リビングで

はおらーん

リビングで


深夜1時…



すぅっと、音を立てないように子供部屋のドアが開く。廊下の光が差し込むと、薄ピンクのシーツに包まった小さな体がはっきりと見えた。


「今日はどうかな…」


お母さんは夏希を起こさないように気を付けながら、そっとベッドの傍に寄った。ふと学習机に目を遣ると、開いたままのランドセルと、机に積まれたままの教科書やノートが目に留まった。また朝になって時間割合わせながら慌ただしく出ていくんだろうな、とため息をついた。4年生になってからは、自分のことは自分でやりなさいと言ったものの、心配は尽きることがない。


(ただでさえ朝は時間ないのに…)


夏希が起きていないことはわかっているが、今度は心の声を漏らさないようにした。夏希は、仰向けで頭まで掛布団をかぶって寝ている。眠りが深いようで、ちょっとやそっとのことでは起きない。お母さんは足元から掛布団をめくり、夏希の下腹部に手をもっていった。


「あー、今日はもう出てるね。まだ3時間ちょっとなのになぁ…」


掛布団から手を引き抜いて、エプロンの端でささっと拭う。廊下からの明かりしかない薄暗い部屋で、お母さんはベッドの傍に置いてあったビニールの袋を手探りで手繰り寄せた。


「ちょっとごめんね…」と言いながら、今度は足元だけではなく、夏希が被っていた掛布団ごとめくりあげた。お母さんも薄暗い部屋に段々と慣れてきたようで、掛布団をめくった夏希の様子がよく見えるようになった。上半身だけパジャマを着た少女が、気持ちよさそうに寝息をたてている。パジャマのズボンを履いていない夏希は、パンツの代わりに厚ぼったくて白い下着のようなものを身に着けている。


「結構量多いなぁ… ちゃんと薬飲んで、水分制限も守ってるのに」


お母さんは愚痴を言うような口調で独り言をいいながら、夏希の下着に触れる。上からサッと撫で程度でも湿り気を感じた。お母さんはそばに引き寄せたビニールの袋から、一枚引き出した。廊下から漏れる光がパッケージ当たり、はっきりと文字が見える。「紙おむつ」を書かれたパッケージから三つ折りのおむつを一枚取り出すと、一旦ベッドの隅に置いた。


お母さんは立ち上がって夏希の身に着けているおむつに手を書けた。パステルカラーの前当て部分から、テープを一枚ずつ剥がす。ビリっビリっと大きな音がする。おむつを外すときには空気が触れてスース―するはずだか、それでも夏希は起きる気配すら見せない。


まだ二次性徴もきていない夏希は、華奢で身長も低く、まだ子供用の紙おむつを当てることができた。3年生以降は寝る前のおむつは自分で当てるようになったが、夜に複数回の夜尿が出るため、お母さんが深夜に一度交換することになっていた。もっと小さいころは自分で履くタイプのおむつを使っていたこともあったが、体が成長するにつれて、深夜のおむつ交換が大変になるため、夏希も相当嫌がって抵抗したものの、最終的にはテープタイプを使うことになった。


(結構出てるなぁ…)


夏希のお尻から濡れたおむつを引き抜くと、丸めて手のひらに乗せる。体だけでなく、夜間の尿量も成長するらしい。お母さんは、夏希の下半身に無理やり新しいおむつを敷き込み、手早くテープを留めた。まだ小柄だからいいものの、もっと大きくなったら無理やり敷きこんで交換するの難しいだろうなあ、とお母さんは思った。



翌朝、夏希はお母さんのイラついた声で目を覚ます。


「なつきー!なつき!!まだ起きてないの!?」


一階からお母さんが怒鳴る声を遠くに聞きながら、耳元で鳴る目覚ましを止めた。眠そうに目を擦って背伸びをすると、ようやく下半身の気持ち悪さに気が付く。


「今日もかー」


特に悪びれる様子もなく、掛布団を蹴っ飛ばしておむつに手を伸ばす。チラッと見た時計は、思ったよりも針が進んでいる。おむつのテープを外しながら机の上に目を遣ると、時間割も合わせていない教科書とノートたちが散乱していた。


(ま、いいか…)


急いで立ち上がると、残りのテープを外しておむつをそっとベッドの上に置いた。夜中にお母さんがおむつ交換してくれていることは夏希も知っている。それでも毎朝夏希のおむつはたっぷりおねしょを吸収して、目の前に現れるのだった。夏希は外したばかりのおむつを、丸めもせずにベッドの上に放置して、ランドセルの中に教科書を詰め込み始めた。


その日の帰宅後にお母さんに雷を落とされたのは言うまでもない。









「お母さん!ちょっとコレ、触ってみて」


リビングに入ってきた夏希は、大きな声で台所にいる母親に声をかける。忙しそうなお母さんは、「え、何」と言いながら振り返った。そこには、おむつ姿の夏希が立っていた。上は部屋着のTシャツを着て、下半身は大きく垂れ下がった大人用のおむつを見に着けている。


