第40話 急な用事
翌週の昼、商店街。
「ヴオォォォリャア!」
稲永が勢い良く腕を振り下ろし、見知らぬ男はうつぶせで地面に叩きつけられる。
「いけそこだ!」
「やれ!稲永のおっちゃん!」
盗みを働いて抵抗するマヌケを楽しそうに叩きのめす稲永を、商店街の人間はまるでプロレスでも見ているかのように熱狂している。
「……」
柳はそれを遠くから一人、死んだ目で眺める。人間、誰かが過剰に反応するのを見ると返って冷静になる。柳はそういう側の人間だった。
(帰りてぇ)
時刻はそこから一時間ほど前、九時まで遡る。
「あ、おはよ!ご飯出来てるよ!」
姫の家事する姿も板についてきた。仕事がない今、柳は家に居てもしばらく放置していたゲーム位しかやることはない。
だが昨日の夜から、姫は少し変だ。何が変かは柳にはよくは分からない。何というか、空元気なのだ。ぱっと見では違いがないが、ふと、姫を見ると何かを考えこんでいるような神妙な面付きになる。
「……」
昨日柳があそこに行った時、姫に問い詰められた時、そして深夜の出来事、普段では見ることもない異様な雰囲気だったのは分かった。
だがそれが何故かわからない。柳にわかることは姫があの館と何かしらの関わりがあることだけだ。
だが柳は姫に何と言って声を掛けたらいいかわからない。知らないが故、下手に言葉を掛けても見当違いだった場合、余計気まずくなる。
詰まるような重い空気を柳が感じる中、柳のスマホに通話が掛かる。
「はい、柳です」
「柳、お前今暇か?」
電話先の声は稲永だった。
「暇って言われた暇ですけど……なんです?」
「ちょっと付き合え」
そうして商店街に呼び出されたが、訳の分からない乱闘騒ぎ。一体自分に何をさせたいのか、一切分からない。スーツで来いと言われてきたが、そう言った当人のスーツは血で台無しにしようとしている。
「おう、来たか柳」
「何してんすか……」
「いやぁ、ここで待ってたんだが丁度こいつが目の前で泥棒しやがるもんだからよ」
顔面を腫らした哀れな男は悲しそうに後から来たパトカーに連行されていく。
「あんなにやって大丈夫なんですか?あんた非番だろ」
とうとう稲永に対する敬語も何処かに行ったようだ。
「ちげぇよ、本題はこの店でブツ買ってからだ」
「ブツってヤクかなんかですか?」
「違う」
誤解されそうな言葉に呆れながらも柳は店を見る。それはただの酒屋。どこからどう見ても酒を扱っている店だ。
「親父、居るか?」
「おお稲永さん、また来たんですか。まったく好きですねーうちの酒」
「ここの酒が一番効くんだ」
店主と楽しそうに談笑する稲永。少なくとも常連らしい。それにしても稲永はいつからこの町で勤務しているのだろうか?商店街の人間は稲永を知っている様だが。
「ん?そちらの方は?」
「うちの新入りだ」
「ど、どうも」
「久しぶりの新人さんですか!いやー良かったじゃないですかも…う……」
「ん?どうしたんだ親父?」
「ヤナ坊?お前ヤナ坊か?」
「あーはい……」
やはりわかる人間にはわかるのだろう。地元は狭い。そこから形成された人のつながりは簡単にはほどけない。彼もまた若き日の柳を知っているのだろう。だが柳は彼との直接的な面識は無い。
「中学出た時から見なくなったと思ったらお前!そうか!警察になってたのか!こりゃあいい話の種が出来たぁ!この辺りじゃ暴れん坊の何でも屋で有名だったお前が!」
まるで我が子のように喜ぶ店主の姿に柳は、過去の自分の行動から自分が知らぬ人間にも知れ渡っていたことに驚いた。それにしても何でも屋とは何だ。
だが明るい口ぶりからして恐らく両親のことを知らないのだろうか。言葉に詰まる柳を置いて店主はまくし立てる。
「いやぁ、迷子とか詐欺とか何かあるたびに大騒ぎして暴れまわってたお前が今じゃ警察かぁ……ある意味安心したよ。そういやあの騙されてた婆さん、感謝してたぞ。直接礼を言いたかったけど、どこの子か分からんって」
柳は大体むしゃくしゃしてやった事を褒められるのが何だか、気恥ずかしかった。この店に居る間、柳は自分から言葉を出さなかった。
「お前さん、結構知られてたんだな。俺は事件絡みの話を聞いたことがあったから知ってたがよ」
「俺も誰かに言った覚えはないんですがね」
「人の口に戸は立てられぬ、ってことだ」
「で、今どこ向かっているんです?」
風が吹き乾燥し始めた空気が吹く季節。坂に建てられた住宅街の中を酒瓶携え進んでいる。
だが段々、知っている道が表れていく。そこに近づくに連れ、どこに向かっているかわかる。過去、一度だけ来たことがある場所。中学卒業後、一度だけ来た覚えがある。わざと遠ざけていたその場所。
「墓だ」
そこで稲永が立ち止まった場所。山の坂に沿って造られた墓地が柳を迎えた。
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