から。」

中宮「たしかに、古城家の奥方は表に出ないですね。」

美代「でないんじゃないわ。誰だかわからないのよ。私も知らないもの。」

中宮「あなたでも知らないことがあるんですね。」

美代「他人が触れられない部分は誰にだってあるでしょう。」


中宮「桜子くんはいつもあなたをみています。」

美代「そんなことないわ。」

中宮「あなたにすがっているようにみえます。」

美代「あの子は誰かにすがったりしない。」

中宮「…。」


中宮「…。中宮、透です。」

美代「は?」

中宮「僕は、中宮透です。お父様にあなたへ勉強を教えるように頼まれました。」

美代「…授業だけで結構よ。」

中宮「学校とは別に家庭教師として頼まれました。」

美代「結構よ。」

中宮「お父様からの命令です。僕からは何とも言えませんよ。」

美代「…。」

中宮「西條美代さん。どうぞ、よろしく。」



…………………………………………



佳奈美「ごきげんよう。美代さん」

桜子「美代ちゃん。おはよう」


ソファーに座る桜子と佳奈美。


美代「あ、ごきげんよう。」

佳奈美「美代さんもいかがですか?」

美代「え、ええ、紅茶?」

佳奈美「お花の、桜子さんが持ってきてくださって。」

桜子「花茶、佳奈美飲んだことないって言うから持ってきたの。」

美代「…そう。いただくわ。」

桜子「美代ちゃんが淹れた方が美味しいんだけど、美代ちゃんのお茶は佳奈美には飲ませないわ」

佳奈美「ふふ。意地悪ですね、桜子さん。」

桜子「意地悪で言ってるんじゃないわ。」

美代「…。随分、仲良くなったのね。」

桜子「そう?佳奈美ったら、変わってるのよ。老舗料亭の一人娘のくせにピアノも弾けないの。」

佳奈美「旅館にピアノなんて置いてないんですもの。」

桜子「じゃあ今から習いなさいな。私がバスを弾くから、美代ちゃんがバイオリン、佳奈美はピアノ。合わせたら楽しそうじゃない?」

佳奈美「私、ヴィオラなら弾けますよ?」

桜子「ふふ、変なの。」


美代「ふ、ふふ。」

桜子「なに?美代ちゃん」

美代「ううん。桜子が誰かと楽しそうに話してるの初めて見たわ。なんだか嬉しくって。」

桜子「私だって話くらいするわ。」

美代「ええ、そうよね。」

桜子「変な美代ちゃん。」



…………………………………………


佳奈美「ねえ、先生?」

中宮「何かな、間藤くん。」

佳奈美「お忙しいの?最近時間作ってくれないから。」

中宮「ああ、西條の家に家庭教師で雇われているんだ。」

佳奈美「美代さんの?」

中宮「そうだよ。」

佳奈美「そう。」


中宮「間藤くん。例の件、調べてくれたかな?」

佳奈美「桜子さんのこと?」

中宮「ああ。」

佳奈美「…。」

中宮「君の憧れてる彼女の秘密。」

佳奈美「…。たしかに古城家はうちを贔屓にしてくれてるわ。」

中宮「そうだろう。」

佳奈美「でも。どうして桜子さんのことを」

中宮「古城家の秘密を知りたいんだ。なぜあんな極道紛いの事をしているのに世間から認められているのか。」

佳奈美「そんなこと知ってどうするの?」

中宮「弱みを握っていれば怖くないだろう。」

佳奈美「先生の仰っている意味がよくわからないわ。」


中宮「間藤くん。僕はね、他所から来た人間だ。無知というのは何よりも怖いんだよ。ここでは古城家と西條家が名を馳せている。そして古城家は特に噂が尽きない。周りが知ってるほどのあくどい事をしているのになぜ住民は羨望の目でみるんだ?」

