第四節 霊源の森

 排気ガスの漂う街に軍歌が流れる。額に血の刻印を持つ白馬に乗って、燈花が城門から出てくる。華美な衣装を着たふくよかな富豪も、ボロ切れ一枚で外を出歩く頬のこけた民衆も、誰もが歓声を上げた。

「どこへ行くんだろう…」

 作業服に身を包み、排気ガス避けに配給されるマスクを着用し、リッキーは街で生産された武器の運搬作業を行なっていた。轍国に不時着してからというもの、ずっとこの調子である。

「おい、手止まってんぞ新入り!」

 後ろから上官に背中を小突かれる。

「どこへ行くのかと気になって…」

「知るか。陛下の命令は絶対、誰も詮索するな。それがこの国のルールだからな」

 怪しい。一国の女王が外へ出る──敵国の偵察だろうか?それにしても怪しいが──というのに、誰も傍につけず、情報も開示しない。国民に言えない秘密があるのは確かだろう。ただ軍政を推進する命令のみを下し、自身の内情は明かさない。不自然にも程がある。

 だが、リッキーにとって更に不自然なのは、それを疑いもなく受け入れている国民の方だった。

「王様のこと、誰も気にならないんですか…?」

 すると上官は明らかに不満そうな顔をして言った。

「んなもん、俺達の生活に関係あんのか?」

 リッキーは絶句した。目先しか見ていない。生活の逼迫が心の余裕を削っているのか?それにしては皆、女王を歓迎しているように見える。

 異様な空気を感じたリッキーはすかさず、

「すみません。オレ、トイレ行きます!」

 と運搬の列から外れ、城内へ入った。マージナルセンスへと変貌した後、一番脆い壁を空気の流れから感じ取る。

「…そこか」

 探知した場所へ駆け寄り、壁に蹴りを加えた。小さな穴が空き、そこから抜けていく。そして燈花に気取られないよう、マージナルセンスは物陰に隠れつつ、息を殺して後をつけていった。

 女王に声援を送る周囲に目配せもせず、燈花は馬を走らせる。マージナルセンスは隠れ場所の確保と、見失わないように追いかけるのとで精一杯だった。

「何を急いでいるんだ…?」

 煙たい街を抜け、燈花は手綱を引っ張る。

「いざ、霊源の森へ!」

 馬は嘶き、蹄で大地を強く蹴った。マージナルセンスの脚力では後方に張りつくのは無理だ。足跡と匂いを頼りに追いかけるとしよう。

 そう切り替えようと考えた直後、燈花が馬から降りて踵を返した。咄嗟にマージナルセンスは木の上に跳び乗る。警戒の意識がこちらに向いているのが痛いほど伝わる。バレたか?

