第十節 プレ・アースクエイク

「あれは一体何なんですか!」

 戦線から帰還したリッキーは真っ先に女王の間へ向かい、部屋へ足を踏み入れるなり燈花へ詰め寄った。玉座で物思いに更けていた燈花は、気だるげにリッキーの顔を見た。

「大量のネズミが勾軍に向かったかと思えば、閃光で人も、雷鳥も死んだ!骨だけ残して!あんな兵器を使うなんて…!」

 何もできなかった自分への怒りと、非人道的な殺戮兵器への嫌悪感を露にするリッキーだったが、燈花はにべもなく言った。

「では、お前は自分で作った兵器なら満足だったか?」

 ルビーのような左目でリッキーを鋭く見つめる。

「武器製造をしていた者の発言とは思えんな。武器に善悪を求めるとは。所詮、人殺しの道具に過ぎんだろうに」

 反論の余地は無かった。確かに、どの面下げて相手を責められたものか。しかしながら、リッキーには釈然としきれない思いがあった。

「高みから見下ろすだけのあなたに言われたくない」

 すると、燈花は鼻で笑った。

「私が命令したから自分は悪くない、と?造ったのは事実だろう」

「でもあれは…」

「事情など知らん。世に残るのは何を思ったかではない、何をしたか、ただそれだけだ」

 今度こそ反論の余地など無かった。たとえ心は争いを求めていないにせよ、潜入捜査のためにせよ、手伝ったのは揺るがない事実だ。一瞬でもその事実から逃げようとした自分を、リッキーは恥じた。天井の明かりが点滅する。

「…何故、オレを向かわせた?」

 リッキーは尋ねた。疑問なのだ。あれだけの兵器を持っておきながら、わざわざ援軍を向かわせる必要があったのだろうか。それも、女王の側近になったばかりの者を。

 すると、燈花は深刻な表情で答えた。

「知ってほしかった。戦争を、我々の現実を」

 口走った直後、燈花は驚きに満ちた顔になり呟いた。

「私は今…何を言った…?」

 リッキーは固唾を呑んだ。人格が複数入り組んでいる影響だろうか。とすれば、今言ったことは相手に対する何かの暗示?

 考えを巡らせていると、燈花の塞がれた右目から炎が噴き出した。火傷も厭わず手で押さえつけ、燈花は呻いた。

「いる…!──違う!いるのは…『お前』だ…!──この…中…!」

「一体…」

「来るな!」

 凄まじい剣幕と共に、燈花は玉座の周りに炎の壁を作った。

 リッキーは咄嗟に後ずさりする。極熱の高い壁を見上げ、その向こうに座る燈花が直前に放った言葉を思い、女王の間を出た。理解できたのは口の動きだけだったが、確かに言ったのだ。『マキナ』と。


 ハヤカケに乗り、一同は岸辺を離れる。

「しもた!」

 岸辺から南へ2km離れた辺りで、義太郎が叫ぶ。

「渡摘はんから神器の在処(ありか)聞いてへん!」

 仁も登子も、致命的なミスに気づいてしまったとばかりに、手の平で顔を覆った。

「手間だけど引き返すか?」

「ごめんなさい、潜水艦(あれ)は体力が大幅に削がれるの…少なくとも、今日は無理ね」

 仁はポケットに入れたカプセルを一瞥する。浪の残量はもう無い。エネルギーが回復するまで、こちらも1日かかりそうである。

「一刻を争う事態だってのに…!」

 そう、一同は忘れていなかった。四騎士の1体・ブラックリブラと、轍国の女王・燈花も三種の神器を狙っていることを。彼らは自身の力で霊源の森に来訪した。最後の在処も知っている可能性が高い。

 現在、2つが一同の手元にある。あと1つ。王手をかけたと同時に、襲撃の危険性を増やしたと言える。使いこなせていない神器を2つ抱える以上、最後の在処に辿り着いた時、不利なのはむしろこちらだろう。下手をすれば、総奪取などということもあり得る。何としても、一番に辿り着かねば。

