第七節 いざ社へ

 孤高の女王、轍燈花が側近を付けた。新体制から5年、前代未聞の出来事は瞬く間に城内に広まった。

 リッキーが使っていた部屋は城内にあるシェアハウスのようなものだったのだが、燈花に命じられ個人用の部屋に引っ越す際、同室の者達がリッキーを羨望の目で見ていたのをリッキーは鮮明に覚えている。

 引っ越し作業を終え、食堂へ向かう時、リッキーはかつての上官とすれ違った。途端、上官は気恥ずかしそうに会釈した。リッキーはその時、改めて自分がどれほどの位置に立たされたか思い知らされた。

 生活が変化して数日が経った。

「どうだ?調子は」

 玉座から燈花が質問する。リッキーは固唾を呑んだ。近くにいてわかる、恐るべき威圧感。カリスマという単語さえ安っぽく聞こえてしまうほどの深遠さが、燈花の周囲に漂っていた。

「…何故、オレを右腕に?」

 燈花はため息をつき、

「質問を質問で返すとは、どんな了見だ?」

 と眉を潜めた。内から疑問が漏れてしまったことを悔いながら、リッキーは頭を下げた。

「すみません。つい…」

「よい。その質問は道理だ」

 リッキーは安堵で大きく息を吐いた。呼吸すらままならない緊張感は、ブラックリブラたち騎士を彷彿とさせる。そう思った矢先、

「騎士が欲しくなったと言えば、お前は笑うか?」

 と燈花が尋ねるので、リッキーは顔をひきつらせて返事した。

「いえ、全然」

 平静を装うのに必死なリッキーをよそに、燈花は顎を指の上に置いて呟いた。

「なぜ唐突に欲するようになったのか、私にもわからんのだがな」

 愚痴めいた発言が、リッキーにとっては何よりも印象に残った。

「後日、戦地へお前を派遣する。場所は『雷鳥の谷』。その力を踏まえ、お前は作戦指揮が適任と判断した。合流地点は──」

 リッキーの顔を見つめ、指示する燈花の言葉さえ、能力のことを見破られている──つまり、尾行を知られていたのが明白となったことさえ、その愚痴に比べれば何ということはなかったのだった。

 リッキーが部屋に戻ると、燈花は火傷を負った右目を押さえた。リッキーを側近にしたのは監視も兼ねてのことだった。尾行時、奴も自分と同じだが系統の異なる力を用いていたのが理解できた。勾国侵略に際し、大きな戦力となる。敢えて傍に置くことで常に釘を刺し、尚且つ兵士として有効活用する。それが燈花の目論見だった。

 しかし、燈花にはわかっていた。ならば従来と同じく、懐に入れさせず命令だけすれば良いのだと。なぜ己を知られるような位置に立たせた?そのつもりは全く無かったのに。なぜ?考えられるのは──

「…意識の混濁か」

 右手から炎が溢れ出す。焼き切れた神経は痛みを伝えず、閉ざされた右の瞼に熱だけが伝わる。

「それとなく『私』を知らせようというのか…?厄介な『器』だ…!」


「──って感じです」

 携帯無線機からリッキーが仁に報告する。仁達はいま『霊源の森』の中、応急処置を施した義太郎を麒麟車で寝かせつつ、久手空使から得た木の実や薬草を整理していた。

「『雷鳥の谷』か…」

「轍国の南西部にある谷ね。凪村ぐらいの人口はあるけど、それ以上に雷鳥が棲んでいる場所で戦うなんて…」

 登子が沈痛の表情を浮かべる。七光も苦虫を噛み潰したような面持ちになる。

「珍しいのか?」

 仁は問いかけた。『雷鳥』が珍しくないなら殺されても構わないだとか、そういうことではない。ただ、彼女らにとって『雷鳥』とはどれほどの価値を持つのか、それが気になった。

「保護指定生物よ。体内の袋で雷を生み出すんだけど、生活水準向上のために乱獲されたことがあって、数がもう残り少ないの」

「鉄広場でも頻繁に話題となっていた。『あれを育てれば、ここの発言権は王族並になる』とな」

 七光の国政に対する興味の無さは、兵士に対する態度などから──少なくともあの時点では──ゼロと言っても過言ではないだろう。そんな人間でさえ明瞭に記憶していたのだ、よほど価値のある種類の鳥に違いない。薬草を煎じる仁の手が止まる。