 しかし結局、燈花は再び馬に乗り、霊源の森へと走らせるのであった。緊張の解けたマージナルセンスは木から落ち、背中をぶつけた。

「あれ、絶対バレていたよね…」

 なら何故、邪魔者を排除しようとしなかったのか。

「わざと、かな…」

 決して他人に自身の内情を見せようとしない女王が、自身を探ろうとする者を放っておく理由など、罠以外に思いつかない。

 だとしても、マージナルセンスは退くわけにいかなかった。仁と合流した際、少しでも情報を持っていた方が助けになれる。

 それに、あの女王には何か裏があるように思うのだ。『お前』の存在が、誰にも関わらせない理由となっている可能性が高い。

「ここまで来といて、やっぱりやめたはあり得ないよね…!」

 マージナルセンスは立ち上がり、足音を忍ばせながらじりじりと燈花の進路を辿るのであった。


 その頃、勾国にて。王の間に独り、ブラックリブラはほくそ笑んでいた。

「力への恐怖。これほどまでに簡単な支配体系はありませんね。メシアが目をかけた地の者も、容易く転がせるのですから」

 すると小間使いが慌てて王の間に入り、膝をついて頭を下げる。

「七光王子は見つけられましたが、その…」

「何です?はっきり申しなさい」

 玉座の上から、ブラックリブラは言圧をかける。小間使いは数メートルも高い所からかけられた言葉に萎縮し、話すことができなくなってしまった。

 小間使いの様子を察し、ブラックリブラはため息をつく。

「困ったものですね。もう使い物にならないとは…」

 刹那、ブラックリブラの拳から放たれた風圧で、小間使いの胸に孔(あな)が空いた。力なく床に倒れる。血が赤のカーペットに溶けていく。

「木偶の坊の真似は向きませんね、私には。さて…」

 そう呟き立ったブラックリブラは身体を伸ばし、首を鳴らした。

「直接、ご対面といきますか」


「霊源の森…ってどこにあるんだ?」

 ハヤカケ─仁が名付けた麒麟。『速く駆ける』でハヤカケらしい─に乗る仁は振り向き、ハヤカケの引く馬車ならぬ麒麟車に乗る登子に尋ねる。

 ヤマト伝説によれば、三種の神器──つまりヤマトの身体の一部は、彼の親友であった守護獣三体によって、人目のつかぬ所で守られているらしい。その一つが霊源の森にあるというのだ。

「森と言うからには森林地帯でしょうけど…どの辺だとか、そういう具体的なことは書いていないわね」

「だから迷信だと言うんだ。肝心な部分ははぐらかし、中途半端な希望を持たせる。悪質なものだ、信仰など」

 登子と向き合う形で座っていた七光が愚痴をこぼす。登子は眉を潜めた。

「じゃあ何で仁さんが夢現を持っているのよ?何よりの証拠じゃない」

 七光はたじろぐ。

「しかしだな登子殿…師匠が偽物をつかまされた可能性は無きにしもあらずだろう」

「それはない」

 仁が語気を強くし、胸ポケットを握りしめた。遊月が、恩師が託してくれた神器、夢現を感じる。

「偽物なわけあるか…!」

 仁に咎められ、七光はすっかり肩を落とした。

「…ねぇ、どうしてヤマト伝説を嫌うの?勾国じゃ特に信仰が根強いって聞いたけど」

 登子の質問に、七光は目を伏せて答えた。

「…耐えきれんのだ」

 重たい空気を肺に溜め、言葉を続ける。

「余の友にオーダーがいた。しきたりのために、一度遊んだきりであったがな。風の噂では使命の重圧に耐えかね、失踪したと聞く。父上も母上も、王家の自覚を持たず、ゾアの意思に沿う政治をなどと言っていた。挙げ句が友好関係にあった轍国との戦争だ。数多の人間がたった一つ、定かでもない伝説に踊らされるのだぞ?正気の沙汰ではない」

 登子は沈痛な表情を浮かべた。自分にとって、ヤマト伝説は国を追い出されてからの5年間、唯一すがれる藁であった。こんな英雄がいてくれれば、と。だが、七光にとってそれは呪いであるらしい。

「故に余は決めた。目に見える物、確かな物以外信じぬと…」

 それを聞いて仁はしばらく黙り込んだ後、突然切り出した。

「ありがとな、七光」

「どうしたのだ師匠、急に」

 七光は当惑する。

「俺のこと、確かなモノだって信じてくれたんだろ?だから今、ここにいてくれてる。それだけじゃない。お前のお父さん、お母さんも確かなモノだって信じてくれたこと、凄く嬉しかったと思うぜ?」

「何が言いたいのだ、師匠」

 意図が読めず、七光が問いかける。

「…確かなモノって、本当に目に見えるモノだけなのか?」

 ハヤカケの脚が、踏み均された草道で止まる。

「家族とか友達とか、誰かとの繋がりは目に見えねぇ。けど、確かに感じる。確かなモノだ」

 仁は振り向き、七光を見つめる。

「伝説のせいで誰かが不幸になるのは許しちゃいけない。けど、伝説を確かなモノとして感じてたい奴だっている。そんな人間無視して、頭ごなしに嘘だと決めつけるのは、それは正気の沙汰なのか?」