佳奈美「…古城家は特別なのよ。」

中宮「そう。みんなそう言うんだ。」

佳奈美「でも単純に一つ、どうしてかなって思うことはあるわよ。」

中宮「どんなこと?」

佳奈美「古城家は、当主の方以外は姿を見せないの。後継の子供はいるのに。」

中宮「桜子くんの母親ということかな」

佳奈美「桜子さんだけじゃないわ。桜子さんのお父様、今の古城家当主のお母様も、先代は女性だったけれどその方のお父様も。」

中宮「なぜ?」

佳奈美「理由は知らないわ。」

中宮「知らないことが怖くないのか。」

佳奈美「…。先生、私はね、知らなくていいこともあると思うの。」

中宮「知らなくていいこと…」

佳奈美「知らないままでいる方が幸せなこともあると思う。」


中宮「僕は、そうは思わないな。」

佳奈美「残念」

中宮「…。今日はもう帰るよ。」

佳奈美「そう…寂しい。」

中宮「間藤くん。寂しさと嫉妬心はどちらが強いと思う?」

佳奈美「今度は何?変な先生。」

中宮「知り合いと話してたのさ。」

佳奈美「そうね。嫉妬に勝るものはないわ。」

中宮「…そうか。」


中宮「また時間つくるから。」

佳奈美「ええ。待ってるわ。」



中宮「古城桜子。君は…」



…………………………………………



桜子「もしもし。あら、どうしたの?」


桜子「そう。先生とそんな話を?」


桜子「あなた何か知ってるの?」


桜子「…そう。」


桜子「いいえ、話してあげて構わないわよ。どうせある程度の目星をつけたからこの街に来たんでしょう。」


桜子「別に。寂しい?ふふ、興味がないのよ。」


桜子「それよりもあなた、いつまで続けるの?あれと。」


桜子「近いうちに潰すわ。離れた方がいいんじゃない?」


桜子「ふふ、そう。」


桜子「特別っていうのは、1人だからいいのよ。」



…………………………………………


美代「…先生。」

中宮「解けましたか?」

美代「ええ。」

中宮「採点しましょう。」


参考書を受け取る中宮。


美代「学園でも顔を合わせて、家でも会うなんて飽きてくるでしょう。」

中宮「美代さんは飽きてきましたか?」

美代「…別に。」

中宮「僕は飽きませんよ。」


中宮「家ではあまり笑わないんですね。」

美代「私が?」

中宮「ええ。」

美代「そうかしら。」

中宮「学園では生徒らの憧れですもんね。」

美代「さあ。」

中宮「注目の的であり続けるのはプレッシャーでしょう。」

美代「分かったようなこと言うのね。」

中宮「だからお屋敷では意外な一面を見られるので飽きませんよ。」

美代「先生って、変人ね。」

中宮「変人?」

美代「言われない?変わってるわ。」

中宮「はは、そうかな。」

美代「よく教師になんてなったわね。」


中宮「僕の母は教師だったからね。」

美代「そう。」

中宮「ありきたりだろう?」

美代「ええ。ありきたりね。」


中宮「美代さんの母君はどんな方なんだ?」

美代「普通よ。」

中宮「お父様とはよく会うけれどお母様はあまり会えないからね。」

美代「ああ、母も事業をしてるからよ。」

中宮「そうだったのか。」

美代「ええ。でも毎週末には帰ってくるわ。」

中宮「お父様も温厚な方だし、素敵な家庭なんだろうと思ってね。」

美代「そうね。不満に思ったことは一度もないわ。」

中宮「良家というのは、そういうものなんだろうな。」

美代「…。」


美代「中宮先生、」

中宮「ん?」

美代「必ずしも良家が幸せだなんて思わないことよ。」

中宮「それは桜子くんのことかな。」

美代「…」

中宮「君は本当に優しいんだね。」

美代「優しいっていうのかしらね。」

中宮「彼女のことがよぎるくらい忘れないでいてあげているんだろう。彼女の孤独を少しでも減らせるように。」

美代「ただのエゴよ。」

中宮「君は自分を否定してばかりだな。」