「やるせない話ですね。そこを戦地にするということはつまり、『雷鳥(かれら)がいなくても構わない』と判断したからでしょうし」

 久手空使が呟く。その下で、土児達が木の実を麒麟車へ運ぶ。煎じた薬草を丈夫な葉で作った袋に詰めて、仁はため息をついた。

「行きてぇのはやまやまだけどな…」

「…大丈夫、やってみせますよ」

 携帯無線機越しに、リッキーは決意を口にした。

「頼むぞ、リッキー」

 仁が通信を切ろうとすると、リッキーは慌てて付け足した。

「そうだそうだ!指揮官、実はオレ気になることがあって…」

 少しの間の後、リッキーは小さな声で言った。

「もしかすると女王、二重人格かもしれません」

「マジか!?」

「オレを側近に置いたのも、自分でも理由がわからないと言ってました。これって、多重人格者の特徴と被るんじゃないですか?他の人を傍に近づけたがらないのといい、黒に近いグレーなのは確実ですよ」

 登子は息を呑んだ。確かに、不自然な行動に及ぶことはあった。性格が一つしかないと仮定した場合の、彼女の在り方ばかり考えていた。だから5年前の豹変を受け入れられなかった。姉はいなくなったのだと思っていた。

 だが、もし二重人格なら?姉は元より、文才溢れる善人と邪智暴虐の悪人の、二つの人格を有していたのだとしたら?豹変やこれまでの行動に納得がいく。それに何より、

「姉さんを取り戻せる…!」

 登子の瞳が潤む。もう元通りにはならないと思っていた。姉は死に、残虐な獣に成り果てたのだと絶望していた。けれど、まだ生きている。取り戻せる。殺さなくて済む。

 確定したわけではない。それでも、姉を知らない人から見てそう判断されたのだ、信憑性は高い。

「よかった…よかったよぉ…」

 登子は膝から崩れ落ち、涙を流した。

「登子殿、大丈夫か!?」

 七光は慌てふためき、土児に命じた。

「誰か布巾を持ってきてくれ!早く!」

「いいわよ」

 涙を手で拭いながら、登子が止める。

「あなたを見ていると、涙も引っ込んじゃう」

「それは申し訳ないことを…」

「謝る場面じゃないでしょ、もう」

 登子は笑った。

「…ありがとう」

 登子の見せた笑顔を前に、七光は硬直した。それから顔を真っ赤にして、仁に顔を寄せた。

「師匠!どうしよう!登子殿可愛い!物凄く可愛い!元からそうだが今のは破格の可愛さだ!」

 迫真の表情で囁く七光を前に、仁は吹き出した。

「それ本人に言えよ」

「勇気が出ぬ!というか気持ち悪くなりそうで嫌だ!」

「すぐ傍なのになぁ」

 仁と登子の間に座る七光を見て笑いながら、仁は思った。素敵な許嫁だな。いい王様になれるよ、お前なら。

「登子」

 仁が呼びかける。

「夢、増えたな」

 登子は満面の笑みで頷いた。それを見て七光は再び仁に囁いた。

「今の登子殿見たか!?あれは何というかもう──」

「わかったって」

 荷物の整理も終わり、仁達は麒麟車に乗って霊源の森を発とうとした。

「ここから一番近いのってどこだ?」

 仁が久手空使に尋ねる。

「神器でしたら『光喰らう社』ですね。勾国最北端の岸辺と、その沖に浮かぶ『渡島(わたりじま)』の間の海底にございます」

「どうやって行こうか…」

「港に着けばわかりますよ」

 久手空使は含み笑いを浮かべた。

「世話になったな」

 ハヤカケに跨がる仁に対し、土児達が別れを惜しむように鳴く。

「この子達もすっかりあなた方に懐きましたね」

 久手空使は微笑んだ後、仁に頭を下げた。

「数々の非礼、どうか許していただけますでしょうか」

「なに言ってんだよ。むしろありがとうだよ、こっちは。一緒に戦ってくれたし、物資くれたし」

「しかし、このままでは気が済みません」

 義理堅いというか、意地っ張りというか。

 仁は麒麟車で仰向けになっている義太郎(ともだち)を一瞥して笑み、再び久手空使に目を向けた。そして、手を開いて伸ばす。

「じゃあ友達になってくれ」

 久手空使の頬が緩む。

 ああ、友よ。彼はやはり、あなたに似ている。

「…それならば、いくらでも」

 ハヤカケが次の目的地へ一歩踏み出す。

「久手空使様!」

 登子は麒麟車から顔を出し、自身の目を指さした。

「…使わせてもらいます」

 果てを見据えようとする少女の道を案じながらも、久手空使は激励することを選んだ。

「是非、見せてください。夢を現と変える、その瞬きを」

