第九節 ヒカリ
「魔騎難…?」
聞き慣れない単語を耳にして、仁は不思議そうに呟いた。仁が別世界から来たことを思い出し、クライムマーカーが説明する。
「ヤマト伝説に出てくる悪い王様よ。ヤマト様や守護獣と戦い、タカマガハラが出来るきっかけを作った…」
仁は取調室で義太郎が話した内容を思い出した。あの時はてっきり、ホワイトライダー達四騎士がヤマトと対決したものだと思っていたが、どうやら魔騎難という別の存在が絡んでいたらしい。
だがそうだとしたら、何故レッドブレードは三種の神器を狙った?知っていたからではないか?となると、四騎士と共に立ちはだかったのが魔騎難、ということになる。ならば、
「そいつも混沌の使者…なのか…?」
眉を潜める仁に渡摘が反応する。
「そなた…訳知り顔だな。話せ、そなたが拙者に会わんとした故を」
両目から放たれるプレッシャーは尋常なものではない。嘘を言えば即刻、海の藻屑にしてやるとばかりの威圧感である。
と言っても、仁にしても嘘をつく理由は無い。正直に話した。
「俺は志藤仁。実は──」
恋人が世界を守るために独り無限樹の中に入ったこと、300年以内に4人のゾアを集めると混沌の使者に約束したこと、そして自分がゾアを導く者・オーダーを海央日向から受け継いだこと。仁がレシーバーズと関わってから体験した全てを話した。
「──なるほどな…」
噛みしめるように渡摘は言葉を漏らす。だがそれ以上に驚いていたのは、七光の方だった。
「待て師匠。日向と言ったな…?その者だ、余が一度だけ出会ったオーダーというのは…!」
やはりか。顎が外れそうな勢いで口を開けた義太郎とは違い、仁は特段驚きはしなかった。
「海央日向…久手空使が話していた者か。あながち不埒者とは断定できぬようだな。だからこそ話さねばなるまい、真実を」
渡摘の語気が一層強まる。それに伴い、クライムマーカーの両目が疼き始めた。錐で突かれるような痛みに呻き、クライムマーカーは目を押さえた。
「拙者達は世界の進化を促すと宣い、殲滅を行った混沌の使者と戦った。三日三晩どころの沙汰ではない、命を削る戦いだった。友を、人を守るためにな。だが激しい戦いの中、魔騎難に加担する人間が現れ始めた。それが故に友の猛りは鈍り、魔騎難より致命傷を貰う羽目となった」
クライムマーカーの水晶体に、当時の景色が映る。凄惨な殺し合い。戦争。いや、もはや地獄変。クライムマーカーは呼吸も忘れ、ただ込み上げてくる吐き気を抑えるので精一杯だった。
「それでヤマトは最期の力を振り絞って魔騎難達を追っ払い、俺のいた世界とタカマガハラを切り離して、残る人々や守護獣を守った…ってことか」
仁の解釈を聞き、渡摘は頷く。
「一つだけ異なるとすれば、『魔騎難はほぼ倒せた』のだ」
「ほぼ?」
七光は渡摘の煮え切らない物言いに首をかしげた。
「奴は封印されたのだ、このタカマガハラの地にな」
仁は息を呑んだ。七光の胸に恐怖が湧き上がってくる。生まれ育った大地の下に、化け物が潜んでいたというのか?
