第25話

 ランチで行われた会話を整理して話し合って方針を決める。議題はほぼ一つ。サラのお父さん探しをアヤさんに依頼するかどうか。

 貰った名刺から調べられる限りでは、アヤさんはいくつもの記事をちゃんとした(ように見える)メディアに寄稿している本物の記者らしかった。見た目の年齢からすれば凄い実績のある人なのではないかと思う。

 現状、他に手がかりはない。ネットでサラのお母さんの線から調べるにしても見つかるのは交通事故の記事ばかり。しかもそのほとんどはハンガリー語。ネットの翻訳機能には限界があるので詳しく調べようとすればサラが読まざるをえない。それはとても辛いことだ。

 他には、例によって大使館かスペイン国内の公的機関、おそらく警察を頼ってパスポートを頼りに調べてもらうというものがあるけれど……。結局、心情的にすぐ決断はできずにいる。

 この案に限らず、考えられるいくつかの手立てはどれもサラの身柄を誰かに預けることが前提になるから。わがままだとわかっていても、できるなら旅を途中で切り上げたくないという気持ちがふたりともある。目的地のあるスペインに到着してからの方がやりやすいという言い訳もあって後回しにしてきた。

 一方で俺にタイムリミットがある以上、他に早い段階でお父さん探しに着手する方法があるなら試したい。

 そんな現状を考えると依頼するのは悪くない案であるように思う。ただ、それはサラが今置かれている状況をアヤさんに教えるということと同義だ。それでお父さんが見つかるというのならばまだしも、いたずらに巻き込まれた事件の情報を広げるだけでは困る。調査の段階で悪意の第三者に知られる可能性だってある。

 せめて、ちゃんとした保護者の元に送り届けてからにしたい。そして保護者とは現状、お父さん以外に存在しないのだ。堂々巡りになってしまった。とにかく、本当に調査が可能かどうかという点を検証する必要がある、というのが話し合った結論となった。

 スペイン国内にいる一人の男性を探す伝手があるか、アヤさんに問いあわせるメールを書く。

 問題は代価だ。人探しというものは一般的にはかなりのお金がかかる。それも見つけることができなくても、だ。金銭的な余裕はないからこその情報払いなのだけど、現時点ではサラのことを詳しく説明できない。

 代わりに俺がどんな人物でどんな理由でヨーロッパにいるのか、ということを伝える。アヤさんにとって『仕事になる』情報ではないと思うが、担保みたいなものだ。依頼人が身元不明のままでは話にならないから。ただし、このことはサラには知らせていない。俺の独断。変に気をつかわせたくないし。今日のところは見積りのお願いまでになる。


 翌朝。しばらく続いた雨が嘘のように晴れ渡り、路面もドライコンディション。絶好の自転車日和だ。日が昇ってしまうと今度は気温が上がってくるので、日の出とともに西へ向かって出発する。さらばヴェネチア。本島には上陸しなかったけれど……。この後は基本的にフランス南部を目指して走ることになる。そのための道は大きく分けて二つ。

 一つ目はこのままユーロヴェロ8にそってミラノを目指す山岳よりルート。イタリアという国は北部に大きな都市が集中する傾向にあるのでいわゆる都会を中心に進むことになる。

 もう一つは少し南下して、アヤさんの友人が所属する大学があるというボローニャを経由するルート。美味しい食べ物が多いという話からもわかる通り、人口密度は低め。

 ちなみにこのボローニャ大学、かなりの名門校だそうで入学難易度も高ければ伝統もあるすごいところだった。なにせ設立から千年近い。十一世紀って……。卒業生が有名人というよりも歴史上の人物ばかりなのだから舌を巻く。こんなところで研究しているお友達もすごい。

 これらの二つのルートは西部で合流して南仏のニースを目指す点では同じ。距離もそう大差はなく、交通状況や路面の質で効率の良さは変わってくる。これまでの方針で言えば二つ目のルートを選んでいたところだけれど……。


「このままユーロヴェロ8を行こう」

 わがままを言ったのは何を隠そう俺自身だったりする。

「別にいいけど……、なんで?」

 もとより自転車道として一定の品質が保証されているユーロヴェロを通るのは一考の余地がある選択である。それでも郊外を重視するのは宿泊費の問題だったり、人目を気にしている俺たちの特殊な事情によるところが大きい。

 といっても、イタリアはハンガリーやスロベニアとは異なる。

 なんだかんだいって人が多く、地方にも一定の整備が行き届いたこの国は、ちょっとやそっと都会から離れたからといって人目を気にしないですむ、なんてことはないのだ。五十キロも走れば必ず民家の集まった地域を進むことになる。日本の田舎を知っている人は想像してみて欲しい。よそ者が走っていて目立つのが都会とほどほどの田舎、どちらかということを。

 自転車整備や物資補給の面からも一定のメリットがある選択であるというようなことを説明してみたのだが……。

「ああ、わかった。この辺り有名なレースの会場なんでしょ」

 隠された俺の目的は一瞬にして暴かれることになってしまった……。

 何度も話題にしてきた俺の青春であるロードレース。この業界にも甲子園だとかメジャーリーグみたいなものが存在する。競技者なら誰しも、その世界の一番には興味があるものだ。

 そして一般にロードの最高峰といえば、ブエルタ・ア・エスパーニャ、ツール・ド・フランス、そしてジロ・デ・イタリアの三大レースのことである。察しの良い方は気付いたことだろう。それぞれの舞台となるスペイン、フランス、そしてイタリアがまさに俺たちの進路と被っていることに。

 これからの旅はすべてグランドツアーの舞台。そう思うと胸が高鳴る。

 ツアーのコースは毎年変化するけれど、競技に使える公道となるとある程度は決まってくる。トリノ、ミラノ、ジェノバなどの大都市が集中するイタリア北部といえば毎年レースのある有名地域にほかならない。実のところ南側ルートでもレース会場は存在するのだけれど、単純に北部は俺の応援する選手が活躍していたので思い入れが強いのだ。

「そんなに言い訳しなくてもいいのに。ロード好きなのは知ってるんだから」

 などと言われてしまう。

 たしかに、俺は何に遠慮をしているのだろう。考えてみれば不思議なことだった。

 一人で旅をしていたならば、北のルートを通らない理由はない。もしかしたら南側のルートも両方走るような無茶をしたかもしれない。趣味の違う人にとっては理解できないような選択だったとしても、それが俺にとっての『一番』ならば揺らがない。当たり前のことを当たり前にやる。それが旅というものだと叔父も言っていた。

 今、サラといっしょにいる俺にとってもロードレースは大事なもののままで、何も変化していない。なのに、もしもサラが南ルートを希望すればそちらを走っても良いと、そう考えている。好きな物は好きなまま。ただ、今までの『一番』でなくなった。

 より厳密に言えば『一番がたくさんできた』。夢の舞台を確かめること。叔父の旅を終わらせること。自分の旅をすること。そしてサラを守ること。全部が大切なのだ。

 今までの大切が疎かになったんじゃない。同じくらい好きな物が増えた。それは思わぬ体験で、決して不快なものではなかった。

 旅をすれば荷物は増えて行く。それはこうした新しい価値観のことも含んでいるのだろう。

 ときに、あるはずのなかった道に迷わせ袋小路に迷いこむ原因にはなる。けれど前に進めない理由にはならない。

 逆に、ペダルを踏み出すための原動力になるとても大切なもの。

 叔父はこれを集めるために旅を続けていたのではないかと、そう思う。

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