美代「私は桜子に比べたら恵まれて満たされてるわ。同じ良家と呼ばれる家の子なのに、不公平じゃない。」

中宮「だからといって君が不幸になる必要はないだろう。」

美代「代わってあげられないのよ。」

中宮「優しすぎるのも、問題だな。」

美代「桜子は、桜子はね。一度も泣かないのよ。」

中宮「…」

美代「どんなに厳しい教育を受けても、どんなに辛い罰を受けても。人の前で絶対泣かないの。」

中宮「君の前でも?」

美代「4つの頃から一緒にいるけど見たことないわ。」


美代「私ばかり幸せでいるのがたまに辛くなる。あの子は今日も歯を食いしばっているのかもしれないって思うと。代わってあげられたらいいのに。」

中宮「美代さん。」


中宮「満点だよ。」

美代「え?」

中宮「問題。全問合ってる。」

美代「…ああ。」

中宮「君自身も満点だ。」


中宮「でも、毎回満点じゃなくていいんだよ。僕らは人間なんだ。人間というのは未完成であるべきなんだ。」

美代「…」

中宮「死ぬ前に完成しちゃったら生きている意味がなくなるだろう?」

美代「あなた、本当に変な人ね。」

中宮「そうかな。」

美代「でも、そういう当たり前のことを私達は忘れてしまっているのかもしれないわ。」

中宮「人間だってことを忘れたのかい?」

美代「ふふ、それを忘れるってなに?化物とでもいいたいの?」

中宮「いや、そういうわけでは…」

美代「変な人」

中宮「あ、バカにしてるな。」

美代「バレた?」

中宮「先生なんだぞ、こう見えても」

美代「ふふ、そうね。こう見えても」


…………………………………………


数ヶ月。学園。中宮の授業の後。


桜子「美代ちゃん。」

美代「なに?」

桜子「中宮先生と何かあった?」

美代「へ?!」


桜子「アイコンタクト。してなかった?」

美代「しないわよ。そんなこと。」

桜子「そう。」


美代「ねえ、桜子。」

桜子「なに?」

美代「私ね、」

桜子「うん。」

美代「惹かれてるんだと思うの。先生に。」

桜子「…。」

美代「今まであまりこういう気持ちになったことがないからよくわからないんだけど、多分。」

桜子「…」

美代「でも先生に恋なんて、愚かよね。」

桜子「…。」

美代「おかしなこと言ってるってわかってるのよ。でもね、目で追っちゃうの。なんでかしらね。感情が言うことを聞かないっていうのは変な感じね。」

桜子「そう。」


美代「桜子も私を愚かだと思う?」

桜子「…いいえ。」

美代「本当?桜子、恋愛のイメージがないもの。」

桜子「そうね。」

美代「まだ誰にも話せてないのよ。」

桜子「1番初めに話してくれたの?」

美代「ええ、桜子には何でも話せるの。でも反対されたらって思うと怖かった。」

桜子「美代ちゃんは間違わないわ。」


桜子「間違えるわけがない。」

美代「そんなことない。私だってただの人よ。」

桜子「私が言ってるのよ。古城家の私が。」

美代「桜子だって、間違っていいのよ。」

桜子「え?」

美代「間違ったっていいの。その後直せばいいんだから。」

桜子「…」

美代「先生がそう言ってた。私達、人として肝心なことを忘れていたのね。」

桜子「…そう。」

美代「だから、桜子のお父様だって」

桜子「お父様は。」


声を張り遮る桜子。


美代「っ…。」

桜子「お父様は間違わないわ。」

美代「桜子…でもね、」

桜子「美代ちゃん。その先は言わないで。美代ちゃんの口からそれを聞きたくない。お願い。言わないで。」


桜子「…ねぇ。お家では先生に何を習うの?」

美代「あ、そうね、えっと、一学年上の…。あれ?私、先生が家に来てるって言ったかしら。」

桜子「どうでもいいじゃない。そういうことは。」

美代「…。」

桜子「ねぇ。どんなお話をするの?」

美代「桜子のことも話すわよ。」

桜子「私のこと?」

美代「えぇ。最初は、桜子のこと誤解してたみたいだけど。独占欲のかたまりだーって。」

桜子「ふふ。」

