第五節 夢と現(うつつ)
多色の光彩まばゆい葉の茂る森、霊源の森の中央部。三種の神器を守る守護獣の1体、白蛇の久手空使。両親を手にかけ、妹を国外へ追いやり、故郷を武力国家に変貌させた罪過の女王、ミラージュマーカーこと轍燈花。そして世界を支配する混沌に仕えし四騎士の1体、黒の商人ブラックリブラ。三つの列強が集う中に、仁は立っていた。
「ヤマトの遺体、寄越してもらおうか」
ミラージュマーカーは久手空使に凄む。しかし、周囲の熱を察知した途端、矛先は仁に向かった。
「お前が選ばれたというのか?」
「選んでなどいません。私が託したのはただ一人のみ」
久手空使が仁を睨む。
「どうやら、殺気は皆同じ方向のようですねぇ」
ブラックリブラが仁を見てほくそ笑む。仁は身構え、唇を噛んだ。柄にもなく突っ走ってしまったことへの自戒。それと、ユニゾンギアが無ければ何もできない、無力な自分への悔しさ。
「大変だ、仁」
意識の内側から澪士が語りかけてくる。
「そんなもん見たらわかるよ」
「そうじゃない。あの少女…」
澪士に言われ、仁は思い出した。澪士が意識の内側に立ち上るのは、仁が死に瀕した時、それと──ゾアを感知した時。
「まさか…」
その時だった。突然ある方向から燈花に向かって一直線に土が湿り出し、
「燈花ァー!」
咆哮と共にクライムマーカーが滑り現れた。勢いのまま、クライムマーカーはミラージュマーカーに膝蹴りを喰らわせる。素手で受け止めるミラージュマーカーに頭突きの追撃が入る。
「今度こそお前を倒す!」
「改めて教えてやろう、愚妹よ。私とお前の差を」
戦闘を始めた二人を眺め、ブラックリブラは呆れながら言う。
「やれやれ、一人脱落ですか。では…組みます?小生と」
久手空使に手を差し伸べる。だが、
「四騎士と守護獣が相手かよ…」
と仁が呟くと、久手空使の顔色が変わった。
「騎士?」
蛇の瞳でブラックリブラを見つめる。久手空使は首をかしげた。
「ですが見覚えが…もしや、嘘…?」
殺気に満ちた瞳は仁を捉える。しかしブラックリブラは肩を震わせ、両の拳を固めた。
「…猿めぇー!」
ブラックリブラの鉄拳が仁の胸部を砕いた。普通ならとっくに死んでいる。しかし、生命としての存在を保てる寸前で澪士が──レシーバーズの力が目覚め、仁の傷は時が巻き戻るかのように回復した。
「危ないところだったね」
澪士が言う。聞きたいことはたくさんあったが、戦場に猶予など許されない。容赦なく次の攻撃が襲いかかる。だが、これを食い止めたのは白蛇の尻尾だった。
「助けてくれたのか?」
「物事には順番がある。それだけのことです」
どのみち危険であることには変わりないが、少なくともこの瞬間はありがたい。仁にとって撤退する千載一遇の機会であった。
しかし、仁は久手空使の後ろから逃げなかった。
「なぜ逃げないのです!?」
ブラックリブラの猛攻を耐えながら、久手空使が問いかける。
「ここで逃げたら持ち逃げみたいになるだろ!そんなの、お前許せねぇだろ!?」
久手空使は思った。奇妙な人だ。普通、誰だって身の危険だと感じ、その場を離れる。それが当たり前だ。少なくとも、久手空使の知る中でそんな選択をする人はいない。たった一人を除いて。今、二人になったが。彼とは違って頼りないが、彼と同じ心を持っている。
──逃げたらダチじゃねぇだろ!そんなのオメー、寂しいだろ!?