「では…ヤマトは何も守れていないではないか…!蓋をしただけだ!もし目覚めた時、皺寄せを喰らうのは余達なのだぞ!?」
「違うわ…」
七光の狼狽を否定するクライムマーカーの声は震えていた。
「こうするしか…無かったんだわ…」
渡摘の目の色が暗くなる。
「もし、志藤公の世界に封印したならば、奴の潜む規模は極東の地どころではなかっただろう。奴は決まった形を持たぬ。万物を染め上げる、まさしく深淵そのもの…!」
仁は固唾を呑んだ。ただでさえ恐ろしい力を持つ四騎士の中でも、魔騎難のそれには底知れぬ雰囲気を感じた。言葉だけでも戦慄が止まらないのだ、実際に戦うとするのなら、どれほどの威圧感か計り知れない。
冷や汗を流す仁を励まそうと、義太郎は渡摘に言った。
「でも結局は封印しはったんやろ?そんで、今の今まで目覚めとらん。結構な事やないか。おらんのと一緒やろ──」
「違うわ」
クライムマーカーが義太郎の訴えを遮る。
「…封印『してきた』のよ。目覚めないように、ギリギリの所で。…轍国に」
クライムマーカーの瞳に映るのは、受け継がれてきた役目。轍国の王族は代々、城の底に眠る魔騎難を縛りつける封印の力を注ぎ続けてきた。一代でも途絶えれば覚醒する、ギリギリの戦いを強いられてきたのだ。
「だから七光が許嫁になったのね…祈祷文化が根強い勾国の者との間に生まれた子なら、完全な封印が望めるかもって…私、全然知らなかった…何も…」
クライムマーカーの話を聞き、七光は窓を叩いて顔をしかめた。
「やはりふざけている…!なぜ過去の出来事のために、登子殿の生き方まで決められねばならないんだ…!預かり知らぬ所で運命を定められて…!道具ではないのだぞ、登子殿は!」
夢現の映像が止まる。誰かが無理矢理、電源を落としたように。これ以上観てはいけない。そう語りかけるように。
目を見開き、クライムマーカーは肩で息をする。渡摘は静かに語った。
「兎も角、拙者に力を貸すつもりが無い理由は心得ていただけたな?人間は業を重ね、尚も省みる気配すら無い。友には悪いが、たとえ人間がデリートされようと、拙者は自業自得としか思えん」
一同の面持ちは暗かった。実際、現在進行形でタカマガハラの人々は過ちを重ねている。七光は渡摘に同感だった。
「登子殿には悪いが、神器は諦めよう。全てが揃わなくとも、十分に強力ではあるのだし…それに、やはり正論だ。下手に関わらせるのは、彼に失礼だろう」
頷きかけた頭を、クライムマーカーは横に振った。
「けど…それじゃダメなのよ」
クライムマーカーは手の平を見つめる。
「たった4人で戦争を止めようとしたら、相応に大きな力が要る。夢現だって使いこなせていないのに、戦力が足りているとは私には思えないわ」
「だが…」
「こういう条件はどうだ?」
突然、仁が渡摘に提案を持ちかけた。
「過去の出来事は変えられないけど、いま人を許せない理由──水質汚染をどうにかしたら、俺達に神器を託してくれないか?」
「理解できなんだか?拙者は人間に心開く気はない」
渡摘が仁を鋭く睨みつける。しかし、仁は一歩も退かなかった。
「お前が許せないことを、俺達が代わりにどうにかしようって言ってんだ。戦争も、汚染も、因習も『全部』!悪くない話だろ?」
渡摘は仁の主張の意図を察し、身震いした。
「志藤公、まさかそなた…」
仁の口角が上がる。
「そうだ。俺達が魔騎難を倒す」
義太郎は仁の両肩を掴んで揺らした。
「仁はん無茶や!なんぼなんでも無理あるやろ!」
「神器が集まればできる。ヤマトの力なら不可能じゃねぇだろ」
「人々はどうする!安全を保証できるのか!?」
背後から七光が大声を浴びせる。仁は振り向き、
「俺が守る」
と返した。
「…勝てるの?」
クライムマーカーは慎重に尋ねた。間髪入れず、仁は答えた。
「勝つ」
渡摘は奇妙でならなかった。さっきまで矮小な人間の一人でしかなかった志藤仁の雰囲気に、いつの間にか呑み込まれていたのだから。
「…何故、そこまでする」
渡摘が問う。仁は後ろの登子を指さした。