美代「なに?本当にそうなの?」

桜子「いくら私でも美代ちゃんを独り占めにしようだなんて、そんなことは思わないわ。」

美代「でしょ?」

桜子「できるものならしてみたいけれど、私達のような家に生まれたからには無理じゃない。将来必ず誰かの子を産むわ。独占なんてできやしない。」

美代「そうね。」

桜子「私、無謀な野望は持たないようにしてるの。」

美代「あら。意外と現実的なのね。」

桜子「意外?そりゃあ昔はやきもちを妬くこともあったけど。でもあれはただのやきもちじゃないのよ。」

美代「それって中等部の時のこと?」

桜子「美代ちゃん知ってた?あの頃執拗に美代ちゃんに媚びうってた茶道家の娘。あの子の親は西條家に近づく為に彼女にそうするよう言ってたのよ。」

美代「え。」

桜子「あと、卸問屋の娘もそう。当時赤が続いてたから西條家に縋って起死回生を狙ってたのよ。」

美代「そう、だったの。」

桜子「私、そういう下心が嫌いだった。だから手荒なマネもしたかもしれないわね。でもそういう風に美代ちゃんを利用されたくなかったの。」

美代「知らなかった。私、心のどこかで桜子は私が他の友達を作るのが嫌なんだと思ってたわ。」

桜子「そんな意地悪しないわ。…でも」


桜子「特別は、1人でいいと思うの。」


美代「とくべつ?」

桜子「そう。特別。」

美代「特別かあ。」

桜子「特別なの。私にとって美代ちゃんは。」

美代「でもこんなに長く一緒にいるのは桜子しかいないわね。」

桜子「ふふ。美代ちゃんにとっての特別になろうとは思ってないのよ。そんなに強欲じゃないわ。」

美代「桜子も少しはわがままを言ってもいいのよ?」


桜子「わがまま?」


美代「そうよ。たまには自分のために。わがままに、生きましょう。」

桜子「…そうね。」


桜子「変わったね。美代ちゃん。」

美代「え?」

桜子「先生と出会ってから。」

美代「よくない方に変わっちゃった?」

桜子「いいえ。美代ちゃんは間違わないわ。」

美代「桜子、」

桜子「ね、そんなことより、今度西條の家に遊びに行ってもいい?」

美代「え?ああ、それはもちろん」

桜子「久しぶりにおじさまとおばさまにも会いたいわ。」

美代「喜ぶわ。いつでも来ていいわよ。」

桜子「何を持っていこうかしらね。」

美代「何もいらないのよ?家族みたいなものなんだから。」

桜子「駄目よ。」


桜子「特別なんだから。美代ちゃんは。」


…………………………………………………………


佳奈美「ねえ、先生?」

中宮「ん?どうした?」

佳奈美「私、先生とはおしまいにしようと思って。」

中宮「…そうか。」

佳奈美「桜子さんがね、こういうの。やめた方がいいっていうの。」

中宮「…」

佳奈美「先生?私を利用しようとしたでしょう?」

中宮「な、」

佳奈美「分かってたのよ。でも、桜子さんの好きな美代さんと同じクラスにしてくれるっていうんだもの、断るわけがないわ。」

中宮「…。」

佳奈美「だから、お礼。古城家の秘密を教えてあげる。」

中宮「知らないんじゃ、なかったのか。」

佳奈美「知らないわ。知ってちゃいけないことよ。」


佳奈美「でも。特別。」


中宮「…、何」

佳奈美「古城家は跡取りをお作りになる時、必ずうちを利用するわ。料亭、高砂。華の間はいつも予約で埋まってるの。いつでも古城家が使えるように。」

中宮「高砂」

佳奈美「そう。先生が知りたいのはお相手よね。」

中宮「ああ、」

佳奈美「桜子さんのお母様は、うちで働いていた中居。名前は、なんだったかしらね。みさおって呼ばれてたけれど。」

中宮「っ、」

佳奈美「どうかした?」

中宮「相良、操。」

佳奈美「?」

中宮「相良操、だよ。」

佳奈美「…お知り合いの方なの?」

中宮「知り合いも何も、」


中宮「僕の、」


……………………………………………………………


桜子「お邪魔します」

美代「いらっしゃい」


