第79話 伊勢村朱音『姫君と侍女 明治東京なぞとき主従』で感じたこと
8月24日発売の伊勢村朱音『姫君と侍女 明治東京なぞとき主従』の試し読みが始まっているとのことで、読んでみました。
そこで気づいたこと。
とにかく地の文の増量が顕著でした。
「ライトノベル」だと会話文をつなげて文を刻んでいくのですが、書籍版は地の文がかなり多め。
これは「キャラクター文芸」ということで、まがりなりにも「文芸」であるためかと思います。
Web連載版より確実に地の文が増えているのです。
他の書籍化「ライトノベル」でもWeb連載版より確実に地の文が多めになっているので、これからは地の文多めで勝負してみますね。
まあ読者選考のある「小説賞・コンテスト」の場合、Web連載が読みづらいと思われたら終わりなので、書籍版からギリギリ会話文が多めな配分がよいのかもしれません。
次に「どんな格好をしているのか(何を着ているのか・どんな髪型か)」「どんな表情をしているのか(目つきや眉、顔立ちなど)」「どこにいるのか(場所・そこにあるもの)」といった「映像化」できる要素が格段に増えています。
今の小説は「映像化ありき」だと思います。
とにかく「絵にできないものはどんなに面白くても却下する」くらいに重要です。
「映像化」ってさじ加減が難しいんです。書いているときは脳内に光景が浮かんでいるので、「このくらい書けばわかるだろう」と思い込んで、結果足りない。
推敲するときもまだ光景が思い出せるので「これだけ書いてあればわかるだろう」と思い込んで、結果足りない。
「結果足りない」のなら、執筆時も推敲時も過剰と思われるくらい「映像化」要素を増やすしかないんです。
ここまで書くとちょっとくどいかも。
それくらい書き込んでようやく「第三者にも映像が伝わる」んです。
そして、どんなに面白かろうと「第三者にも映像が伝わら」なければ最終選考で落とされます。
本作が大賞に達しなかったのは、まさに「映像化」がまだ甘かったから。
もちろん物語のラストに関する重大事を「プロローグ」に持ってくる構成の直しも効いています。
そのプロローグでもやはり「映像化」表現がしっかりしています。
ちなみに試し読みでちょっと気になったのは「ルビのズレ」です。
基本的に漢字一字ずつルビを割り振っているようでした。
ルビが一字につき三音あるときはくっつけているようですが。三音あるのは拗音があるときで、その拗音は大きい文字のままでルビを振っているようです。
この「漢字一字ずつルビを振る」のせいで、前の漢字を巻き込んでルビが振られています。
ここがちょっと惜しかったなあと。
ただ、これが書籍版のルビ振りの基準だとするなら、見栄えや誤読を防ぐための小手先のテクニックとして活かせそうです。
ということで、「映像化」と「ルビ振り」について多くの気づきを得ました。
これは来週火曜発売の書籍版をすべてチェックして、さらに学べるところがないか探したいところですね。
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