第50話 刻まれない名前
深夜、柳と稲永は墓の前で手を合わせる。
春山家と書かれた墓の前で。
ただの自殺としてあの事件は取り扱われた。県警の六課を通じて報告書を書いて送った。だが彼女は公には自殺。明るく、恐怖に耐え、稲永の話から自分を助けようとしてくれたあの子が。友達の美香ちゃんにそれを伝えることさえ許されない。超常は秘匿されなければならない。
担当地区の六課職員から何とか墓の場所を聞き出すことが出来た柳は、今こうして彼女の墓の前に来た。
「ごめんな、守れなくて」
夜の空に吸い込まれた言葉を彼女は聞いているだろうか?
稲永は何かを口に出すことは無かった。
その墓の前から二人は立ち去る。
「柳、あの名前の無い墓について疑問に思ったか?」
帰り道に稲永は突然口を開いた。
「え?えっと、この前のあれですか?」
「ああ、一つだけ、名前の無かったあれだ」
「気になるかと言われればそうですけど……」
柳が気になったのは、何故今ここでその話をするかだ。
「昔、ワシがここに来る事になる事件があった」
「墓の話じゃ無いんですか?」
「黙って聞け。ワシがまだ巡査部長になったばかりだった頃、
ぽつぽつと話し始める稲永は空を見上げ思い出すように一言一言続けていく。
「一人の部下がずっと後ろ付いていた可愛い後輩がおった」
「ただの殺人だと思ってた、そいつとワシで事件を追っていた」
昔を振り返るように小出しに語るその口調には、辛さというか寂しさを感じる。
「その時な。そいつと、神に会った」
「驚いたよ、お前が生きて戻ってきた時。本来、神と言うのは非常に我儘で自分の意にそぐわない奴を等しく理不尽に薙ぎ払う。ワシみたいに生き残った奴はお前が初めてだった」
「そう言う事はもしかして……」
「ああ、その後輩は死んだ。それだけじゃない。ワシもしばらく精神科送り、箱詰めで正気に戻った時は四十後半だった。それでよく警部補まで行けたものだ」
自嘲気味に稲永は嗤う。
「だが問題はそこじゃない」
意を決したように嚙み締めるように口を歪ませた後に稲永は口を開く。
「そいつは今も人として死ねてない。そう思うと、まだあの子は幸せな方だと思えるんだ」
「ちょっと待ってください!それはどういう意味ですか!」
柳は稲永の襟首を掴み詰め寄る。報告ではあの子、由香の遺体は下半身が別れ幾つもの破片になったと聞いた。なのにそれで幸せとはどういうつもりの発言だと。
だが柳が怒りに囚われる前に出た稲永の次のセリフは柳を混乱させた。
「どうも何も、お前も会っただろう」
柳の手を払い除けながら大したことでもないかのように言いのける稲永。
「正直何でアイツがそうなったかワシは覚えとらん。だが本当の名を失い、変わり果てたアイツにワシはどうしてやることもできん」
どうしてかその言葉は柳を捉えて離さない。その言葉がまるで警告のように感じる。狼狽える柳を尻目に、稲永はこう呟いた。
「前にも言ったはずだ。ワシとお前は似ている。ワシみたいになるな、と」
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