第26話

 スロベニアからイタリアへの国境とは異なり、地中海側でフランスに入国できる道は少ない。具体的にはトリノから南下し、ニースへと向かうルート。そして海沿いを走ってマントンという街を目指すルートの二つ。

 毎度毎度緊張の瞬間になる大きな試練。避けては通れない。……が、いい加減繰り返すうちに各国にとって国境というものがどう位置づけられているのかが少しずつわかるようになってきた。それを利用して今回も凌ぐ。


 俺たちが主に活用しているユーロヴェロ8は前者のルートに沿っている。が、これは近年開通したものだ。数年前までは自動車専用道だったため通行できなかった。だから逆に同業者たびびとの関心は高く、比較的簡単に情報を集めることができた。

 曰く、かなり細かく監視されている、と。理由はこれまでの例に漏れず、移民・難民の密出国にある。南部や東部からヨーロッパに上陸した人達にとってコートダジュール、フランス南部の沿岸地域は一つのゴール地点らしい。これは温暖な気候であったり、彼らの使用する言語が理由となっている。ひっきりなしに人が移動する上に、合理的な侵入経路が二か所に絞られるとなれば通行人を見張らない理由がない。事実、この沿線の鉄道に関しては国境警備隊の姿を見ない日はないとまで言われているのだ。

 では、南部のルートならどうなのか。当然、監視の目はある。

 けれど一つ事情が異なるのは、利用者が多すぎる、という点だ。有名な観光国家であるフランスとイタリア。気候の良い地中海沿岸部。西に映画賞で有名なカンヌ、東に芸術都市ミラノ、間には裕福な人が集まるモナコ公国と、地域一帯を訪れる理由が多彩だ。

 当然、相互の都市を移動する人も多く、国境地域が一つの観光地になっているくらい。

 だからその特徴を利用することにした。つまり、ここでは今までと逆の手法をとったのだ。いわゆる木を隠すなら森の中作戦である。具体的にはこうだ。


 まず、旅装品のたぐいをできるだけ整理し、全て俺が運ぶ。国境を渡るときに何か訊かれたら素直に英語で答える。普通の自転車旅行者として大きな問題にはならない。

 そして、現地では毎日モナコからヴァンテミーリアという街の外れにある植物園の間を、国境を越えて行き来する自転車ツアーが催行されている。

 週末の昼過ぎ、この手のツアーが最も込み合う時間にサラも紛れて通過する。

 基本的に密入国者を疑う最大のファクターは荷物の多さだ。いちいち観光客を細かく見ないというのは確認済み。犬の散歩をしている現地のおばさんまで疑っていられない。

 幸運なことにツアー客の自転車はヨーロッパで多く活用される丈夫そうなもので、サラの乗っている車種とよく似ている。これを見て思いついた。


 言葉にするのは簡単だ。実際に想定を超えた事態にはならず、無事フランスの土を踏むことができた。けれど、当たり前のこととして、実行する段階ではめちゃくちゃ不安なものだった。

 これまでとは違う手段。当然俺はサラには同行できない。人が多い以上、あまり近い場所で落ち合うこともできず、そんな心証を表情にのせれば今度は自分が怪しくなる。

 無事フランスに入国してからも、一キロほどの合流地点までの距離がやたら長く感じたものだ。スロベニアの森の中でもそうだった。サラの元へと走るのはどうにも緊張することが多い。当の本人はけろっとした顔で、待ち合わせ場所でボトルを傾けていたけれど。

 毎日少しずつ、サラは変わっていく。ハンガリーを出るときはただ一歩を踏み出すために相応の時間が必要で、苦しそうな表情を浮かべていた。今はもう、俺がいっしょにいなくても国境を越えられる。……たぶん、一人で旅だってできる。むしろ俺の方がどこかそんな状況に慣れないと感じるなんて思ってもみなかった。世の中はわからないことだらけだ。


 ここまで走った距離は千五百キロほど。日数では四十日と少し。いつの間にか俺たちの旅は折り返し地点を過ぎようとしていた。

 二人で約束していたことが一つある。

 フランスに入国してもお父さんを見つけられる手立てがなかったら、アヤさんを頼るということ。たとえハンガリーで起きた事件が広く世に知らしめられることになろうとも。

 俺の中にすらわだかまる部分があるのだ。当事者である彼女が迷わないわけはない。今でもちょっとしたことで悲しそうな表情を見せることがあって、それはお母さんを思い出しているのだと思う。