「仲間の夢がかかってる。他に理由は無い」
渡摘は感じていた。身の内から湧き上がる熱を。その熱が生み出す武者震いを。友と、ヤマトと出会った時の感覚がまるっきり甦ってきたのを感じていた。
となれば、渡摘にもはや迷いなど無かった。
「よかろう!ならば、見事この海を清めてみせるが良い!」
仁はクライムマーカーに向かって笑み、ユニゾンギアのマスクを装着した。クライムマーカーは夢現で浄化剤を生成し、二人でアオコちゃんの外に出た。
「呼吸は大丈夫なのか?」
仁の問いに、クライムマーカーは岩礁で出来た潜水セットを造ることで応じた。
「なるほどな!」
仁は笑い、筒に入った浄化剤を散布した。煌めく粉末が淀んだ水を透明に戻す。
「凄いな…地上より身体が軽いぞ!」
浪の性能に感激しつつ、仁は何メートルも広がった淀みの中を泳いで浄化していった。海に光が射し込む。
「綺麗…」
クライムマーカーは海に包まれながら、光の反射が織り成す雄大な景色に目を輝かせた。海を見上げ、渡摘が呟く。
「久方ぶりの光だ…」
作業が終わり、アオコちゃんの中へ戻ろうとする二人を、渡摘が呼び止めた。
「そなた達、実に大義であった。社に連れて参ろう」
渡摘が先頭を泳ぎ、アオコちゃんが後に続く。眩いほどの光に照らされる珊瑚や海藻を眺め、仁は『浦島太郎』を思い浮かべた。まさに、絵にも描けない美しさである。
深度3000m。光喰らう社に辿り着く。幼い頃、クライムマーカーはこの名を聞いた時、どれほど暗い所なのかと不安感を覚えていた。しかし、実際は異なるらしい。無限の色に輝く社はまるで、全ての海の光が集ったかのような煌めきを放っていた。
それを見て、クライムマーカーは笑い声を漏らした。なるほど、確かに『光喰らう社』だ。
「皆の者」
渡摘は鋏の先ほどの大きさの箱を、アオコちゃん隣に置いた。直後、足軽海老達が縄でくくりつける。
「確かに預けた。…掴め、その夢」
清々しい声音だった。クライムマーカーは頷き、胸に手を当てた。
「絶対、叶えてみせます…!」
浮上する一行を包むのは、暖かな光の海だった。アオコちゃんが水面から顔を出したのを確認し、クライムマーカーは出入口を開ける。涼風が頬を撫でる。
「いい風ね…」
陽は南に昇っていた。
荒野にリッキーは立ち尽くしていた。辺り一面に転がるのは骨。鳥だけではない、人の骨もある。
目の前には鉄柱を刺していたと思われる穴。前線基地だろう。あの一帯に、人だった骨がいくつか固まっている。
「何をした…」
信じられない光景だった。マージナルセンスに変貌し、岩影に隠れながら着実に相手の武器の核を壊していこうとした次の瞬間だった。突然、ネズミが足元を通り過ぎた。ネズミは一直線に勾軍最前線、毒爆光の発射台に突っ込んでいった。変貌していたリッキーにはそれが何かわかっていた。だから立場など弁えず、岩影から身を乗り出して叫んだ。
「逃げろ!」
刹那、物凄い勢いで光が兵士を呑み込んだ。すんでのところで回避したリッキーが見たのは、地獄だった。光は最前線にいた人を、付近に巣を張っていた雷鳥も、毒爆光も、何もかもを消し去った。悲鳴を上げる余地すら与えずに。残ったのは、骨だけだった。
絶句するリッキーを嘲笑うかのごとく、リッキーの足元を大量のネズミが高速で通過した。触れればここで光る。触れなければあそこで光る。
リッキーは岩壁に跳びつかまり、できるだけ高い所から石を投げつけた。しかし、ネズミは見事にかわす。容赦なく、無機質に、ひたすら敵の前線基地を目指す。
「行くな、行くんじゃない!」
叫びは届かなかった。光は彼方で放たれ、リッキーが辿り着いた頃にはもう、遅かった。
「何をしたァー!」
リッキーにはもう、体内に白骨化爆弾を孕んだ生物兵器『肉削(にくそぎ)』の描き出した地獄の前で、骨を抱きしめ泣くことしかできなかった。太陽は南から、リッキーを睨んでいた。
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