久手空使の目が細くなる。
「…いいから逃げてください。大変なんですよ、守りながら戦うの!」
仁の頬が緩む。
「…気遣い、感謝する!」
敬礼した後、仁は踵を返して麒麟車へと走った。
「逃げるんじゃない!」
追いかけようとするブラックリブラの前に、巨大な尻尾が聳える。
「これでやっと本気を出せます。相手、してくれますよね?騎士さん」
久手空使は紅色の眼で睨みつける。ブラックリブラは首を鳴らした。
「…本気で勝てるとお思いで?」
一方、撤退する仁を見てミラージュマーカーは呟いた。
「味方を差し置いて敵前逃亡…情けない」
クライムマーカーは地中から取り出した岩をミラージュマーカーの頭蓋にぶつけた。粉塵が舞う。
「お前に仁さんの何がわかる!」
すかさずミラージュマーカーはクライムマーカーの手首を、握り潰さんばかりの強さで掴んだ。
「ではお前は理解しているのか?出会って間もない男のことを」
「それは…」
ミラージュマーカーは鼻で笑った。
「やはりお前は見えていない」
突如、クライムマーカーの全身が発火する。悶え跪きながら、クライムマーカーは呻いた。
「何が…!」
「夢だ」
ミラージュマーカーから飛び出た言葉は、当人の口から出るであろう言葉の中で、最も当人からかけ離れた言葉だった。
「ふざけるな…何が夢だ…!他人の人生メチャクチャにしておいて…!」
ミラージュマーカーはしゃがみ、クライムマーカーの顔を掴み上げた。
「それだ。お前の目には現しか映らない。夢も、道標も無い。獣と変わらん」
「お前だけには言われたくない!」
炎を振り払い、クライムマーカーは堅牢な土の鎧を形成した。ミラージュマーカーの打撃を受け止め、頑丈な鉄拳を叩き込む。
「凪村にいる間、ずっと聞こえていた!見えていた!銃声!兵士!怯える人!お前のせいで、私は居場所すら無かった!お前は知っているのか!?現実を!」
ミラージュマーカーは殴られた箇所を手で払う。かすり傷一つ付いていない箇所を。
「夢に犠牲はつきものだ」
怒りの頂点に達したクライムマーカーは、鎧を分解して土を継ぎ足し、身体よりも大きな鎚を両手に持って振り上げた。
「そこまでして叶えたい夢って何だ!」
鎚がミラージュマーカーを押し潰そうとする。しかし、鎚の動きは止められた。たった1本、ミラージュマーカーの立てた人差し指によって。
「世界統一」
そして鎚は砕かれた。ただの指圧によって。直後、鎚を砕いた指がクライムマーカーの胸元を撃ち抜いた。
「焼きつけろ。これが差だ」
刻まれた焼き印から煙を上げ、クライムマーカーは仰向けに倒れた。変貌が解ける。
登子は胸の内から凍てつくような感覚を覚えた。これが絶望。断崖絶壁のごとく立ち塞がる、絶対的な畏怖。言葉も出せない。指の1本すら、動かせない。
「散れ」
死を確信した登子だったが、手刀を突き刺す直前、ミラージュマーカーは右目を押さえて悶え始めた。目から炎が噴き出す。
「また『お前』か…!」
変貌が解かれ、燈花は目を押さえたまま後ろによろめく。
「『器』め…!」
そして、燈花は炎の渦に包まれた後、どこかへ消えた。燈花が去ってなお、登子の心臓は素早く脈打つ。呼吸も浅く、目眩すら感じ始めていた。
全く通用しなかった。全く歯牙にもかけられなかった。全く。
「あちらは終わったようですね」
仰向けになったままの登子を眺め、ブラックリブラは嘲り笑う。久手空使が噛みつこうとするが、ブラックリブラは軽妙に避ける。
「守護獣と言っても、所詮はヤマトのお飾りですか」
攻撃して隙の出来た久手空使の顎に、すかさず蹴り上げる。鱗の無い脆い箇所を突かれ、久手空使は全身が麻痺した。
「無理もありませんか。お高く止まっていても、要は隠れて暮らしていた臆病者というだけですからねぇ」
ここぞとばかりに罵るブラックリブラであったが、
「どっちが臆病者やねん!」
空から声と共に、義太郎が小刀片手にブラックリブラめがけて飛び降りた。咄嗟に回避したブラックリブラは、巻き上げられた土埃を払う。