「ちょっと、夏希!アンタそんな格好で…」


怒りとも呆れともつかない表情でお母さんはため息をつく。リビングには朝練に出かける準備をしている兄もいたが、興味なさそうにトーストを口に運んでいた。


「いいから~、ちょっと触ってみて!」


夏希はおむつを見せつけるように下半身をお母さんの方に突きだす。お母さんは、仕方なさそうにタオルで手を拭き、そっと夏希のおむつに手を触れた。ほのかに暖かさを感じる。


「ね?わかった?」


「うん、まぁわかったけど。そろそろ結果で示してもらわないと…」


「前より温かくない?もうすぐいけるって!絶対さっき出たばっかりだよ」


「わかったわかった。わかったから早く捨ててシャワー浴びてきて」


「はいはい」


夏希は嬉しそうに脱衣所に向かった。溢れんばかりにたっぷりと夏希のおねしょを吸いこんだおむつは、夏希が歩くのも邪魔をする。どうしてもがに股になって、不細工にお尻を振りながら脱衣所に向かうことになる。結局4年生から通い始めた夜尿外来は、めでたく4年を迎える。中学2年生になった夏希は、結局毎晩のおねしょを治すことができず、今でもおむつのお世話になっている。そんな夏希を唯一励ますのは、夜尿外来の先生の言葉だった。



『夜尿ってね、治ってくると段々出るのが遅くなってくるんだ。深夜に出ていたのが、早朝、朝、ってね。そうやって起きる時間まで夜尿が出なくなると、治療は終了。だから、朝起きたときにおしっこがあったかかったら、それはもうすぐ夜尿が治る証拠だよ』


夏希は脱衣所に入ると、おむつに手をかけ、順番にテープを外していった。小学生の時には2枚だったテープも、気づけば4枚になっていた。高学年で一気に身長が伸びた夏希には、さすがに子供用のおむつは小さく、大人用のSサイズを使っている。中学に入ってテニスを始めた夏希の脚は、スラっと伸びて健康的に焼けている。そんな足に大人用のおむつがパンパンに汚れてぶら下がっているのは傍目に見ると奇妙に思えた。


中学生になった時に、おむつは卒業して防水シーツで対策しようと相談した時もあったが、髪を伸ばしていた夏希にとって、朝からシャワーとドライヤーのコンビは苦痛でしかなかった。結局慣れていることもあり、小学生の時と同じく、夜はおむつで寝ることになったのだった。




その日の夜…


(今日は水分量も守ってるし、薬も飲んだし…)


リビングで楽しみにしていた番組を見終わった夏希は、部屋着に着替えて自分の部屋に戻ってきた。相変わらずベッドの傍には大きなビニールのパッケージが置いてある。友達が家に来るときはクローゼットの奥に押し込むが、いつバレるんじゃないかといつもヒヤヒヤしている。


壁にはセーラー服が掛けられ、勉強机の横にはテニスのラケットが大事そうに立てかけられている。部屋の壁には夏希の好きなKポップアイドルのポスターが貼られ、中学生らしさを出している。そんな部屋に大人用のおむつのパッケージは似つかわしくないと夏希自身も思っていた。


おむつのパッケージから一枚つまむ。いくらSサイズとは言え、子供の頃のおむつと比べるとその大きさは比べ物にならない。夏希は紙おむつを手に取って広げた。上半身はTシャツだけの状態でシーツの上に横になる。


最初は慣れなかったこのガサガサ感も今となっては気になることもない。雑に置いたテープタイプのおむつの上にお尻を乗せる。おむつを動かすと下のシーツがズレるので、お尻を置くときに位置は調整した方がいい。漏れないようにきれいに当てるには、ちょっと格好は悪いが足を赤ちゃんのおむつ交換のようにがに股する必要がある。ギャザーに手を沿わせてしっかり立てると、股繰りに合わせて前当ての部分を自分の方に引き寄せた。慣れた手つきでテープを4枚留める。一度膝立ちになってから、ズレ落ちないようにもう一度締めてテープを留めなおした。


寝るときはおむつの上に何も履かない。深夜にお母さんにおむつ交換をしてもらっていたころの名残なのだと思う。最近ではさすがに寝ている間のおねしょは1回になり、交換の必要はなくなった。夏希は、シャツとおむつだけの組み合わせだけでベッドに潜り込んだ









それは、目が覚めた瞬間だった。


「いっ…」


下腹部に妙な痛みを感じる。いつもならおむつの湿気、気持ち悪さで目が覚めるのだが、今日は違うらしい。下腹部に鈍痛が走った。目が開いて数秒は痛みの原因がわからなかったが、すぐに気が付いた。


(おしっこしたい…)


