第十三節 ハーミット・トゥルース
時は遡り、轍国転覆の数日前。燈花はいつものように、自分で作った物語を登子に読み聞かせていた。羽毛の詰まった布団にくるまり、目を輝かせて聞く登子を見て燈花は微笑んだ。
「15歳にもなって読み聞かせしてほしいなんて、登子は甘えん坊さんね」
登子は頬を膨らませ、口を尖らせる。
「いいもん。姉さんのお話聞いて寝ると、とっても素敵な夢が見られるんだから」
「いいのかしらね、こんな王女様で」
ため息交じりに言う燈花の顔は笑っていた。すると突然、登子は遠くを見つめるような目で呟いた。
「…いいもん。ずっと続くんだから、こんな日が」
きっと登子は信じて疑っていないのだろう。幸せな日々を。燈花は嬉しかった。その幸せの中に、自分が含まれていることが。だから後に、あの話を聞いた時は胸が苦しかった。
いつもより早く起きたある日の朝。日が昇るのが遅くなり始め、風が肌寒くなってきた頃のこと。燈花は尿意を催し、化粧室に続く道を歩いていた。その途中で両親の部屋を横切った際、声が漏れ聞こえた。
「あの占いを信じるというの!?」
押し殺してはいたが、母の怒りが如実に伝わってきた。扉に張りつき、耳を澄ます。
「だがその占いのおかげで、治世は上手くいってきた。それも事実だ」
「でも…」
「…私もつらいさ。しかしな歩弥(あゆみ)、民のために己を殺すこともまた、王族の務めだ」
「だからってあんまりじゃない、登子を殺すなんて」
燈花は耳を疑った。何を言っている?殺す?そう言ったのか?
「占い師が言っていたではないか。魔騎難の依代は登子でなければならぬと。事実、民からは選べぬ、我々にその才は無い。残るは魂の器の定まりきらぬ子供のみ。だが燈花は国を背負わねばならぬ。とくれば他におらんだろう…!」
苦悶の声。
「…儀式は用意でき次第行う。秘密裏にな。魔騎難との因縁に終止符を打つのだ、我々の手で…!」
尿意などとうに吹き飛んでいた。代わりに身体が熱っぽくなっていた。脈拍は速くなる。空気を含む回数が増える。なぜ妹が殺されねばならない?今すぐにでも伝えて逃がさねば。燈花は思った。
しかし3歩進んだところで、足は止まった。言えない。まだ10歳の妹に、そんな残酷なこと教えられない。膝から崩れ落ち、涙が溢れ出した。
ふと、燈花は思い出した。
「双子星…」
お姉さん星は妹星の願いのために、その身を犠牲にした。
「…私が代わればいいのよ。儀式が始まるよりも先に」
燈花は呟き、その場を去った。
この日から、燈花の孤独な戦いは始まった。誰にも相談できない。言ったところで信じられる内容ではない。どころか、両親の肩を持たれる可能性が高い。燈花は数日かけて独りで魔騎難のことを調べ、独りで魔騎難の封じられた場所を知った。
「地下の祭壇…!」
そして新月の夜、燈花は誓った。因縁に決着をつける。独りで。轍国転覆前日のことであった。
きたる翌日の明朝、燈花は地下への階段を下りた。灯火が暗がりを微かに照らす。足音が静かに響く。
少し歩くと、目的の祭壇が見つかった。側面には封印の文字が彫られてあり、無造作に札が貼られてある。燈花は近づき、祭壇に触れた。すると、指を通して心臓を直接掴まれるような感覚に陥った。手を離す。呼吸が荒くなる。
「何、いまの…」
〈見つけたぞ、依代〉
「誰!?」
周囲を見回すが何も無い。
〈お前の中だ。可哀想な第一王女〉
脳内から声がする。燈花は頭を抱えた。頭痛と吐き気が押し寄せる。
〈お前の両親は酷いものだな。目的のためなら妹も手にかける。我慢ならないよな?ただでさえ勝手な期待を押しつけられているというのに〉
