第十四節 いま歩き出した物語

 燈花と七光は荒野に立っていた。所々から煙が上がる。その真下には細い根の燃えカスが残っている。だが鼻の辺りを漂うのは煙でも花粉でもなく、血の臭いだった。目を凝らすと、微かに白骨が顔を出している。

「ここは一体どこなのだ…?」

 燈花は白骨から目を背けつつ、顎に指を当てて考え込む。

「炎威明様の物言いから察するに、恐らく登子の心の中…でしょうね。でも不思議なのは、なぜ七光王子も一緒に来られたのか…」

 言われて初めて、七光はそのおかしさを自覚した。確かにそうだ。考えてもみれば、神器の力で登子の心の中に来たのなら、普通ここにいるのは燈花だけでなければおかしい。なぜ七光まで?

「手を重ねてくれたことが影響しているのかしら…」

「なるほど、ヤマトの腕の力だものな。あり得ぬ話ではない…か。それより、」

 今度は七光が話を切り出す。

「…登子殿が見当たらぬが」

 水平線の彼方まで視界に入るほどの更地の中に、人影一つ無い。

「登子の心の中だから、かしら」

「撮る者は写真の中に入れないようなものか。しかし炎威明は登子殿を見つけ出せと言っていた」

 二人して唸る。

 七光はふと目に映った白骨から恐ろしい連想をしてしまい、背筋に寒気が走った。

「よもやとは思うが義姉(あね)上、この土の中ではあるまいな…?」

 燈花は固唾を呑み、七光の方を向かないままぎこちなく返事する。

「変なこと言わないでちょうだい七光君…!」

 七光が謝ろうとした瞬間、地中から物音がした。燈花は悲鳴を上げて七光に抱きつく。

「モグラさんよモグラさん!登子なわけないわ!」

「声が震えておられるぞ…」

 直後、土の中から青白い手が七光の両足首を掴んだ。七光は青ざめ、立ったまま気を失ってしまった。

「七光君!?お願い返事してよ!一人は怖いわ!」

 燈花は涙ぐみ、七光を揺らすが目覚めない。やがて、手の主が地中から這い上がってきた。燈花はその顔に見覚えがあった。当然だ、自分が殺した相手であり、自分を育てた相手なのだから。

「お父様…?」

 息の詰まるような感覚に陥った燈花は後ずさりした。何かにぶつかる。振り向くと、もう一人いた。

「お母様…」

 母が燈花を羽交い締めにする。耳元で呻く。

「どうして殺した」

 父が迫る。

「どうして殺した」

 血の臭いがする。

「どうして殺した」

 腐乱臭。あの時、炎に掻き消された臭いが、今になって甦る。

「どうして殺した」

 燈花は頭を抱えた。謝って何になる?この二人は生き返らない。罪は帳消しにならない。登子の傷は一生癒えない。

「どうして…助けに来たの?」

 突然聞こえてきたその声は、紛れもなく妹のものだった。父母は泥に還り、目の前には登子が立っていた。目も腕も失われている。

「姉さん。何で今さら私を助けに来たの?」

 胸を刃物(ことば)が抉る。汚れた布で必死に傷口を押さえ込むように、燈花は言った。

「あなたの帰りを、待っている人がいるから…」

「誰のこと?」

「七光君達に決まっているじゃない」

「姉さんは?姉さんは違うの?」

 視線を逸らす。

「…私にそんな資格、無いわ」

 登子は詰め寄り、叫んだ。

「こっち見てよ!誰のせいでこうなったと思っているわけ?5年もずっと…苦しかったのに!逃げないでよ!」

 登子の頬を涙が伝う。拭う手も無く、ひたすら涙がこぼれ落ちる。

「わかっているわよ…全部魔騎難が原因って…でも言い訳しないでよ!父さんも母さんも…死んだのに!」

 登子が膝から崩れ落ちる。

「あの時、私に力があれば…」

 燈花は何も声をかけられなかった。かけるべき言葉を持っていなかった。

「…資格なら私にも無いわ。姉さんを殺そうとした。皆を危険な目に遭わせた。助けてもらう価値なんて…」

「いい加減にしないか二人とも!」

 意識を取り戻した七光が、登子の後ろから叫んだ。

「先程から聞いていれば資格だの何だのと!生きるとは、そのような他人行儀ですることではないだろう!」

 七光は二人の間に割って入る。

「義姉上。5年も戦ってきた己を、少しは認めてはどうだ?戦ってきたから、登子殿は生きているのだろうに。その上で何もせなんだと言うのなら、これからすれば良いではないか」

