第六節 見据えるものは

「いつまで寝てんだ、早く起きろ」

 声に促され登子が目を覚ますと、暗闇に包まれていた。驚いて辺りを見回すが、誰もいない。

「確か私、燈花と戦って…それで…」

 負けた。圧倒的な差だった。歯牙にもかけられなかった。命を奪わなかったことが、何よりの証である。そのことを思い出し、登子は顔を伏せた。すると、上空から怒鳴り声がした。

「やめろそんな顔すんの!湿っぽいの嫌いなんだよオレ!」

 無神経な言葉に登子は苛立ち、顔を上げて怒鳴り返した。

「うるさいわね!どこの誰だか知らないけど、何も知らないくせに好き勝手言わないでくれる!?」

「じゃあ何で神器使ってんだオメー!」

 登子は硬直した。自分が神器を使った?わけがわからない。あれは仁が持っていたもので、使う許可を得た覚えはない。

 それにだ。もし、そのことが真実だとすると、登子が今話している相手は、

「ヤマト様…?」

「オレのことは知ってんのな。なら姿は見せてもいいか」

 そう言うと声の主は突然、光と共に登子の前に現れた。筋骨隆々、黒い髪は膝の辺りまで伸びきっており、額に十字の傷を持つ男が胸を叩いて名乗る。

「知ってんなら改めましてになるが、オレはヤマト。極東の地で村長(むらおさ)やってた、しがねぇ男だ」

 直後、登子は目を輝かせ、ヤマトの両手を握りしめた。

「あなたが…ヤマト様!?本物!?」

「そうだけど…」

「凄いわ!夢でも嬉しい!」

 興奮しきりの登子を前に、ヤマトは顎を掻いて呟く。

「前の奴とはえらい違いだな…」

 さらに、登子は物凄い勢いで土下座する。

「この度は無礼な口を利いてしまい、誠に、誠に申し訳ありませんでした…!」

「いいって、んなこたぁ」

 ヤマトは困惑しながら登子の上半身を持ち上げた。

「忙しい奴だなぁオメー」

「大変申し訳──」

「もういいよ」

 登子の陳謝を制止した後、ヤマトは尋ねた。

「神器はどこで手に入れた?」

 登子は戸惑い、言葉を出せなかった。

「…自分でもわかんねぇって顔だな」

 静かに頷く。登子を下ろし、ヤマトは腕を組んだ。

「とにかく、オレの目を使う以上は聞きてぇことがある。──オメーは何を見てぇんだ?」

 登子は俯いた。燈花にも似たことを言われた。

「それは…必要なことなの?」

 苦し紛れに質問を返す。ヤマトは躊躇わず頷いた。

「いいか?人が動くのにはぜってぇ理由がある。方向がある。目標がある。それも無しに動こうなんてのは、ただのワガママだ」

 胸に刺さる。その痛みから逃げたくて、登子は叫んだ。

「悪い!?それで誰かに迷惑をかけたっていうの!?燈花みたいな人の方がマシだっていうの!?親を殺す奴の方が!?」

「そうだ」

 ヤマトは断言した。

「自分の目の曇りもわかってねぇ分、よっぽどこえぇよ」

 登子は肩を震えさせた。

「意味わかんない…」

「生きてたら、ほっといても『誰か』や『何か』と関わんなくちゃいけねぇ。行き当たりばったりに動くってのはな、お前の見てねぇそいつら全員を掻き乱すってことになるんだ。それ全部背負う覚悟、あんのかよ?」

 息を吸うのも忘れるほど、空気が張り詰めていた。

 そうだ。何も見ていなかったから、凪村の人々は燈花に焼かれた。片側の勢力の生まれの人物が自治集落(そこ)にいる。それだけで危険なのは、自明の理だろうに。自覚的に動けている分、燈花の方がよほどマシだ。

