第八節 光喰らう社

 暁光射し始めるかという頃。馬を駆り、雷鳥の渓谷に辿り着くまでの道のり。リッキーは息が詰まりそうな思いであった。

 雷鳥の渓谷は轍国の南西部にあるのだが、道中、民衆は兵士達を歓迎していた。まるで勝つことが決められた事実であるかのように。戦うことで生まれる犠牲など、まるっきり無視している──あるいは、理解していないのだろうか。リッキーは心の底から、変貌しなくてよかったと思った。していたら、その雰囲気に耐えきれず、心身が崩壊したかもしれないから。

「もうすぐ着きます」

 兵士の一人が後ろからリッキーに声をかける。リッキーにとって、その言葉は救いのように聞こえた。

 すっかり朝日が顔を出した頃。距離にして、城からおよそ40km。永遠にも思えた移動がようやく終わった。馬から降り、リッキーは前線基地に入る。数人の兵士が折り目正しく敬礼した。

「移動、ご苦労様です」

 敬虔なものだ。普通なら、自分のような新参者が女王の側近になるなど気持ちよくないだろう。しかし瞳にすら文句の一つも浮かばせないのを見ると、よほど燈花を信頼しているのだと思わされる。それほど素敵な人物には見えなかったが。

 リッキーがそんなことを考えながら席につくと、兵士の一人が地図をリッキーの前に寄せた。いくつもの印の内の一つを指さして、兵士は言う。

「ここが勾国の前線基地となります。ただ、この3ヶ月、攻めあぐねているというのが現状でございまして…」

「…というと?」

「勾国の兵器が非常に厄介なのです」

 地図を指さした兵士よりも等級が低いと思われる若い兵が、紙束を地図の隣に置いた。

「『毒爆光(どくばくこう)』…?」

 リッキーが表紙に書かれた文字を不思議そうに読むと、若い兵が説明を始めた。

「勾国の鉱山の中には、『毒光石(どっこうせき)』と呼ばれる小さな鉱物があります。これは熱に反応し、有毒性の強い爆発を起こすという特徴を持ちます。奴等の鉄弓(てっきゅう。こちらの世界で言う銃や大砲の総称)は毒光石を使い、直線上に光を放つのです」

 つまるところ、有毒なレーザー光線か。

「けどそれじゃあ、撃った人はどうなるんですか?至近距離で汚染物質に晒されるんじゃ…」

「次をご覧ください」

 若い兵に言われるまま、リッキーはページをめくった。巨大な砲身の側面に、透明の貯蔵タンクがくっついていた。

「毒光石をこめて放ちますと、そこに汚染物質が流し込まれます。溜まりきったら自動的に貯蔵器は排出、新たな貯蔵器を装填します。さらに、熱を遮蔽するために撃つ直前、引き金の周囲から『傘』が展開されます。これで安全に高威力の攻撃を放てるようにしたのです、奴等は」

 リッキーの脳内には、毒爆光の威力よりも大きな懸念があった。

「ちなみに…どれくらいの有毒性があるんですか?」

 若い兵は淡々と述べた。

「1g舐めれば死にますね」

 何も感じないのかと問い詰めたいところだったが、自陣の兵を責めたところでどうにもならない。それに、彼等の感覚が麻痺している事は散々思い知らされた。だからだろうか、自分でも驚くほどしっかり、リッキーは矛を納められた。

「…処理は?」

「敵国の者ではないので何とも言えませんが…信心深い彼等が、曰く付きの土地をわざわざ作るとは思えませんね」

 埋め立て地は無い、と。

「…海か」

「消去法で言えばそうなります」

 リッキーは机を叩いた。早く終わらせないと、取り返しのつかないことになる。

「…一日で終わらせてみせる…!」


「しかし…」

 仁は腕を組んで唸った。

「俺はいいとして、皆はどうやって社まで行くんだ?」

「ワシは泳げるけど、二人は無理ちゃうか?」

 義太郎も頭を悩ませていた。久手空使によれば海底にある、加えて人の中には誰も詳細な場所を知らない。となれば、深度は相当なものと考えられる。登子と七光が水圧に耐えられる保証は無い。