「こないだ攻めてきた時、仲間はんやられた時あんさん逃げはったやろ!そんなんが相手はんに臆病や何や言いはる資格あらへんわ!」
傷だらけの身体で、義太郎は啖呵を切る。ブラックリブラは薄く笑み、首を鳴らした。
「…死にます?あなた」
「こっちは仲間が待っとんねん。死んでも死なれへんよ」
目の前でブラックリブラに立ち向かう義太郎を見て、久手空使は喉元に熱さが込み上がるのを感じた。やはりあの青年は何かある。旧友を思わせる何かが。
ブラックリブラの猛攻が義太郎に浴びせられる。義太郎は小刀で攻撃を捌くものの、何発か肩や脚の関節に直撃を受けた。支柱とも言える関節の骨を砕かれ、義太郎は膝をつく。
「どうしました?口だけですか?」
ブラックリブラは動けない義太郎を一発一発、感触を楽しむかのように殴打する。
「反撃しないと死にますよ?本当に!」
久手空使は息の詰まる思いだった。自分が痛めつけていなければ。もっと冷静に見定めていれば。夢現を──友の両目を守る役目を負う者がこの体たらくとは、とんだ皮肉である。そのせいで今、一つの命が尽きようとしている。
久手空使が罪悪感に苛まれ、目を背きかけたその時。
「待て!」
声と共に、銀色の装甲をした男がブラックリブラめがけて飛び蹴りしながら現れた。不意を突かれたブラックリブラは避けきれず、数メートル弾かれた。
「仁はんか…」
息も絶え絶え、義太郎が呟く。仁は義太郎を抱え、久手空使に差し出す。
「こいつを頼む」
久手空使は巨木の影に避難させてあった土児達を呼び、ブラックリブラが体勢を立て直す間に義太郎を運ばせた。
「その姿は…?」
久手空使が尋ねる。仁はマスク越しに笑みを浮かべた。
「『友達の最高傑作─ユニゾンギア─』だ」
ユニゾンギア・モデルセカンド『ビルドネクサス・猛(ヘラクレス)』。七光が修理した新型ユニゾンギア。核命(コア)に関与する技術までは再現しきれなかったため、レシーバーズの力を引き出すことはできないが、代わりに生命力の増強によって身体能力や脳の処理能力が著しく発達。超常的能力を除けば、従来のユニゾンギアに勝るとも劣らない性能を誇る。
とはいえ、本来の構造とは異なる改造を施したため、身体にかかる負担は大きい。七光から言われた活動制限時間は90秒。それまでに、ブラックリブラを退ける。
仁はブラックリブラに跳びかかった。パンチが繰り出される。しかし、瞬時にブラックリブラは回避し、がら空きとなった仁の脇腹に正拳突きをする。それを超高速の処理能力で仁が捌く。
「相変わらず生意気な…!」
前より動きが軽い。仁は手応えを感じていた。これならいける。殴打、蹴撃。次々に攻撃を加えた。
しかし、ブラックリブラは対応を変えてきた。それまでは相手の攻撃をかわし、自分の攻撃を当てようとするスタイルだった。それが突然、敢えて攻撃を最低限のダメージで済む部位で受けるスタイルへと変わった。
勝ち誇った顔でブラックリブラは問いかける。
「あと何秒もちますかねぇ?」
まさか。仁の額から冷や汗が流れ出た。なおも連続で浴びせられる攻撃を、ブラックリブラは涼しげな態度でいなした。
「そんなもの着込んで、それだけ焦れば何かあると思いますよ」
マスクの内部に制限時間が表示される。残り10秒。焦燥。それでも攻撃は決まらない。
「さらに忙しくなりましたねぇ。もう限界ですか?」
仁は考えた。自分ではダメだ。なら、他に可能性があるのは?久手空使か、もしくは──登子。
攻撃の手を緩め、仁は瞬時に後ろに跳んだ。
「また逃げますか!」
ブラックリブラの挑発は無視し、一目散に登子の傍に駆け寄った。携帯ボックスから夢現を取り出す。
「使うぞ、久手空使!」
制限時間が切れると同時に、仁は夢現を登子の両目に押しつけた。刹那、登子は全身を激しく痙攣させ、眠りについた。その目の持ち主──ヤマトと対話するために。
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