桜子「おじさまとおばさまは?」

美代「今出てるわ。昼過ぎには帰ってくるはずよ。」

桜子「そう。じゃあ2人きり?」

美代「いえ、」

中宮「僕もいるよ。古城くん。」

桜子「…」

中宮「ちょうど家庭学習の時間だったものでね。邪魔だったかい?」

桜子「ごきげんよう。中宮せんせ」

美代「今お帰りになるところだったの。」

桜子「美味しい琥珀糖を取り寄せたの。先生も一緒に。どうぞ。」

美代「いいの?」

桜子「かまわないわ。私もお話ししてみたかったもの。」

中宮「…じゃあ、少しだけお邪魔しようかな。」

美代「お茶の準備をするわね。私の部屋で待ってて。」


中宮「古城く」

桜子「名前で構わないわ。いつも美代ちゃんの前では私を名前で呼んでいるでしょう?」

中宮「…よく、知っているね。桜子くん。」

桜子「美代ちゃんのお話の中で出てくるあなたは、私をそう呼ぶもの。」

中宮「…そうか。」

桜子「あなた、生まれはどちら?」

中宮「…君は」

桜子「隣町の町工場の一人息子。お父様が工場を、お母様は教職を。裕福ではなかったようだけれどまっとうに育てていただいたようね。」

中宮「…な」

桜子「調べるわ。当たり前じゃない。美代ちゃんが一緒になりたいと言うんだから。」

中宮「美代さんが、」

桜子「そうよ。自覚なさって。ああ、当たり前だけれどあなたと間藤佳奈美のこと一生口に出さないでくださいね。墓場まで。」

中宮「…それを知ってて許すのか。」

桜子「美代ちゃんが選んだんだもの。」

中宮「友達なら、間違いを正すべきだ。」

桜子「間違わないわ。」

中宮「君は間違っているよ。」

桜子「そう。あなたの中で私がどうだろうと興味はないわ。」

中宮「相良。」

桜子「何?」

中宮「相良操。聞き覚えはないか?」

桜子「知らないわ。」

中宮「僕の本当の母親だよ。」

桜子「…。」

中宮「10歳になったばかりの時、母は急に家を去った。僕は11歳の年に中宮家の養子に入った。」

桜子「そう。」

中宮「古城家はそこまで調べられなかったか?」

桜子「ええ。」

中宮「なぜだかわかるか?」

桜子「何が言いたいの?」

中宮「古城家が消したんだ。僕の母を。」

桜子「…そう。」

中宮「存在ごと。全てを消した。だから君は調べられなかった。」

桜子「だから何?消す必要があったからお父様はそうなさったんでしょう。だったら私は知らなくてもいいわ。」

中宮「相良操は、」


中宮「君の、実の母親だよ。」


桜子「…なに」

美代「遅くなってごめんね、いい紅茶がなくって」

中宮「あ、」

桜子「おかえりなさい。」

美代「…何か、間が悪かったかしら」

桜子「ううん!美代ちゃんがどんなお勉強してるか先生に聞いてたのよ。」

美代「そうなの?」

中宮「ああ、飲み込みが早くて驚いていると、」

美代「桜子なんてもっと先の勉強をしてるのよ。私なんて、」

中宮「また、そう言う。美代さんの悪い口癖だ。」

美代「あ、いけないわね。癖になってるの」

桜子「…」

中宮「すぐに追いつくさ。」

美代「あら、大きく出たわね。桜子には敵わないわ。」

桜子「なあに?」

美代「桜子の学力に少しでも追いつきたくってね」

桜子「違うわ。なあに?美代ちゃんの悪い口癖って。」

中宮「美代さん、私なんてっていつも自分を否定してばかりなんだ」

桜子「ねえ。なあに?美代ちゃん。」

美代「…、私なんてって、よく言っちゃうの、」

桜子「美代ちゃんは私の特別なんだから、そんなの気にしないで。」

中宮「…」

桜子「あ、これ、琥珀糖ね。」

美代「わあ、綺麗ね。」

桜子「先生?お時間大丈夫?」

中宮「あ、ああ、長居してしまったね。」

美代「え?今から頂くのに?」

桜子「これ、少しだけれどご自宅で食べられて?」

中宮「あ、」

桜子「美代ちゃんの紅茶は私が頂くわ。」

美代「先生、」

桜子「さようなら。」

中宮「…じゃあ、また学校で、」