 こうして、仁達は霊源の森を抜けた。揺らめく葉は旅立ちを祝うかのように、小気味良い音を奏でていた。

 それから数日後。『動物』病院で診てもらっていた義太郎の、退院の日を迎えた。

「また助けてもろたなぁ、仁はんには」

「気にすんなよ。困った時はお互い様だろ?」

 病院を出て、一同は『駐馬場』に停めてあったハヤカケのもとへ歩いていた。

「それにしても面食らっていたわね、お医者さん達」

「余達と大差ない大きさのカエルが運び込まれ、挙げ句喋りだしたのだ。驚くのも無理はない。実際、余は今でも信じがたい」

 そう言って七光は包帯を巻かれた義太郎の背中を見つめる。

「…開閉口はあらへんで」

 義太郎は呆れながら七光を睨んだ。

「なぜ余の考えがわかった!?」

「むべなるかなよ」

 登子は苦笑した。

「ところで七光」

 仁は両手に抱えた買い物袋の中から煎餅を取り出して齧る。

「ユニゾンギアの改造案があるって昨日言ってたけど、どんなだ?」

 すると、登子が煎餅を持つ手を叩き、

「行儀悪いわよ」

 と眉を潜めた。その様子を見て義太郎は笑った。

「仁はん、ハンバーガー恋しくなりはったんか?」

「はんばーがー?」

 登子と七光が口を揃えて尋ねる。

「そういえば登子はん達は知らんのやったな。ええか、ハンバーガーっちゅうのはな…」

 義太郎の説明が始まろうとした時、仁は七光の肩を引っ張り寄せ、

「お前はこっち」

 と囁いた。言い知れぬプレッシャーを感じた七光は、無駄な抵抗はやめて話を聞く体勢に入った。

「…それで、改造案って?」

「岸辺に着いてから教えようとしたのだが…まぁ良い。今のところ、全部で4つほどあるのだがな…」

 そうこうして喋りながらハヤカケの枷を外し、潮の香り漂う勾国最北端の岸辺まで辿り着くと、七光は仁に催促した。

「では師匠、さっそく装着してくれ」

「乗ってる内に組んだのか!?」

 およそ220kmの進路だったとはいえ、常人離れした七光の早業に、仁は目を丸くした。

「凄かったわよ?残像見えたもん」

「動画の早回しみたいやったわ」

「どうが?」

「あぁ動画っちゅうのはな…ってそれはタカマガハラ(こっち)にもあるやろ!」

「私室内派だから…」

「室内で観るモンやろが動画って!」

 登子と義太郎の口論(コント)をよそに、七光は手渡されたユニゾンギアを装着した。

「ではまず、胸のランプを見てくれ」

 七光に言われるまま、仁は胸部を見下ろす。胸の中央部で、ランプは赤く発光している。

「可動時間残り30秒から、その光が点滅し始める。終了すると光は消える」

「なるほど」

 仁はランプを手の平で覆う。この光を確認して、ユニゾンギアを運用すれば良いわけだ。

「次に師匠、ランプを指で押してくれ」

 仁が親指でランプを押し込むと、カプセルが飛び出した。カプセルの先端にランプが付いており、中心部にエネルギーが貯蔵されているという仕組みである。

「これを状況に応じて、他のカプセルと入れ換えていくって寸法か」

「さすが師匠!」

 赤の『猛(ヘラクレス)』、青の『浪(ポセイドン)』、黄色の『久(アキレス)』、緑の『翔(イカロス)』──猛含め、名前は仁が即興で思いついたものである──それぞれのカプセルを握り、仁は七光に確認した。

「今使うべきは?」

「青だな。それがあれば90秒間、深度に関係なく水圧を感じずに動ける」

「オーケー、浪ね」

「ぽせいどん…とは?」

 今の仁には、無垢な瞳で質問する七光が眩しすぎた。仁はマスク越しに紅潮し、

「…青入れるぞ、青!」

 と、空いた胸のスロットに浪を入れた。

「師匠、ぽせいどんとは?」

「やめろ掘り返すな!」

 仁が照れ隠しをしている内にランプは光り出し、全身が青色に変わった。

「マジか…かっけぇ!浪かっけぇ!」

 突然の出来事に対して仁は無邪気にはしゃいだ。

「…ぽせいどんとは?」

「何や仁はん、ぽせいどんっちゅうんは」

「義太郎さんも知らないとなると、相当凄い何かなんでしょうね…教えて、仁さん。ぽせいどんって?」

「もう勘弁してくれ…」

 光喰らう社へ向かう準備は、確実に整っていた。一つの誤算を除いて。

「人間よ、来るなら来い。拙者の一撃で叩きのめしてくれるわ!」

 光喰らう社の奥で、蟹の守護獣『渡摘(わたつみ)』が腕を組んで仁王立ちしていた。

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