第十二節 魔王再臨

 激痛に喘ぎ、変貌が解ける。登子はなぜ自分の両目が、両腕が無くなっているのかわからなかった。とめどなく溢れ出てくる血の生温かさが、足元に漂ってくる。

 仁と義太郎は絶句した。守護獣であるはずの炎威明が、神器の内2つを持つ登子に攻撃を加えるなんて。神器はただ持てば良いというものではなく、ヤマトに認められてこそ力を発揮できるのは、他でもない守護獣こそ承知していることだろうに。

「ごめんね。でも、これが最善なんだ」

 炎威明は手の平に火の玉を作り出しながら呟く。その背後から、ミラージュマーカーが炎の剣を突き立てた。切っ先が炎威明の左肩を貫く。口から血が滴るが、炎威明は表情一つ変えなかった。

「君に巣食う奴を追い出すためには…ね」

 炎威明の身体が燃え盛り、ミラージュマーカーを後ずさりさせる。火の玉が登子に向けて放たれた。

「登子!」

 登子の身が焼き払われる直前、猛のカプセルを装填した仁が、登子を抱きかかえて回避した。仁はマスク越しに炎威明を睨む。

「何しやがんだお前…!」

 炎威明は淡々と催促する。

「放すんだ。でないと、君ごと焼いてしまう」

「させるかよ!」

 仁が啖呵を切った直後、義太郎の長い舌が登子の胴体を絡めとり、林の方へ引き寄せた。

「相手は俺だ。それでいいだろ?」

「…ダメだね」

 炎威明の周囲に火の槍が出現する。矛先は林。

「確実にトドメを刺さないと」

 堪忍袋の緒が切れた仁は、炎威明に向かって一直線に駆け出し、顔面を殴った。炎威明は避ける素振りすら見せず、その拳を喰らう。それから仁は炎威明の胸ぐらを掴んで、涙ながらに叫んだ。

「あいつが何をした!ただ戦争を終わらせたいだけだ!夢を叶えたいだけだ!お姉さんに国追い出されて、5年も孤独に傷ついて、そうやってようやく見つけたんだぞ?そんな奴の夢を奪う権利がお前にあるってのかよ、なぁ!」

「それは…」

 炎威明が返答しようとしたその時、突然ミラージュマーカーが頭を抱えて嗚咽を漏らし始めた。

「登子…」

 何度も同じ名前を繰り返す。奇妙だが、仁の目には赤い鎧を身に纏って火を放つ怪物が、脆く儚い一人の少女に映った。そしてリッキーの言葉を思い出す。二重人格かもしれない。仁は悟った。彼女は戦っているのだ。5年前、自身を呑み込んだ凶暴な人格と。

 予想通り、完全には取り込めていない。ブラックリブラは好機とばかりに、腰を落として殴打の構えを作る。

「トドメです!」

 石造りの地面を蹴る。しかし横からマージナルセンスが跳びついた。両者、地面に激しく激突して転がる。

 一足早く立ち上がって、マージナルセンスはうつ伏せのブラックリブラを指さした。

「彼女の戦いの邪魔はさせない!」

 ブラックリブラは瞬時にマージナルセンスの背後に移動し、右手で強く首を絞める。

「邪魔?こちらの台詞ですよそれは」

 骨が軋む。振りほどこうとするが叶わない。感覚が鋭敏なだけに、痛みもその先の結果も人一倍明確に感じた。このままでは砕き折られる。マージナルセンスは踠いた。だが、抵抗むなしく指圧は増す。

 だが、微かな視線がブラックリブラの方に向いた途端、みるみる内に指圧は弱くなっていった。マージナルセンスは膝から落ちて咳き込む。

 おもむろに顔を上げると、そこには奉莉が立っていた。感情を圧し殺そうと必死に無感情を取り繕っているが、悲しみがひしひしと伝わった。恐怖ではなく、悲しみが。

「国王様、おやめください。我々は国事を行いに来ただけです」

 声が震えている。ブラックリブラは戸惑いを隠して冷徹に言う。

「邪魔者を始末して何が悪いのです?あなただって憎いはずでしょう?無下に扱う周りの者が。原因となった本物のオーダーが。同じことですよ」

 口走りながら戸惑いが募る。何故こんな小娘にこちらの心中を、行動の根拠を話す必要がある?