「何を知っているというの…!?」
〈全てだ。己は魂に触れることで、その全てを知る。だから己は知っている。最愛の妹にさえ隠している『力』も。〉
燈花の額から冷や汗が流れた。両親は言っていた。燈花が生まれた時、火の粉が妖精の姿となって祝福したと。物心がつき、それが自分の『力』によるものだと悟った。だが、使わなかった。ゾアだとか何だとか、過度な期待を向けられるのは心が疲れる。何より、妹を火傷させてしまうかもしれない。それが一番怖い。
〈つらいな。『力』とは恵みだ。授かり物だ。なぜ力の無い者に合わせねばならない?なぜ妹を殺すような奴等の顔色を窺わねばならない?お前が頂に立てば良いではないか。全てを焼き払え。根の張る場所に種は芽吹かん。焼け。消せ。そして植えろ。お前という新たな秩序を。かくて『国寄せ』は成されるのだ〉
一瞬、気を許してしまった。こいつは正しいと思ってしまった。その隙は、魔騎難が棲み着くには十分な大きさの巣だった。
札が剥がれ、闇が燈花の体内を染め上げていく。自分ではない誰かがいるのを確かに感じた。同時に、身体の主導権はそいつに取られたことも感じた。燈花は俯瞰するような感覚で、自分の手を見た。ひとりでに動く。
「遂に手に入れたぞ、依代を!それもゾアとはな!とびきりの上物だ!」
口も勝手に動く。身体が勝手に笑い出す。
「人とは実に愚かだ。甘言を寄越せば簡単に靡くのだからな」
手に持っていた灯火は消え、代わりに手の平の上に火の玉が浮かび上がる。
「さて、一族郎党皆殺しといこうか」
燈花は言葉にならない怒りを覚えた。誰にも吐露できなかった胸の苦痛、夢、そして妹に寄り添った言葉の全てが嘘だというのか。
「さすがにゾアはしぶといな。そうだ、何か悪いか?勝手に期待したのはお前だ。これから妹が焼かれるのも、轍国が滅びるのも、全てお前の落ち度なのだよ」
ふざけないで。
「何?」
「…ふざけないでって言っているのよ…!」
〈手が、勝手に…!?…意識まで!〉
「登子は誰にも傷つけさせない!」
火の玉を纏った手を右目に押しつけた。炎は燃え広がる。全身を焼かんと燃え盛る。
〈…調子に乗るな!〉
もう片方の手が、右目を焼く方の手首を掴み、地面に押しつけた。息を整える。
「これでいい…」
そして魔騎難は階段を昇った。死の音が地下で静かに鳴った。
「──私は見ることしかできなかった。凄惨な光景を…かろうじて登子は逃がせたけれど、その登子は今また、私のせいでこうなって…」
燈花は顔を覆い、再び泣き崩れた。
「そんな事情が…」
仁は燈花を見つめた。霊源の森で初めて会った時の威圧感は無く、そこにいたのは、ただ妹を愛してやまない一人の姉だった。
麒麟車を向いて、燈花は言葉を続ける。
「あの子が力に目覚めた時…思ったんです。あの子が私を殺せば、全て終わると。でも、叶わなかった…」
それを聞いた義太郎は突然燈花に歩み寄ると、頬を強く叩いた。
「義太郎、お前何を…」
「アホ!叶わんで当然や!自分の命軽う扱って妹人殺しにして、そんなんで平和になるわけないやろが!そういう弱い心が原因なんや結局!」
「言い過ぎだ義太郎…!」
義太郎を羽交い締めにし、仁が諫めようとするが、義太郎は仁の手を握って言った。
「やわこくいかれへんでしょ、こういうのは…」
仁は悟った。嫌われ役を買って出たのだ、義太郎は。暗がりに閉ざされた燈花の心に、もう一度火を灯すため。
「…そうだな、すまない」
小さく呟くと、義太郎は笑顔で振り向いた。