「何かいい方法は無いかな…」

 仁の眉間に皺が寄る。

 架け橋を渡る途中、突然ハヤカケが足を止めた。

「どうした!?」

 当惑した仁がハヤカケを凝視していると、橋の隙間に根を張った紅色の花の匂いを嗅いでいた。焦燥は募るばかり。仁はハヤカケに注意した。

「花はいいけど、今それどころじゃ…」

 言い終える前に、仁は閃いた。

「…登子。渡舟貸してくれ」

 仁の意図が読みきれず、登子は首をかしげたまま渡舟を仁に手渡した。渡舟を受け取ると、仁はハヤカケを呼んだ。ハヤカケが素早く振り向く。

「これ、嗅いでくれ」

 渡舟をハヤカケの鼻に近づける。ハヤカケは吟味するように香りを吸い込んだ。それから、ハヤカケは再び前進した。架け橋を渡りきると、ハヤカケは踏み均された道とは異なる方角へ足を運び始めた。その挙動から、登子はようやく意図を理解した。

「仁さんよくわかったわね、麒麟の鼻がいいなんて。別世界出身なのに」

「馬は俺の世界にもいるからな。近いフォルムのこいつも同じぐらい鼻が利くかなと思ったけど、大正解だったみたいだ」(馬の嗅覚は人間の約1000倍とも言われている。ちなみに麒麟は馬の数倍の身体機能を持つ)

 渡舟を麒麟車に戻し、ハヤカケの進む速度を上げる。紅葉を纏う木々は茜色の残像となり、視界を通り過ぎる。

 快速飛ばす中、七光の面持ちは明るくなかった。

「…登子殿」

 正面で顔を伏せる七光に呼ばれ、登子は尋ねる。

「何?」

「その…よかったのか?」

 次の言葉を紡ごうとして、七光は言い淀んだ。しかし、登子にはわかっていた。家のことだろう。当人の預かり知らぬ事情で何もかもを決められる。王族であるなら当然のことかもしれないが、いざ実情を知ると、やはり理不尽に感じる。

「尻拭いばっかりの人生…ね」

 ため息と共にそう呟くと、両手を頭の後ろで組み、登子は麒麟車にもたれかかって天井を見上げた。

「そうね、最悪だわ」

「そうか…」

「…でも、悪いことばかりじゃないと思うわ」

 登子は頬を緩ませ、七光に言った。

「あなたと知り合えたもの」

 七光は顔を上げ、瞳を潤ませた。

「それならよかった…登子殿が納得できているのなら、それで…」

 救われたような口ぶりの七光に、登子は静かに微笑んだ。七光の献身は登子の傷を癒してくれる。現実から離れて笑うのを許してくれる。そう、甘えていられる。

「いいなぁ…」

「…何がだ?」

 知らずの内に声に漏れていたらしい。登子は口を押さえ、

「何でもないのよ、何でも!」

 と必死に弁明した。傍で聞いていた義太郎は、ニヤつきが止まらなかった。

「どうしたんだ?」

 前から仁が尋ねる。義太郎は悪戯に笑んだ。

「何もあらへんよ」

「えっ、超気になるんだけど…」

 日が落ち、辺りが赤らみ始めていた。


 雷鳥の渓谷を獲り損ねたとの伝令がブラックリブラに届く。

 分厚い本の山の上に、読んでいた本を投げる。それから、高く積もった山を指で崩す。暇潰しにもならない所作をした後、強烈な憤慨が去来してきた。

「知っての上でやりますか…!あのまま封印されていればよかったんですよ、あなたは…!」

 ブラックリブラは金属製の腕乗せを爪で搔く。目は血走っていた。

「今は小生が騎士だというのに…!」

 兵隊が列をなし、王室の扉を叩く。もう悲報は聞きたくないのだが。ブラックリブラが人差し指を自分の方へ折ると、風圧で扉が開かれた。隊長が一歩前に出る。

「陛下!今年の国事はいかがなされますか!」

 力ずくで玉座を奪い、小間使いを通して勾国の王となったブラックリブラには、城内の書庫を調べる中で興味を持ったことが二つある。

 一つは戦争状態になってから造られ、現在も局地の奪取作戦に使われている毒爆光の存在。もう一つは『国事』である。

 政教一致の体制をとる勾国では、海央家からオーダーと呼ばれるゾアの導き手を選び、王と共に儀式を行うというしきたりがある。この儀式によってタカマガハラを遺したヤマトと守護獣、そしていつか来るはずのゾアに向けて国の安寧を誓うのだ。言い換えれば、王がオーダーに近づける最好機というわけだ。