 奉莉は、ブラックリブラがどのように自分が本物のオーダーでないと知ったのかを聞くでもなく、ただ唇を震わせながら答えた。

「それで壊せば…あなたも同類です…」

 ブラックリブラにしてみれば、くだらない戯れ言だった。だというのに、ブラックリブラは動けなかった。踞るマージナルセンスを尻目に、奉莉の方へ歩んだ。

「…場所は変更です。こうも血生臭くては縁起が悪い」

 そう言って、その場を去ろうとしたブラックリブラの背中を何者かが切り裂いた。ひりつく痛みと共に鮮血が迸る。振り向くと、黒い影が爪を研いでいた。爪から血が滴る。魂が抜け落ちたように、ブラックリブラは力なく倒れた。奉莉は混乱で言葉も出ない。

「今…女王の身体から…」

 変貌の解けたリッキーは、霞む瞳で黒い影を捉えた。そいつは確かに、頭を抱えて踞る燈花の背中を破って出てきた。まるで蝉が成虫になる時のように。

 黒い影、魔騎難はブラックリブラの背中に腰かけ、鼻で笑う。

「落ちこぼれ同士、惹かれ合うものでもあったか?だからお前は弱い」

 腰を上げ、魔騎難はブラックリブラの胴体を蹴り上げる。

「死ね、弱者」

 鋭い爪がブラックリブラの黒い表皮を赤く染め上げた。

「次はお前だ、偽者」

 魔騎難が奉莉に歩み寄る。だが、左の足首を炎の縄に縛られた。

「…炎威明か。随分見ない内に変わったな」

「懐かしまれる仲じゃないんだけどね」

 炎威明は右手で縄を引っ張りながら睨む。

「奴の負の情を限界まで高め、己(おれ)を引きずり出そうとしたんだろう?守護獣が聞いて呆れるな」

「キミを焼き尽くせるなら、修羅にでもなろう…!」

 縄が爪に切られると同時に、魔騎難と炎威明は正面から激突した。一挙動一投足、人間の目で追うには全てが速すぎた。

 熱風が仁達を襲う。マスク越しだというのに、目を開けるのさえ苦しかった。しかし、熱風によろめく奉莉を放ってはおけない。仁は猛の残り時間を、リッキーと燈花を抱え、奉莉の傍に近づくことに使った。

「ここから離れよう!」

 仁が呼びかけるが、奉莉はブラックリブラにしがみついて動こうとしない。そんな奴、と思った。人を人とも思わない性根の曲がった奴だ。憎い気持ちが強い。だが、仁は数秒だけ呼吸に努め、ようやく矛を納めた。

「…その人と一緒に」

 仁は久のカプセルを装填した。ユニゾンギアが黄色に変色する。熱風がいくつかマシに感じられるようになった。足裏の高いグリップ性能は、複数人を担いで移動するには最適な力を引き出してくれる。