前に車の渋滞で長時間トイレに行けなかったとき、あの時と同じ感覚が下腹部にあった。痛みのせいで、人生で初めておむつが濡れずに朝を迎えたことには気付かなかった。掛布団をめくり、両足を床につける。かわいたおむつのクシャっという音が部屋に響く。いつもなら、水分を含んだグシャという感覚だ。その違いで、今日は初めておねしょをしなかったんだと理解することができた。


(ダメ、トイレ行かないと…)


おねしょをしなかった喜びよりも、下腹部の痛みの方が主張が強い。あれだけ夜中に好き放題おしっこが出ているのに、起きている間に出るのには大きな抵抗があるらしい。絶対漏らせないぞ、とい覚悟の下、夏希は一歩ずつ自分の部屋を出て、トイレに向かった。


一番大変だったのは、1階に降りる階段だ。少しでも気を抜けば決壊しそうなのに、一段ずつ足に体重がかかる。トンっと足を着くたびに、漏れ出さないようにギュッと両足を締める。厚ぼったい紙おむつの吸収体が股間に押し当てられ、もうそのまま出そうかと何度も思った。


「あ”~あ”~…」と自然に声が漏れていたのには自分でも気付かなかった。トイレはリビングを通った向こう側にある。ようやく階段を降り切った夏希は、小刻みに脚を震わせながら、リビングのドアを開いた。



「おはよう」


兄は目を合わせることもなく、テレビの方を向いて挨拶をした。そのせいで夏希の状況を知ることはない。お母さんは、台所でバタバタしているようで、夏希がリビングにやってきたことにも気づいていなかった。


2,3歩足を進めたところで、下腹部の痛みが限界を迎える。さっきまでは鈍痛のような痛みだったのが、チクチクと刺さるような感覚に変わった。小刻みに震えていた足は、近くで見れば震えているのがはっきりとわかるほどブルブルと震えている。そんな状況に兄もお母さんも気づいていない。


「あ…」


膀胱の限界は呆気なく訪れた。



シューーッ シュイーーーーーーー




始めに短く素早くおしっこが飛び出し、一瞬間があってから再び勢いよく流れ出した。力む顔が瞬間的に気の抜けた、とぼけるような顔になったのは、幸い誰にも見られることはなかった。おしっこが一瞬止まる瞬間に、夏希はとっさにくるりと壁の方を向いて、しゃがみ込んだ。おしっこが出始めたときには、なぜか震えは止まっていた。全身から力が抜け、へたり込むようにして床に膝をついた。


おむつの中にじんわりと熱が伝播する。夏希にとっては初めての感覚だった。ふと、小さい時におもらしをした経験が鮮明に蘇る。保育園のころだっただろうか、我慢できなくて、パンツとズボンを汚した。濡れて気持ち悪いのもあったが、おしっこが出ている瞬間はあったかいお風呂に入っているようで、ほのかに気持ちよかったような気もする。


今、またそれを感じていた。おむつだからか、気持ち悪さはあまり感じない。下腹部があったかくなるのは、保育園の時と同じように、少し気持ちいいと思う自分がいて、少し複雑な気持ちになった。




「おい、夏希。どうした?」


最初に気づいたのは兄だった。朝からおむつ姿でリビングにやってくるのは日常茶飯事だったが、部屋の隅でへたり込んでいるのは見たことがない。背中を向けておむつのお尻側をこちらに向けている。呼びかけた声は夏希には届いていないらしい。しばらくすると、水の流れるような音が聞こえ、段々と夏希のおむつが膨らむ様子が見えた。いくら妹のおむつ姿を見慣れているとはいえ、実際に目の前でおむつの中におしっこをするところ見るとは思ってもいなかった。


「母さん!ちょっと来て!夏希が!」


自分にはどうしようもないと思い、大声で台所にいる母親を呼んだ。「どうしたの」と面倒そうに言いながら、パタパタとスリッパの足音を響かせてリビングにやってきた母親は、とっさに夏希に何が起こったのか理解した。


「夏希、立てる…?」


「……」


お母さんは夏希を後ろから抱えるようにして、両脇から腕を通し、無理やり立たせた。夏希は体を預けるようにしてお母さんと一緒に脱衣所まで歩いていった。


脱衣所に入っても夏希は黙ったままだ。お母さんは片手でおむつを支えながら、順番にテープを外す。3枚目を外したところで、どさっとおむつ全体が片手に収まった。今までに感じたことないほど温かった。


「いままでおねしょだったのに、おもらしになっちゃったね」


お母さんは冗談っぽく言ったつもりだったが、長髪の隙間から夏希の頬に涙が流れていることに気づいた。




「ごめんね、冗談冗談!リビングまで行けたんだから、明日はトイレでできるよ!」


必死に弁解する母親を見て、夏希は「うん」と頷くのが精いっぱいだった。




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