立ち去る中宮。


美代「…何かあったの?」

桜子「なにが?」

美代「私がいない間に、先生と何か揉めた?」

桜子「ううん。何にもないわ。」

美代「…本当?」

桜子「心配性ね。何にもないわよ。」

美代「そう、」

桜子「…嫉妬したの。」

美代「え?」

桜子「私ずっと美代ちゃんと一緒にいるのに、美代ちゃんに口癖があるなんて知らなかったわ。」

美代「口癖ってほどでもないわよ。」

桜子「そう。」

美代「…先生と何かあった?」

桜子「…いいえ。」

美代「そう、」

桜子「ねえ、美代ちゃん。」

美代「ん?」

桜子「私、古城家の当主になれるのかな。」

美代「…桜子」

桜子「いけないわ。なれるんじゃなくてならないといけないのに。」

美代「弱音を吐いたっていいじゃない。私達人間なんだから、少しくらい我儘になったっていいのよ。」

桜子「…我儘」

美代「前も言ったけど、桜子は頑張りすぎだもの。」

桜子「…いいのかしら。」

美代「ええ。」

桜子「…そう。」

美代「ねえ。桜子。どうして私たちばかり我慢しなくてはいけないの?」

桜子「…」

美代「せめて私の前では我儘になっていいのよ。」

桜子「…そう。」

美代「…ねえ。桜子?」

桜子「なに?」

美代「先生は、ダメかしら。」

桜子「…美代ちゃんがいいなら。いいのよ。」

美代「本当に?」

桜子「どうして?」

美代「桜子も、先生のこと、」

桜子「私は違うわ。…私は古城家の人間よ。恋愛なんてしないわ。」

美代「でも、」

桜子「2人が結ばれるよう、応援するわ。」


桜子「だって、美代ちゃんは間違わないんだから。」


…………………………………………


佳奈美「桜子さん、お部屋に呼んでくださるなんて、光栄です。」

桜子「佳奈美。」


桜子「美代ちゃんが、我儘を言ってもいい、と許してくれたわ。」

佳奈美「え?」

桜子「だから、私。そうするわ。」

佳奈美「美代さんに告白を、」

桜子「違うわ。そんなもの我儘でもなんでもないじゃない。」

佳奈美「では、何を」

桜子「特別になるのよ。私と美代ちゃんは。誰にも真似できない、特別に。」

佳奈美「特別、」

桜子「手を貸しなさい佳奈美。」

佳奈美「…私は、」

桜子「あなたは共犯よ。」

佳奈美「共犯…ええ。私はあなたのためなら何でもします。何でも。」

桜子「さあ、はじめましょう。私の我儘を。」


……………………………………………


佳奈美「ごきげんよう。先生。」

中宮「…こんばんは。間藤くん。」

佳奈美「華の間、今日は偶然あいているんですよ。」

中宮「…。」

佳奈美「伝統ある華の間を、ご覧になってください。」

中宮「…お邪魔するよ。」


佳奈美「私、他人の喜んでいる顔をみて綺麗だと思ったことはあるけれど、あの人のお顔を見た時、全く違う感情が芽生えたんです。」

佳奈美「完璧なお顔は、笑うと歪むんですよ。憎らしい、あの素晴らしいお顔を歪ませてしまうなんて。」

佳奈美「おかしいかしら。ね?先生。」


美代N「秘密は華やかな襖の中。誰にも知られず閉じ込められた。」


………………………………………………


佳奈美N「学園を卒業すると、私は家業を継ぎ、料亭“高砂”は活気を増した。美代さんは中宮先生とすぐに婚約し、西條家は養子に入った中宮先生が継ぐことになった。あたたかい家庭、外から見た私でもそのように見えた。」


美代N「先生と結婚した私は、穏やかで優しい時間の中で生きていた。婚前開いた祝賀会を最後に桜子とは会っていない。外国へ帝王学を学びに行ったとお父様から聞かされていた。新しい命が私に宿ったことも知らせられず、時だけがさらさら流れていた。」


桜子「ごきげんよう。美代ちゃん。」


美代N「聞き慣れたその声は11月の乾いた季節に響き渡った。4年ぶりに見る桜子は学園の頃と何も変わらず凛と立っていた。ただ腕に抱くレースのショールにひどく違和感を感じた。」