 炎威明が戦っている内に、義太郎と登子のいる林へと向かった。内心、言いようもないほど悔しかった。あの次元には手を出せない。芯からそう思わされた。

 林の深い所まで走り、仁は義太郎と合流した。

「待っとったで!」

「登子は?」

「あんまし芳しくないな…傷口焼かれとるから出血は思たよりひどないけど」

 炎威明の顔が頭に浮かび上がる。あれほどの実力者が『殺す』と宣言しておいて、なぜ傷口を焼いて塞いだのか。ただならぬ事情があるのかもしれない。仁は思った。

「それより仁はん、何でそいつ運んどるんや…!?」

 義太郎は仁の右手に運ばれているブラックリブラを見て、目を丸くした。

「話せば長くなる…とにかく、早く戻ろう」

「せやな…あ、半分ワシ持ちますわ」

「ありがとう」

 こうして、仁と義太郎は遺跡を後にした。極彩色の景色は、今の仁には毒々しいほど眩しかった。

「──彼らは行ったみたいだね」

「奴等にも見せたかったよ。この姿を」

 錆びついたミラージュマーカーの鎧を纏って、魔騎難は笑った。

「馴染むなぁ…ゾアの力は」

「似合ってないよ、その恰好。0点」

 炎威明は冷たく言い放った。黒炎の爪を両手に生やし、空中の炎威明に飛びかかった。頬の鱗が剥がれ、血が噴き出す。

 炎威明の背後で黒い翼を羽ばたかせ、魔騎難は言った。

「装いとは結局の所、結果論なのだ。強者の姿は全て正しくなり、そうでない者は間違っている。至極単純だ」

 炎威明はため息をついた。

「その言い分、嫌いだな。ロマンが無い」

「あの少女に何をしたか、忘れたわけでもあるまいに」

 魔騎難が鼻で笑った。炎威明の瞳から光が消える。

「まぁ、おかげで己は自由の身。感謝しているよ。なにせ大飯食らいなものでね、なかなか良い負の情にありつけんのだ」

「…辞世の句はそれで構わないな?」

 黄金の鱗が発光する。緋色の毛は逆立ち、炎の髭は勢いを増して燃え滾る。

 刹那、炎威明が魔騎難の目の前に現れた。魔騎難が驚くよりも先に、炎威明の手刀が胴を貫いた。傷口から炎が侵食し、魔騎難の身体が焼かれる。

「火のゾアの力をもってしても…身を焦がされるとは…」

 魔騎難は咄嗟に肘打ちと膝蹴りの挟み撃ちで炎威明の腕を折り、距離を取った。開いた穴が塞がっていく。

「拮抗…というのは己の性に合わん。ここは退かせてもらおう」

 そう言って魔騎難は霧となり、どこかへ消えた。腕を押さえながら、炎威明は呟いた。

「相変わらず不気味な奴だなぁ…心が読めないから手の内もわからないし、何より…危険だ、あの力…ゾアの力まで取り込むなんて…でも」

 炎威明は遺跡に降り立ち、赤く燃える球体を出現させた。外から目と腕が透けて見える。

「…神器は無事に回収できた。あいつら、これを狙うってことは、無理にでも使える方法があるってことか…?」

 炎威明は目を閉じて、久手空使と渡摘に念話を試みた。

〈どうなりました?〉

 いの一番に久手空使が尋ねる。

〈相変わらずなのはこっちもだね…──魔騎難を剥がすのには成功したんだけど、あいつヤバいよ。正直、このままじゃ負ける〉

〈剥がす…というのは?〉

 渡摘が問いかける。

〈そっか、知らないんだね。轍国の女王様に魔騎難が取り憑いてたよ。いきなり武力国家になった理由がハッキリしたって感じだ〉

〈登子さん、大丈夫でしょうか…〉

 久手空使の心が淀む。自身の姉に世界を脅かす存在が取り憑き、5年も好き放題にされたのだ。残酷にも程がある。

〈あの子なら暁炎で何とかなるよ〉

 何の気なしに炎威明は言った。すると、久手空使と渡摘の念から憤慨が伝わってきた。

〈まさかあなた…!〉

〈命を危機にさらしたのではあるまいな?〉

〈神器をこっちに集めとかないと危ないだろ!?今のあの子達の力じゃ絶対奪われるし!魔騎難に取られたらそれこそおしまいだよ!〉

 炎威明は必死に弁明するが、2名の怒りは鎮まらない。

〈前から命の扱いが軽い方だとは思っていましたが…〉

〈そなた、転生して更に倫理観が欠けておらんか?〉

 咎め立てる雰囲気が炎威明に押し寄せる。

〈わかったよボクが悪かったよ!でも、あの子──レシーバーズって言うみたいだけど、ホントに大丈夫だよ。核命(コア)って所が無事なら生命維持できるみたいだし。ボク達と似たようなものだよ。ボク達もレシーバーズなのかもね〉