 七光は顔を上げた。自分の見てきた凄惨な状態に囚われすぎて、いつしか自分の考えが正しいと思うようになっていた。視野が狭くなっていた。

「…そうだな。嘘か真か、この目で確かめてからでも遅くはないな」

 七光は軽く笑んだ。

「師匠と仰ぐ割には上からじゃない?その言い方」

 登子がからかう。慌てて七光は登子に頭を下げた。

「すまぬ登子殿!嫌わんでおくれ!」

「謝る対象おかしくない?」

 登子と仁は笑った。さらに七光は慌てふためく。

「すまぬ師匠!すまぬ!」

「別にいいよ」

 緩やかな空気が流れていたところ、急に仁の内側から声が聞こえてきた。

──来なさい。

「何だ、今の…」

 不思議なのはそれだけではなかった。次に同じ景色を見た時、仁は別の世界の伝説に書かれるような場所に通ずる道を、何故か一瞬で理解できた。

「…こっちだ」

 草道を外れ、林の生い茂る斜面に入る。枝や石、切り株のせいで、麒麟車は揺れに揺れた。

「どこへ行くつもりなのよ!?」

 登子の訴えにも応じず、ひたすらに麒麟を走らせる。やがて林を抜け、崖の端まで辿り着いた。目の前には深い溝が見えている。それでも仁は手綱から手を離さない。

「まさか…」

「考え直してくれ師匠!森だぞ森!?そんなバカな話あるわけ──」

 そしてハヤカケは土を蹴って、崖を滑り降りた。後ろの二人は絶叫する。高さにしておよそ200m。二人にとっては無間地獄にも等しい時間だった。

 何とか降り立つと、すぐさま登子は身を乗り出し、仁の頭をはたいた。

「あなたホント、寿命縮んだわ!」

「余、高所恐怖症になったかもしれん…」

「悪かったよマジで…でも」

 仁は上空を見上げる。無限樹に似て、様々な色に光る木々が覆い尽くしていた。

「目的地には着いたみたいだぜ?」

「そうね、死体になって訪れるところだったけどね」

 登子は怒り心頭であった。

「で?何でいきなりこんな無茶な真似したわけ?」

「それは…」

 質問に答えようとした仁の内側から、また声がする。

──こちら。

「…真っ直ぐだ」

 仁はハヤカケから飛び降り、一直線に走っていった。

「また!?何なの今日の仁さん…!」

 わけのわからない登子は頭を掻きむしり、

「七光!あなたハヤカケと留守番していなさいね、危ないから!」

「余より登子殿の方が…」

「いいから!心配ご無用!」

 クライムマーカーへと変貌し、仁の後を追った。七光は初めて見るレシーバーズと、事態の呑み込めなさに言葉を失った。

 一心不乱に仁は走る。やがて、一本の巨木を見つけ、立ち止まった。

「ここの気がする…」

 巨木を眺めていると、満身創痍で縛られた義太郎が目に映った。

「義太郎!大丈夫か!?」

「お知り合いですか」

 巨木から声がする。葉を押し退けて、白い大蛇が顔を現した。

「レシーバーズ…!?」

 神々しさすら感じさせる白い鱗を光らせ、大蛇は自己紹介をした。

「私は久手空使。古の友、ヤマトの遺体を守りし者。大丈夫、彼は死んでいません。突然領域に入ったので懲らしめましたが」

 仁は息を呑んだ。

「あなたが呼んだんですか?」

 大蛇が頷く。

「我々は友の遺体と繋がることができます。その言葉、私の守りし夢現を、あなたが所持している何よりの証左。確かに私は過去、遺体を託しました。ですが、それはあなたではありません」

 恭しい態度から一変、久手空使の瞳が鋭くなった。

「返してもらいます」

 神器を託した。その神器はかつてのオーダー、海央日向が持っていた。

「もしかして、託した相手って──」

 仁が言い終わるよりも前に、久手空使が仁に襲いかかり、さらに噛みつく直前、爆音が響いた。

「何者!」

 木々を切り開き、炎と共に燈花が現れた。

「ヤマトの遺体、寄越してもらおうか」

 ミラージュマーカーへと変貌し、久手空使を睨みつける。直後、いくつもの木の幹が宙を舞った。

「…これはこれは勢揃いで。敵国の女王様に守護獣、それと死に損ない…!」

 ブラックリブラはローブを外し、両の拳を固めた。まさに修羅場。仁は固唾を呑み、腰を落とした。冷や汗が顎から落ちる。

「とんでもない場所だな、タカマガハラ…!」

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