第二節 郷愁、そして旅立ち

 幼い頃、姉は誇りだった。かつては文筆の国と名高かった轍国において『筆の恋人』との異名を取るほど、その腕は優れていた。そんな彼女の作る物語を間近で聞けるのは、登子にとって何よりも誇らしかった。

「姉さん、お話聞かせて!」

 寝る前はいつも、こうしてねだったものである。毎日催促する登子に、燈花はいつでも優しく微笑んで読み聞かせた。違う場所へ行きたがる花の物語、地平線の彼方にある宝を探す鳥の物語。中でも登子は、双子星の物語が好きだった。

「空で台詞が言えるなんて、よっぽど気に入ったのね。嬉しいわ」

 双子星の物語の一部を口ずさむ度、燈花は登子の頭を撫でた。それが堪らなく嬉しくて、登子は何度も声に出した。

 そうして頭を撫でられる度、登子は思った。

「私、姉さんの妹でよかった」

 この時間がずっと続くものだと、信じて疑わなかった。5年前までは。

 地獄は突然訪れた。

「父さん、母さん!」

 山中まで花を摘み帰った登子が、いつもより物静かな扉を開けて目にしたのは、血まみれになって倒れる両親の姿だった。

「どうして…」

「来たか、生き残りが」

 泣きじゃくる彼女に、燈花が上から呼びかけた。血に濡れた剣を持って。

「姉さんが…?」

「見てわからんとはな。愚妹めが」

 火傷痕で塞がれた右目から、炎が噴き上がる。すると、燈花は薔薇色の鎧に包まれた。その姿を登子は知っていた。先導者・ゾア。

「でもあれは…『ヤマト伝説』は作り話なんじゃ…」

 燈花は手の平から火を灯す。

「全て実話だ。勾国では常識だぞ?」

 灯した火を握り潰し、燈花は両親を見下ろす。

「お前は知らなかっただろう。この力は元より、私の中にあったんだ。生まれた日よりずっと。…何が選ばれし子だ、何が先導者だ」

 上の階から飛び降り、燈花は父を足蹴にした。

「勝手な期待を押しつけ、私を道具としか思わぬ下郎めが」

 足から発せられた炎が父を燃やす。

「やめて…」

 今度は母の首を掴み上げる。

「こんな身体に生まれたせいで、私がどれだけの思いをしたことか!」

「やめてよ!」

 登子の叫びむなしく、母は消し炭と化した。手を払って燈花は吐き捨てる。

「物語(ゆめ)に現を抜かすから、他人(ひと)が見えなくなる。地に足も付けられぬ者どもは、灰となるが世のためよ」

 否定された。物語を。登子の中で、大きなものが崩れ去った。

「…許さない」

 見える世界の全てが憎らしかった。何よりも、姉の形をした化け物に生きていてほしくなかった。

 怒り、悲しみに伴い、格好が変貌していく。

「お前なんか姉さんじゃない!私が殺してやる、燈花!」

「『やがて塵に還る足跡─ミラージュマーカー─』。私の真名だ」

 名乗るミラージュマーカーに跳びかかり、拳を加える。殴られた箇所を撫でるミラージュマーカーへ、黄土の身体へと変貌した登子は叫んだ。

「なら私は『罪の味を刻み込め─クライムマーカー─』だ!お前を殺す、そのために生まれた!」

 だが、決着は呆れ返るほどすぐに着いた。地を這いつくばるクライムマーカーの胴体を、ミラージュマーカーが踏みつける。

「愚妹は所詮愚妹か」

 剣に炎が宿る。クライムマーカーは歯軋りしつつ、下からミラージュマーカーを睨みつけた。

「潔く果てろ。お前の両親のようにな」

 炎の剣がクライムマーカーを貫いた。しかし、不思議と刺された痛みは感じない。代わりに、焼きつく痛みが全身を駆け巡った。クライムマーカーがのたうち回る。

「醜いものだ」

 鼻で笑うミラージュマーカーに掴みかかり、

「殺してやる…!私が、お前を…!」

 首を絞めようとしたクライムマーカーを、ミラージュマーカーは押し退け、左目を斬りつけた。クライムマーカーは目を押さえて膝をつく。

「私の前から消え去れ!」

 焼きつく炎がクライムマーカーに絡みつき、どこかへ消し飛ばした。轍国第二王女・轍登子が覚えている景色はここまでである。故郷が武力国家と成り果て、勾国へ宣戦布告したのは、それからすぐのことだった。