 でも決断した。事件をこのまま闇に葬り去るつもりはないと。

 疲れて地に伏した少女は今、戦いのために立ち上がろうとしている。ともに戦う資格なんてないことは百も承知だ。ただ、彼女を支え助けることに関してだけは複雑な理由がいらない。単純にそうしたいから。最初から俺の旅の方針は変わっていない。


 今走っているフランスの南側。この地域一帯は前述の通りコートダジュールと呼ばれている。

 十九世紀に出版された『ラ・コート・ダジュール』という本に由来するのだそう。直訳すれば『紺碧海岸』。完全に観光書の受け売りだけど、実際に走って見ると良い名前だと実感せざるを得ない。海はサファイアを重ねたような、透き通っているのに深い青をしており、晴れた日に走っているととても気持ちが良い。

 不思議なことにイタリア東部で見たアドリア海とは全然違う色をしている。気のせいなのかと途中で撮影した写真と比べてみても明らかに紺に近い色合い。

 サラに聞けば、旅の目的の一つである海岸はこのあたり一帯の海と雰囲気が良く似ている気がするというから、もしかしたら探している海岸は俺たちの旅の途中にちゃんと存在するのかもしれない。この色を目に焼き付けておこう。


 さて、国境を越え、税制の都合で世界中からお金持ちが集まってくるモナコ公国を左手に走ってたどり着いたのはニースの街。立地も気候も抜群に良いものの、極端に有名というわけではないここが、今年に限っては特別な場所になる。特に俺にとっては二つの意味で。


「予定通り、ニースで三日間休み」

「わかってるって。ツールでしょ」

 ツール・ド・フランス。世界三大自転車レースの中でも、もっとも歴史が長く有名。世界中から集まった有名選手たちが三週間かけてフランス中を走り周ってタイムを競う。休養日以外のすべての日程で毎日レースを繰り広げ、走る距離は延べ三千キロ以上。ほぼ同距離を旅する途中の俺たちには、それがどれだけ大変なことなのか実感を伴って理解できる。

「……最近、ずっと気にしてたもんね」

 何を隠そう、もうじきこの国ではツールのシーズンが始まる。

 ちょっとした街頭でもオープニングセレモニーの様子がモニターで放送されていたりして、異邦人の俺たちにも国をあげたお祭りをやっているのだということは一目瞭然。

 特に今年はスタート地点がこのニースの地なのである。興奮するなという方が無理だろう。

 もともと旅の日程を組んだときにあわよくば、とは思っていた。開催の早いジロは無理でもツール・ド・フランスは現地で見ることができるのではないかと。

 けれど、今年のコースは山岳部中心で、俺が走る南部の日程は少ない。無理に移動して体を壊してもいけないし、なかなか難しいところだと思っていたのだけれど、まさかこんなにドンピシャになるとは。……正直ここ何日かは日程をあわせるために休みをとらずに走ったお陰ではある。何度もサラには謝罪したりもした。

「そんなに好きなら他のレースも見たらいいのに。全部は無理でももう何か所かいけるんじゃない? 私もがんばるよ?」

 国中をぐるりと周るルールなので、他のレースが進んでいる間に別の場所へ向かって待っていることは可能だ。けど、

「いや、いいよ。スタートを見ることができたら十分」

 それだけでも僥倖という他ない。三週間後のゴールはパリで残りの日程的に厳しいし、それ以外のレースでもピレネー山脈なんかに向かってしまうと遠回りが過ぎる。逆に西部のレースは早すぎて俺たちのペースでは追いつけない。

 このスタートこそがほとんど唯一無二のチャンスなのだ。

「でも……」

 食い下がるサラ。おそらく彼女は自分が俺の旅の重荷になっているのではないかと心配している。そう指摘しても否定するだろうし、逆に傷つけてしまうことになりかねないけれど。

「代わりにさ、レースの前日、一日空きがあるだろ。そこでちょっと付き合ってもらっていいかな」

 なんだか負い目に付け込むようで悪いのだけれど、一つお願いをしてみることにした。

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