「ええんです。仁はんには優しいまんまでいてほしいから」
どちらが優しいのかわかったものではない。仁はぎこちなく笑んだ。
「ほんなら皆連れていきましょか、病院まで」
怪我した面々を麒麟車に運び込み、仁がハヤカケに跨がろうとしたその時、風を切る音がした。と同時に、ハヤカケの額の上に炎威明が立っていた。
「…なんの用だ」
仁が睨む。
「そんな怒るなよ、生きてるじゃん」
涼しい態度の炎威明に苛立ち、仁は拳を繰り出す。しかしかわされ、その拳の上に立たれる。苛立ちはますます募るばかり。
「チャンスをあげるって話だよ。ボクの守る『暁炎(あけぼの)』は、生命力をかなり上げてくれる。でも、まずは心だ。見たところ、その子は現世(こっち)に帰りたがってないらしいから、それを引き上げてくるんだ。それがボクからの試練。一石二鳥でしょ?」
刹那、燈花が炎威明に刃を突き立てた。
「…つぎ喋ったら殺す」
「無理だよ。君、ゾアの力奪われちゃったし」
炎威明はさりげなく言う。即座に鎧を纏おうとするができない。燈花は唖然とした。
「…登子はんのことが何でお前にわかんねん」
義太郎が問いかける。炎威明は自分の頭を指し示すように、指で軽く叩いた。
「ボク読めるんだよ、心が」
炎威明は瞬間で麒麟車の中へ入り、七光を押し退けて登子の額に触れた。
「今のこの子は空っぽなんだ。例えるなら、おっきな宮殿の隅っこでしゃがんでる感じかな。取り敢えずそれを応接間まで連れて行って、彼女を説得しなきゃね。でないと、いくら生命力があったって死ぬ」
科学研究棟の職員の一人が医学に詳しかった。彼によると、生物の死の定義は脳波の消失らしい。要するに、脳が動かなければ、たとえ健康体だろうと死体扱いされるのだ。仁はそのことを思い出した。
「道理は理解できた。でもどうやるんだ?」
仁の呈した疑問に対して、炎威明は指を鳴らした。
「いい質問だね。そういうの待ってたよ」
炎威明は小さな火の球を出現させた。中が透けて見える。目と腕があった。
「神器か!」
七光が叫ぶ。
「正解。物わかりがよくて助かるね」
炎威明が七光の頭を撫でる。しかし、七光は不機嫌な顔で炎威明の手を振りほどいた。
「酷いなぁ。まるで敵みたいにさ」
「余の心を読めばいいだろ」
「…そうでした。ごめんなさい」
炎威明はため息をつく。火の球が消え、目と腕が炎威明の両手に乗せられた。
「渡舟は心に手を伸ばせる。つまり、相手の心に直接干渉できるんだ。誰かにこれで、この子の心に入って引っ張り出してもらう」
「やるわ」
食い入る形で燈花が答えた。
「無理だよ。力が無い。身体の方が耐えきれるかどうか…」
「登子の傷より浅いわよ、そんなの」
燈花は麒麟車に乗り込み、渡舟に手を伸ばす。
「何より、ケジメをつけなくちゃ。弱い心と」
義太郎に微笑みかけ、燈花は渡舟を両腕に重ねた。渡舟が腕の中に吸い込まれていく。激痛が走る。しかし、燈花は悲鳴一つ上げなかった。この比ではない痛みを5年も抱えて、登子は頑張ってきた。それを思えば些細なものだった。
──上出来だ。力貸すぜ、お姉さん。
不意に声が聞こえた。呆然とする燈花を見て、炎威明は頬を緩める。
「認めたか、ヤマト君」
両腕に渡舟が馴染む。燈花は指を動かし確かめる。大丈夫。登子に向けて手をかざす。大丈夫。
すると、七光が手を重ねた。震える燈花の手を励ますように。言葉は無く、ただ互いに頷いた。登子の額に手の平が触れる。
「いま、助けに行く」
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