「でも、久手空使様が着けばわかるって言っていたわよね?それって、何か行き方があるってことなんじゃないかしら」

 登子の発言を受け、仁は七光に尋ねた。

「七光。お前、この辺にどんな生物が棲んでるかわかるか?」

 七光は首を横に振った。

「そもそも、余達を運べるような生物がいたとしたら、そいつらは多分余達のことを餌と思わないか?」

 確かに、生態的になぜ人間大のものを運ぶかを考えれば、それは自分達の餌がその大きさだからと結論づけるのは道理だ。子供を運ぶ習性があると仮定するのも悪くないが、海という過酷な場所に挑む以上、やはり危険な場合を優先して仮定すべきだろう。

「失礼だけど、何か意外だわ。七光がそういう勘鋭いって」

 仁と同じく、登子も驚嘆していた。

「機械に触れていると、色々思考を巡らせる必要があるのでな」

「なるほどねぇ…」

 登子は感心して頷いた。

「そういえば」

 突然、仁は夢現の能力を思い出した。

「登子、潜水艦を思い浮かべてくれ」

 首をかしげる登子を見て、仁はしまったと思った。不自由なく言葉が通じるのでついつい忘れそうになるが、あくまで別世界の人間なのだ。潜水艦が無いという可能性は十分に考えられる。

 と内省しかけた矢先、七光が石を拾って地面の上に図面を引いた。

「これが潜水艦だ」

 登子は物珍しげに図面を眺める。

「人が入れるお魚さん、って感じね」

 仁は七光の肩に手を置いて囁いた。

「ありがとう。助かる」

「それほどでも…あったりするぞ?」

 七光は満面の笑みを浮かべ、胸を張る。調子の良い奴。仁は微笑んだ。

「大体想像できたわ、仁さん」

 そう言うと登子はクライムマーカーに変貌し、右手を海面に向けてかざした。すると、岸辺の岩肌が削られ、潜水艦を形作っていった。

 出来上がったサバ型潜水艦は登子達を見て、

「私に乗って!」

 と呼びかけた。

「…喋るのがデフォルトなんだな」

 仁は呟いた。その耳元で、義太郎が囁く。

「多分、本人の性格が反映されてはるんやろね。語り部なりたい言うてはったし」

「聞いてたのか?」

「動けんかっただけで、ちゃんと聞こえとったよ」

 小声で話し合う仁と義太郎に、既に潜水艦へ乗ったクライムマーカーが手招きする。

「どうしたの?早く行くわよ」

「いま行く」

 全員が乗艦し、サバ型潜水艦『アオコちゃん(登子命名)』が水中に潜った。

 艦の調整を担当する七光はクライムマーカーの姿を目で追わずにはいられなかった。

「不思議な恰好だ…」

 思ったことを口に漏らす。仁はクライムマーカーを指さし、七光に説明した。

「俺の世界じゃ、こういうのをレシーバーズって呼んでる。『授かりし者』って意味だ。ネット──いや、巷発祥の言葉なんだけど、言い得て妙だなって思う」

 前方を確認し、アオコちゃんの形態を維持しつつクライムマーカーは相槌を打った。

「確かに。実際、物凄い力を出せるもの、この姿」

「それだけじゃない」

 仁は遠くを見るような目で、言葉を紡ぎ出した。

「多分、授かるのは力だけじゃない。はっきりとはわからないけど、色んなものを貰ってる気がするんだよ。俺が出会ったレシーバーズ達を見てるとな」

「…せやな」

 義太郎の口角が上がる。

「そういや思てんけど、久手空使はんの『着けばわかる』って何のことやったんやろな?行き方を教えてくれるわけでもなかったし…」

「あくまで推察だが…」

 七光が義太郎の方を向く。

「森には土児がいただろう?あれと同じように、守護獣には家来のような存在がいるのではないか?その者達が迎えに来る予定だったとは考えられないだろうか」

 七光の推察を聞き、クライムマーカーが尋ねる。

「もしそうだとして、何で家来達は姿も見せかったんでしょうね?」

「余達を試しているのか、それとも…」

「やっこさんらに何かあったか」

 義太郎から飛び出た言葉に、三人は固唾を呑んだ。名もない岸辺に久手空使はアテがあるような事を言った。しかし、光喰らう社に繋がる手がかりは何も見つからなかった。ということは、何らかのアクシデントがあった可能性は高い。