「何も…見えていなかった…」

 登子は力なく呟き、自嘲気味に薄く笑った。直接手を汚すか、間接的に周囲を巻き込むかでしかない。

「何を…見ればいいの…?」

 弱々しい問いかけに、ヤマトは聞き返す。

「…オメー、夢はあるか?」

 夢。燈花に聞かれるまで、久しく聞かなかった言葉だ。そんなもの、見る余裕も無かった。毎日、爆音と貧窮に頭を抱える日々だった。

 登子は首を横に振る。

「んなこたぁねぇだろ。忘れちまっただけなんだ、オメーは」

「どうしてそう言えるの?」

 ヤマトは自分の目を指さし、歯を見せて笑った。

「オレには『見える』」

 子供のような仕草に、登子は吹き出した。不思議と心が軽くなる。軽くなった分、忘れてしまうほど深くに沈んでいた夢が甦る。

「…私、語り部になりたかったの。お人形を使って…燈花の作った物語を語って。そうやって、皆を笑顔にしたかった」

 ヤマトは登子の両肩に手を置いた。

「いいな。叶えようぜ、その夢」

 登子は目を覚ました。両目にとめどない量の血が流れるのを感じる。力が溢れるのを感じる。傍に仁がいた。

 仁が与えてくれたのか。登子は悟った。そして、先刻心を覆っていた絶望を振り切り、自信に満ちた笑顔を見せた。

「行け、登子」

 登子は頷き、立ち上がる。ブラックリブラに向かって足が伸びる。

「だから何だというのです!」

 ブラックリブラは登子に飛びかかる。しかし、登子の前に現れた土塊の兵士──『像兵(ぞうへい)』が攻撃を防いだ。気づけば、登子は既にクライムマーカーへと変貌していた。ブラックリブラすら視認できない速度で。

 像兵が振り向き、登子に呼びかける。

「今だ、登子ちゃん!」

 すかさず、クライムマーカーはがら空きとなったブラックリブラのみぞおちに拳を叩き込んだ。想定外の事態に反応が遅れてしまったブラックリブラは咳き込み、後ずさりをした。

「やったね登子ちゃん!」

 像兵がハイタッチを催促するので、クライムマーカーは苦笑しながらも応じた。一方、ブラックリブラは怒りの沸点に達しかけていた。

「舐めたことをしてくれますね…!ガキとガラクタの分際で…!」

 途端に空気がブラックリブラの色に染まった。クライムマーカーの全身に寒気が走る。木々は揺れ、そこに棲む小さな生き物は身を震わせることしかできなかった。

「いいでしょう。ゾアの妹なら、本気を出しても恥ではない…!」

 ブラックリブラは全身の筋肉を膨張させようとしたが、

「師匠!」

 突如間に割って入った声が、ブラックリブラの集中力を削いだ。七光はハヤカケの背中ではなく、麒麟車の方に座り、肩で息をしていた。ハヤカケに指示だけを送り、『乗麒麟』しなかった結果である。

「すまぬ。ハヤカケが意外と乱暴者でだな…」

 仁が怒鳴る。

「何で来た!」

「登子殿の姉上と変な奴が現れたと聞いて、黙ってはおれんだろう!」

 刹那、言い返す七光の正面にブラックリブラが座っていた。先刻、登子が変貌した速度に勝るとも劣らぬ速さだった。

「こんにちは。変な奴です」

 丁重に、しかし憤慨を込めて挨拶する。七光は戦慄し、身動きすら取れなくなっていた。その様子にブラックリブラは笑みをこぼし、七光の頬を指で握りしめた。

 しばらく恐怖に呑まれた七光の瞳を見つめ、ブラックリブラは朗らかに言った。

「やはり猿はこうでなくては」

 そして、七光の耳元で囁く。

「あなたの両親、殺させていただきました。だから今は小生が王様なんです」

「え…?」

 恐怖に加え、絶望に打ちひしがれる七光の顔を覗き、ブラックリブラは恍惚の表情を浮かべた。

「うん、あなたを見て気分が良くなりました。お礼申しあげましょう。ありがとうございます、間抜け面を晒してくれて」

「何で…」

 力なくうなだれ、七光は呟いた。

「殺した理由ですか?あー…今度、考えてきますね」

 その言葉を残し、ブラックリブラは瞬時にどこかへ消えた。直後、七光は踞って咽び泣いた。

 兵士が自分を殺すと言った時、間接的に勘当を言い渡されたのかと思った。その方が幾分マシだった。まさかあんな奴に殺されていたなんて。殺した理由を考える?意味がわからない。ならば、両親のことは何も考えず手にかけたというのか?