 次に七光は登子の両肩を掴み、鋭い目つきで見つめる。

「登子殿。ご両親のことは誠に痛み入るが、そのために塞ぎ込んでは浮かばれぬ。義手も作る、義眼も作る。共に生きてはくれまいか?何と言おうと、余にとって登子殿は総てに勝る価値だ。貶すようなら、余が許さぬぞ」

 登子の目から、温かな涙が溢れる。

「いいの…?私で…」

 七光は登子を抱き寄せ、指で涙を払う。

「登子殿が良い」

 一斉に大地から草木が芽吹き出す。空は爽やかな風を送り、光が三人を照らす。

 堰を切ったように、登子は七光の胸に泣きついた。二人を包み込むように、燈花が抱きしめる。

「ありがとう…七光君。やっと、始められる気がする。姉妹(わたしたち)の物語…」

 視界が無限の色の光に覆われる。気がつけば、燈花と七光は麒麟車の中にいた。

「戻った、のか…」

「そうみたい…──登子は!?」

 燈花は咄嗟に登子の様子を確かめる。鼻の傍に指を置く。息がある。燈花は胸を撫で下ろした。

「上手くいったみたいだな」

 ハヤカケに乗ったまま、仁が麒麟車に身を突き出す。義太郎も小躍りで喜びを露にした。

 すると突然、炎威明が咳払いした。

「喜んでる最中悪いけど、」

 仰向けになっているブラックリブラを指さす。

「あいつ、始末した方がいい?」

 場の空気が途端に張り詰める。即座に燈花は言った。

「やった方がいいわ。魔騎難と関係あるようだし」

「余も同感だ。勾国を乗っ取り暗躍している。見過ごすわけにもいかぬ。師匠もそう思わぬか?」

 だが、仁は首を縦には振らなかった。

「…ダメだ。俺は賛成できない」

 真っ先に義太郎が尋ねた。

「正面から戦った仁はんが一番よう知っとるやろから無下にはできんけど…何でや?訳を言うてくれんと納得しづらいで?」

 仁は奉莉に視線を移した。

「あいつ、人のことを完全に見下してた。なのに今、何故かあの子と一緒にいる。俺にはどうもそこが引っかかる」

「どうせ人質か何かであろう」

「そうね。仁、あなたは優しすぎる。魔騎難のように、真っ黒な邪悪はいるものよ」

 本当にそうなのだろうか。仁は腕を組んだ。アマカゼ記念公園近くを襲った時のブラックリブラなら、七光や燈花の言うことも正しいと思える。

 だからこそ思うのだ。あいつが少女を伴うこと自体許すだろうか?と。戦う時、邪魔になる相手が必要なのか?と。

「師匠を否定するわけではないが、そいつが一縷でも同情すべき奴である証左など無いぞ?その逆ならいくらでも挙げられるが」

「待ってくれ皆」

 目を覚ましたリッキーがマージナルセンスに変貌し、ブラックリブラの感覚を感じ取る。

「あいつの筋肉や肌に緊張を感じない」

「気を失っているからであろう」

 眉を潜める七光に、マージナルセンスは反論した。

「そうとも言えない。意識が無くても、生物は基本どこかしらの感覚が緊張しているものなんだ。外敵から身を守るために。凶暴な彼なら尚更そうなるのが道理じゃないか?なのに、あの女の子の傍にいる彼はリラックスしている。極限状態と言ってもいいぐらいだ」