 さらに一同の不安を煽ったのは、周囲の暗さだった。

「七光、深度は?」

「まだ半里(2km)も無いぞ」

 まるで、夜明け前の空のごとき闇が広がっていた。クライムマーカーはアオコちゃんに、

「明かりお願い」

 と指示する。アオコちゃんは目からライトを放ったが、それでも闇の深さに変化は無かった。

「なんちゅう暗さやねん…」

 義太郎も冷や汗を垂らした。

 クライムマーカーが目を凝らす。夢現の水晶体はある現実を示した。

「これって…」

 声に出す前に、潜水艦が何かにぶつかり激しく揺れ動いた。起き上がるクライムマーカー達の目に飛び込んだのは、『足軽海老』達がアオコちゃんに群がる景色であった。

「オマエラ、ココ、ダメ!」

 足軽海老達は口を揃えて一同を拒む。闇すら埋め尽くすほどの数に義太郎は圧倒され、

「マジでおったみたいやな…」

 と驚嘆を露にした。

「頼む。俺達には必要なんだ、神器が!」

「ニンゲン、シンジルニアタイセヌ!ワタツミサマヨリ!」

 仁の訴えも、足軽海老には通じなかった。クライムマーカーは目を見開いて叫んだ。

「この目、わかるでしょ?あなた達の王様の仲間が、私達に託してくれたものよ!だからお願い、私達を導いて!」

「無理な相談だな」

 アオコちゃんが震えるほどの重厚な声と共に、人型の蟹──渡摘が目の前に現れた。

「足軽海老共がうるさいので来てみれば…ここまで来たことは褒めるが、お引き取り願う」

「どうして!?」

「久手空使は情に脆い。奴に見込まれた一点のみで、そなた等に『渡舟(わたしぶね)』は託せぬ」

 仁王立ちで睨む渡摘の迫力にクライムマーカーは息を呑む。吸い込む空気は鉛のように重かった。それでも、反論する気概は消えなかった。

「何でそこまで疑り深いのですか!?そんなに人を信じられませんか!?ヤマト様だって同じ人間でしょうに!」

「軽々しく友を語るな、小童!」

 渡摘の怒鳴り声が大海を揺らす。一同は鼓膜が破れるのではないかとさえ思うほどだった。

「…そなた等は何故、ここが光喰らう社と呼ばれるかわかるか?」

 既に着いていたのか。知らず知らずの内に、深い所まで沈んでいたらしい。暗すぎてわからなかった。

 そうした驚きを胸に抱きながら、クライムマーカーは思い当たることを口にした。目を凝らした時、見えたもの。

「汚染物質…」

 クライムマーカーが口走った内容を、渡摘は肯定も否定もしなかった。だが、目の鋭さが増したことは、言葉以上にそれが真実であることを物語っていた。

「…ただでさえ我等はかつて、そなた等人間に裏切られたのだ。そこに加えて水質汚染。簡単に信じられるわけもなかろう」

 クライムマーカーの脳内には疑問が浮かんでいた。隅から隅までヤマト伝説のことは覚えている。そこに記されてあるのは、未曾有の災厄に守護獣達がヤマトと共に立ち向かったことだけである。人が裏切るだとか、そんな余地は書かれていない。なのに、実際はこうだ。

 水質汚染だけでも十分な理由ではある。だが、クライムマーカーにはそれ以上に、『かつて』の内容が重要であるように思えた。

「どういう…こと?」

 渡摘はため息混じりに、

「やはりかいつまんだようだな、人間ども」

 と呟き、クライムマーカーを見下ろして言った。

「──かつて我等の敵、『魔騎難(マキナ)』に加担し、ヤマトを死に至らしめたのは他でもない、そなた等人間だ」

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