 みるみる内に脱線していく炎威明に、すかさず久手空使が、

〈反省、していませんね?〉

 と釘を刺した。

〈そのコアとやらにしても、生物である以上限度はあろう。早急に対処せねば取り返しのつかぬことに…〉

〈もういいって!…だから彼らにも念話しようと思う。暁炎のこととか〉

〈ダメです。直接会って来なさい〉

 久手空使が凄む。炎威明はこれ以上責められるのも嫌なので、素直に受諾した。

 炎威明は念話を切ってすぐ、麒麟車の停められている場所まで飛んで行った。道中、仁の言葉が甦る。

 あの言葉には何の屈託も無かった。かといって、何の苦労も知らない安っぽさも感じなかった。余程つらい経験をいくらかしてきて、その上で他者を想う『綺麗事』を述べた。そんな印象だった。

「…妙に懐かしいなぁ」

 風を切って飛ぶ炎威明の頬は緩んでいた。


 その頃、麒麟車には沈痛な空気が漂っていた。帰ってきた仁と義太郎が連れてきたのは七光の仇敵、現在のオーダー、気絶したリッキー、燈花、そして目と腕を奪われた登子であった。

 七光は絶句した。言葉が見つからなかったというより、ありすぎて選べなかった。

「…ごめん、七光」

 最初に口を開いたのは仁だった。麒麟車の中に寝かせた登子を横目に言う。

「守れなかった」

 直後、七光は仁の胸ぐらを掴んだ。義太郎は七光を止めようとしたが、仁がそれを拒否した。

「まだ…決まったわけではなかろう…!」

 今にも涙が溢れ出そうな顔で、七光は仁を見つめた。そうだ。守れなかったと認めるのは、せめて手を尽くしてからだ。危篤だが、まだ諦めるわけにはいかない。仁は思い直した。

「…そうだな。ごめん、弱気になってた」

 とはいえ、標高数千メートルもある地点から病院に運ぶのは非現実的すぎる。応急手当なら薬草で何とかなるが、せいぜい化膿を抑える程度。

 それに、意識を取り戻した時の精神的ショックは計り知れない。義眼や義手を用意できる場所に移動した方が、登子の心身にとって最善なのは言うまでもない。

「他の皆の手当はワシらの持ち物でいける範囲やけどなぁ…」

 広げられた布の上に寝かされた他の面々の様子を確認しつつ、義太郎は呟く。すると突然、燈花が目を覚ました。

「仁はん!女王が──」

 義太郎が連絡するよりも前に、燈花は起き上がって仁に近寄った。

「あの…妹は?」

 仁は黙って麒麟車を指さす。中を覗くと、燈花は登子に覆い被さる形で泣き崩れた。

「ごめんなさい、登子。本当に…傷つくべきは私だったのに…」

 燈花の言葉に仁は胸を痛めると同時に、疑問を抱いた。凶暴な人格と戦った末に、『そいつ』は燈花の身体から分離した。普通ではない。傷つくべきは私。何か、慈しみ以外の意味が含まれているような気がしてならなかった。

「変なことを聞くようだけど」

 仁が話しかけると、燈花は涙を拭いて向き直る。目の周りは腫れていたが、凛々しい顔立ちはまさに女王の器に相応しいと思わされる。

「あなたは何と戦っていたんだ?」

 途端に神妙な表情となった燈花は、静かに口を開いた。

「…では、話しましょう。私の身に起きた全てを」

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