 ブラックリブラの胸中にあった苛立ちは収まり、今度は狡猾な考えが頭を巡り始めた。

「…この5年、国事は行ったのですか?」

「いえ…」

 隊長の返事を聞いて、ブラックリブラの腹は決まった。

「今年はやりましょう。ただし、場所はここではありません」

 兵隊達がどよめく。王室以外で国事を行うなど、前例の無いことだったのだ。

 隊長は尋ねる。

「では、どこに…」

 ブラックリブラは微笑み、機嫌よく指を鳴らした。

「『天王山』で」

 何を言い出すんだ、とばかりに訝しげな空気が漂う。だが、ブラックリブラが隊長を鋭く睨みつけ、

「よろしいですね?」

 と念押しした途端、そんな空気は消え去った。そして、兵隊に護衛されて連れられていた少女が王室に足を踏み入れる。

 10歳にも満たないであろう少女・『海央奉莉(かおう まつり)』は、歳に見合わぬほど流麗にお辞儀した。

「では、よろしくお願いします。国王様」


 雷鳥の渓谷を成す2つの山がある。片方は轍国の観光地として親しまれている緩やかな山『ほのか山』、もう片方は寒冷かつ野生動物が多く棲む過酷な環境で、物好きな登山家に愛される険しい山『いかり山』。

 双方のとある地点に、透明の『雲段(うんだん)』があることを誰も知らない。少なくとも、『当時』を知る者以外は。雲段を登りきると、宙に浮かぶ小高い山に辿り着く。極彩色の景色とも、金に満ちた桃源郷とも言われるその山こそ、龍人の守護獣『炎威明(ほのいかり)』の棲む天王山なのである。

 その天王山にて、炎威明は久手空使と渡摘に、脳波による交信を取っていた。赤く燃える髭が揺れる。

〈二匹とも、久しぶり〉

 炎威明から突然話しかけられた遠方の二匹は、背筋に気持ち悪い感覚を覚えた。

〈早々に文句を言うのもなんですが、あなた飛べるのですから直接来てくれませんか!?〉

〈同感だ。拙者達、どうもその『念話』なるものを受けつけられん体質でな〉

 辛辣な返答に、炎威明は口を尖らせた。

〈やだよ。ボク、ここから色んなもの見るの好きだし〉

〈まさか覗いたりしていませんよね?〉

 図星の炎威明は押し黙る。久手空使は呆れた口調で言った。

〈…趣味が悪いですよ。誰しも隠したい心があるのですから〉

 炎威明は勢いよく尻を落として胡座をかき、頬杖をつく。

〈それぐらいしかすることないじゃん。あっちに行けないんじゃさ〉

〈己で決めたことを、言い訳の材料にするでない〉

 渡摘に指摘され、炎威明は仰向けに大の字になって寝転んだ。

〈何なの二匹とも!久しぶりにお話しようと思ったのにさ!〉

 拗ねた炎威明の様子から、久手空使はあることを悟った。

〈…転生しましたね?〉

〈そうだけど?〉

 やはり。久手空使の目が細くなる。

〈あっ、いま笑ったね!?〉

〈二匹とも、どれだけ突き放そうと人が好きなのではありませんか。交信している今なら、尚更伝わってきますよ〉

 渡摘は光に照らされる海を見上げた。

〈いかに憎かろうと、そう簡単に情は捨てられんさ〉

〈そう?思うだけならタダだよ〉

 ホントに…タダだよ。念話にはせず、声にもせず、口だけを動かす。

〈けれど炎威明、あなたが転生し続けているのは愛ゆえとは言えませんか?〉

 久手空使の言葉は、炎威明にとって痛い所だった。炎威明の体内では、超新星爆発級の熱が生成され続けている。この熱が炎威明を著しく成長させ、守護獣を担うに相応しい力を持たせ、急速的に死なせる。

 だから炎威明は死ぬ直前に卵を産む。意識は卵に転送され、新たな身体へと生まれ変わる。例えるなら、データの詰まったメモリーチップを他の対応機器に移し替えるようなものだ(ただし精神年齢は身体に対応する)。

 チップごと変えようとすれば、炎威明の意識を捨てようと思えばいくらでもできる。しかし、炎威明にそれはできなかった。やれるほど割り切れなかった。

〈信じてみましょう。人を〉

〈…志藤仁を、だろ?〉

 炎威明は仰向けのまま、移ろう雲を眺める。

〈いや、合っている〉

 久手空使の発言を訂正しようとすると、渡摘が念押しした。

「そうかい…」

 炎威明は二匹に聞こえないよう呟いた。風がざわめく。

〈…何でいきなりボクが話しかけてきたと思う?〉

〈そういえば…〉

〈何故だ?〉

〈あのねぇ…〉

 炎威明は起き上がり、下界を見つめた。エメラルドのような瞳が戦意を伴って輝く。

〈…ここに来るよ、『魔騎難』〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る