 あれから5年。今また、登子は燈花とぶつかる。

「学習せんな」

 跳びかかるクライムマーカーを、炎の刃が斬った。懐から血が流れる。激痛で変貌が解けた。

「悟れ。お前に私は殺せない」

 立ち去ろうとする燈花の足を掴み、登子は睨んだ。

「殺すんだ…お前を…絶対に…!」

 燈花はため息をつき、

「相手をしてやれ」

 と命じると、突如現れた炎の渦から人がやって来た。禍々しい甲冑を身につけた男女二人が、地を這う登子を燈花から引き剥がす。

「俺達が相手してやるよ」

「それで満足でしょ?」

 宙吊りの登子は変貌し、瞬時に二人を気絶させた。

「あなた達じゃないのよ…!」

 そのまま追いかけようとするが、目の前が霞み、変貌が解け、登子は地面に倒れ伏した。

 軟膏の匂いで目を覚ます。包帯が胴に巻かれてあった。星が顔を出している。

「応急処置程度だ。動くなよ」

 空になったユニゾンギアの医療パックの蓋を閉めて、仁は登子に言った。服も着替えられている。

「これ…」

「凪村の人に頼んだ。…大変だったんだな」

 よく見ると、仁の頬に青アザが出来ていた。何が起きたのか、大体の予想はつく。

「何で私なんかのために…」

 仁が俯く登子の顔を覗く。

「『なんか』とか言うな。自分の命を自分が一番大事にしないでどうすんだよ」

 他人のためにアザを作った人間の言うこととは思えない。

「…君のことはよく知らない。でも、お姉さんへの復讐で命を投げようとすんな。生きてるってこと、もっと大事にしてやれよ」

 登子は仁に顔を突き合わせた。

「復讐(それ)が私の生きる意味よ…!」

 すると、仁は登子の両の頬を手で潰した。

「ひょっほ(ちょっと)…はにふんのほ(何すんのよ)…!」

「なら、もっと探せ。一回しかない人生、生きる理由が一個だけなんて寂しすぎるだろ」

 手を離そうとする登子の目に、三種の神器『夢現』が映った。ひび割れたユニゾンギアの携帯ボックスから姿を見せた夢現を指さす。

「あれよ!」

「何が?」

 問いかける仁を押し退け、登子は携帯ボックスの中身を取り出した。

「三種の神器!これ、集めたいわ!」

 仁は思い出した。そういえば元々、三種の神器はタカマガハラに伝わるものだった。

「どうやら本物みたいね。『ヤマト伝説』の記述通りの形だわ。何であなたがこれを持っているのかは知らないけど」

「訳あってな…」

 先刻の暗かった表情はどこへやら、登子は目を輝かせた。

「とにかく、私は三種の神器を集めたいの!全部揃えば、あいつを殺せる!」

「…それでいいのか?」

 仁が神妙な顔つきで尋ねた。

「当たり前でしょ?仇を討てるのよ?」

「じゃあ…何で泣いてんだよ」

 目元を触る。湿っていた。

「嬉し涙よ!伝説は本当だったんだなーって!」

 声が震える。仁は登子の肩に手を置いた。

「…多分、好きなんだよな?お姉さんが。殺したいぐらい憎くても、同じぐらい愛してんだよな?なら…ダメだ。ちゃんと、話し合おうぜ」

「バカなこと言わないで!」

 登子は泣き叫んだ。

「相手は人殺しよ?知った風な顔して、甘いこと言わないで!そんなことできたら…苦労しないわよ…!」

「俺を使え」

 仁は登子の手を握った。

「誰も手伝わないなんて言ってない。それなりに力が無くちゃ、話し合いだってできないしな。だから三種の神器、一緒に集めさせてくれ」

 登子は目を伏せる。

「何でそこまで…」

 頬から溢れ落ちる涙を、仁は手の平で受け止めた。

「君や、皆の涙を止める。そのために俺がいるから」

 感極まり、登子は仁の胸に抱きついて泣いた。5年間、憎しみで隠してきた悲しみを吐き出すように。

 しばらくして、登子は泣きやんだ。

「…落ち着いた?」

 静かに頷く。

「さて、どうしようか。探すと言っても、多分アテはヤマト伝説だろ?図書館は無さそうだし、誰かから借りようにも…って感じだしなぁ」

「大丈夫。丸暗記しているから」

 仁は目を丸くした。相当記憶力が良いのだろう。だからこそ、つらかっただろう。胸が締めつけられる。影を落とす仁の顔を、麒麟が舐めた。登子が笑う。

「『元気出しなさい』って」

 口元が緩んだ。仁は登子の手を取って立ち上がり、麒麟の背に乗る。

「道案内、よろしくな」

「任せて」

 麒麟の蹄が大地を蹴り、走り出した。

「まずは行くわよ、勾国へ!」


 轍国の中央に聳え立つ城、王の間には誰も足を踏み入れてはならない。女王に仕える者の、鉄の掟である。

 燈花は独り、玉座に腰かける。塞がれた右目が疼く。

「また邪魔をしおって…」

 右目を押さえ、燈花は呟いた。

「『お前』がいなければあんな小さな村一つ、既に我が手中であるというのに…!」

 王の間の下、武器を運搬する者が歩く。縛られた金属が擦れ合う音をくぐり抜け、一人の男が物陰から上部の独り言を聞きつけた。

「あいつ、もしかして…」

「おい新入り!」

 遠くから呼ぶ声がしたので、男は変貌を解いて声の主のもとへと顔を出した。

「どこで油売っていたんだお前」

「長いんですよオレ、トイレが…」

「ガタガタ言い訳してねぇで持ち場につきやがれ!」

 班長に怒鳴られ、男は製造ラインのある方角へ足を向けた。鬼の形相の班長を背に、男は小さく呟く。

「仁兄さんと早く合流しなくちゃなぁ…」


 登子達が凪村を出た頃、勾国では事件が起きていた。

「侵入者を発見!ただちに捕らえ──」

 金の腕甲を嵌めた拳が兵士を貫く。倒れる兵士の身体を蹴飛ばし、ブラックリブラは手を拭いた。王を見据える瞳はまるで、蛙を食う前の蛇のようだった。

「やめろ、近寄るな!」

 怯える王を嘲り笑う。

「一国を担う者が狼狽えるものではありませんよ、情けない。もしくは、元よりあなたでは相応しくないのかもしれませんね」

 ブラックリブラはおもむろに王の傍へ寄り、王の印である勾玉を引きちぎった。そして勾玉を手中に収めたまま、王の身体を貫く。

 力無く玉座から降りる王の上に立ち、ブラックリブラは玉座を整えてから腰かけた。足を組み、部屋の隅で踞る小間使いに命じる。

「下々に告げなさい。今日から小生が国王であると」

 小間使いは脱兎のごとく部屋を出た。その様子を愉快に眺める。

「先輩の手など借りる必要もありません。ヤマトの遺産、中から壊してやりましょう」

 閑散とした部屋に、ブラックリブラの笑い声が響いた。

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