 ハヤカケが悲しげに鼻息を鳴らす。一難去り、気絶した義太郎を背負った仁と、変貌を解いた登子が近寄る。

「…何か、言われたのか?」

 涙を拭い、七光は嗚咽交じりに言葉を連ねた。

「父上と母上を殺したのは、奴だった。余を殺せと命じたのもだ…」

 七光の視線が登子に移る。

「余には何故、そのような力が無いのだ…?それだけの力があれば、余は…!」

 登子は目を逸らす。力なんて自分も無い。三種の神器の力でしかない。それでもブラックリブラには大したダメージも入っていなかった。使いこなせていない証拠。器に足らない証明。

 そんな情けなさを吐露したくてたまらなかったが、登子は唇を噛んで堪えた。今、一番つらいのは七光だから。どんな弱音も、今の七光には残酷な戯言でしかないから。

「──俺は」

 仁が話を切り出す。

「もう一人の仲間と合流する。そして、ゾアを見つける。それが俺の旅する理由だ。二人は?」

 意図を理解できず、二人は黙りこくる。すると、彼方から叫び声がした。声の主は麒麟車の方へ脱兎のごとく駆け寄る。

「仁兄さん!」

 振り向く。マージナルセンス──リッキーだった。仁の頬が緩む。

「どこにいたんだよ?」

「実は──」

 リッキーは轍国における現在の自分の境遇、燈花の動向を調べて後を追い、ここまでたどり着いたことを話した。

「登子には朗報かもしれねぇな」

「その子に?何故?」

 リッキーから質問を受け、仁は気まずそうに登子を見た。

「話して…いいか?」

「私が話す」

 暗い声音で登子は返事した。

「私は轍国の女王、轍燈花の妹よ」

「…そっか」

 リッキーはそれ以上、詮索する気にはなれなかった。登子の雰囲気から察するに、燈花に対して複雑な心境を抱いているはずなのだ。気持ちを整理する時間は欲しいだろう。

 なので、リッキーは伝えるべきことを、伝えるべき人間に話すことだけに努めた。

「仁兄さん。オレ、轍国に行きます」

 リッキーはポケットから2つの携帯無線通信機を取り出し、片方を仁に渡した。

「…そっか。気をつけろよ」

「はい。あと義太郎さんが起きたらよろしく言っといてください」

「わかった」

 それだけを交わし、リッキーは再び来た道を戻っていった。それだけで、仁には十分伝わった。

 義太郎を麒麟車に乗せ、仁は再び話を切り出す。

「──さて、改めて言うぞ。俺の旅する理由は、ゾアを見つけて元の世界に帰ること。二人は?」

「何でそんなこと聞くの?」

 仁の問いかけに、登子は眉を潜めた。

「今さらわかりきったこと聞いて、何がしたいわけ?」

「夢だよ」

 仁から出た言葉に、登子は呆然とした。

「俺達の叶えたい夢、これから行きたい道筋を確認しよう。悲しいこと、苦しいことにぶつかった時、それを思い出すんだ。そしたらきっと、また疾走(はし)れるはずだから」

 素朴な話だ。何も珍しいことは言っていない。月並みの綺麗事ですらある。

 しかし、登子と七光の耳には、心には、そうは聞こえなかった。志藤仁の瞳が、声が、心の奥底から溢れ出た言葉なのだと思わされた。彼の人生の歩みが刻んだものだと、骨の髄まで理解できた。

「…私は、語り部になる。色んな物語を語って、皆を笑顔にしたい。そのために三種の神器を集めて、戦争を終わらせる」

「余は、国を取り戻す。そのために、強い男になってみせる」

 三人は微笑み、拳を合わせた。

「ここから始まるんだ。俺達の旅が、夢を叶える第一歩が!」


 王城に戻ったリッキーは部品点検に勤しんでいた。この行程は必ず人の目でおこなわれる。使用感のような、抽象的な感覚を調整するためである。リッキーの担当は潜入作戦用の小銃。監視カメラの付けられた個室の中、箱に詰められたいくつもの小銃を、ぎこちない表情で解体しては組み直す作業を繰り返していた。

 負傷兵を乗せた担架があちこちを行き交う様子を遠目に見る。胸の奥が痛んで仕方なかった。今、自分が触っているものでああした人々が生まれるのだ。止められるなら止めたい。しかし、一人でどうにかなるほど戦争は易しくない。

 リッキーは背中を反らし、ため息をついた。すると突然、蜃気楼と共に燈花が目の前に現れた。思わず解体していた小銃を落とす。

「…どうしました?」

 右目を押さえつつ、燈花は言った。

「叶野リッキー。お前は今日から、私の右腕となれ」


 一方の勾国。独りきりの王室で、ブラックリブラは物思いに更けていた。

「轍国の女王…奴には妙なオーラがある…ゾアだから?いや、小生にはわかる。それだけではない。そう、あれは…」

 それから、ブラックリブラは静かに笑った。

「なら好都合ですね。成り上がりといきますよ、『先輩』」

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