佳奈美「ごきげんよう。皆さん。どうぞ夢の間があいてますよ。」

桜子「ありがとう佳奈美。」

美代「…桜子」

桜子「もう風が冷たいわね。入りましょう?美代ちゃん。」

佳奈美「どうぞ。」


美代「…桜子、久しぶりね。ずっと連絡も取れなくて、心配してたわ。」

桜子「ごめんなさい。それより美代ちゃんおめでとう。」

美代「え?あ、ええ。ありがとう。」

桜子「女の子だったのね。お名前は?」

美代「…あかりよ。火に登るという字の燈。」

桜子「そう。とっても綺麗な名前。」

美代「ねえ、桜子」

桜子「ふふ、可愛らしいわ。ねえ、耳の形美代ちゃんそっくり。」

美代「桜子、子供を?」

桜子「ええ。燈ちゃんの1日後に産まれたの。男の子。」

美代「…知らなかった」

桜子「古城家は子供を授かったら産むまで外には出ないもの。仕方がないわ。」

美代「でも嬉しいわ。同じ年の子供が2人ともいるなんて。私たくさん誰かに相談したくてね、」

桜子「私も嬉しい。ねえ、みて?目元は似ているかしら?ああ、この口は違うわね。でも眉の形は似てるわ」

美代「…燈と桜子の子が似るわけ、」

桜子「同じ血が混じっているんだもの。少しは似てもらわなくちゃね。」

美代「なに、」

桜子「透。この子の名前は透よ。透明の透。」

美代「桜子?」

桜子「古城家の秘密。美代ちゃんにこっそり教えてあげるわ。」

美代「…」

桜子「この子の父親は、中宮先生よ。」

美代「っ、」

桜子「最高の特別でしょ?私達」

美代「なんてこと、」

桜子「ふふ。可愛い。」

美代「なんてことを、したの。」


桜子「美代ちゃんが言うように、我儘になっただけよ」


桜子「ね?美代ちゃん。」


佳奈美N「くすりと笑う桜子さんに、あの日の華の間でのことが昨日のことのように私の脳裏によみがえった。」


……………………………………………………


中宮「桜子。」

桜子「どの口が呼んでらっしゃるの?私の名を偉そうに。」

中宮「君は、僕の妹なんだよ。」

桜子「それは消された過去のはずでしょう」

中宮「母さんのこと、聞いても何も思わないのか。」

桜子「…調べたわ。あなたにそう言われてから。古城家のする仕事は完璧よ。何の粗も見つからなかった。あなたのお母様がその後どうなったかなんて、もう誰もわからないわ。」