 すると今度は燈花が口を挟んだ。

「けれど、それは身体の反応でしょう?心はどうかわからないわよ」

 マージナルセンスの語気が静かに、重くなる。

「女王、気持ちはわかる。でもオレは決めつけたくないんです。相手を善悪で分けたくない。この芯だけはブレるつもり、ありませんよ」

 マージナルセンスの脳裏に、アマカゼの面々がよぎる。レシーバーズであることで、世間から奇異の目で見られてきた。実際問題、仁がいなければ全員どうなっていたかわからない。

 人の善悪など、結局は物の見方一つでしかないのだ。それをねじ曲げることは、己や仲間、何より仁を否定することに等しい。ここだけは譲れないのだ、決して。

「でも…」

 尚も反論しようとする燈花の前に義太郎が立つ。

「燈花はん。ここはあの人らの顔立てたってくれまへんか?何かあったら、ワシが何とかしますんで」

 その言葉を聞いて、ようやく燈花は納得した。互いが互いを最大限信じている。だから己の信念を曲げず、しかし互いの道が矛盾せず、ともに歩める。

 七光がため息まじりに呟く。

「まだまだ叶わぬよ」

 燈花は目を細めた。

「…全くだわ」

 そうこうしている内に、当のブラックリブラが身体を起こした。警戒の色が強まる。だが、ブラックリブラは起きるなり奉莉を片手で抱き上げ、天王山を下ろうとした。

「…どこへ行く」

 仁が問いかける。

「どこでも構わないでしょう?お節介な奴ですね、あなたは」

 ブラックリブラは悪態をつく。

「…良かったよ、元気そうで」

「変なお世辞はやめてください。虫酸が走ります」

「心からの言葉だよ。ボクが保証する」

 炎威明が割り込む。

「全く、変な奴もいたものだよね。キミとしては調子狂うんじゃない?」

 ニヤつき顔で言う炎威明を睨みつけてから、ブラックリブラは雲段を降りた。

「ホント…調子狂いますよ。おかげで神器、奪い損ないましたし」

 誰にも聞こえない大きさで呟き、轍国へと続く景色を見下ろす。

「…ま、『借り』ぐらいは返してやりますよ。やられっぱなしは性に合わないので」

 ブラックリブラが去った後、登子が意識を取り戻した。

「…不思議な感覚。起きているのに何にも見えない」

 ふらつく身体を、燈花と七光が支える。

「大丈夫だ。じき見える」

「うん。信じてる」

「義眼と義手でしょ?任せて!材料はボクが提供するよ」

 突然割って入った炎威明に、義太郎が呆れながら言う。

「当然の義務や今回の事考えたらホンマ」

「むしろこれからの資金も欲しいぐらいだ。そろそろ金が底を尽きそうだしな」

 仁が追撃する。

「ついでにユニゾンギアの素材もくれぬか?予備の分も貰えると助かる」

 今度は七光。

「これからしなくてはいけない手続きが多いので、平和大使としてのご参加をお願いしたいのですが…」

 燈花。

「それなら轍国の文化援助と、勾国の治世も何とかしてもらわないと。七光が正式に王様になれるように整備しないことには、平和大使も意味ないでしょ?」

 そして登子。

「…対価デカすぎない?」

「これでも軽いわ!」

 炎威明に向かって一斉に叫ぶ。

「まぁまぁ、彼にも悪気は無かったんだし…」

 間に入ったリッキーが場を諌める。炎威明はリッキーに抱きついた。

「キミだけだよボクの味方は~!」

 本当ならもっと反省してほしいものだが。リッキーは苦笑いで誤魔化した。

「…さて、行くか」

 仁が切り出す。炎威明の態度が豹変し、途端に神々しさがその身から放たれ出した。

「気をつけるんだぞ、レシーバーズ」

 見送る炎威明を背に、ハヤカケが走る。

「…彼等の物語は険しくなるね、これからもっと。今は祈ろう。乗り越えてくれることを」

 轍国を覆う暗いものを感じながら、炎威明は独り呟いた。


「…遂に出来た。己だけの千年王国が」

 玉座の前で跪く無数のレシーバーズを見下ろし、城を囲むレシーバーズとなった民衆の歓声を感じながら、魔騎難は笑った。

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