中宮「母さんは、君を授かったあと、僕の前からいなくなった。」

桜子「でも苦労はなかったでしょう。古城家は何もかも準備してくれたはずよ。」

中宮「…何も聞かされなかった。」


中宮「大人になれば、教えてもらえると思った。いつか、いなくなった母のこと、本当のことを教えてくれると思っていたんだ。」

桜子「…」

中宮「育ててくれた2人も、何も教えてはくれなかった。」

桜子「古城家に逆らう人はこの街にいないわよ。」

中宮「君はいいのか。」

桜子「私も古城家の人間よ。お父様は間違わないわ。」

中宮「君達は、この街は狂ってる。」

桜子「だったら、出て行きなさい。美代ちゃんの愛が深くなる前に、出て行きなさい。」

中宮「…秘密を明かして、公の場に出して古城家を貶めるつもりだった。僕はそのためにわざわざ教師になってあの学園に入ったんだ。君に近づく為に美代さんを利用した。」

桜子「…」

中宮「でも、何故だろうか、美代さんが語る君は酷く孤独で、寂しくて悲しい。それが僕の唯一の妹だなんて。」

桜子「関係ないわ」

中宮「関係ないわけないだろう。君は母さんが残してくれた妹なんだよ。古城家が隠そうと、これが真実だ。」

桜子「だったら何?私の為を思ってあなたが何をしてくださるの?」

中宮「…この街を一緒にでよう。」

桜子「ふざけないで。」

中宮「君と一緒にここを出て生きたいんだ。」

桜子「私は、古城桜子よ。」

中宮「でも」

桜子「どんなに痛いことでも耐えてみせるの。私は、そう教わって生きてきた。全部西條家の為に。」

中宮「なに」

桜子「古城家は、西條家を成り立たせる為にたくさん悪どいことをやってきた。昔からよ。私がどんなことでも耐えられるのはね、美代ちゃんの為なのよ。」


桜子「なのに、街を出て行こうですって、ふざけないで。」

中宮「君はそれで幸せなのか」

桜子「特別な人のために生きられる、こんなに幸せなことはないわ。」

中宮「…僕は、君のために何かできないのか。たった1人の妹を、僕はまた古城に…」

桜子「ねえ、先生。私、こんなことを言うためにあなたをここに呼んだわけではないのよ。」

中宮「なんだよ。」

桜子「私は美代ちゃんと結婚することはできないけれど、母様の血が混じったあなたなら私の代わりにあの子を幸せにできる。」

中宮「なに、」

桜子「結婚なさい。私のために、美代ちゃんと。」

中宮「…」

桜子「子を成すの。西條家の跡取りを。」


桜子「そして、古城家の跡取りも。」


中宮「桜子、何を言っているんだ」

桜子「私の血の混じった子を美代ちゃんが産むのよ。」

中宮「…なにを」

桜子「私も同じ血の混じった子を産むわ。」


桜子「誰にも真似できない。こんな特別、ある?」


中宮「でも、美代さんが知ったら…」

桜子「産んだ子を殺すの?そんなわけない。」

中宮「…」

桜子「産むまで黙ってるわ。ね?」

中宮「でも、」

桜子「私のために生きてくれるんでしょう?」

中宮「桜子、」

桜子「お願いよ。お兄様。」

中宮「っ、」

桜子「兄妹としてするお願いは、これが最後。」

中宮「桜子」

桜子「お願い。」


………………………………………………………


佳奈美「桜子さん。」

桜子「佳奈美。本を書きなさい。」

佳奈美「本を?」

桜子「ええ。書くのよ。私と美代ちゃんのお話を。」

佳奈美「私、上手く書けるかしら」

桜子「ええ。きっと素敵なお話が書けるわ。」


桜子「今にも嫉妬に狂いそうなあなたが書くんだもの。きっと素敵よ。」


佳奈美「わかってて、させるんですね。」

桜子「ええ。ほら、動いたわ。ここ。」

佳奈美「本当。元気ですね。」

桜子「そうね。」


佳奈美「私は桜子さんが望むなら何でもしますよ。」

桜子「ふふ。おかしな子。」

佳奈美「いつからズレてしまったんでしょうね。」

桜子「ズレたの?」

佳奈美「私は、美代さんと桜子さんが一緒になればと思っていたのに。」

桜子「あら、そう?私には美代ちゃんなんか死んでしまえばいいと思っているように見えたわよ。」

佳奈美「あはは、敵いませんね。」

桜子「嫉妬は、人を狂わせるわ。私が言えたことではないけれど。」

佳奈美「…本当にいいんですか?」

桜子「なにが?」

佳奈美「美代さんに嫌われるかもしれないでしょう。」

桜子「美代ちゃんが言ったのよ。我儘を言っていいのよって。それにね、」


桜子「当たり前になって忘れられるより、2度と忘れられないくらい嫌われた方がいいじゃない。」


佳奈美「…はい。」

桜子「でもね、私を選んでくれて、私と一緒に終わる世界も見てみたいの。」

佳奈美「ええ。」

桜子「だから書きなさい。佳奈美。」

佳奈美「私が結末を?」

桜子「ええ。あなたが望んだ私達の結末を書くの。」


佳奈美「泣いているんですか?」

桜子「嘆いているのよ。」

佳奈美「美しいです。その顔が、どんな顔より。」


………………………………………………………


中宮N「僕はズルいことをしました。それなのに彼女に下される罰は愛おしく、妻に与えられる罪は仄かに鈴蘭の香りがしました。」


美代N「私ははじめて彼女の顔が歪んだのを見た」


桜子N「それはそれは、恍惚に」

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恍惚 有理 @lily000

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